笠原一輝のユビキタス情報局

タッチでも物理キーと同等の操作性。YOGA BOOKのHalo Keyboardが秘める可能性

LenovoのYOGA BOOK(Windows版)

 Lenovoが昨年(2016年)IFAで発表した「YOGA BOOK」のタッチキーボード「Halo Keyboard」(ヘイローキーボード)を見たとき筆者は、これは今後デジタルデバイスの概念を変える製品になるだろうと感じた。

 Halo Keyboardは、ワコムのペンタブレットの上に、タッチキーボードの層を入れて、そこを光らせることで、視認できるタッチキーボードを実現している。スイッチによりキーボードをオフにして、ペンタブレットとしても利用できる。

 Windows、Android、iOSというプラットフォームを限らず、QWERTYキーのスクリーンキーボードで物理キーボードに匹敵する打ち心地を実現した製品は、それまでお目にかかったことがなかった。しかし、Halo Keyboardを打鍵すると、数分で「結構打てる」と感じる。その秘密は、Halo Keyboardのソフトウェアアルゴリズムにある。

Lenovoのデビッド・ヒル氏が言っていたノートPCはより薄くなっていくを具現化したYOGA BOOK

 昨年の2月、筆者はLenovoのCDO(Chief Design Officer)であるデビッド・ヒル氏にインタビューした(Lenovo最高デザイン責任者、デビッド・ヒル氏インタビュー参照)。ヒル氏は1990年代にIBM時代のThinkPadの開発チームに加入して以来、一貫してThinkPadのデザインに関わっており、現在ではLenovo製品全般のデザインに責任を負っているキーマンだ。

 そのさいヒル氏は、「今後もノートPCは薄くなっていくと考えている。キーボードを見ても、過去には深いストロークのキーボードだったのが、今は薄いキーボードで多くのユーザーが満足している。私の母親は仕事でタイプライターを使っていたので、今のノートPCのような薄型のキーボードは使い物にならない。しかし、私の息子は若い頃から今のようなキーボードやタッチを使っているので、タイプライターのようなキーボードこそダメだと言っている。このように人々の趣向も変わっていくが、事実は、徐々に薄くなっていっているということだ」と述べた。

 確かにノートPCのはこれまで、徐々に薄型へと移行している。だが、完全に平らなスクリーン/タッチキーボードを物理キーボードの代替するまでになるかと言うと、疑問符がつく。入力効率で、スクリーン/タッチキーボードは物理キーボードにまるでおよばないからだ。

 実際、Lenovoの調査によれば、物理キーボードに比べてスクリーンキーボードは6割ぐらいの入力効率でしかないと言う。プロのライターとして、言うまでもなくそれは受け入れられない。

 だが、YOGA BOOKに触れたとき「ヒル氏が言ってたのはこういうことか」と腑に落ちた。

物理キーボードに近いキー入力数とエラー率を実現しているHalo Keyboard

 YOGA BOOKで初めて打鍵しとき、明らかに従来のスクリーンキーボードよりも打て、入力間違いも少ないと感じた。Lenovoが公開した、テスターによる結果もそれを裏付けている。

このように形状を変えて利用できる
YOGA BOOKのタブレット部分を空けたところ、基板やバッテリが入っている
Lenovoが世界の4地域(米国、中国、EMEA、日本)で行なったタイピングテストの結果。YOGA BOOK Halo keybaordはSurfaceシリーズと思われるタイプカバーキーボードに比べて90%の速度で入力できた

 被験者はHalo Keyboardでは、2in1型キーボードカバーに対して89%、Bluetoothコンパクトキーボードに対して101%の文字数を入力できたという。一般的スクリーンキーボードに対しては、166%の入力が可能で、入力ミスは39%削減することができているという。これだけの実績であれば、物理キーボードの替わりになるうる。

 どのようにしてHalo Keyboardは、このような物理キーボードに迫るような入力効率を実現できたのだろうか? その秘密は、大和研究所内にあるLenovoのR&T Japan(Research & Technology, Japan)チームが開発したソフトウェアアルゴリズムにある。

 大和研究所は、LenovoがIBMからPC事業を買収したときに得た開発拠点で、ThinkPadシリーズの開発チームもここにある。ThinkPad開発チームでは2~3年先を見据えた開発を行なっているのに対して、同じ大和研究所内にあってもR&Tチームは3~6年先を見据えた技術を開発しているのが大きな違いだ。R&Tチームは、社内ベンチャーのような形に位置づけられており、開発した技術をThinkPad部門や、YOGA部門に対して売り込みに行くのだという。

 YOGA BOOKの企画、開発は、北京にあるLenovo本社の拠点で行なわれているが、R&T Japanチームは約2年前にYOGA BOOK事業部に出向いてHalo Keyboardのプレゼンを行ない、プロトタイプをを触った事業部重役が"これは打てるぞ"ということで、採用が決まったのだという。

ソフトウェアアルゴリズムによりタッチ時の入力とフィンガーレストを実現

 レノボ・ジャパン株式会社 R&T Japan リサーチャーの伊藤浩氏によれば、「現状のスクリーンキーボードにはいくつかの課題がある。レイアウトがシンプル過ぎるし、フィンガーレスト(指を画面上に置く)ができなかったり、タイピングの反応が遅いなどの理由から、タイピングエラーにつながっている」という。Halo Keyboardでは、それらの弱点をソフトウェアアルゴリズムでカバーしている。

従来のスクリーンキーボードの弱点とHalo Keyboardでそれを補った部分

 キーボードレイアウトに関しては、ThinkPadのキーボードをベースにして決められた。つまり物理キーボードのレイアウトをそのまま採用した。スクリーンキーボードでは省略されがちのファンクションキーも用意された6列配列となっている。「本社ではファンクションキーは要らないのではないかという意見もあったが、日本などではIMEの入力に必要だからと押し切った」(レノボ・ジャパン株式会社 R&T Japan リサーチャー 戸田良太氏)と、日本ユーザーに配慮した結果だ。

キーボードレイアウトの工夫

 一般的なスクリーンキーボードでは、指がタッチした時に文字を出力するのではなくて、指がセンサーから離れたときに文字が入力される。これは、フリック入力には向いているが、QWERTY配列のキーの場合には問題になる場合がある。と言うのも、キーを押す順番と離す順番が一致しないこともあるからだ。そこで、Halo keybaordでは、指がセンサーにタッチした瞬間に文字を入力することで物理キーボードと同じ入力感を実現している。

 ただ、タッチした瞬間に文字を入力してしまうと、フィンガーレストを入力と勘違いしてしまう。それに対しては、アルゴリズムで、複数のキーが同時に押された場合はフィンガーレストだと認識するようにしている。

タイピングの検出
タッチICレベルでもパームレスト部分をオフにするなどの工夫もされている

仮想レイアウトによりキーボードがユーザーに合わせていく

 そして、Halo Keyboardの肝となるのが「エルゴノミック・ヴァーチャル・レイアウト」と呼ばれる、ユーザーが叩いた位置を学習して、ユーザーの癖にキーボード側が合わせていく機能だ。

エルゴノミック・ヴァーチャル・レイアウト

 たAのキーを打つ場合でも、人によってSの側だったり、下のZの側だったりと叩いている場所が微妙に異なる。エルゴノミック・ヴァーチャル・レイアウトでは、そうしたユーザーの”癖”を学習し、たとえばAを打とうとして、ほとんどSの場所をタッチしたとしても、それがAを打とうとしているのだと認識してAのキーを打ったとして処理する。内部的には不可視のレイアウト(バーチャル・レイアウト)が、作られるわけだ。それらの学習は短期間で行われ、複数のユーザーが同じマシンを使う場合、あるいはユーザーが別の姿勢で入力を始めても、すぐにユーザーに合わせた学習が行なわれるようになっている。

IMEとの連携は可能だが、キーロガーの疑念を持たれることを懸念し独立した仕組みを選択

 ただし、この学習はOS側からは完全に独立しており、タイピングの履歴などは一切記録しない。つまり、キーロガー的な機能は実現できないと言うことだ。仮にHalo Keyboardの学習内容が第三者に盗み見られたとしても、そこに記録されているのはユーザーがAのキーを打つ時にS側を押すことが多いという情報だけとなる。

 鍵になるのはバーチャル・レイアウトと見えているレイアウトの間で矛盾を生じさせないことで、ここにHalo Keyboardの真髄がある。

 今回R&T Japanが開発したソフトウェアアルゴリズムは、幅広くスクリーンキーボードに応用可能だ。ただし、IMEにまで踏み込むと、キーロガー的な処理を行っているのではないかという疑念を持たれる可能性があるため、今のような物理的な印刷があるタッチキーボードという形に落ち着いたのだという。

 言い換えるなら、OSメーカーがIMEとスクリーンキーボードを分離し、スクリーンキーボードをデバイスメーカーが実装できるようになれば、使い勝手はさらに高まるだろう。たとえば、日本語入力システムはATOKやMS-IMEを使い、スクリーンキーボードをデバイスメーカーが作り、打鍵データだけをIMEに渡す仕組みを、Googleなり、Microsoftなりが実装すれば、スクリーンキーボードでさえ物理キーボードと同等の生産性が実現できる可能性を秘めている。

 東芝の「libretto W100」(東芝、ダブルタッチスクリーンの「libretto W100」参照)のような2面ディスプレイで、片側をスクリーンキーボードとして使う製品があったが、あの時にも問題になったのはスクリーンキーボードの生産性だった。Halo Keyboardに採用されているソフトウェアアルゴリズムを採用すれば、その問題が解決される可能性がある。また、AppleのMacBookシリーズのキーボードはかなりタッチキーボードに近いが、それがさらに一歩進んでHalo Keyboardのようなキーボードが一般的になる、そういう方向性も当然考えられる。

 筆者が、YOGA BOOKが今後デジタルデバイスの概念を変える製品になるだろうと感じた理由はここにある。