山田祥平のRe:config.sys
人生いろいろデジタイズ
2016年9月23日 06:00
人が金額的にこれほどまでに高価なものを身につけて外出する時代はかつてなかった。なくなったり盗まれたりしたら大変だ。その物理的被害に加えて、かけがえのない論理的被害を考える時代だ。
デバイスの値段、データの値段
セレブがパーティに出席するのに、その出で立ちが宝飾品やドレスの合計金額でン億円などといった表現をされることがある。
それじゃあ、ろくでもない格好で展示会場を飛び回るぼくのようなフリーランスのライター/レポーターはどうかというと、洋服は無視できるくらいの金額だとしても、取材用カメラにPC、スマートフォンを複数台といった感じの、当たり前的装備でも、トータル金額が100万円近いものになってしまう。朝、家を出て、その日のうちに家に戻る日常的な取材でも似たようなものだし、海外に出かける取材では、もう少し予備の機材が必要になるので、金額的にはもっと高くなってしまう。普通のビジネスマンもきっと似たようなものだろう。とにかくスマートフォン1台でも、その金銭的価値は10万円近いということは忘れがちだ。昔はメガネや時計だって貴重品扱いだったのだが、それも今は昔で、温泉に入るにしても、スマートフォンは脱衣籠に無防備に放置されたりもする。
その代わり、持ち歩く現金は少なくなった。クレジットカードや電子マネーがあるので、キャッシュは最低限でいい。キャッシュがなければサイフを盗まれたって被害は少なくて済む。クレジットカードなどは停止すればいいし、電子マネーも同様だ。プリペイドの電子マネーの場合は、諦めなければならない額もあるかもしれないが、ポストペイならクレジットカード同様に止めるだけでいい。
それでも、日常的に10万円近いデバイスを、無造作にポケットやハンドバッグに突っ込んで歩き回っているということは忘れない方がいい。かつての暮らしではそんなことはありえなかった。これからは、Androidデバイスに加えてiPhoneがおサイフの機能を果たすようになるわけだが、そうなれば、外出時に戸締まりをするのと同様に、スマートフォンを使わないときには厳重なカギをデバイスにかけるということを、もう少し真剣に考えた方がいいだろう。
スマートフォンそのものの物理的被害については保険がカバーしてくれる。ところが保険会社は脳天気で、こういう時代だというのに、携行品損害特約などがカバーする対象として、PCやスマートフォンを除外していたりもする。一度、自分が入っている保険を、クレジットカードに付帯するものを含めて見直しておくことをおすすめする。
もっともスマートフォンについてはキャリアによるケータイ補償などが普及して個別にカバーされるようになってきた。最近は、格安SIMのMVNOが、スマートフォン本体の補償サービスを提供する動きもある。これらは保険会社との協業によるものだが、悪くないことだ。モラルリスクと紙一重になることでもあるので、保険会社がトータルで引き受けるのが難しいというのもわかるが、もう少し世の中の事情を見直しても欲しいと思う。
人生、何が起こるか分からない
クラウドの時代でもある。それによって手元のデータが唯一無二の存在ということは少なくなりつつある。撮りためた何千枚もの写真が入ったスマートフォンが失われたとしても、データはクラウドにもあって、新しいスマートフォンが手元に届いた時点でデータが戻ってくる。
21世紀は、後の世にとって、もっとも情報の少ない年代になるだろうと言われることもある。それは、日常の情報が物理的ではなく論理的に保存されることが当たり前になり、その物理的バックアップを怠ると、あらゆるものが論理的に失われてしまうということだ。
PCやスマートフォンなどのスマートデバイスが浸透してきたこの四半世紀、その前の四半世紀とは比べものにならないくらいに地震災害も起こり、その被害を受けた地域の深刻な状態が、明日は我が身だと認識され始めている。さらには異常気象による水害もあれば、テロなどの事件もある。こうした危険に日常的にさらされている時代としても今の時代は希有ではあって、アッというまにかけがえのない情報が消え去ってしまう可能性とも背中合わせだ。だからこそ保険でカバーできない論理的かつ情緒的な財産を守る方法を考えておかなければならない。
こうしたことを意識しない層であっても、いつも安心して暮らしていけるようにするのが、最新の高度なテクノロジーだ。今、我々が古代文明の遺跡を訪ね、はるか昔を想像したり、江戸時代の浮世絵を眺めて、かつての暮らしに思いをはせたりするような体験が、この先、数百年の未来に21世紀の分だけ不在になったりしないようにするのも、後の世に対して、今の我々が為すべき努力だと言えるだろう。Amazon、Google、Microsoft、AppleといったメジャーなOTTを壊滅的な状態に陥れるサイバーテロが起こらないとも限らない。誰も死なない、誰も傷つかないのに、甚大な被害というのはいつか必ず起こる悲劇だと考えておいた方がよさそうだ。
光景より情景をデジタイズ
人生のデジタイズという行為は現代人の暮らしが避けられない道でもある。写真は1800年代に発明されて現在に至るが、その息の根は今止まろうとしている。写真は絵画の息の根を止めたが、今度はデジタルが銀塩写真の息の根を止める。2000年代前半から写真の役割はデジタルに移行し現在に至っているからだ。
そこではねつ造の疑惑がつきまとう。HDRのようなテクノロジーがありえない光景をデジタイズし、デバイスが備えた複数のカメラが互いに補完しあって撮れないほずの光景を固定したりもする。強引かもしれないが、これは17世紀のオランダ絵画黄金時代を連想させる。フェルメールやレンブラントの絵画が現代人の人気を得ているのに関連性があるような気もする。
絵画だからできたこと、写真だからできたこと、そして今、デジタイズだからこそできることが、人間のまなざしの1つとして、ありえなかった光景を情景として固定する。これは、言わば写真が否定した絵画の復権かもしれない。その良し悪しは、これからもう少し時間をかけて議論する必要はあるかもしれないが、とりあえず、あらゆるものをきちんと残すこと、それは現代人の重要な義務でもある。
取材に訪れているオランダ・アムステルダムの地で、SanDiskブランドの1TB SDXCメモリーカード登場のニュースを知ってつらつらと考えた。そこにビットの並びとして記録される情報はプライスレスなのだと。