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テイラー・スウィフトのコンサートで思った拡張現実と仮想現実

 現実世界を仮想環境に置き換える技術がVR(仮想現実)であり、そこから枝分かれした概念として現実の一部を改変しそれを拡張するのがAR(拡張現実)だ。話題のHoloLensは、どちらにも応用が可能だが、ヘッドマウントディスプレイという形状に、機械との対話という要素を融合させるという時点で、いろいろな矛盾を受け入れなければならないという宿命を背負っている。HoloLensを体験してみて、いろんなことを考えた。そして、その先にある未来を少し想ってみた。

コンサート空間という拡張現実

 ゴールデンウィークには、久しぶりにコンサートに出かけてみた。東京ドームで行なわれたTaylor Swiftの「The 1989 World Tour東京公演」の最終日で、ワールドツアーとして日本からスタート、この先、世界各地に展開される予定となっている。ちなみに「1989」は、彼女の生まれた年をタイトルとした最新アルバムのタイトルだ。

 会場となった東京ドームは、こうしたコンサートイベントなどの際には55,000人を収容する。野球試合の際には46,000人なので、それよりも1万人近く多くの聴衆を収容できる状態だ。公式発表ではないが、コンサート中に本人が55,000人と言っていたし、ほぼ満席だったことからすると、そこには確かに55,000人の聴衆がいたのだろう。

 確保した席は、かなり遅くになってからのものだったがS席で、いわゆるバルコニーシートだった。イスもクッションが入っていて、野球試合の際にはVIP席として使われていると聞く。しかも、会場全体を横から見るような位置にあったので、通常シートよりもかなり客観的にコンサートを見ることができた。それでもメインステージから中央に向かって伸びる花道は長く、さらに機械式に高くエレベートし、しかも回転する。だから、まるで正面から見るように歌うTaylorの姿を目の当たりにすることもできた。遠すぎて点のようであっても、確かにこちらを向いている。

 「コンサートを見た」と書いた。自分自身では、この手のコンサートはそういう風に割り切っている。音楽を楽しむのとはちょっと違うと思う。肉声と生楽器の音が聞こえる範囲でだけ楽しめるものとしてポピュラー音楽は生まれたわけだが、それがいつの間にかコンサートホールにマイクとアンプ、そしてスピーカーが持ち込まれ、いわゆるPA(パブリック・アドレス)が発達したことで、それまでは実現不可能だった大人数が同時に同じ音楽を共有できるようになった。そしてそれはレコードや放送などのメディアによって、さらに多くの人々が同時どころか、異なる時間空間に楽しめるようになっている。これは、ある意味でARの元祖的なものなんじゃないかとも思う。

 スピーカーから出てくる轟音とも言える自声を手に入れたアーティストは、それを使って増幅されたオーラによって、聴衆を魅了する。何しろ、ため息さえも、ちょっとした息遣いさえも、万を超える聴衆にその場で届くのだ。その一挙手一投足がよく見えなくたって、会場は興奮のるつぼとなる。

 Taylor Swiftは言わば等身大のアイドルだ。1989年生まれの25歳だが、10代半ばから音楽活動を開始し、既に10年近くのキャリアを持ち、2006年の16歳でのデビューアルバム以降、着実にスターダムを上り詰めてきた実績を持つ。大ベテランのキャリアのようでいてそうではない。東京ドームのど真ん中の花道で歌う彼女の姿は、ありえないオーラを放つそれではない。現実にそこにいるのは25歳の等身大の女性だ。それ以上でもそれ以下でもない。だからTaylorのコンサートは仮想現実ではなく、拡張現実なんじゃないかなどと、わけの分からないことを考えながら2時間のステージを見終えた。

SNSが拡張し、仮想化する世界

 今、SNSの時代、人は、かつてPAが可能にした拡声と同様の手段を手に入れた。ちょっと気の利いたコメントをハッシュタグ付きで書き込めば、TVスクリーンのテロップとして、その場で紹介されたりもする。

 ほんの40年前には、深夜放送全盛時代には、ディスクジョッキー、いや、当時は、パーソナリティと呼ばれた語り部に、せっせとハガキを書いて自分の声を伝えていた。毎週届く、何千枚、何万枚ものハガキの中から、自分のハガキを選んでもらうためには相当のテクニックが必要だ。個人的には、せっせと書く側にもいたし、ラッキーにも、しばしば自分のハガキを紹介される側の経験もあるし、さらにはハガキを選んでパーソナリティに読ませる立場にもあったが、それはそれは大変な努力が必要ということを、いろんな意味で理解している。

 それが今はどうだろう。「腹へった」とTwitterに書き込むだけで、ある程度の数のフォロワーにそのつぶやきが届く。運が良ければ反応もある。ぼくのTwitterアカウントは、今、これを書いている時点で1,146名の方にフォローしていただいている。決して多い数ではないが、アナリティクスを確認すると、過去のTweetには、200から500程度のインプレッションがあるようだ。また、ごくまれに、フォロワー数をはるかに超えるインプレッションを確保するものもあるが、だいたいフォロワーの数の3分の1から2分の1程度のインプレッションと考えていいだろう。

 こうしてみると、Twitterもまた、現代のPAであると考えられないか。そして現実を拡張するARでもあると。

 Taylor Swift自身も自分のTwitterアカウントを持ち、本人によるものらしきつぶやきを楽しめる。自分についての話題のリツイートもたくさん見かける。そのフォロワーは実に5,700万人を超えている。一回のコンサートで集まる人数とは比較にならない数だ。

 さらに、Twitterの空間は仮想現実として捉えられている面もある。Twitterのタイムラインを眺めているだけで、遠くで起こっていることが手に取るように分かると同時に、現実ではありえない様相が伝わってきたりもする。検索ボックスに何かキーワードを入れてみれば、世の中のその瞬間が切り取れる。だからARでありVRであるという二面性を持っているように感じられる。

想像力の増幅

 コンサート空間にもTwitter空間にも共通する要素がある。それは双方向のコミュニケーションであり、インタラクティブという要素だ。目の前のコンピュータに繋がっている細い光ケーブルやLANケーブル、あるいは、スマートフォンスクリーンの先にある無線伝送路の先には、人が一生かかっても把握しきれないほどの量のビットの群れがある。そして、それは仮想でも拡張でもない、まさに、現実だ。

 インターネットと、そこに繋がる無数のコンピュータは、その現実とのインタラクションを仮想化したり、拡張したりすることを叶えた。そこにあるのはやはり、人間の想像力なんじゃないだろうか。その想像力の力を借りなければ、仮想も拡張もありえない。メガネを付けただけで得られる世界は、それはそれですごいけれども、人間の想像力なしには成立しない。

 ちなみにコンサートに出かけたのは久しぶりだったが、最近は「プロ用機材、ビデオ機材以外」という条件付きで撮影なども認められているようだ。もっとも、スマートフォンで撮影する点のようなTaylor Swiftは、まったくもって、それが現実であることを思い知らされるトホホ画像にしかならなかった。

(山田 祥平)