山田祥平のRe:config.sys

運命共同体のSNSが支えるiTunes Apps Store




 iPadが発売されて2週間が過ぎた。そろそろ落ち着く頃かとも思うのだが、まだ予約をしないと入手は難しいようだ。結局注文してしまったWi-Fi版64GB iPadの到着を待ちながら、PCとiPad、そして、それに連携していくさまざまなデバイスを取り巻くアプリケーションについて考えてみた。

●アプリも動いてこそのコンティニュアム

 Intelの話から始めよう。同社副社長兼PCクライアント事業本部長のムーリー・エデン氏が来日し、同社が提唱する「コンピュート・コンティニュアム」と呼ばれる概念について説明した。これは、デスクトップPC、ノートブックPC、ネットブック、携帯情報端末、スマートフォン、スマートTV、組み込み機器という生活に欠かせない各種のデバイスを、すべてIntel Architecture(IA)でカバーしようというものだ。

 これらのデバイスのうち、今のところIntelがPCと呼びたいのはノートPCまでのようだが、実際にはOSがWindowsである限り、ネットブックもPCと考えていいだろう。これは、AtomベースのネットブックにWindowsはふさわしくないとするIntelの意地かもしれない。ただ、今後、Oak Trailのような製品が出てくれば、ネットブックも堂々とPCと呼ぶようになるかもしれない。実際、エデン氏は封筒に2台が重ねて入ってしまうほど薄型なピュアタブレットPCの試作機を自慢げに見せていたが、そこで稼働していたOSはWindows 7だった。Intelは、Atomベースの薄型ピュアタブレットを、ネットブックと携帯情報端末、いわゆるモバイル・インターネット・デバイス(MID)の間に位置づけたいようだ。

 結局、Intelのコンピュート・コンティニュアムを支えるOSは、上はWindowsで、スマートフォン以下がWindows Mobile、そして、組み込み向けにはWindows Embedded Compact 7ということになる。全部にWindowsと名前がついていて、IA上で稼働するOSであることには違いはないが、バイナリレベルでアプリケーションの互換性が保たれているわけではない。でも、開発環境は酷似していて、Visual StudioやExpression、Silverlightなどが、開発者を支援する。もっとも、Google TVのように、AtomベースのAndroidプラットフォームもあるから、この先、何がどうなるかわからない状況だ。

 さて、話題のiPadは、コンピュート・コンティニュアムの中で、どこに位置するかというと、紛れもなくMIDだ。MIDというと「ネットとメールができればそれで十分」的な響きがあるが、実際には、iPhoneもそうだが、立派なアプリケーションプラットフォームだ。これは、何も、Appleが最初に始めたわけじゃなく、ほとんど10年近く前に、ドコモがiアプリという形でやろうとしていたことを、うまく時流に乗せられただけのことだ。やはり囲い込みの点では、Appleの方が一枚も二枚も上手だ。石橋を叩いて結局わたらないようでは、この成功はなかったに違いない。

 iPadやiPhoneのアプリを物色していてもどかしく思うのは、こんなに楽しくて便利なアプリケーションの数々が、性能の点でははるかに上のMacやPCで、なぜ使えないのだろうということだ。そういえば、PCで使うアプリケーションで、固有名詞が広く知られているものといったら、ExcelにWord、そして、一太郎、あとは、一部の人々にPhotoshop、Premiereといったところだろうか。もちろん、スキルのあるパワーユーザーは、OSが何であろうと、インターネットを駆使して必要なアプリケーションを探し出し、目的のプラットフォームを自分用に構築することができる。でも、似たようなものはあっても、同じものはない。

 AppleがIntelと同様に、コンピュート・コンティニュアム的な構想を、ほんの少しでも持っているのだとすれば、iTunesが音楽プレーヤーとして機能するのと同様に、iTunesが、iPhone、iPadアプリの実行環境としても機能するように持って行くべきではないだろうか。そんな構想はまるでないと言われればそれまでなのだが……。

 量販店のパッケージソフト売り場が縮小に縮小を重ねている今、そもそもごく普通の人々がソフトウェアを箱で買うようなことは、ほとんどなくなってしまった。だからといってオンラインで積極的に探して購入するわけじゃない。かくして、アプリケーション実行環境としてのPCの存在はどんどん希薄になろうとしている。もちろん企業は違うが、コンシューマーの世界ではそうだ。

 AppleはiPhoneやiPadによって、アプリケーションを、きわめてパーソナルなものにした。この業績は賞賛に値する。これまでは、使うデバイスの台数によって値段が決まっていたアプリを、使う人の人数によって決めることを常識としたからだ。iPhoneも、iPadも、基本的には1人で使うデバイスだ。iPodを1台、iPhoneを1台、iPadを1台と、3台のApple製品を所有しているユーザーが、3台全部に音楽やアプリを入れても値段は変わらない。使うのは1人だからだ。PC用のアプリケーションでも、オンラインで入手できるものには、PCへのインストールは無制限といったライセンス体系を持つものが多いが、Appleアプリの場合は、すべてがそうなのだ。売っているのがiTunes App storeだけなのだから、結果としてそうなる。

●iTunes App Storeの使いにくさが絆を深める運命共同体

 iPadが届いたときのために、あらかじめ、アプリケーションを用意しておこうと、先日からいろいろと物色しているのだが、iTunes App Storeがあまりにも使いにくいことに驚く。結局は、PC上のブラウザを使ってインターネットで情報を集めてから、アプリを探し出して口コミ状況をチェック、さらにiTunes App Storeでのカスタマー評価を斜め読みしながら買う、買わない、無料でもダウンロードする、しないを決めなければならない。たとえ、350円のアプリでも、立ち読みならぬ立ち使いができない以上、購入に慎重になってしまうのが不思議だ。ドコモのiアプリはサブスクリプション制で、一度買うと、毎月、お金を払い続けなければならないのに対して、iTunes App Storeのアプリは売り切り制のものがほとんどだ。たとえ、箸にも棒にもかからないようなものだったとしてもあきらめがつくはずなのに、なぜか慎重になってしまう。これが貧乏性なんだろうか。

 普通のユーザーは、アプリ選びにここまで慎重になるんだろうかとも思う。それ以前に、アプリを探し出す唯一の手段が、あの使いにくいiTunes App Storeで我慢できるのだろうか。ほかがないというのは怖ろしいことだ。

 音楽は別だ。音楽は、iTunes Store以外でも売っている。TVやラジオでも流れる。iTunes Storeは、流通経路の1つに過ぎない。ほかで見つけてiTunes Storeで買うというのも多いだろう。でも、Appleアプリはそうじゃない。iTunes App Storeでしか買えないのだ。

 とっくに10万本を超えているというiPhone、iPad用アプリを、あのGUIを使って物色し、はずれをひかないように選択するのは至難の業だ。そこで求められるのが、一昔前なら指針としてのメディアや評論家の存在だが、今は違う。個人のブログやTwitterなどでの発言、そしてSNSでの情報交換の存在がある。今やその影響力の方が大きいはずだが、そのことが本当に広く知れ渡っているかどうか。

 かくして、ユーザー間の結びつきは、Apple製品という絆によって、ゆるやかに緻密なものになっていき、運命共同体として広義のSNSを構築していく。世の中を変えるのはiPadじゃない。人々なのだ。