山田祥平のRe:config.sys

スマホもタブレットもPCも、みんなで「いいね!」

 マルチデバイスの時代だからといって、複数あるすべてのデバイスを1人で独占する必要はない。明日使うデバイスを手にとってログインすれば、寝ている間に自分のデバイスになる。こうした仕組みを簡単に使えるようになれば、日常的に使うデバイス選びにも変化が訪れるんじゃないだろうか。

共有解禁に向けて

 白状してしまうと、PCを家族で共有するなんて、実に、ばかげたことだと思っていた時期があった。まだまだPCが高価だったころ、1人1台はやっぱり難しく、PCメーカー各社は、家族でPCを共有することを積極的にお膳立てしていた時期があった。Windowsは、とりあえず、マルチユーザーシステムなので、アカウントさえ別にしておけば、基本的にはプライバシーは守られる。もっとも管理者はすべてのデータを参照できてしまう。家族の誰か1人は管理者にならざるを得ないため、完全にプライバシーが守られるとはいえないという抜け道はあった。

 PCを自分が使うときには、自分のアカウントでサインインし、使い終わったらサインアウトするというのは、結構面倒くさくて、なかなか徹底できない。だから、最初はアカウントを作ったとしても、結局は、誰かのアカウントでサインインしっぱなしになって使われるというのがオチじゃないだろうか。かくして、リビングルームのPCは家族で実にいい加減に共有されてきた。

 一般のユーザーにとってもモバイルが身近な時代になり、PCを外出時に持ち出すという行為が現実的なものになりつつある。世の中の多くのノートPCは、一度も外に持ち出されることがないままに、そのライフサイクルを終えてしまうそうだが、Ultrabookなど、1kgを少し超える程度のPCが、何とか手の届く価格帯に降りてきている今、いつでもどこでも使えるPCを欲しいと思うユーザーが増えてきている。これまでは、PCにオールマイティを求めていたユーザーが、特定の役割に特化したPCにも目を向けるようにもなりはじめているのだ。

 ぼくは、ずっと、PCは大中小の3台を使い分けると便利だと提案してきた。でも、3人家族でこれをやると9台である。ちょっと現実的ではない。

 それに大中小の3台を1人が同時に使うわけでもない。だから、デバイスのバリエーションを充実させて、いつでも好きなときに好きなデバイスを持ち出せるような環境を作れれば便利だと思うのだ。

 もちろん、そのためには、個々のPCに唯一無二のデータが入っているような状態は回避できなければならない。また、それぞれのデバイスを自分のために持ち出すときには、自分の管理下にあるデータだけが参照できる状態になっていなければならない。

 多くの問題は、クラウドを使えば解決できる。サービスコストの問題、ネットワーク帯域幅の問題、アプリケーションのライセンスの問題など、いろいろと考えなければならないことああるが、その気になれば、技術的には今すぐにでもお膳立てできる話だ。

必要なのは待つことだけ

 iOSデバイスが便利だなと思うのは、いったん工場出荷状態に戻しても、驚くほど簡単に元の環境に復元できてしまうことだ。Apple IDとパスワードを入れる以外は、することは何もないといっていいだろう。それだけで、ネットワークに接続したままでしばらく放置すれば、完全に以前の状態が復元される。必要なのは待つことだけだ。ホーム画面に並ぶアイコンの順番まで以前の状態と同じなのだから、リセットを躊躇することもない。

 ちなみにAndroidでは、リカバリした同じデバイスに、以前と同じアカウントを設定しても、ある程度の復元は行われるが、環境までは復元されない。アプリもダウンロードされるのだが、完全に同じ状態とはほど遠い。設定などもやり直しだ。

 また、Windows 8では、Microsoftアカウントによって、PC間の同期ができるようになったが、同期されるのは一部の環境だけだ。iOSデバイスのようにはいかないのだ。だから、いったん工場出荷状態に戻してしまうと、元の環境を再構築するために、それなりの手間と時間が必要になる。少なくとも放置すれば元に戻るというようにはなっていない。

 Windows to Goのように、USBデバイスなどに自分の環境を保存しておき、そこからブートすればいつもの自分の環境が簡単に手に入るというのは悪くない。これがSDメモリーカードなどでできるようなら、結構便利に使えるはずだ。将来的には、この仕組みを利用して、ローカルストレージを一切持たないPCというのもありだと思うくらいだ。

 それが難しければ、共有PCの中に、それぞれのユーザー用の仮想環境を作るというのはどうだろう。でかけるときには、モバイルPCに手持ちのストレージから自分用のPCをファイルコピーすればできあがりだ。そして、自宅に戻ったら、別のストレージにファイルを書き戻せばいい。

 どんなときでも必ずネットワークにつながることが保証されているのなら、すべてをクラウドに頼ることはできるかもしれないが、やはり、まだそれは難しい。飛行機でも地下鉄でもネットワークが利用できるようにはなりつつあるが、帯域幅の点でまだ不安は残る。ラリー・エリソン氏が提唱したネットワークコンピューターの時代は、もうちょっと先の話になりそうで、本当は、今こそ求められている環境なのかもしれない。

マルチデバイスは共有からスタート

 PCはもちろん、スマートフォンだってタブレットだって、ちゃんとプライバシーを保ちながら、みんなで共有できればどんなに便利だろう。多くの場合、スマートフォンは常時携帯しているので、その共有は考えにくいが、タブレットはありだし、PCだって、その日の用事やでかける場所に応じて、ふさわしいフォームファクタのものを持ち出せるのがいい。旅行専用PCなんていうのがあっても楽しそうだ。

 もし、持ち出したいデバイスが、常にバッティングしてしまうようなら、同じフォームファクタのものをもう1台追加すればいい。それは仕方がなかろう。

 1人が使うためだけに、使わないときには複数台のデバイスが出番待ちをしているというのは、ちょっともったいないなと思うようにもなった。それに、こうした環境がきちんと整備されてくれば、家庭内で保有されるPC的なデバイスの台数は、さらに増えるんじゃないだろうか。今は、面倒くさいから1人1台ですませているのであって、面倒くさくなくなれば、複数台のデバイスを併用するのが便利に決まっているからだ。

 Androidは、4.2になってタブレットでマルチユーザー環境をサポートするようになった。この方向性は悪くない。リビングルームに転がっているタブレットは、誰が使うかわからない。家族によっては、家族共用のアカウントを決めておき、そのアカウントで電子書籍を購入して家族で回し読みしたり、購入したソフトウェアをみんなで使ったりしているかもしれない。でも、そんなアカウントがあっても、やはり、TwitterアカウントやFacebookを使う時は、自分のアカウントだろう。サインインし直しが面倒で、本当は、自分のタイムラインをチラチラと見ながら、時には、つぶやきもしながらTVを見たいのに、面倒くさくてそれをやらない、あるいは、いつも手元にあるスマートフォンの小さな画面ですませているというのがオチに違いない。

みんなの暮らしを豊かにするテクノロジー

 PCはパーソナルコンピューターだ。でも、そのパーソナルという意味合いは、時代とともに変わらなければならないとも思う。かつては、コンピューターを個人が所有することそのものに意義が見いだされていたかもしれないが、今は、たちどころにパーソナルがその中に復元されることが求められているのではないか。

 コモディティといわれる車でさえもシェアされる時代である。パーソナルなコンピューターだってシェアできてしかるべきだし、さまざまなテクノロジーがそれを可能にしてくれるはずだ。あとは、ビジネスモデルやサービスなど、いろいろな大人の事情だけが立ちはだかる。これらの問題を1つ1つ解決していくことで、新しいパーソナルコンピューターの時代が拓けはしないだろうか。今、PCシーンに求められているのは、こうしたユセージモデルなんじゃないかと思う。

(山田 祥平)