元麻布春男の週刊PCホットライン

シャープが電子書籍でコンテンツ配信に参入する意味



●電子書籍分野でトータルソリューションを提供
シャープは次世代XMDFによる電子書籍事業で、通信ネットワークを除く、コンテンツ制作、蓄積/配信、端末の販売を含めた、トータルソリューションの提供を目指す

 7月20日、シャープは電子書籍分野へ参入する意向であることを表明した。正式に発表された事実は、シャープが国際標準に提案したXMDF(ever-eXtending Mobile Document Format、2009年2月IEC62448 Ed.2 Annex Bとして成立)をベースに、大型ディスプレイへの対応やモバイルブロードバンドの普及といった「環境変化」を踏まえて拡張した次世代XMDFソリューションをベースに、電子書籍分野に参入するということ。ルビや禁則処理といった日本語特有の表現にも対応したXMDFに、Flash 10に対応したリッチコンテツや自由度の高いレイアウト表現、ブロードバンドによる自動定期配信、Adobeのツールによる紙媒体と同時の電子化といった機能を盛り込むという。

 この発表に際してシャープは、10.8インチと5.5インチ、2種類の大きさのタブレット型リーダーの試作機を披露した。しかし、あらかじめ、今回は実際に手を触れる機会を提供できないこと、リーダーの発売時期やスペック等については別途発表会を開催するので、それまで待って欲しいとクギを刺すことを忘れなかった。また、シャープは電子書籍事業へ参入するにあたって、端末の販売だけでなく、コンテンツのオーサリング、配信サービスの展開も含めた、「トータルソリューション」を提供する方針であることを明らかにしている。

 ここで注目すべき点は、シャープがコンテンツ配信事業への進出も視野に入れていることだ。事業方針としてシャープは、既存の出版社、取り次ぎ会社、印刷会社等との協調路線を打ち出しており、この路線の是非は問われるところではある。すでにデジタルオーディオプレーヤー分野において、コンテンツ保持者側に歩み寄りすぎたために、日本製のオーディオプレイヤーがiPodの前に破れたという「前科」があるからだ。が、それを踏まえてもなお、コンテンツ配信事業に手を挙げたことは、評価すべきポイントではないかと思う。

端末の試作機を手にするシャープ執行役員情報通信事業統括の大畠昌巳氏と、米国法人家電マーケティング本部長のボブ・スキャグリオン氏。すでに米国でも事業展開する方針を固めており、キャリア(Verizon Wireless)による端末販売も目指しているシャープによるタブレット型端末の試作機。Flashによる動画にも対応するが、詳細については明らかにされていない

 今年1月に開かれたCES、6月に開かれたCOMPUTEXといった展示会に、主に台湾のPC系メーカーから、タブレット型のデバイス、あるいは電子書籍リーダーの出展があった。これらに共通する問題は、このプラットフォームに誰がコンテンツを提供してくれるの? ということだ。水平分業モデルにおいて適者生存を遂げた台湾メーカーは、基本的にハードウェア製品の製造に特化している。コンテンツ配信サービスといった事業の素地はない。むしろ、ソフトウェア開発やサービスといった余分なものを削ぎ落とした経営で、PC事業の覇者となった。タブレット型デバイスや電子書籍リーダーを作るのは得意でも、その上で利用するコンテンツの流通を手がけるノウハウには欠ける。

 タブレット型デバイス向けにプラットフォームを提供する企業のうち、IntelやGoogleにも、個人を相手にコンテンツ配信事業を行なうノウハウや意欲があるとも思いにくい。IntelはAtom向けにAppUp、GoogleはAndroid向けにAndroid Marketというアプリケーション配信サービスを行なっているが、ソフトウェア開発者支援という色彩が濃く、iTunes Storeに対抗し、一般消費者向けにコンテンツを売る事業を推進するとは考えにくい。つまり、コンビニでAppUpやAndroid Market用のプリペイドカードが売られる時代がくるとは、とても思えないのである。有力なサービス提供会社が登場したら、Intel Capital等を通じて資金援助を行なう、くらいが精一杯だろう。プラットフォームベンダーの中でも、唯一、Xbox LIVEを展開しているMicrosoftなら、消費者向けに小口でオンライン決済をするノウハウがありそうだが、Windows phone 7の開発動向も含め、現段階では未知数の部分が大きい。

●Appleに対抗するために必要なこと

 大正元年に創業したシャープは、長さ調節の自由度が高いベルトのバックル、そしてシャープペンシルの発明など、一般消費者向けの製品で成長し、今では液晶TVや携帯電話端末で国内1位に登り詰めた会社だ。明治政府の官営工場払い下げや、旧電電公社向け機器の開発/製造などをルーツに持つ、官との関わりの深い企業とは少し違ったメンタリティがあると思っている。電機/電子機器業界にあって、ソニーやパナソニックと並び、コンシューマ指向な会社であり、一般消費者向けサービスで成功する可能性を秘めているハズだ。そして、端末というハードを売る会社が、サービス事業も同時に展開することには、ある種の合理性があるとも思う。

 水平分業の徹底したPCの世界では、たとえPCベンダーがなくなっても、ソフトウェアのアップデートに支障が出ることはまずない。特別な場合を除き、Microsoftが提供するパッケージ版のOSが、どのベンダのPCでも利用できるからだ。しかし、携帯電話やタブレット型デバイスではそうはいかない。こうした組み込み機器では、一定幅での標準化が行なわれていても、最終製品を手がけるメーカーにカスタマイズの余地が残されており、ほとんどのメーカーがハードウェア、ソフトウェアともカスタマイズした形で製品を出荷する。

 Windowsで単一バイナリを供給するMicrosoftも、組み込み用のWindows CEでは多くのベンダーにソースコードを提供している。GoogleのAndroidも、複数のプロセッサアーキテクチャをサポートしているほか、同じARM系プロセッサ(SoC)でも、Qualcomm、TI、NVIDIAなど、さまざまなプラットフォームがあり、それぞれにカスタマイズが必要になる。それに責任を負うのは、最終製品を販売する機器メーカーの仕事である。

 問題は、機器メーカーにどこまでソフトウェア・アップデートを行なう義務があるか、ということだ。販売した機器について仕様に満たないソフトウェア上の不具合(バグ)があった場合、これをソフトウェア・アップデートにより修正することは、間違いなく機器メーカーの義務だろう(「仕様」の定義がたびたび問題になるが)。しかし、ソフトウェアのバージョンアップによる新機能の追加が機器メーカーの義務になるかと言われれば、おそらく答えはノーとなる。採用する組み込みOSのバージョンアップがあった場合、それを販売済みの機器に提供するかと言われても、それが可能かどうかはケース・バイ・ケースだし、仮に技術的に可能だとしても、すでに販売済みの機器向けの移植および動作検証に必要なコストをどうやって賄うかという問題が生じる。ほとんどの場合、有償でのバージョンアップを望むユーザーはごく少数で、とても経費を賄えるものではないからだ。

 そうした常識の中、Appleは可能である限り、販売済みのiPhoneやiPod touchに対してソフトウェア・アップデートを提供してきた(すべてが無償ではないが)。それができる理由の1つは、App Storeの存在だろう。OSを新しくして新機能を提供することは、App Storeにそれまでにない、新しいアプリケーションが登場する可能性を生む。その売上げの30%はApp Store(iTunes Store)を運営するAppleに入ることになっているから、Appleにはすでに販売した機器に対してもOSをアップデートし続けるインセンティブが生じる。

 AppleのiPhoneやiPadに対抗しようというベンダーやメーカーは、こうしたAppleのエコシステムにも対抗しなければならない。OSのアップデートを行なっても、それによる利益がキャリアにしか流れないのでは、端末メーカーによるOSアップデートは不可能だ。そういった意味で、機器メーカーであるシャープがコンテンツ流通を事業化することには意味があると思われる。

 現時点でシャープは、端末の仕様についても、コンテンツ流通事業に関しても、詳細については口を閉ざしている。分かっているのは、端末がKindleのようなE Inkベースではなく、iPadと同じ液晶デバイスを用いたものであること(「液晶のシャープ」なのだから当然だろうが)くらいだ。シャープは、PDA(Zaurus、NetWalker)や携帯電話といったモバイル機器の経験が豊富だが、OSをどうするのかも公表されていない。

 それでも液晶デバイスの特性からいって、端末は単機能の書籍リーダーというより、iPadのような多機能端末を目指すと思われる。アプリケーションのプラットフォームを目指すのであれば、定期的なOSのアップデートも必要になるだろう。

 記者説明会では、競合する機器メーカーが次世代XMDFフォーマットを採用する可能性を排除しなかった。しかし、シャープがコンテンツ流通を一手に握っていては、競合メーカーに次世代XMDFを採用するうま味は少ない。かといって、コンテンツ流通会社を合弁にしては、ただでさえ日本企業は事業判断のスピードが遅いと言われるのに、さらに船頭を増やして大丈夫だろうかと不安になる。今のところ機器の製品発表会がいつ頃になるのかは明らかにされていないが、近い時期にこうした点がクリアになることを期待したい。