山田祥平のRe:config.sys

Windows10無償アップグレードは未来の自分への投資

 Windows 7、8/8.1からのWindows 10への無償アップグレード終了まで、残り約100日。7月29日以降にアップグレードするためには、パッケージ等を購入する必要があり、当然費用がかかる。Microsoftによるこの大胆な施策だが、延長はありえないともいう。その提案を受け入れるかどうか……

太っ腹施策には理由がある

 無償はありがたい。当然、MicrosoftにとってはVista以前はサポート終了なのだから、世の中で使われている7、8/8.1がすべて10に(上手く)移行すれば、そのサポートコストは激減するだろう。無償で最新OSを提供してでも移行を促すのはそんな裏事情もある。

 だが、そうは言っても、使い慣れた環境を捨てるわけにはいかない。もしかしたら使えなくなる周辺機器やアプリケーションがあるかもしれない。不安に感じるのは当たり前だ。何より、普通に使えていて特に問題もないものに手を入れるのは怖いというのが、まだアップグレードに踏み切れないユーザーの本音ではないだろうか。

 日本マイクロソフトでは、米本社から互換性検証チームを呼び寄せ、1カ月滞在させた上で、日本特有の周辺機器やアプリケーションソフトについて、その互換性をチェックしたという。だから安心してアップグレードを、というわけだ。

 一般的なPCが3~5年使われるとしよう。5年前というと2011年。東日本大震災が起こった年だ。当時の主力OSはWindows 7であり、Windows 8が発売されたのはその翌年の2012年だ。今回の無償アップグレードは7以降が対象なので、7の発売された2009年以降のPCならその恩恵を受けられるということになる。条件としては、使用中のPCで、Windows 7 Service Pack 1 (SP1)またはWindows 8.1 Updateが動作していることだけだ。ハードウェアの仕様としてネックになるとしたら、10~20GBの空きストレージくらいのものだろう。

 Intelが第1世代のCore iプロセッサをリリースしたのは2008年のことだ。今回の無償アップグレード対象となるPCのうち、もっとも古いものがこの辺りではないだろうか。

 OSを新しくしたからといって、古いPCを延命できるわけではない。壊れたら捨ててしまおうと思っているPCが蘇るわけでもない。だったら今のまま使い続けようと思う気持ちも分かる。

 でも、OSを新しくするのは、機械のためではなく、それを使う人間のためだ。古いOSにどんなに慣れたところで、次にPCを購入する時には、間違いなく最新のOSがプリインストールされている。その最新のOSを戸惑うことなく使えるようになっておくことは悪いことじゃない。

 こうしたことを考慮すると、今までできていたことができなくなってしまうということがない限りは、無償アップグレードの誘いに乗るのが吉と言って良いんじゃないだろうか。

 ちなみに、日本マイクロソフトによれば、63%のユーザーは無償アップグレードの施策そのものは知っていても、その期限が7月29日であることは知らないという。

これからも変わり続けるはずのWindows

 MicrosoftはWindows 10を最後のメジャーバージョンアップであるとし、それまでほぼ3年ごとに刷新されていたWindows OSを連続的に変える戦略を取った。

 連続的といっても、2015年7月に公開されたWindows 10は、その4か月後の11月に更新され、次はこの夏とされるAnniversary Updateを待っている段階だ。おおむね半年に一度のバージョンアップという頻度のため、常に変わり続けているという印象はない。

 Windows Insider PreviewのFastRingくらいになると、生き物のように成長している雰囲気が感じられるが、半年に一度というのはそうでもないんじゃないか。これをもっと自然に、日常のセキュリティアップデート的な感覚で、新機能追加やUI変更ということが月に1度くらいの頻度で実施されたら、ユーザーによっては、変わった部分を受け入れられず、肝心のセキュリティアップデートも適用しない層が出現する可能性もあるということなのだろうか。

 誤解を怖れずに言えば、変わることを怖れるよりも、変わることに慣れるのを選んだ方が良いのではないか。Windows Insider Previewくらいの頻度になると、2つ前のビルドでもどうだったか忘れるくらいで、仮に新たなデザインが優れていたとすれば、以前からずっとそうだったような感覚さえ持ってしまう。一度にたくさん変わるよりも、少しずつ変われば覚えることも少なくて済む。

工夫の罪、勝手の罰

 逆の観点から考えれば、完成品として売られたOSを、勝手に変えるなという議論もあるだろう。MicrosoftはWindows 10を、Windows 7とWindows 8の良いとこ取りをしたOSであるとし、「より使いやすく、安心で安全なOSであり続けるとともに、かつてない新しい体験を提供していくために、これからもどんどん進化させていく」(日本マイクロソフト Windows本部長三上智子氏)と言っている。

 進化と変化はどこがどう違うのかを語るのは難しい。でも、変化なしの進化は難しいとも思う。そんなことなら進化などしなくて良いという意見もあるだろう。ある時点での状態を買ったのであって、生き物のように進化することを望まないというわけだ。

 特に、企業などで従業員にPCを使わせなければならない環境では、変わるたびに再教育が必要になったりもする。けれども、PCのOSが進化することを拒むということは、PCを使う人間の進化を拒むということでもある。実際、企業で使われているPCでは、ユーザーの工夫ということがほとんど認められていない。「工夫=勝手」であり、そんなことをされては、何かがあった時にサポートができなくなる、というのが自由を束縛する免罪符だ。でも、それは裏を返せば、サポートやシステム管理者がが楽をするために、ユーザーの進化を阻んでいるということでもある。その背後にある危険は、コンピューターリテラシーの後退にも結びつき、かえって最終的な教育コストがかさむ原因にもなりかねない。

「いつか」が来るなら先にやれ

 もっとも、ぼくらの暮らしは、ぼくらの知らないところで、Windows OSに支えられていると言って良い。そして、それは努力して進化することを阻まれた人々の我慢によるものだとも言える。万が一にも間違いがあってはいけない現場では、余計にその傾向は強い。何かの拍子に互換性の問題でアプリが落ちて、それまでの作業が水の泡というのを舌打ち1つで済ませられる現場ばかりではないということだ。

 でも、教育の現場については別だと思う。これから社会に出て行くことになる若い世代に、今そこに最新のコンピューティング環境があるのに、古いOSの作法を強いるのは酷だ。

 先日、IntelのIT部門の記者会見を取材した時のことだ。同社では6,319人のITスタッフが、104,820人の従業員をサポートしているらしい。計算すると、16.5人に1人がITスタッフということになる。これはすごい割合だ。

 そのIntelでさえ、シャドーITがある。いわゆる勝手ITで、部署が勝手にサーバーなどを社内に構築してしまうわけだ。でも、それは仕方がないことだとIntelは考えているという。だからこそ各事業部にIT部門の人材を送り込み、現場のニーズを知ることが重要だと。つまり、いつかやらなければならないことは、先にやってしまうというのが彼らの方針だ。

 どこの会社でもIntelのようになれるわけではない。だが、コンシューマライゼーションやBYODといった現在のトレンドにどのように対処していくのか、本当は、今こそ変わらなければならないのは、Windowsでもコンシューマでもなく、企業のITではないか。そうでなければ働き方など変わるはずがない。

(山田 祥平)