後藤弘茂のWeekly海外ニュース

ARMカンファレンスの基調講演で孫正義氏がカンブリア爆発について語る

ARMの基本ビジネスモデルに変化がないと保証する孫氏

孫正義氏

 英ARM社は、米サンタクララで、恒例の同社の技術カンファレンス「ARM Techcon」を開催している。今回は、日本のソフトバンクグループがARM Holdings plcを買収後、初めてのARM Techconとなる。冒頭の基調講演では、ソフトバンクグループの孫正義氏(ソフトバンクグループ株式会社代表取締役社長)がスピーチを行なった。

 半導体業界では、ソフトバンクによる買収でARMの基本戦略やビジネスモデルに変化が起きることを懸念する声があり、孫氏のスピーチは非常に注目されていた。それを承知している孫氏は、登壇すると、まず、ソフトバンクの傘下となったARMのビジネスに変化が起こらないことを強調した。

 「これまでも述べていることだが、私はARMの全てのパートナーに、ソフトバンクによる買収後も、ARMの基本ビジネスモデルに変化がないことを、保証したいと思う。ARMも私も、全てのパートナーに対して、継続して(ARMの)プラットフォームを、中立な立場で提供することを明言する。パートナーがみな、それ(プラットフォーム)を頼ることができるようにする。だから、心配しないで欲しい。私は、皆をより幸せにしたい」。

 また、基調講演の後のQAでも、孫氏は“マイクロマネージメント(部下の仕事に過度に干渉する)”は行なわないと強調、ARMの経営戦略に細かく口を出さないことを示した。企業の長期ビジョンを示し、それを対外的にも語ることにフォーカスしていると説明した。

 「私は、マイクロマネージをしようとは思わない。私は多数の会社を抱えており、自身のキャパシティは制約されている。航海に例えると、私はいくつもの船のいい船長だ。素晴らしい船があり、素晴らしい航海をしていて、素晴らしい方向性を持っているなら、素晴らしい船長になれる。それが、私にとっての幸せだ。

 既に述べたように、私は日々の事柄にマイクロマネージをしたいとは決して思わない。その代わりに、戦略を語り、次の10年、20年に何が起こるかを語ることにワクワクしている。私は、次の四半期がどうなるか、といったことにはそれほど興味がない。そうした(短期の)ことは、私のフォーカスではない」。

カンブリア爆発から始まるARMのビジョン

 ARMに対する自らの姿勢を語った孫氏は、次に、ARMに抱くビジョンについて語った。孫氏は、まず、聴衆に目を閉じるように言った。

 「眼を閉じて、再び目を開けると、まったく違って見える。これが5億年前に起きたことだ。最初に眼を持った生物は知っているだろうか。それは三葉虫だ」。

 孫氏は眼を持ったことで、カンブリア紀に生物の急激な多様化イベント『カンブリア爆発(Cambrian Explosion)』が起きたことに触れた。これが生物界の最大の革命であり、“眼”という“センサー”の登場で、生物に大きな変化がもたらされたと語った。センサーによって、地球生物の進化と多様化と、さらには知性化がもたらされたと孫氏は語る。

5億年前に生物進化の最重要なターニングポイントとなったカンブリア爆発が起きた

 カンブリア爆発は、5億4,300万年前のカンブリア紀の初頭に、生物の多様化が一気に進んだ現象を言う。たった500万年の間に、急激に多種多様な生物が現れ、現在の脊索/脊椎動物や節足動物、軟体動物など全てに繋がる生物と絶滅した多種多様な生物がこの時に産まれた。その原因として、現在有力視されているのは「光スイッチ説(Light Switch)」だ。生物が眼が持つようになり、それによって、補食と防御という生存闘争が急激に激化して、強力な淘汰圧が発生。その結果、生物が急激に進化したという説だ。この説は、古生物学者のアンドリュー・パーカー(Andrew Parker)氏が唱え、著書「眼の誕生―カンブリア紀大進化の謎を解く」も日本で出版されている。

エディアカラ紀にはごく少数の特徴の少ない生物しかいなかったのが、カンブリア紀の初頭に突如として多数の特徴に富んだ生物群が現れる
カンブリア爆発の生物学的大革命のトリガーになったのは眼の発生で、三葉虫などが最初の眼を持った

知覚による知能の発達がコンピューティングでも起こる

 孫氏は、カンブリア爆発が、現在のコンピューティングデバイスの状況に似ていると言う。そして、カンブリア爆発でもたらされた、知能の向上のサイクルがIoTでも起きるだろうと示唆する。

 「見るだけではない。匂いをかぎ、音を聴き、触れる、こうしたセンシングは大きな違いをもたらした。センサーで知覚することで、まず、脳は(知覚したものを)認識しようとする。次に(認識したものから)学習し、そして推論するようになり、その結果で、動作を行なうようになる。この一連のサイクルが鍵だ。このサイクルによって、脳が向上して行く。

 我々は、三葉虫の最初の眼による知覚がもたらした変化から学ぶべきだ。これを、今日のIoTに置き換えることができる。IoTの技術によって、今日、(機械は)センサーによって知覚し、認識を行ない、ディープラーニングで学習し、推論(inference:インファレンス)を行ない、その結果によって作動できる。このサイクルは、生物で起きたことと同じだ。だとすると、カンブリア爆発が起きたのと同様に、IoT爆発が起きるだろう。カンブリア爆発とIoT爆発は、基本的には同じことだ」。

進化の鍵はセンシング
センサーによる知覚を認識し、学習、学習結果によって推論を行ない、それを行動に反映させるサイクルができた

 ポイントは、カンブリア爆発は、知覚を得たことで生物が急進化し多様性を増しただけではない点だ。知覚を認識、学習、推論することで、脳の進化がもたらされたことも重要な点だと孫氏は見ている。現在の人間の知能に結びつく、知性化の流れが、知覚を得たことで始まったというわけだ。

 そして、このサイクルは、現在、マシンラーニングでお馴染みだ。画像や音声などの知覚データを入力し、ニューラルネットワークで学習、その結果のニューラルネットワークモデルを使って次に知覚したものに対して推論を行なう。ロボットやクルマの場合は、さらに、その推論の結果で動作を行なったり動作を変更する。ニューラルネットワークが生物の脳の仕組みを模したものなので当然と言えば当然だが、これは、知覚を持って以降の生物の脳のサイクルとそっくりだ。

 だとすれば、知覚から始まるサイクルによって生物脳が進化して来たように、センシングから始まるサイクルによって機械脳も進化することになる。IoTがセンサーデバイスが溢れるようになることだと考えると、IoTによって人工知能の進化が急加速されることになる。

カンブリア爆発の引き金となった眼の発生と、IoTによるセンサーの大増殖は似ている
IoTによるセンシングと人工知能の認識、学習、推論のサイクルは、生物のそれとそっくり

1兆個のIoTデバイスが20年後までに溢れる

 IoTデバイスが爆発的に多様化して数が増える。これが、カンブリア爆発から予想できるIoTの今後だ。ネットワークに接続されるIoTデバイスは、どのように増えて行くのか。孫氏は次のように述べる。

 「インターネットの重心はPCからモバイルに移った。今後数年で、今度はモバイルからIoTへと移る。これが次の大きなパラダイムだと信じている。2年後には、モバイルとIoTの(コネクテッドデバイス)数が交差するだろう。さらに20年後には、IoTの数は爆発的に増える。カンブリア爆発と同じことが起きる。

 多くの人々が私に『なぜARMの買収に興味を持ったんだ?』『ソフトバンクとARMの協調効果は何なのか?』『なぜ、今買収するのか。なぜ、40%もプレミアムを払い、310億ドル(約3.3兆円))も払ったのか』と聞いた。その答えがこれだ。カンブリア爆発だ。

 累計では20年後のIoTチップは1兆個にもなるだろう。1兆のチップが、リアルタイムにデータを集め、そのビッグデータがクラウドに送られる。地球上で初めてのこと(膨大なデータの集積)が起きる。IoTデバイスの数と同時に、ネットワークトラフィックも増える。そして、ディープラーニングが、人類を遙かに賢くするだろう」。

インターネットの重心がPCからモバイル、そしてIoTへと移る
ネットワークにコネクトされたIoTデバイスの数は2年でモバイルを超える
2035年までにIoTデバイスの数は累計で1兆に達すると予測
データトラフィックも飛躍的に増大する
IoTチップからクラウドにデータが集積される

 2035年までに1兆のIoTデバイスがネットワークに接続される。多くがセンサーを持つIoTデバイスから吸い上げられたデータは、クラウドに集積、処理される。膨大なデータをベースにしたマシンラーニングによって、学習が進み、人工知能が進化して行く。孫氏は、現在の段階で、既に画像認識と音声認識の精度では、人工知能が人間を超えたことを指摘する。また、そうした時代には、IoTのセキュリティが重要となる点も指摘した。

現在、マシンラーニングでのAIの認識精度は画像と音声では人間を超えている
1兆のIoTデバイスによる人工知能の発達が人類の進化のカギとなる

IoT爆発の末にシンギュラリティが訪れる

 孫氏は、1兆のIoTデバイスによって人工知能が学習することで、「シンギュラリティ(Singularity)」が訪れるだろうと語る。

 シンギュラリティは英語的には「特異(点)」で、ブラックホールの中央などを指す。しかし、コンピュータ用語としてはシンギュラリティは特殊な意味を持つ。人工知能が人間の知性を超える時点がシンギュラリティポイントとされている。これは、未来学者のレイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)氏やSF作家のヴァーナー・ヴィンジ(Vernor Steffen Vinge)氏が唱え、特にカーツワイル氏の著作で広く知られるようになった。つまり、孫氏は、センサーによる知覚を持つことによって、最終的には人工知能が人間の知能を超える日まで来ると予測している。

 ただし、人間を超えた人工知能は、人間を脅かすのではなく、人間の生活を豊かにし、人類を進化させるだろうと孫氏は言う。交通事故のない交通網を作り上げたり、未来を正確に予測できるようになったり、人間の寿命が100歳を超えるようになる。そうした未来が待っていると語る。

IoT爆発の先にシンギュラリティが待っている
シンギュラリティによって人類とその社会が進化する

 「私のロングタームのビジョンでは、シンギュラリティは、必ず来る。また、IoT爆発も起きるだろう。その時に何が起きるかというと、さまざまなものの再発明が起きる。メディアがインターネットで再発明されたように。今、交通が再発明されつつある。金融もヘルスケアもそうだ。こうした全てが、突然大きなチャンスを持つようになる。そうしたエキサイティングな機会が我々の目前にある。そのためなら、1,000億ドルでも十分ではない。

 しかし、(シンギュラリティ後も)人類は、常に人類自身であるべきだ。人類は、これまでも、家族でまとまり、友達を作り、愛し愛され、互いに助け合い、他人を気遣い、社会を作り上げてきた。それは、非常に重要なことで、(シンギュラリティ後も)変わるべきではない。

 こうした技術(未来の高度な人工知能)は、これまで人類が解決できなかった問題を解決することを手伝うようになるだろう。あるいは、より効率的に物事をなせるように、手助けをする。彼ら(人工知能)は、我々の幸福のための、素晴らしい仲間になる。それが、私のビジョンだ」。

 今回のARM Techconは、孫氏の基調講演によって、従来とはかなり雰囲気の異なるオープニングとなった。ARMのスタッフも、ここまで聴衆が多い基調講演は初めてと語るように、非常に注目度の高いものだった。その注目に応えるだけの、意表を突いた内容のスピーチだったことは間違いない。

 ちなみに、カンブリア爆発では、その後に子孫系統を残すことができず絶滅した生物種が多数登場した。5つ眼のオパビニアや背中に巨大な針を並べたハルキゲニアなどだ。IoT爆発でも、そうした絶滅系統のデバイスが多数登場することになるかも知れない。