■【短期集中連載】ThinkPad生誕20年の軌跡を追う■
渡辺朱美社長 |
「企業ユーザーはもとより、個人ユーザーにもっともっとThinkPadを使ってもらいたい」--。レノボ・ジャパンの渡辺朱美社長はこう切り出した。
ThinkPadの20年間の歴史を振り返ると、かつては個人ユースを意識したThinkPad iシリーズなどをラインアップした時期もあったが、ThinkPadシリーズのメインストリームにおいて、ここまで積極的に個人ユーザーの利用を訴求するのは初めてのことかもしれない。
それは、渡辺社長自らがThinkPadの開発に携わり、さらに約20年間に渡り、個人ユーザーとしてThinkPadを使い続けてきた経験の裏返しともいえる新たな施策だ。「20年間に渡って、ThinkPadは企業のコアとなる製品であり続け、これからもレノボにおいて、そのポジションは変わらない」と語る、渡辺社長にThinkPadに対する想いと、レノボ・ジャパンにおける今後のThinkPad戦略について話を聞いた。
●ThinkPadの開発にも携わった渡辺社長2012年4月からレノボ・ジャパンの社長に就任した渡辺朱美氏は、かつて日本IBMに在籍し、ThinkPadの開発に直接携わった経験を持つ。レノボ・ジャパン社長への就任オファーを、「ThinkPadとは赤い糸で結ばれていた」と表現したほど、ThinkPadへの思い入れは人一倍強い。
第1号のThinkPadの開発チーム全員に配られた記念の楯。渡辺社長が大切に持っていた |
ノートPCの開発に携わっていたのは、1990年から1994年までの5年間。その間、ThinkPadの第1号機の開発にも、エンジニアとして携わっている。「日々、新たなテクノロジーへの挑戦の繰り返し。ThinkPad開発を行なっていた大和研究所は『不夜城』と言われたが、まさにその言葉通り、連日が徹夜の連続だった」と振り返る。
寝袋を持ち込んで開発に挑み、クリスマスケーキも、除夜の鐘も、大和研究所で迎えたという。「それでもエンジニアの目は爛々と輝いていた。これだけの先端技術を盛り込んだ新たなノートPCの開発に、寝食を忘れて取り組んだことは得難い経験。ThinkPadの誕生に携われたことは、自分のキャリアの中でも大きな自信になっている」と語る。
ブランドマーケティングを担当していた1999年には、社内でカラーバリエーションについても議論した逸話を披露する。ちょうど、iMacがパステルカラーの品揃えを行ない、人気を博していた時期だ。「だが、結果としては、ThinkPadのカラーは変えない。それがThinkPadの堅牢性や質実剛健を表現することになるということで見送られた」という。
そして、渡辺社長自身、大和研究所で開発に携わった中で印象深いのが、ノートPCの開発リーダーを務めていた内藤在正副社長の誕生日に行なわれた電話会議で、全世界の出席者が内藤氏のために「ハッピーバースディ」の歌を合唱したことだったという。「たぶん、内藤さんは泣いていたはず」と、笑いながら当時を振り返る。
●さまざまな立場でThinkPadとの関わりを持つ渡辺社長自身、立場を変えながらThinkPadに携わり続けている。第1号機の誕生にはエンジニアという最も近い存在でThinkPadに携わり、その後ブランドマネージャーとして、ThinkPadのマーケティング戦略を統括した。さらに、2000年以降には、日本IBMでメインフレームなどの事業に携わった時には、ThinkPadのユーザーという立場が強かったといえるかもしれない。
「20年間一度も浮気をしたことがない。家族を含めると家の中では、20台近いThinkPadを使用してきた。両親を含めると30台近くになる」という根っからのThinkPadユーザーでもある。
そして、今年からは、経営者の立場でThinkPadの事業に取り組むことになった。「改めて大和研究所のメンバーに会って感じたのは、20年間に渡って、エンジニアの強い探求心によって開発され続けていること。そして、企業を代表するブランドであることは、レノボになったいまでも変わらない。それだけ世界の人々に愛される製品に成長していることを、改めて実感した」と語る。
2004年12月に、レノボにIBMのPC事業の売却が決定したときには、直接、ThinkPadの事業には携わってはいなかったが、「もったいない」という気持ちと同時に、「寂しさ」を感じたという。「レノボへの売却後も、1人のユーザーとして、ThinkPadを使い続けてきたが、レノボへの事業統合の中で、大きな苦労をしていた話は聞いていた。これは、新たな企業を立ち上げるよりも大きな苦労だったはず。レノボの企業文化の中に、ThinkPadの事業を融合するにはかなりの時間を要したといえる」。
しかし、そのときの苦労は、今は成果となっている。ThinkPadを事業の中核ブランドに位置づけたレノボは、この3年間で日本におけるシェアを倍増。世界市場でみた場合にも、第2位のシェアにまで浮上。そして、最新四半期の集計では、Hewlett-Packardを抜き首位に躍り出た。
「『攻めと守り』という当社の基本戦略が効を奏していること。そして、日本においては、パートナー戦略に舵を切った成果が上がっていることも大きな要素。さらに、ThinkPadの革新性を追求し続ける姿勢が、長年に渡り、変わらなかったことも大きな要素である」とする。
一方、渡辺社長自身も、ThinkPadのブランドマネージャーとしての経験が、その後の自らのビジネススキルの形成に大きく影響していることを明かす。「当時の日本IBMの中で、製品開発、ブランディング、マーケティング、営業、サービスおよび保守といったすべてのスキームに携わることができたのはThinkPadの事業だけだった。まさに、ゆりかごから墓場まで(笑)。この経験が、今の経営者としての立場で生かされている」と語る。さらに、「PCの業界は、とにかくスピードが速い。このスピード感をもって仕事に当たることができるのは、大きな経験だった」とも語る。
スピード感は緊張感の持続を強いられる。それが辛いという人もいる。しかし、渡辺社長は「それこそが醍醐味」と意に介さない。ThinkPadの事業の経験は、スピード感を持った渡辺流の経営手法を確立する意味でもプラスになっているといえそうだ。
●個人ユーザーへの積極的な提案を開始渡辺社長は、ThinkPad誕生20周年を迎えた今年、新たな方向性を打ち出した。それは個人ユーザーへの積極的な訴求だ。渡辺社長は、「ThinkPadを個人ユーザーにもっともっと使ってもらいたい」と語る。
「ThinkPad i」 |
ThinkPadの基本コンセプトは、「仕事に使うためのノートPC」。そのため、企業の一括導入をはじめ、あくまでも企業向けPCという位置づけを中核に据え続けてきた。過去には、「ThinkPad i」シリーズのような個人ユーザーを意識したモデルもあったが、それも短期間で終わった。
だが、渡辺社長は、明確な姿勢で、個人ユーザーを、ThinkPadのターゲットの1つに位置づけようとしている。「開発という観点においては、新たに個人向けPCというカテゴリを設定するのではない。企業が求める堅牢性の実現や、キーボードやトラックポイントなどへのこだわり、データ保護をはじめとするセキュアな環境の維持という点は追求し続ける。しかし、そうした企業向けのスペックであっても使いたいという個人ユーザーや、熱狂的ともいえるユーザーが多いのがThinkPadの特徴。家庭の中でも妥協しないPCを使いたいという個人ユーザーに、ThinkPadをもっと使ってもらいたい。ThinkPadの個人ユーザーの購入を倍増させたい」と意気込む。
具体的には、2011年8月からスタートしている、ThinkPad専門のショップ・イン・ショップ型店舗のレノボカスタムショップを、2013年3月までに10店舗以上へと拡大。個人ユーザーがThinkPadを実際に触ったり、カスタマイズの相談ができるといった売り場を全国に拡大するという。売り場にはレノボショップアドバイザーと呼ばれる専任担当者を常駐。初心者から上級者までのThinkPadの購入を支援する。
もともとレノボカスタムショップは、ThinkPadに触れることができる場が欲しいというユーザーの声を反映したものであるが、渡辺社長自身が、個人ユーザーの立場でもThinkPadを使い続けてきた経験を背景にし、この取り組みがさらに加速することになったといってもいいだろう。
それだけではない。個人ユーザーを強く意識した形で、ThinkPad 20周年記念モデルを投入。「ThinkPadが歩んできた20年間の感謝の気持ち込めたThinkPadであり、人に自慢ができるThinkPadになる」と位置付ける。
また、顧客満足度が高いNECパーソナルコンピュータのコールセンターを活用することで、品質の高い個人向けサポート体制を構築し、ThinkPad個人ユーザーへの対応も強化した。NECパーソナルコンピュータのインフラを活用したこの仕組みは、今年夏には法人向けPCにも拡大しており、ThinkPadのサービス対応品質が個人向け、法人向けのいずれにおいても高まったといえる。
もちろん、企業向けの取り組み強化にも余念がない。大手企業だけでなく、約3年前から投入している「ThinkPad Edge」シリーズの投入により、中小企業などを対象としたボリュームゾーンにも展開。先に触れた法人向けコールセンターのNECパーソナルコンピュータの活用とともに、今年夏からは、オンサイトサービスなどを行なう複数のサービス事業者と新たな契約を結び、より顧客に密着したサービスを行なうことができるようになるという。これに伴い、パートナーが取り扱う「レノボ認定自営保守プログラム」のメニューを一新。パートナーが販売から保守までのライフサイクル全般に渡って、長期的にサポートできる体制を強化した。
NECパーソナルコンピュータ米沢事業場 |
さらに、今年秋からは、NECパーソナルコンピュータ米沢事業場で、ThinkPadの生産を試験的に開始。ThinkPadとして、実に約10年ぶりに国内生産が行なわれることになる。「企業ユーザーに対して、短納期を実現し、さらにカスタマイズの柔軟性を提供できる。従来の生産体制に比べて、コストの上昇が課題だが、パイロット生産の中では、これをどこまで圧縮できるのかといったことにも取り組んでいくことになる」と語る。
これも企業向けのPC事業を加速する上で重要に施策になるといえよう。
●「PC+」時代のThinkPadはどうなるのかでは、今後、Lenovoグループにおいて、またレノボ・ジャパンにおいて、ThinkPadはどんな位置付けを担うことになるのだろうか。
渡辺社長は、今のレノボの方針を説明しながら次のように語る。「今レノボが打ち出しているのは、『PC+』という戦略。PCのほかに、タブレット、スマートフォン、スマートTVといった製品の可能性を追求している。中国ではすでにスマートフォンやスマートTVを市場投入しており、この成果を元に世界展開をしていくことになる。しかし、こうした時代においても、コアに位置付けられる製品がThinkPadであることは変わらない。また、レノボグループにおいて、ThinkPadがコアビジネスであることにも変わりはない。ThinkPadはレノボの屋台骨を支える製品であり続ける」と語る。
さらに、「ThinkPadは、日本で開発が行なわれており、日本のユーザーの声を聞き、それを開発の現場に反映するという点でレノボ・ジャパンの役割がある。世界中でもっとも品質に対して厳しい日本で評価されれば、それは全世界で通用する品質だと言える。日本のユーザーに受け入れられる製品づくりに、レノボ・ジャパンは貢献できる」とする。
これまで約20台のThinkPadを使い続けてきた渡辺社長にとって、思い入れのあるThinkPadは、「ThinkPad 535」、そして、「ThinkPad 560」だという。
「サブノートという新たな領域を作り出し、現在のXシリーズに向けたベースを作り上げた。サブノート分野で圧倒的なシェアを誇ったヒット製品」と振り返る。
その渡辺社長に将来のThinkPadへの期待を聞いてみた。「夢物語」と前置きしながら渡辺社長は、「スクリーンをクルクルと丸めて持ち運ぶことができる究極のPCへ進化するというのはどうだろうか」と笑いながら話す。
今後、どんな形でThinkPadは進化するのだろうか。レノボ・ジャパンを率いる渡辺社長の期待も膨らんでいる。
(2012年 10月 15日)