元麻布春男の週刊PCホットライン

ネットブックの再生を目指す試作機「Canoe Lake」



 2008年に登場した時点で、Atomプロセッサを搭載したネットブックは、新興国の1台目需要と、先進国の2台目需要の両方を狙うものとされた。しかし、販売してみると、売れたのは圧倒的に後者で、新興国では従来型の2スピンドルノートPCが好まれる結果となっている。

 本来、当初のネットブックのコンセプトは、ネットワーク接続を前提とした、シンクライアント的なものだった。しかし、それは通信インフラの整った先進国でさえ、必ずしも受け入れられたとは言い難い。ネットワークに接続して利用することは当然だとしても、機器の利用そのものがネットワーク接続を前提にするというのは(通信費の負担も含め)、まだ時期尚早だと受け止められたわけだ。

 ましてやインフラ整備も現在進行形の新興国では、アプリケーションのインストールやコンテンツの取り込みに、光学ドライブはまだ不可欠であるからだろう。結局ネットブックは、本来のコンセプトからやや外れ、先進国で一般のユーザーが2台目用途に用いる、安価で小型なノートPCという位置づけとなった。

【図1】2008年の上海IDFにおけるネットブックの定義。スペックも低いが、価格も低く設定されている

 図1は、ネットブック用のプロセッサであるAtomが正式に発売された2008年春のIDF(上海)における、当初のネットブックのコンセプトだが、256~512MBとされたメモリはすぐに1GBへと拡張され、2~8GBと小容量のNANDフラッシュによるストレージは、2.5型のSATA HDDへと置き換えられた。

 しかも、こうしたスペック上の制約は、技術的なものや市場動向によるものではなく、プラットフォームベンダーであるMicrosoftやIntel自身が設定したものだった。こうした制約がなければ、もっとスペックが上がった可能性は高い。実際、こうした制約を嫌うPCベンダーは、そもそものネットブック用プラットフォームであるAtom Nシリーズではなく、Intelが制約を設定しなかったAtom Zシリーズを採用した。

【図2】Research@Intel Day 2010のプレスブリーフィングで公開されたスライド。Atom Z500番台を用いたMenlowプラットフォームはネットブックに分類されている

 結果、当初はMID向けという触れ込みだったAtom Zシリーズは、Atom Nの「縛り」を回避するネットブック用プロセッサという、変なことになってしまった。だが、どうやらIntelもこの変化(現実)を追認している(図2)。おそらく出荷されたAtom Z500番台の大半は、ネットブックに使われたのだと思う。

 とはいえ、Atomイコールネットブックというイメージが定着するのは望ましいことではない。Atomは、一般的なPCよりも低消費電力を必要とするアプリケーション向けに開発されたものであるからだ。最近のイベントでIntelがAtomの組み込み用途をアピールする理由の1つには、ネットブックに偏り過ぎたAtomのイメージを修正する狙いもあるのだろう。

【図3】14mm厚のCanoe Lake

 もちろん、だからといってIntelに、ネットブックという新しく見つかった市場を放棄するつもりがないのは明らかだ。それが端的に表れているのが、前回も取り上げたCanoe Lake(カヌーレイク)である(図3)。Canoe Lakeは、デュアルコアのAtom N500番台プロセッサによるPine Trailプラットフォームを、厚さ14mmの薄型ボディに詰め込んだプロトタイプにつけられた開発コード名だ。ソニーのVAIO Xシリーズが厚さ13.9mmだから、ほぼ匹敵する。持った印象では、Canoe Lakeの方が重いと感じたが、その分価格は安くなるだろう。

【図4】Canoe LakeのWindowsエクスペリエンスインデックス。デュアルコアになっても、一番低い数値はプロセッサーである。このウィンドウの表示サイズ、タスクバーのアイコンとの大きさの関係を見れば、解像度が推定できる。

 Canoe Lakeで興味深いのは、スペック上の制約が大幅に緩和されていることだ。前回掲載した画面でも分かるように、メモリは2GBを搭載する。図4はCanoe LakeのWindowsエクスペリエンスインデックスを撮影したものだが、明らかに一般的なネットブックよりディスプレイ解像度が高い(おそらく1,280×720ドットのWXGA)。また、ディスプレイサイズも、ネットブックの事実上の上限である10.2型より一回り大きいようだ。

 要するに、現在のAtom Nシリーズベースのネットブックに課せられている主要な「縛り」である、メモリは1GBまで、ディスプレイサイズは10.2型まで、解像度は1,024×600ドットまで(一部例外あり)が、Canoe Lakeでは撤廃されている。こうしたスペックを実現するのに、わざわざ高価で、GPUがWindows向きではない(組み込み向けのPowerVR系を採用する)Atom Zシリーズを選択する必要がなくなるわけだ。

【図5】HP Mini 1000のWindowsエクスペリエンスインデックス。このスコアでもそれほど苦にならないのは、画面解像度が低く抑えられているせいか【図6】IdeaPad U350のWindowsエクスペリエンスインデックス。ネットブックに比べてメモリのスコアが良いのは高いメモリクロックとデュアルチャンネルの効果だろう

 また、Windowsエクスペリエンスインデックスが示している数字も、既存のAtom Nシリーズベースのネットブックを上回っている。図5は筆者の手元にあるHP Mini 1000 Vivienne Tamエディション(Atom N270ベース)のWindowsエクスペリエンスインデックスだ。見事なまでに、すべての項目でCanoe Lakeが初代ネットブックプラットフォームを採用したMini 1000を上回っている(Mini 1000のHDDが1.8型ドライブであることも影響しているが)。

 これをさらにローエンドのCULV機である、これまた筆者手持ちのIdeaPad U350(Celeron 723ベース)のWindowsエクスペリエンスインデックス(図6)と比較すると興味深い。今度は見事なまでにCULVを超えないよう、調整されていることが分かる。もちろん、Celeron 723はシングルコアで、Atom N550(Canoe Lake)がデュアルコアであること、動作クロック自体はAtom N550(1.5GHz)の方がCeleron 723(1.2GHz)より高いことを考えると、用いるアプリケーションによっては、体感速度でCanoe Lakeの方が上回ることもあり、むしろ多いかもしれない。また、市場にある他のCULV機との比較で、ここまできれいに、Canoe LakeがCULVを超えないような数字が揃うとは限らないが、少なくともIntelはそれ(プラットフォームとしての序列)を意識しているのではないかと思う。

 Canoe LakeでIntelは、性能を上位プラットフォームであるCULVのローエンドぎりぎりまで引き上げ、それまで課していた制約を撤廃し、薄さという付加価値まで加えた。これはネットブックが失速してしまった、iPadに売上げを奪われているといった批判に対するIntelの回答であり、実質的なテコ入れだ。Canoe Lakeは今年の後半に登場すると言われているが、あと半年早ければ、とも思う。6月に開催されたCOMPUTEXでCanoe Lakeが発表されるのではなく、Canoe Lakeに準拠したPCベンダーの製品がずらっと並んでいれば、夏商戦はもう少し盛り上がったのではなかろうか。

【図7】マイクロアーキテクチャの更新と製造プロセスのシュリンクを隔年で行なうことで、毎年新しいプロセッサをリリースするメインストリームプロセッサと異なり、Atomではマイクロアーキテクチャの更新と製造プロセスのシュリンクが同期する。Saltwellマイクロアーキテクチャはスマートフォン向けのMedfieldプラットフォームおよびネットブック向けのCedar Trailプラットフォームで採用されるプロセッサコア

 ただ、これはPCのエコシステムを利用するネットブック側からの見方だ。PC向けのメインストリームプロセッサに関して、IntelはTickTock戦略を推進する。隔年でアーキテクチャの更新(Tick)と、製造プロセスの縮小(Tock)を続けて行く戦略だ(図7)。メインストリームがそうである以上、ネットブックについても同様なプラットフォームのリフレッシュがないと、たちまち製品としての魅力が減退することを、2010年におけるネットブックの失速が示している。

 しかし、PCとはライフサイクルもエコシステムも異なる組み込み市場は、製品開発サイクルも長い。毎年、新製品が出てくるより、プラットフォームとしての成熟や、息の長い供給が重視される。Atomをネットブックと組み込みの両方で売ろうとする以上、Intelは両者の製品サイクルの違いと、プロセッサ開発ロードマップをどうバランスさせるか、という難題を抱え続けることになるだろう。ネットブック側から見ると、TickTock戦略を採用しないAtomを使って、毎年どう目先を変えていくか、という課題である。

 さて、Canoe Lakeによりネットブックのハイエンドが引き上げられると、当然、これまで上位にあったプラットフォームに影響が出る。すでにWindowsエクスペリエンスインデックスを比較したように、ローエンドのCULVとは価格、性能ともにクロスしてくる。まず間違いなく、超低電圧版のシングルコアCeleronは現行の743で最後になるだろう。CeleronブランドにTurboBoostがないこと、超低電圧版はクロックを引き上げることが難しいことを考えると、デュアルコアであってもCeleronでは差別化が難しくなっていくことが予想される。CULVは、価格、性能とも、もう少し上に移行するのかもしれない。

 一方、ネットブックに対する制約の抜け道的存在であったAtom Zシリーズは、Canoe Lakeの登場で抜け道としての役割を終える。第2世代のAtom ZシリーズのプラットフォームであるMoorestownがスマートフォン向けで、Windowsサポートがないことも、Canoe Lakeが出てみれば不思議ではない。ネットブックとしての小型化は、Canoe Lakeで十分ではないかと思えるからだ。

 ところがIntelは、MoorestownにWindowsサポートを追加したOak Trailを発表した。スマートフォンとネットブックの中間の大きさで、Windowsサポートが必要な機器向けのプラットフォームである。既存の製品でこれに該当するのはソニーのVAIO Pシリーズだが、真のターゲットは言わずもがなのタブレットデバイスだろう。前回も記したように、Windows 7ベースではiPadの対抗にはならないと筆者は考えるが、iPad対抗云々ではなく、小型軽量で安価なタブレットPCにビジネスチャンスがある、と考えているOEMがいるのであれば、それはまた別の話だ。

 もしこの路線を狙うのであれば、タブレットPCの歴史が示すように、コンバーチブル型の方が使い勝手は良い。Oak Trailを採用することで、1kg以下で作れるのであれば、興味を持つユーザーはいるだろう。あるいは、MicrosoftからWindows 7をベースに、タッチ型のタブレットデバイスに特化した別エディションが出ればとも思うが、ベータテストの話を聞かないことを考えると、年内に出るWindowsベースのタブレット型デバイスは、通常のWindows 7を用いたものになるのだろう。Windows 7とそのソフトウェア資産をあてにするのであれば、マウスとキーボードは不可欠だ。