山田祥平のRe:config.sys

パーソナルとパブリックの境目




 コンピュータは、よりパーソナルなデバイスであることを目指してきた。そしてできあがったのがPCだ。バッチ処理からタイムシェアリングと、限られた計算機リソースを、多くのユーザーが分け合って使っていた時代から考えれば、1人が1台どころか、複数台のコンピュータ的なデバイスを持つ現代は驚異そのものだ。だが、せっかくパーソナルになったコンピュータなのに、少し、その立ち位置に変化が出てきた。

●誰でも使えるスマートデバイス

 今、自宅には、パスワードを設定せずに常用しているコンピュータ的なデバイスが3台ある。1つは先代のiPod touchで、これはクルマの中に放置してあってオーディオ再生に使っている。もう1つはiPadで、こちらはリビングのソファの上に置いてあって、ちょっとしたブラウズやiTunesのリモートコントロールに使っている。そのリモコン先としてiTunes専用機として運用しているノートPCがある。このシステムについては前回紹介した通りだ。

 これらのデバイスは、家族のみならず、ゲストがやってきても自由に使える。誰でも気兼ねなく使えるように、パーソナルなコンテンツやデータはいっさい入れていない。iTunesと同期しないと使えない以上、アップルIDだけは自分のものだが、メールやカレンダーはもちろん、インストールされたTwitterクライアントなども未設定のままになっている。

 たとえ、家族といえども、携帯電話を貸し出すことはない。それが今の一般的な常識だと思う。家族同士は、互いのプライバシーを尊重し、不用意に郵便物をあけたり、携帯電話を操作したりはしないのが普通だ。

 PCも、かつては一家に1台だったものが、だんだん、1人1台の時代になりつつある。いや、なりつつあったのだが、最近は、メールに代表されるパーソナルなデータはスマートフォンや携帯電話側に置き、PCは家族の誰が使っても気にかけない無垢な状態になっているというケースが増えてきているようにも思う。大容量メモリカードの低廉化により、写真なども電話側に置きっぱなしというケースも少なくない。

●パーソナルとレジデンシャルの概念

 複数のユーザーが使うことを前提としたコンピュータが「パーソナル」を称するのは、ちょっと違うんじゃないかという気がする。かといって、図書館などの公共スペースに設置された誰もが使う「パブリック」なコンピュータでもない。その中間に位置する立ち位置だ。家族とその知人など、ごく限られた人だけで共有する、いわば「レジデンシャルコンピュータ」という位置づけになる。

 レジデンシャルコンピュータは、今後の情報社会において、とても重要な概念になっていくだろう。WindowsやMac OSなどのOSは、それが稼働するデバイスを使い始めるときに、誰がそれを使うのかを宣言してから使い始める。いわゆるログオンの手続きができるようになっている。アカウントさえ用意しておけば、異なるユーザーが同じデバイスを共有していても、使うたびにログオンし、使い終わったらログアウトすることで、さまざまなパーソナルデータを固有に持てるし、そのプライバシーも守られる。

 だが、iPhoneやiPadなどで使われているiOS、各種のスマートフォンで使われているAndroidは、複数のユーザーが共有することを想定していない。それどころか、1人のユーザーが複数のデバイスを所有するときに便利なように作られている。

 iPhoneや一般的なスマートフォンはともかく、iPadはとても微妙な位置にある。というのも、このデバイスは個人が独占的に使うと、とても便利だが、複数のアカウントを設定できない以上、プライバシーを尊重すると、有用なアプリケーションの多くが宝の持ち腐れになってしまうからだ。

●TVはパーソナルかレジデンシャルか

 iPadのようなデバイスだけじゃない。これからは、TVのようなデバイスも、同様の問題を抱えることになるんじゃないだろうか。TVは比較的大画面のものがリビングに設置され、レジデンシャルな存在となり、家族などで共有される。団らんのひとときには、そこに映し出される映像を、複数の家族が同時に見るのが普通だ。

 その一方で、個人の部屋に置かれたTVは、とてもパーソナルだ。誰に気兼ねをすることなく、つまらないと思えば、勝手にチャンネルを切り替えるし、音量の上げ下げも好き勝手にできる。同じTVというデバイスなのに、置かれている場所によってパーソナルなプロパティになったり、レジデンシャルなプロパティになったりするわけだ。

 アップルは、このあたりのことを認識しているようだ。というのも、iOSのバージョンアップで使えるようになったAirPlayで、AppleTVやリモートスピーカーなどのデバイスに、iOSデバイスからストリーミングができるような機構を見ているとそれがわかる。

 娘が自分で買ったコンテンツを、母親に見せるということが、きちんとプライバシーを尊重しながらできるのだ。もちろん、購入したコンテンツを格納したデバイスを娘自身が手元に持って操作しなければ再生はできないので、娘の不在時には母親はそのコンテンツを見ることはできない。でも、これからは、コンテンツの視聴権、使用権の概念として、複数の限られたアップルIDを関連付けるといった解決方法もあるかもしれない。今は、1つのアップルIDが複数のデバイスと関連づけられているが、アップルID相互の紐付けのニーズも、今後、高まっていくだろう。そこで発生する数々の問題をどううまく解決していくのかが興味深い。

 また、AmazonはKindleのビジネスにおいて、購入したコンテンツを他のユーザーに貸し出せる機能を追加するという。貸し出したユーザーは、それが戻ってくるまでその書籍を閲覧できないということだ。これもまた、当たり前をカタチにした新しくユニークな実装だ。実にわかりやすい。

●SNSとTVが融合するために解決しなければならない問題

 Googleは、AndroidをTVのために使うことも想定して開発を進めているようだが、本当に今のままでいいのだろうか。あるTV番組を見ているときに、おもしろい、つまらないといった感想をTwitterにつぶやきたいとする。手元の携帯電話かスマートフォンでつぶやくには問題ない。これらのデバイスは十分にパーソナルなものだからだ。でも、TV本体でアプリケーションが稼働し、それを使ってつぶやけるとしたら、そのときには、いったい誰のアカウントを使えばいいのだろう。お茶の間でいっしょにTVに向かっているおばあちゃんにとってはおもしろい番組も、孫にとってはつまらないかもしれない。TVを見始める前にログオンすればいいのはわかっているが、誰がそんな面倒くさいことをするのか。

 ちなみに、iPhoneやiPad用のTwitter公式クライアントは、ユーザーを追加してログインしても、使い終わったらその追加したアカウントを削除すればキャッシュデータは削除される。リーズナブルな仕様だと思うが、面倒くさいことにはかわりはない。これからは、テンポラリなログインができる実装がレジデンシャルデバイスで稼働するアプリに求められるようになるかもしれない。そして、その認証にパーソナルデバイスを使うという発想も重要だ。そのような用途には非接触ICは強みとなる。

 例えば、こんなシカケはどうか。TVを見ているときに、スマートフォンなどのパーソナルデバイスをTVにかざすと、そのとき映し出されている番組のプロパティがスマートフォンで使われているアプリケーションに伝わるのだ。モノクロの小さな液晶があって、そこに表示されたバーコードやQRコードをカメラで読み取るような操作でもいいかもしれない。TVは常に不特定、あるいは特定複数のパーソナリティに見られていることを前提とし、そのとき視聴されている番組情報を、外部に伝える機構を用意するべきだということだ。たまたま目にしたCMで魅力的な商品を発見したら、その情報を手元のスマートフォンでゲットして、そのまま注文してしまえる。そういう使い方もできるはずだ。

 こうしたシカケによって、情報の発信にはパーソナルデバイスを使い、情報の受信にはレジデンシャルデバイスを使うという共存の環境がうまく機能する。1つのデバイスに複数のユーザーが共存することを考えるのではなく、複数のデバイスを連携させることで、パーソナルとレジデンシャルの関係をうまく保ちたい。それができない限りは、SNSの世界にTVは融合できないだろう。今、TVが解決しなければならないテーマは、そのあたりにあるんじゃないか。