笠原一輝のユビキタス情報局

Microsoft「Surface」がPCメーカーに与えた衝撃



Microsoft「Surface」

 米Microsoftはロサンゼルスで記者会見を開催し、同社が製造、販売するタブレット端末“Surface”を発表した。ハードウェアの仕様などに関しては関連記事に譲り、ここではMicrosoftがハードウェアを直接エンドユーザーに販売するということのインパクトについて考えていきたい。

 PC業界は、IBM PCが1981年に発売されてから30年以上の長きにわたり、OSはMicrosoft、プロセッサはIntel、製造と販売はメーカーという水平分業により産業が成り立ってきた。そして今、その構図が変わろうとしている。


●スペックからユーザー体験への転換

 現在デジタル機器を語る上で避けて通れないキーワードがある。それが“User eXperience(UX)”という言葉だ。日本語に訳せば「ユーザー体験」(ユーザーがワクワクやドキドキするような体験)ということになる。

 以前のコンシューマ向けIT製品で最も大事なことは価格だった。消費者が最優先するのは価格であり、次にスペックというのが常識だった。しかし、今ではスペックよりもUXが重要視されている。価格が最優先事項であることに変わりは無いのだが、スペックではなく、優れたユーザー体験の提供が重要なポイントになりつつあるのだ。

 今やコンシューマ向けIT製品を作っている企業の多くが、ユーザー体験の改善を訴えている。どこの会社の講演でも、必ず1回は「ユーザー体験の改善」というフレーズが出てくるほど人気のキーワードだ。

 では、何が理由で、スペックに代わって、ユーザー体験が重要視されるようになったのだろうか。

 過去のタブレットコンピューティングという分野について言えば、Goもあったし、Microsoftもトライしていた。Windows XP Tablet PC Edition、Origamiなどを思い出す方も多いだろう。それらの製品はスペック重視だったが、成功を収めなかった。

 その一方で、iPhoneやiPadがスペックで成功したのではないことは、誰が見ても明らかだ。どうしてiPhoneとiPadは成功を収めたのか。それはユーザー体験が違うからだ。

 iPhoneやiPadが発表されたときは、スティーブ・ジョブスCEOが、自ら壇上に立ち、従来製品にはなかったユーザー体験を丁寧に解説した。そして、それがメディアやユーザーに大きく受け入れられて成功を招いたのだ。

 スペックだけで言えば、タブレットPCが搭載しているx86は、iPhoneやiPadが搭載しているARMよりも強力だ。しかし、ユーザーが求めたのは体験そのものであり、スペックではなかった。ここから“スペックからユーザー体験”へと潮目は変わった。

 Surfaceの発表会でも、Microsoftの幹部によって強調されたのは、魅力的なユーザー体験であり、スペックではなかった。

●Appleへ対抗するには、垂直統合が必要

 もちろんMicrosoftは、Appleの強さを研究してきた。そして、Windows 8/RTに向けてAppleへの対抗策を準備してきた。

【表1】 Windows 7タブレット iPad
ハードウェア製造 ODM/EMS EMS
ハードウェア設計 OEM/ODM Apple
ハードウェア販売 OEM Apple
アプリケーション開発 ISV ISV
アプリケーション流通 ISV Apple
OS Microsoft Apple

 上の表はWindows 7タブレットとiPadにおいて、MicrosoftとAppleの戦略の違いを比較したものだ。

 Appleは、ハードウェアの製造と、アプリケーションの開発以外は、すべてを自社で手がけている。アプリケーションの流通も、iOSについて言えば、iTunes Storeという自社のアプリケーションストアに限定している。いくつかの例外はあるものの、すべてをAppleがコントロールする、垂直統合型のモデルと言って良いだろう。

 これに対してWindows 7タブレットは、Microsoftが手がけているのはOS自体の開発だけで、ソフトウェアの開発流通はISVが、ハードウェアの設計と販売はメーカーが、そしてハードウェアの製造はODMメーカーないしはEMSがという分業して行なってきた。複数の企業が役割を分担することで1つの業界を構成する、水平分業型のビジネスモデルだ。

 水平分業型の最大のメリットは言うまでも無くスケールメリットだ。各階層で、複数の企業が競争して新しい製品が生まれ、それがWindowsエコシステム全体の魅力へとつながっていくだけでなく、価格競争が発生し、ユーザーが最も求める製品価格の下落につながる。これがMicrosoftがAppleのMac OSのプラットフォームに打ち勝ってきた最大の要因だった。

 しかし、ユーザー体験の向上を目指すのであれば、水平分業では難しい。Microsoftがコントロールできているのは、OSの開発だけで、それ以外のアプリケーションやハードウェアに関してはISVやメーカー任せで、Microsoftが直接手を入れることができない。つまり水平分業モデルのままでは、すべてをコントロール下に置くことでユーザー体験の向上を実現しているAppleには勝てない、Microsoftがこのように分析をしたと言えるだろう。

【表2】 Windows 8/RTタブレット iPad
ハードウェア製造 ODM/EMS EMS
ハードウェア設計 OEM/ODM/Microsoft Apple
ハードウェア販売 OEM/Microsoft Apple
アプリケーション開発 ISV ISV
アプリケーション流通 Microsoft Apple
OS Microsoft Apple

 実際、Windows 8/RTでは、「Windows Store」というアプリケーションストアを実装することで、Microsoftがアプリケーションの流通を管理下に置いた。次のステップとしてハードウェアの設計や流通に手をだすというのは論理的な帰結と言えるだろう。

●Microsoftの決断がPCメーカーに与える影響

 しかし、ハードウェアを自社ブランドで提供するという、今回の決断は、今後のMicrosoftの将来に大きな影を落とす可能性が高いと筆者は考えている。なぜなら、この決断は、これまでのMicrosoftの強みだったWindowsエコシステム全体を壊してしまう恐れがあるからだ。

 今後、MicrosoftがPCメーカーにとって競合する存在になってしまう。このことのインパクトは非常に大きい。同じハードウェアと言っても、ZuneやXboxのように新分野を拓くものではなく、既存のエコシステムを変えてしまう存在だからやっかいなのだ。

 メーカーの立場に立って考えてみよう。例えば、あるメーカーが新しいコンセプトのPCを設計し、開発していたとする。その時に、例えばドライバーの開発で問題が発生したりすることはよくある、これまでならMicrosoftにも秘密保持契約ベースで新製品を開発中であることを説明し、そのサポートを仰いだことだろう。

 しかし、今後はMicrosoft自身が「パートナー」ではなく「競合」する存在なので、秘密保持契約があろうとなかろうと新製品の情報はMicrosoftに渡せないことになる。

 むろん、MicrosoftはOEMメーカーに対して、こうしたハードウェア部門とOS部門には情報のパーティション(壁)を設けて、OEMメーカーの情報がハードウェア部門には渡らないようにすると言うだろう。しかし、それでも2つの部門は同じ会社であり、最終的に情報を手にするのは会社のトップたるCEOなのだ。そこまで情報が上がらないという保証はどこにもない。つまりはMicrosoftが何を言おうが、メーカーはこれまでよりも非協力的になるだろう。

 Windows 8の最大のメリットとはなんだろうか。それは一言で言うならば、レガシーとの互換性を維持していることだろう。レガシーというのは従来のWindowsアプリケーションとの互換性であり、OEMメーカーのPCビジネスであり、それを包含したままiOSなどと競合する新しいアプリケーションプラットフォーム(Metro UI)を実現したのがWindows 8のメリットだ。しかし、Microsoft自身がハードウェアメーカーとなることで、そのエコシステムを破壊しかねない、それが大きな懸念としてMicrosoftに突きつけられている。

●差別化が難しくなる日本メーカー

 Microsoftのこの決断は、日本ローカルブランドのPCメーカーにとって、もっとも厳しく影響してくる。

 日本以外の地域では、CPUにIntelかAMDを、OSにMicrosoftを、そして外側になる筐体のデザインを変えることで他社と差別化し、実質上は価格面での競争というのがPCビジネスの実体だからだ。しかし、日本のコンシューマ向けPCビジネスは、これとは根本的に違う。確かに差別化手法は概ね他の地域と一緒だが、日本では価格だけではなく、ユーザー体験が含まれていたからだ。

 日本のコンシューマ向けPCには、Microsoftが標準では実装していないユーザー体験を多数提供しているものがある。例えば、TVの録画機能をMicrosoftに先駆けて実装したのがその例だし、今やAIO(All In One)として他の地域でも知られるようになった液晶一体型PCを流行らせたのも日本メーカーだ。しかも、国内版の液晶一体型は、インスタントTVなどの機能を搭載することで、実用的なTVとしてのユーザー体験を提供している。これはAppleのiMacでも体験できないユーザー体験だ。

 Intelが提案しているUltrabookですら大元を辿れば、日本メーカーが発売してきた薄型軽量ノートブックPCであり、その現代版ということができるだろう。つまり、日本のPCメーカーは、Microsoftが標準では提案していないようなユーザー体験を提案し、それが受け入れられてきてビジネスとして成立してきたと言えるだろう。日本のコンシューマ向けの製品単価が、未だに他のリージョン(地域)のコンシューマ向けPCの製品単価よりも高めに設定されているのも、ユーザーがその付加価値を認めてきたのは何よりの証しだ。

 だが、MicrosoftがSurfaceでやろうとしていることは、こういしたユーザー体験のコントロールもMicrosoftがやるという宣言にほかならない。これは独自で他社との差別化を図ってきた日本のPCベンダーのビジネスモデルが崩壊することを意味する。

 しかも、現在日本のOEMメーカーからは、筆者のようなメディア関係者に対してもMicrosoftに対する恨み節が多数聞こえてくる現状がある。Metro AppsでDTCP-IPの実装がされていないことは以前の記事でも触れたとおりなのだが、Windows 8で実装されるWindows Storeのビジネスモデルが、日本のコンシューマ向けPCの特徴でもあるプリインストールソフトウェアの仕組みと合致していないことも課題として浮上しつつある。

 MicrosoftはWindows StoreのベンダーIDをメーカーにも割り当てるのだが、PCメーカーに割り当てられている数は非常に少ないという。メーカーがユーザーに提供するMetro AppsはこのベンダーIDに紐付けられ、製品のSKU毎にプレイスンストールするMetro Appsを変えるにはSKUの数だけIDが必要になるのだが、Microsoftが各社に割り当てているのは両手で収まる程度の数でしかないと、あるOEMメーカーの関係者は筆者に教えてくれた。つまり、現状ではPCベンダーがプレインストールするMetro Appsで差別化しようというのはほとんど不可能に近いという。

 このことは日本以外のリージョンではほとんど問題にならないだろう。なぜなら日本以外のリージョンではプリインストールされているアプリケーションで他社と差別化するというPCメーカーはほとんどなく、プレインストールするアプリケーションというのはISVから場所代を入手するためのモノに過ぎないからだ。

 だが、日本のメーカーはプリインストールするアプリケーションで差別化し、メーカーによっては自社でアプリケーションを制作し、それによる差別化すら行なってきた。それがMetro Appsではできなくなるというのだから、大きな問題なのだ。

 そこに今回のMicrosoftの発表だ。日本のPCメーカー関係者が困惑しているのは言うまでも無いだろう。

●Microsoftはパンドラの箱を開けてしまったか

 このように、Surfaceの衝撃は、特に日本のOEMメーカーにとってはかなり大きかったと言っていいだろう。おそらく、しばらくはOEMメーカーも今までと変わらずWindowsを自社製品のOSに採用し続けるだろう。というよりも現時点ではそれしか選択肢がないのが現実だからだ。だが、長期的な視野に立つのであれば、OEMメーカーは今後別の選択肢を真剣に考えざるを得ないだろう。

 もちろんMicrosoftとてそうした問題があることは認識しているだろう。実際、Microsoftはプレスリリースの中で、現在のOEMメーカーのビジネスには影響はないと述べており、OEMメーカーに一定の配慮をしようという姿勢は伺える。

 現時点ではSurfaceがどのような規模(つまりどれだけの数)で販売されるかもわからないし、価格も明らかにはなっていない。Windows RT版に関してはWindows 8/RTの発売時期と同時だが、Windows 8版に関してはその3カ月後となっているのは、既存のOEMメーカーに配慮した結果ということができるだろう。RTに関しては既存のOEMがないから配慮の必要がない、という判断と思われる。

 だがOEMメーカーにとって、今後Microsoftが競合他社だと認識せざるを得ない以上、Microsoftとの協力関係は徐々に薄れていくことが予想される。Windowsエコシステムはゆるやかに崩壊していくのか、Microsoftが単独でAppleに打ち勝つことができるのか。いずれにせよMicrosoftがパンドラの箱を開けてしまったことは間違いないだろう。

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(2012年 6月 20日)

[Text by 笠原 一輝]