元麻布春男の週刊PCホットライン

あらためて向き合った25周年の一太郎2010



●PCのキラーアプリだった「日本語ワードプロセッサ」

 '80年代の前半から'90年代初頭にかけて、日本におけるパーソナルコンピュータのキラーアプリは、間違いなく日本語ワードプロセッサであった。もちろん表計算ソフトが軽んじられていたわけではないし、米国では表計算ソフトの方が重視されていたと思うが、こと日本に関しては「ワープロ」だった。

 タイプライターが普及していた米国と異なり、手軽な清書機が存在しなかった日本では、ワープロのもたらしたインパクトが大きかったのだろう。ワープロが動くことがパーソナルコンピュータを購入する大きなモチベーションであり、使いやすいワープロソフトの存在がNECの「PC-9801」シリーズを国民機の座に押し上げた。

 '85年に初代が誕生した「一太郎」は、ワープロがキラーアプリだった時代に最も成功したアプリケーションだ。ジャストシステムが生み出した一太郎の成功についてはさまざまな理由が挙げられているが、おそらく最大のポイントは、いちはやくMS-DOSに対応したことではなかったかと思う。一太郎は単にMS-DOS上で動作しただけでなく、ATOKと呼ばれる日本語入力機能をFEP(フロントエンドプロセッサ)としてアプリケーションから分離(ATOK4)し、MS-DOS上で動作する他のアプリケーション(自社製以外も含む)から利用可能にした(ただし、すべてのMS-DOSアプリケーションでの動作が保証されていたわけではない)。これにより、ユーザーはアプリケーションを変えても、日本語入力機能は使い慣れたATOKを使うことができたし、FEPが普及することで日本語アプリケーションは、必ずしも日本語入力機能を実装しなくても済むようになった。

 さらに一太郎は、標準テキストファイルの入出力が可能なアプリケーションでもあった。今のWindowsアプリケーションからすると考えられないことかもしれないが、一太郎以前のアプリケーションには、専用ファイルフォーマットのデータしか入出力できないものが少なくなかった。もちろんシングルタスクのMS-DOSだから、アプリケーション間でコピー&ペーストすることもできない。他のアプリケーションに受け渡せる形でデータを出力できるというのは、当時としては結構、画期的なことだったのである。今でこそ一太郎のデータは拡張子.jtdの単一ファイルだが、当初は.txtファイルに同じファイル名の属性ファイルを組み合わせたものであり、一太郎をテキストエディタとして利用する人さえいたほどだ。

 このほかにも一太郎には、それ以前に評価の高かったワープロソフトの「松」に対し、価格が半額以下だったり、メディアに対して強力なコピープロテクションをかけていない、といった長所があった。後年、一太郎はコピープロテクションを完全に廃止したが、メジャーなアプリケーションとしては、比較的早い時期の決断だったと記憶する。

 もう1つ、あまり目立たないことだが、一太郎の機能メニューはESCキーを押して呼び出すが、このユーザーインターフェイスは、当時わが国で最も広く使われていた表計算ソフトのMultiplan(マイクロソフト)と同じだった。米国ではファンクションキーでメニューを呼び出すLotus 1-2-3が圧倒的な人気だったのだが、わが国への進出が遅れたため、日本ではMultiplanのユーザーが多かった。メニューの中身は違うにしても、とりあえずESCキーを叩く、ということが共通しているだけでも、多少は親しみやすかったのではなかろうか。

●一太郎の肥大化とWindowsの登場

 というわけでMS-DOS時代、圧倒的なキラーアプリだった一太郎だが、2つの理由で足下が揺らぎ始める。1つは一太郎そのものが重くなったこと、もう1つはWindowsの登場である。独自のウィンドウシステム(ジャストウィンドウ)まで開発するなど、機能拡張を追求した結果、一太郎を快適に動作させるには多大なハードウェアリソースが必要になり、ユーザーの反発を買った。それに対処するため、軽量版の一太郎dashをリリースせざるを得なくなったほどだ。

 独自のウィンドウシステムを開発したことでも明らかなように、当初ジャストシステムはマイクロソフトのWindowsに熱心ではなかった。Windows 3.0がヒットするまで、わが国でのWindowsは「そんなものもあるねぇ」程度の受け止められ方でしかなかったし、一太郎の主要プラットフォームであるPC-9801シリーズにおいてWindows 3.0は、あまり動作が良好とは言えなかった。日本語版Windowsの提供時期も、英語版から半年から1年遅れが当たり前という状況で、ジャストシステムがその未来に懐疑的だったとしても、不思議ではなかった。

 しかしWindowsは、Windows 3.0の改良型であるWindows 3.1になって、PC-9801シリーズにおいても成功を収める。また、マイクロソフト自身もWindows 3.1からパッケージ販売を始め、誰の目にも本気であることが明らかになってきた(それまではOEMのみ)。

 戦いの舞台がWindowsになって変わったことは、ライバルとしてのマイクロソフトの登場、そして単体ソフトの競争からOfficeスイートとしての競争になったことだ。上述したMultiplanに代表されるように、MS-DOS時代においてもマイクロソフトにビジネスアプリケーションは存在した。が、日本語に対応したワードプロセッサを持っていなかったため、その存在感は高いとは言えなかった。

 しかしWindowsになって、マイクロソフトは「Word for Windows」を投入、日本語ワードプロセッサ市場への本格的な参入を果たす。初期のWordは、日本語が入力可能な英文ワープロといった感が否めなかったが、Windowsネイティブな日本語ワープロというジャンルにおいて、他にライバルがいない状況だった。

 この時点において、マイクロソフト以外のソフトウェアハウスには、Windowsアプリケーションを開発するノウハウが欠けており、MS-DOS上で定番とされていたアプリケーションのWindows対応は後手に回った。これはジャストシステムだけでなく、米国のWordPerfectやLotus 1-2-3にも当てはまる。Windows版がリリースできた製品も、初期のバージョンにおいてはマイクロソフトの同等品に比べるとバギーで不安定という評価を与えられるものが大半だった。

●Windows対応の遅れとExcelを含めたOfficeとの戦い

 MS-DOSへの素早い対応で市場を制した一太郎だが、Windowsへの対応で遅れをとったことが主役の座を奪われるきっかけとなったのは歴史の皮肉だろうか。とはいえ、Windows開発元であるマイクロソフトに、Windows対応アプリケーションの開発において大きなアドバンテージがあることも事実であり、サードパーティからすれば、フェアな競争ではないとの恨み言も出てくるに違いない。

 そのせいもあってか、ジャストシステムは一時期、一太郎のマルチプラットフォーム化に邁進する。Windowsに加え、Mac、Java、Linuxなどさまざまなプラットフォームへの展開を行なった。が、結局Windows以外のプラットフォームは事実上終息している(Linux版は今でもオンラインショップのカタログにあるが、一太郎2004ベースを最後に新版のリリースはない)。

 マイクロソフトのWordが手強かったもう1つの理由は、最初からExcelというパートナーが存在したことだ。もともとMac用の表計算ソフトとして誕生したExcelは、GUI上の表計算ソフトとしてすでに歴史と実績があり、そのWindows版は最初から高い評価を得ていた。このExcelとWordをセットにしたOfficeの存在が、一太郎に大きく立ちはだかった。ジャストシステムもジャストウィンドウ上に、同等のOfficeスイートを展開しようとしたが、その完成度には大きな差があったと言わざるを得ない。OfficeがバンドルされたPCが増えるに連れて、一太郎は苦戦を強いられるようになる。それでも、かつてのDOS版ワープロソフトの雄として、米国におけるWordPerfectより、わが国における一太郎の方が存在感があるのは、ATOKのおかげだろうか。

 この状況はおそらく今もあまり変わっていない。変わったのは、Officeの立ち位置だろう。Windowsネイティブアプリケーションとして、ビジネスツールの標準の座を固めたOfficeは、その後もバージョンアップを繰り返し、その地位は盤石となった。しかし、それは同時に競争がなくなるということでもあった。ライバルがいなくなると、新しいアイデアが登場しにくくなるし、メディアでの露出も減る。機能的には遥かに劣るWebサービスに話題を奪われることも少なくない。

 あまりにも普及したことで、Officeそのものを変えられなくなったという側面もある。Office 2007から導入したリボンインターフェイスが、旧バージョンを愛用する多くのユーザーから不評を買ったのは記憶に新しいところだ。マイクロソフトOfficeが今でもナンバーワンであることは確かだが、昔ほどその動向が注目されなくなっている。

●25周年を迎えた一太郎2010
25周年記念パックには、起動時に過去の一太郎の起動スプラッシュ(ランダム)を表示させるオマケがつく

 こうした状況において、一太郎は今も毎年バージョンアップを続けている。この2月5日にリリースされた「一太郎2010」は、一太郎の25周年を飾る記念碑的なリリースだ。

 この25年の歴史において、筆者個人が熱心な一太郎ユーザーであったことはない。UNIXに移植されたKTIS(ATOKの前身)を使っていたりしたことはあるのだが、MS-DOS時代に一太郎を使ったことは、人のPCを借りたりしたことを除けば、ほとんどない。ワープロよりエディタを好んで使っていたこと、ATOKの単体販売が行なわれるより前に、VJE(VACSが販売していたFEP、2005年4月をもって販売/サポート終了)のパッケージを購入していたことがおそらく理由だ。AXマシンのMS-DOSに、ほぼ標準的にVJEがバンドルされていたことも、VJEを使い続ける理由だっただろう。その後、Windows版のVJEをいくつか使った後、しばらくMS-IMEを使っていた。

 そんな筆者が日本語変換プログラムとしてATOKを常用するようになったのは、皮肉なことにMacを使うようになってからだ。Macを使うといっても、それっきりWindowsマシンを使わなくなるわけでもない。2つの環境で同じように使えるIMEを探したところ、2つのプラットフォームをサポートしている製品としてATOKと再会したというわけだ。今は、実環境、仮想環境を問わず、MacとWindowsで全く同じキーアサインを設定して日本語入力を行なっている。

 VJEがなくなり、Macを使うようになって、ATOKを利用するようになった筆者だが、それ以前からジャストシステムのアプリケーションを使っていなかったわけではない。メールソフトのShuriken、グラフィックスソフトの花子は、比較的よく使った部類だ。特にShurikenについては、この連載で取り上げたこともある。

●昔ながらの日本語ワープロ

 Shurikenと花子、2本使うとなると、1本ずつ購入するよりJUST Suiteという形でまとめ買いした方がお得だ。というわけで、一太郎も所有はしていたのだが、正直あまり使ったことがなかった。が、今回25周年ということで、IdeaPad U350にインストールしてみた。一太郎使いではない筆者だが、ほんの少しだけ触った感想を述べてみようと思う。

 まず最初に思ったことは、動作が軽い、ということだ。以前取り上げたように、筆者の手元にあるIdeaPad U350は、メモリこそ4GBあるものの、CPUがCeleron 723のローエンドモデルである。何かとCPUパワー不足を感じることが多いのだが、一太郎を使っていて大きな不満を感じることはなかった。もちろん、当時からは圧倒的にPC性能も進化しているが、dashやliteといった軽量版を必要としていたほど重かったのは、遠い昔の話のようである。

 もう1つ感じたことは、とても伝統的な日本語ワードプロセッサである、ということだ。おそらくMS-DOSの時代から今も続いている(カタログに残っているだけでなく、更新され続けている)アプリケーションは、ほかにほとんどないと思うのだが、何というか日本語ワープロらしいソフトである。ユーザーインターフェイスも伝統的? で、今でもESCキーを押すとちゃんとメニューが表示される。CTRL+MキーがEnter代わりに使えるし、CTRL+HがBackSpaceになるのも昔ながらだ。JWキー割付を有効に設定しておくと、ダイヤモンドカーソル(CTRLキー+E/S/D/Xにカーソル移動を割り付ける)さえ利用できる。

 実は、筆者はこうしたCTRLキー+英字キーという古臭いキー割付を今も(Mac上のエディタでも)利用している。この点において、筆者にとって一太郎は魅力のあるソフトであるハズなのだが、実際には使ってこなかった。それは、必要な機能がないというより、印刷を行なわない筆者には使わない機能が多すぎるからなのだと思う。そういう意味では一太郎は、良いソフトではあると思う一方で、筆者の用途にピッタリとは合わない、ということなのだろう。

一太郎でこの原稿(テキスト)を読み込ませたところ。表示モードはデフォルトのエディタモードESCキーを押すと、MS-DOSの時と同じようにメニューが下部に開く印刷モードで表示させたところ