【短期集中連載】ThinkPad生誕20年の軌跡を追う

【第1回】なぜThinkPadは20年間愛され続けたのか
〜生みの親であるレノボ・ジャパンの内藤在正副社長に聞く




 1992年に「ThinkPad」の第1号製品である「ThinkPad 700C」(日本では、PS/55note C52 486SLC)が発売されてから、本日10月5日でちょうど20年目を迎えた。

 日本IBMの大和研究所が中心となって誕生したThinkPadは、その間、IBMからレノボグループへの事業移管を経るなど、大きな変化の中にありながらも、常に、「ビジネスのプロフェッショナルのためのツール」としての進化を遂げ、世界で最も売れているビジネスノートPCとして、多くのユーザーから高い評価を獲得し続けているのは周知の通りだ。

 そして、日本のみならず海外においても、ThinkPadのファンクラブが結成されている事実からも、PC市場において、ThinkPadが独特の存在感を持っていることが証明されるだろう。ThinkPadの20周年を記念して、関係者へのインタビューなどを含めて、改めて、ThinkPadの歴史を紐解いてみた。

 まずは、ThinkPad生みの親であるレノボ・ジャパンの研究開発担当取締役副社長の内藤在正氏に、この20年を振り返ってもらいながら、ThinkPadの真髄に迫ってみる。

●ビジネスのプロフェッショナルのためのツール
内藤在正氏

 ThinkPadの基本コンセプトは何か。それは、ひとことでいえば、「ビジネスのプロフェッショナルのためのツール」だと言える。

 ThinkPadは登場以来、ビジネスマンのためのツールとして進化を遂げてきた。ビジネスシーンで要求される信頼性を維持しながら、顧客の声を聞くことで改良を加え続けてきたのである。

 だが、内藤副社長は、「1992年の時点において、ThinkPadを表現する今のような明確なコンセプトがあったわけではない」と意外なことを打ち明ける。

 「IBMが開発するPCであるならば、それは最初からビジネスPCしかなかった。ThinkPadがビジネスPCであるのは当たり前のことだった」と笑いながらも、「ThinkPadの事業を開始してから数年後、突然、ThinkPadを的確に表現する言葉に出会った」と振り返る。

 それは、1995年頃のことだという。

 「ThinkPad is a Serious Business Computer」−−。

 あるビデオの中で語られたこのフレーズで聞いて、「そうだ、これがThinkPadの原点なんだ、ということが、スッと腹の中に入ってきた」と語る。そのビデオがどこで放映されたのか、なにを目的に作られたものなのかについては、内藤副社長は明確には覚えていないという。たぶん、米IBMのマーケティング部門が顧客向けにThinkPadを紹介するために作ったものなのだろう。だが、ビデオの中でその言葉を語った男性の顔は、鮮明に覚えているという。

●お客様の役に立つ技術だけを採用する

 ThinkPadは、第1号機を投入以来、数多くの改良を重ねてきた。改良の「種」となったのは、そのほとんどがユーザーの声によるものだったという。そしてThinkPad開発の基本スタンスは、ユーザーにとってメリットをもたらす進化を繰り返すことに、フォーカスし続けた。

 「何のためにThinkPadは存在するのか。それは、ビジネスの場でお役に立つということに尽きる」。そうした進化の繰り返しを続けたThinkPadの立場を端的に示したのが、この言葉だったというわけだ。

 「エンジニアは、ユニークなものに挑戦したい、世の中をびっくりさせたいと思って開発に取り組んでいる。それは大切なことであるが、ThinkPadの開発に携わっている上では、それだけではいけない。その技術がユーザーにとって、本当にメリットを生み出すのかどうかが重要なポイントである」と内藤副社長は語る。

 実は、内藤副社長は、ThinkPadの開発エンジニアを部屋に呼んで、新製品の説明や、新たな技術の説明をさせる場を設けていた。そこでは、内藤副社長を記者に見立てた疑似記者会見のような雰囲気を持たせるという。

 エンジニアが説明をはじめると、内藤副社長はすぐにストップをかける。「そんなに専門用語ばかりを使っていては理解してもらえない。もう少し分かりやすい言葉で話してほしい」。こうしたやりとりが何度も繰り返される。中には、「改めて出直します」と、自ら再試験を名乗り出るエンジニアもいた。

 ここで内藤副社長がこだわったのは、分かりやすい言葉で説明することを徹底するだけではなかった。むしろ、その本質は、当該技術が本当にユーザーにとってメリットを生み出すものになっているのか、という点を説明して欲しいという点だった。

 内藤副社長がよく例にあげるのが、ThinkPadに内蔵した無線LANのアンテナの話である。エンジニアは技術的な強みや、その先進性をどうしても説明したがる。しかし、それでは利用者には何も伝わらない。この技術によって、社内に設置していた無線アクセスポイントの数を半分に減らすことができる、あるいは部屋の端っこでネットワークにつながりにくいと苦労していたユーザーの問題を解決できるといった提案の方が、ユーザーには理解しやすい。

 ThinkPadの開発姿勢の原点はここにある。ThinkPadに搭載される技術の全てが、ユーザーにどんなメリットを提供できる技術なのかという点にフォーカスしたものになっているのだ。

 レノボ・ジャパンの横田聡一常務執行役員は、具体的な例の1つとして、次のような例を挙げる。

 「ThinkPad X300」を開発していた時のことだ。X300では、環境光センサー機能を搭載する方向で開発が進んでいた。これは、まわりの照度にあわせて、ディスプレイの明るさが変化する技術で、当時は、省エネ性や視認性の観点からも最先端の技術とされていたものだ。しかし、ディスプレイの明るさがユーザーの意志に関係なく変化することで、逆に利用者に不便な思いや、操作面で不快な思いをさせるのではないかという意見があった。実際、利用者の環境を調査したところ、この機能を使わないように、画面の明るさを固定するユーザーが多かったという。そこで、発売の直前になって、この機能の搭載を取りやめたのだ。

 横田常務執行役員は、「その技術の価値を、お客様に自信を持って説明できないものは搭載する意味がない」とし、ThinkPadの基本コンセプトを具現化したエピソードの1つとして語ってくれた。

ThinkPad X300 横田聡一氏

 内藤副社長は、「ユーザーへのメリットが説明できないものは受け付けない。そうした文化が、大和研究所の中に徐々に浸透していった」と語る。これがThinkPadの開発姿勢であり、基本コンセプトだといっていい。

 「ベンチマークの数字をみて喜ぶのではなく、お客様の顔をみて喜ぶエンジニア」−−。それが、ThinkPadのエンジニアに求められる素養だといえる。

●日本で開発する「地の利」を生かす

 ThinkPadの前身となる製品に、「PS/2 L40SX」がある。1991年に発売されたこの製品は、内藤副社長が、ワールドワイドで開発を監督する立場に就いて、初めて開発した製品だ。

 L40SXは、「バッテリで駆動するPC」を目指して開発されたものであり、開発の中心は大和研究所に置かれたものの、機構設計は米フロリダのボカラトン、キーボードの設計は米ケンタッキーのレキシントン、製造は米ノースカロライナのラーレイや、英国のグリーノックの生産拠点が受け持つという分散した体制だった。

 1985年に藤沢から移転してきた大和研究所には、デスクトップPCを開発していた経緯があったこと、さらに、日本にはポータブルPCに使用される部品を開発しているメーカーが数多くあり、開発に適していると判断されたことも、大和研究所が中心的役割を果たすことになった理由の1つだろう。

 「バッテリで駆動するPCを作るには最先端の電池技術が必要。そこで一緒になって技術開発に取り組んだのがパナソニックだった。長時間に渡って、安全に駆動するバッテリを開発した。また、東芝、日立製作所、日本ビクターといった日本のメーカーとともに、液晶ディスプレイやドライブの開発でも協力体制をとった。日本IBMの野洲工場が、ディスプレイの生産や、最先端の基板技術を持っていたことも、大和での開発には大きなメリットとなった」と、内藤副社長は当時を振り返る。

 だが、こうも語る。「20年前には、日本の『地の利』が確実に存在した。だからこそ、日本でノートPCが生まれ、ThinkPadが生まれた。しかし、もはや日本の『地の利』という言葉は通用しない。いま、大和のエンジニアに対しては、この点を徹底している」。

●苦難の連続に半年遅れで製品化

 PS/2 L40SXの開発が進むのにつれて、内藤副社長は、最も厳しい段階を迎えた拠点に常駐し、場所を転々としながら開発の陣頭指揮をとった。

 しかし、初めてとなる製品の開発だけに、多くの苦難が伴った。特に困難を極めたのは電波障害の対策だったという。さらに、生産段階でも品質のばらつきが発生するなど、問題は山積した。

 「10個の問題を解決すると、20個の新たな問題が発生する。日々、問題が増えていくことの繰り返しだった」と内藤副社長は当時の状況を明かす。

 当初の出荷予定は、1990年9月。だが、結局、出荷承認が決定したのは、1991年3月13日のこと。実に半年遅れとなっていた。

 これに激怒したのが、当時、日本IBMの副社長を務めていた三井信雄氏だった。大和研究所の前身となる藤沢研究所の所長を務めた経験を持つ三井氏は、日本IBMのPC事業を強力に推進してきた人物でもあった。普段は温厚な表情の三井氏。だが、この時ばかりは激怒した。

 外国人負けしない体格を持つ三井氏の激怒ぶりは半端ではなかった。「その声だけで、人が壁まで飛んでいき、張り付いてしまうような勢いだった」と、内藤副社長は比喩する。

 米本社が、大和研究所に対して新たなPC製品の開発を委ねる大きな決断をし、いよいよ日本でPCの新規大型プロジェクトがスタートしたところ。もし、これに失敗すれば、グローバルIBMにおいて、その後の日本IBMの立場が揺るぎ、大きな痛手になる可能性があるといった想いが、三井氏にはあったのもかもしれない。そうした観点からも、L40SXの失敗は許されなかった内藤副社長にとっても、この激怒事件は、忘れられない出来事だったという。

渡辺朱美氏

 実は、PS/2 L40SXの出荷承認を得ることができた日は、内藤副社長の誕生日であった。出荷承認の報告を電話会議で行なった後に、ラーレイにいた内藤副社長に対して、エンジニア全員で「ハッピーバースデイ」を歌って祝うというサプライズも企画されていた。さらに、ラーレイのエンジニアはどこで収集していたのか、内藤副社長が開発中に失敗した数々の部品を持ち出し、それを内藤副社長にプレゼントしたのだという。

 トップカバーを閉めると、フロッピーディスクの取り出し口を塞いでしまうという失敗策は、ギロチンカバーと呼ばれ、これも内藤副社長にプレゼントされた。

 現在、レノボ・ジャパンで社長を務める渡辺朱美社長も、その当時、電話会議に参加していたエンジニアの1人であり、「最も印象に残っている出来事の1つ」だと語る。渡辺社長は、「あの時は、きっと内藤さんは、うれしくて泣いていたはず」と電話会議越しの様子を予想するが、内藤副社長は、「泣くわけないじゃないか」と完全否定。20年前の状況だけに真実は分からない。

●THINKの語原と黒い筐体

 PS/2 L40SXの成功を受けて、次の製品開発が始まった。これが、初めてThinkPadのブランドを搭載する製品になる。

 ThinkPadは、IBMの初代社長であるトーマス・ワトソン・シニア氏が、社長就任時に発言し、その後のIBM社員の共通の言葉として定着している「THINK」をベースに、当時のPC事業責任者であったブルース・クラフリン氏が名付けたとされている。

 開発当初、内藤副社長の中には、今やThinkPadの基本カラーとして定着している「黒」のイメージはまったくなかったという。頭の中にあったのは「白」だった。これは当時としては、当然のことだった。「IBMが作ってきたすべてのPCは白。そこにIBMという青いロゴが入る。当然のことながら、開発しているポータブルPCの色も白しか考えつかなかった」。

 PS/2 L40SXの出荷を約2カ月後に控えたとき、これを黒にしてほしいとの提案があったという。内藤副社長は、「これ以上、遅らせることはできない。この製品では無理なので、次の製品からやらせて欲しい」と、断ったという逸話を明かしてくれた。

ThinkPad 700C

 その次の製品が、まさに、ThinkPadとして登場した「ThinkPad 700C」というわけだ。ThinkPadのデザインは、この時IBMのデザイン顧問を務めていたリチャード・サッパー氏によって制定されたものだ。そして、デザインそのものは、日本の伝統的な弁当である松花堂弁当の弁当箱をベースに、大和研究所の山崎和彦氏が発案したものである。外観はシンプルなものであり、ソフトブラックの塗装を施し、それと対比される赤いトラックポイントを持つというテザインだ。

 そして、シンプルな外観を開くと、数多くの興味深い機能が満載され、驚きを与えるという点でも、松花堂弁当のような楽しさを持ったものだと言える。いや、今ではそのデザインを見れば、必ず驚きの機能を搭載しているといったユーザーの期待を裏切らないことを証明するデザインへと昇華しているとも言える。

●唯一、大和研究所以外から誕生したThinkPadとは

 ThinkPadの開発は、そのほとんどが大和研究所を中心に行なわれている。だが、その表現は「すべて」ではなく、「ほぼすべて」である。というのも、1機種だけ、ラーレイの研究所が開発したThinkPadがあるのだ。

ThinkPad 701

 それが、バタフライキーボードを搭載した「ThinkPad 701」だ。ヨークタン研究所所属のメカのエンジニアであったジョン・カリダス氏が発案したバタフライキーボードは、10.1型の液晶ディスプレイを搭載した小型のノートPCでありながら、それよりも横幅が広いフルサイズのキーボードが使用できるように、クラムシェルの筐体を開けると同時に、キーボードが飛び出しながら広がるという構造を持ったものだ。

 「今は、10.1型の液晶ディスプレイを搭載したモデルがないことから、出番がなく、休眠中の技術」と内藤副社長は笑うが、バタフライキーボードを搭載したThinkPad 701は、ThinkPadを代表するユニークな製品の1つだと言えよう。

ThinkPad T20

 このバタフライキーボードを開発したカリダス氏は、「ThinkPad T」シリーズの開発の際に、2カ月ほど、大和研究所に常駐した経験があった。その時カリダス氏はこんな提案をしたという。「内藤さん、何でThinkPadは、前側も後ろ側も同じ厚さなんだ。前を薄くすれば、キーボードも打ちやすくなる」。

 内藤副社長には思いもよらない提案だった。それまでのノートPCの常識は各社とも前後の厚みは同じである。ましてや松花堂弁当を発端にしているThinkPadである。筐体を斜めにデザインするという発想はまったくなかった。

 ここで初めて「くさび型」と呼ばれる、現在のノートPCの多くに採用されているデザインが誕生することになった。

●ThinkPad iシリーズは失敗だったのか
ThinkPad i

 ThinkPadは、ビジネスパーソン向けの製品として、開発されたものであるが、1998年に、個人向けと位置づけた「ThinkPad i」シリーズを投入した経緯があった。

 「失敗」−−。内藤副社長自身はこの言葉を使いたがらないが、その後、後継機がないことを考えれば、残念ながらこれはThinkPadにとって、失敗を意味する製品だったと位置づけることができよう。

 当時、PC事業を担当していたパーソナルシステムズグループでは、次のようなシナリオを描いていた。大手企業(ラージエンタープライズ)市場は、今後の大きな成長が見込めない。今後、成長する市場は中小企業(SMB)市場であり、コンシューマ市場である。ここに向けて投入したのがThinkPad iシリーズであった。

 内藤副社長は当時を振り返りながら、次のように語る。「1つには、コンシューマ市場に対して、ThinkPadは何を訴求することができるのかが分かっていなかった。そして、もう1つは似て非なるThinkPadを作ったことで、焦点がボケた製品が生まれてしまい、結果として、ThinkPadのロイヤルカスタマーに対しても誤解を生む結果になった」。

 ThinkPad iシリーズの登場によって、何がThinkPadなのか、何がThinkPadではないのかという線引きが曖昧になった点は否めない。これが価格設定を含めて、ユーザーに誤解を生んだのだ。

ThinkPad Edge 13

 「しかし、この経験はThinkPad Edgeへとつながっている」と内藤副社長は語る。「ThinkPad Edge」シリーズは、SMB市場を対象にした新たなThinkPadシリーズとして2009年に投入したものだ。「テーブルの向こうまで思ってきり投げたコンセプトによって作り上げた製品」と、内藤副社長はThinkPad Edgeシリーズを比喩する。

 「iシリーズでは、ThinkPadが持つアイデンティティを壊さないということに縛られすぎた反省がある。しかし、Edgeシリーズでは、価格、性能、コンセプトなど、ThinkPadが持つものには縛られずに開発した。Edgeシリーズを使った人が、最後にはThinkPadに辿りついてくれればいい、というぐらいの突き放した発想で作った」という。

●5年間の沈黙を経て製品化されたEdgeシリーズ

 Edgeシリーズの製品化においては、もう1つのポイントがある。それは、「5年間の沈黙」という言葉で表すことができよう。

 Edgeシリーズが市場投入されたのは2010年1月。これは、ThinkPadの事業がレノボに買収が発表されてから約5年。実際に統合されて2005年5月から4年半以上を経過したタイミングでもあった。

 「もし、レノボに買収された直後にEdgeシリーズのような製品を投入したとしたらどうだろうか。市場の反応は、『やっぱりThinkPadは変わってしまった』ということになるだろう。私は、レノボに買収されても、ThinkPadは変わらないと言い続けてきた。それを証明するためにも、3年間は、ThinkPadの正統的な進化にだけ取り組み、将来に向けて変わらないことを訴えてきた」

 最低でも3年という時間を経て、これまで同様にThinkPadが進化を続けることが多くの人に理解された上で、新たな挑戦として投入したのがThinkPad Edgeシリーズであり、それは今でも新製品が引き続き投入されるレノボの重要な製品ラインアップの一角を担っているのだ。

 だが、内藤副社長は、ThinkPadシリーズの開発において、1つだけ反省しなくてはならない製品があったという。それは何か。そしてどうしてなのか。

 次回、内藤副社長のThinkPadに対する姿勢と、将来のThinkPadの方向性などについてさらに迫う。

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(2012年 10月 5日)

[Text by 大河原 克行]