AppleなきMacworldの行方
Macworld 2010が、2月9日(現地時間)にサンフランシスコで開幕した。イベントの主催者はIDGだが、昨年1月のレポートでお伝えしているとおり、イベントの主賓であり、また来場者をもてなす最高のホストでもあった米Appleは、Macworldへの参加を2009年に最後に取りやめた。AppleなきMacworldがこの日、静かな開幕を迎えた。
AppleなきMacworldは、必ずしも今回が初めてというわけではない。2000年代前半までは米国内でも冬期と夏期、年2回のMacworldが西海岸と東海岸でそれぞれ開催されていた。当初はボストンでスタートした夏期のMacworldは次第にその規模を拡大していき、会場がボストン市内で分散する事態になったことと、同市のコンベンションセンターの大型改修のタイミングを受けて、'98年からニューヨークでの開催に移行した。この'98年のMacworld/NewYorkは、ボンダイブルーと呼ばれた初代iMacが正式デビューを果たしたイベントである。
ウォール街を持ち、また大規模市場でもあるニューヨークでの開催はApple(当時の会社名はApple Computer)もかなり積極的に見えたが、主催側のIDGが2004年以降の開催をコンベンションセンターの新装、大規模化を終えたボストンに決定したことにApple側が難色を示した。結局、2004年のMacworld/Bostonは、Appleが参加することなくごく小規模に開催され、東海岸におけるMacの祭典は実質的な終焉を迎えることになる、
2008年12月に、Appleは2009年を最後に継続してきたサンフランシスコでのMacworldへの出展を取りやめることを正式にアナウンスした。当時のニュースリリースによれば、その理由については直営店やWebサイトを通じて顧客に十分なメッセージを伝えることができるようになったこと、トレードショウの役割自体が小さくなったことなどが挙げられた。こうした状況やAppleの考え方についてはそれまでにもスティーブ・ジョブズCEOの講演で何度も取り上げられており、「一週間あたりの全世界のApple Storeへの来客数は、Macworldを複数回開催しているに等しい」といったフレーズが講演内でたびたび用いられてきた。これは直営店の成功を強調する意図も背景にあった。
2009年1月のMacworldで開催されたApple最後の基調講演の様子。フィル・シラー上級副社長が講演を行ない、冒頭でApple Storeにおけるユーザーとのコミュニケーション強化などを説明。最後は男性ヴォーカリストのTony Bennett氏の歌う「I Left My Heart in San Francisco (邦題:霧のサンフランシスコ)」で締めくくられた。 |
またApple側としては、Macworldとしての日程が1年以上も前に決定してしまうことで、同社の製品開発/発表のスケジュールに不自由さを及ぼしていることもネックとして捉えていた感がある。Macworldにしばられることがなければ、同社は市場の動向を睨みつつ、最良のタイミングで自由に新製品を発表、投入することができるようになる。新製品というお土産のないMacworldがMacユーザーに歓迎されなかったように、新製品を必ず投入しなければならなくなっていたMacworldは、Appleにとっても歓迎されざるものになっていったと言うことであろう。
●避けられない規模の縮小。一部のサードパーティはCESヘ主賓を失うことになったIDGは、Macworld Conference & Expo San Franciscoというこれまでの名称を「Macworld 2010」というシンプルな名称に改めて再スタートを切った。2009年1月時点では開催時期が例年どおりの1月初旬に設定されていたが、同時期のInternational CESとの競合を避ける意図もあってか、後日、2月9日~13日に開催日程を改められている。
9日10日の両日に、終日行なわれるユーザーカンファレンスのレジストレーション。 |
また、イベント内容も大幅に見直された。これまではAppleが行なう基調講演を目玉に据えて、基調講演終了直後に展示ホールをオープンするというのが通例で、例年の展示期間は火曜から金曜という設定だった。しかし2010年は、展示ホールのオープン期間を週末にかかるように11日(木)~13日(土)にして、よりカジュアルなユーザーの呼び込みに注力する方向性となっている。会期としては9日(火)からスタートしているが、9日10日の両日は、終日行なわれる申し込み制のユーザーカンファレンスやセミナーに費やされる。冒頭で静かな開幕という表現を使ったのは、こうした実情も踏まえてのものである。
展示ホールの規模縮小も避けることはできなかった。例年モスコーニセンターのSouthホール(Appleがブースを構えるエリア)をメインとして、さらにNorthホール、時にはWestホールも利用して展示を行なっていたMacworldだが、2010年は出展者による展示はNorthホールに集約されている。カンファレンスにはWestホールの一部が使われているが、Southホールではまったく別のイベントが開催されていた。
Internatonl CESの影響も見逃せない。MacworldへのAppleの不参加を受けてInternational CESを主催するConsumer Electronics Association(CEA)は積極的な営業を展開。米国内のコミュニティメディア「iLounge」の協力も受けて、これまでMacworldに出展していたiPod/iPhone系のデベロッパーやサードパーティを中心に、年初に行なわれたInternational CESへ誘致することを成功させている。世界的な不況を受けて、International CESと言えども出展者数の減少に苦しむなかで、この試みは大きな成果を生んだようだ。
米国時間の2月3日になるが、CEAはニュースリリースを発表。2011年開催のInternational CESでは、このiLounge Pavilionの展示エリアを100超の企業が出展した2010年の25,000平方フィートから、一気に倍増となる50,000平方フィートに拡大することを早々にアナウンスした。
MacworldにせよInternational CESにせよ、出展する側の企業体力にも限界がある。従来ほぼ同時期に開催されてきたこの2つのトレードショーに同時出展できていた企業は、大手を除けば数少ない。この世界的な不況下であればなおさらのことで、今まで主にMacworldのみに出展していた、いわゆるMacコミュニティとも言うべきサードパーティのいくつかが、いわゆる鞍替えをした。特にPCもプラットフォームにできるiPod/iPhone系を中心とするサードパーティは特に顕著な傾向にある。例年のMacworldレポートでも、展示ホールのAppleに次ぐ準主役としてたびたび紹介してきた、GriffinやXtremeMac、MacallyなどのサードパーティもInternational CES側に出展。今年のMacworld出展者リストからは姿を消してしまっている。
実際のところ筆者もInternational CESに訪れたが、2010年のInternational CESのブースの一部とiLounge Pvilionの様子は、筆者の目からはプレMacworldであるかように映り、ポストMacworldへの予兆すら感じさせるものだったと言える。
Macworld 2010の展示ホールは、現地時間11日(木)の正午にオープンする。意外と言っては失礼だが、Appleを除けば最大のMacプラットフォームのソフトウェア開発チームを抱える米Microsoftは、本年末のOffce for Mac最新版のリリースを控えて今年も出展を継続する。ほかにもインディースなデベロッパーや、International CESのタイミングでDualieを発表したバッファローの米国法人も出展するなど、展示内容には開けてみないとわからない期待できる要素もある。例年どおり現場から、この目でとらえたMacworld 2010の実情を紹介していくことにする。
(2010年 2月 12日)
[Reported by 矢作 晃]