■後藤弘茂のWeekly海外ニュース■
2005年のE3でのXbox 360発表でスピーチをするBach氏(右端)とAllard氏(左端) |
Xbox 360の産みの親、J Allard(Jアラード)氏(Vice President, Design and Development, Entertainment and Devices (E&D) Division, Microsoft)がMicrosoftを去る。Microsoftからは、Allard氏の上司に当たるRobbie Bach(ロビー・バック)氏(President, Entertainment and Devices (E&D) Division)も、秋に退職(retire)することがアナウンスされた。Xbox 360において、開発時の技術リーダーだったAllard氏と、ビジネス面のリーダーであるBach氏の2人が、ともにMicrosoftから去ることになった。
また、Entertainment and Devices Divisionは再編され、ゲームとモバイルの2事業が分離される見込みであることも明らかになった。Bach氏の下で携帯機器関連のMobile Communications Businessを担当するAndy Lees氏は、MicrosoftのCEO Steve Ballmer(スティーブ・バルマー)氏の直属となる。また、ゲーム関連のInteractive Entertainment Businessを担当するDon Mattrick氏もBallmer氏に直属する。Lees氏は新モバイルOSである「Windows Phone 7」を、Mattrick氏はXbox 360の新ユーザーインターフェイスである「Project Natal」の投入を控えている。
Xbox 360の立役者が揃ってMicrosoftを離れることは、何を意味しているのか。トップ陣の入れ替えで、Microsoftのコンシューマ向けデバイスの戦略はどう変わって行くのか。Bach氏とAllard氏が率いて来た部門の製品には、Xbox 360やZUNE(Microsoftのモバイルメディアプレーヤー)、KIN(Microsoftのスマートフォン)を含むWindows Phone(Windows Mobile)、そして未発売のタブレット(キャンセルになったと言われる)、インターネットTVが含まれる。つまり、AppleやGoogle、任天堂やソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)に対抗する部隊がどうなるのかが、問われている。
この人事が明るみに出たのは5月18日(米国時間)。ZDNetのMary Jo Foley氏がAllard氏がMicrosoftを去ることをスクープしてからだ。その後、Wall Street Journalが、より広汎な組織変更が行なわれることを掴んだとレポート。最終的に、Microsoftから25日に冒頭の人事が発表された。「Microsoft Announces Retirement and Transition Plan for Robbie Bach」というリリースだ。
そして、その直後に地元シアトルのTechFlashが、Bach氏とAllard氏へのインタビューを掲載。また、Foley氏も、Allard氏が社内のスタッフに宛てたグッバイメール「Decide. Change. Reinvent.」を公開した。Allard氏のメールは、その後、Microsoftのオフィシャルblogで全文が公開された。激しい報道合戦の中で、両氏がMicrosoftを離れることがアナウンスされたわけだ。
●過去5年で最大の激戦場となったモバイルと組み込みの市場Allard氏とBach氏がMicrosoftを離れることは、このように、米国では大きなニュースになっている。日本ではそれほど知名度が高くない2人の動向が大きく取りざたされるのは、なぜか。それは、Allard氏とBach氏が、今、Microsoftが最も激しい戦いにさらされている部門のリーダー達だったからだ。
Allard氏とBach氏は、Xbox部門(Home and Entertainment Division)でXbox 360の立ち上げの顔だった。MicrosoftはXbox 360のメドが立った2005年秋の段階で、社内組織を改編。新たにPC以外のコンシューマ向け製品全てを統括する部門「Entertainment & Devices Division」を作った。そして、Xbox部隊の指揮官だったBach氏は新しいEntertainment & Devices Divisionのトップ(President)に就任、Xbox 360の開発のヘッドだったAllard氏は新部門の開発を統括することになった。
これは、実質的にXboxディビジョンの下に、モバイルと組み込み系のディビジョンを統合した組織改編だった。Xbox 360を無事に離陸させつつあった同部隊の実績が認められ、Bach-Allardラインで構想していたモバイルデバイスのプランが採用された結果だったと推測される。その結果、Bach氏とAllard氏の下には、Xbox 360とXbox Liveサービスだけでなく、スマートフォン系のOS、音楽サービス、インターネットTV「MSN TV(WebTV)」など諸々のコンシューマ系デバイスとその組み込みソフトウェア、さらにはタブレットコンピュータのプロジェクトなどが結集された。
それまで、Bach氏とAllard氏らの責任範囲は、SCEのPlayStation 3(PS3)や任天堂のWiiに対抗することだった。しかし、2005年秋以降は、iPodとiTunes Music Store(現iTunes Store)、後にはiPhoneとiPad、Apple TVも加えたApple製品群に対抗することが加わった。もちろん、ソニーを始めとするデジタル家電メーカーも、同ディビジョンのライバルとなった。さらに、最近ではGoogleのAndroid系デバイスとサービスも、対抗すべき敵に加わっていた。
見ての通り、Bach氏とAllard氏の担当分野は、彼らが受け持つようになってから5年で、戦火が激烈に広がった。しかも、多くの市場でMicrosoftは劣勢か、あるいは出遅れている。火だるま状態に近い。そうした戦いの最中での、トップの人事だから注目されないわけはない。
●ウワサが乱れ飛んだAllard氏の去就では、今回のAllard氏とBach氏の件は平和的なものなのか、それとも何らかの社内抗争の結果なのか。首を切られたのか、それとも路線対立があって辞表を叩きつけたのか。実際、18日以降は、Allard氏とMicrosoft首脳との軋轢を報じた記事が洪水のように溢れた。
2005年のE3でのAllard氏 |
例えば、最初に報じたFoley氏の記事では、Allard氏がMicrosoftを離れる最大の理由は「Courier Tablet」のプロジェクトがキャンセルされたことにあるとレポートしていた。CourierはMicrosoftが開発していた両面開き型のタブレットコンピュータだ。Courierは公然の秘密となっていたが、それが製品開発なのか、それともコンセプトプランなのか、その中間のリサーチなのか、判然としていなかった。
とはいえ、AppleがiPadを投入したことで、Microsoftのタブレット戦略の行方は、重要な関心事として浮上していた。その矢先にMicrosoftがCourierをキャンセルしたという情報が流れ、その後に、Allard氏が離れるという報道が出てきたわけだ。そのため、iPadへの対抗をMicrosoftが見送ったことに苛立ったAllard氏が辞めたという観測は、それなりの説得力を持っていた。また、その結果、Microsoftとケンカ別れしたAllard氏が、GoogleまたはAppleに流れるという観測まで飛び交うという状況だった。
しかし、Microsoftの発表では、Allard氏はMicrosoftを離れるものの、Balmer氏に対するアドバイザーになるとなっている。つまり、平和的に分かれたことを強調している。アドバイザーうんぬんは、米企業が離れる幹部を表向き友好的につなぎ止めるための常套手段だ。
また、Allard氏の書簡でも、同氏がMicrosoftを平和的に去ることを強調している。例えば、Allard氏は「(Microsoftを離れると告げても)椅子を投げつけられることはなかった」と書いている。これは、Googleに去ったSoftie Marc Lucovsky氏が、Balmer氏から椅子を投げられたと語ったことを念頭に置いている。また、Allard氏は「クパチーノ(Apple)やマウンテンビュー(Google)に移ることもない」とも書いている。Allard氏がライバルのAppleかGoogleへ移るのではと、盛んに取りざたされていることに答えたものだ。また、TechFlashのインタビューではCourierプロジェクトの件とは関係がないとも答えている。
これらを見る限り、もし、深刻な意見対立があったとしても、とりあえず収拾したと推測される。少なくとも、罵詈雑言が飛び交う、あからさまなケンカ別れではなさそうだ。
とはいえ、Allard氏が対Appleで、有効な手を打ち出せないMicrosoftに苛立ってた可能性はある。それは、Allard氏が、AppleのiPxxラインへの対抗を、早い時期から訴えていたからだ。Allard氏は、新しいターニングポイントを見つけて、それを訴える“嗅覚”に優れることで、Microsoft社内で知られていた。その彼が、次のポイントとしていたのが、対Appleのモバイルデバイスだった。
これは、過去のAllard氏の実績を見てみればよくわかる。
もともと、Allard氏はネットワークの専門家としてMicrosoftに入社、WindowsへのTCP/IPスタックの実装などを担当し、Windows NTのネットワークチームにも加わった。Allard氏がMicrosoftで注目されたのは'93年、「Windows: the Next Killer Application for the Internet」と題したレポートを書いたことだった。このメモは、Microsoftにとってインターネットがチャンスであり、これを取り込まないとMicrosoftは危機に陥るという内容のものだったと言われる。
今となっては当たり前の主張だが、その当時のMicrosoftは、Windows 95とMSNに注力しており、インターネットに対して一貫した戦略を立てることすらできていなかった。Microsoftはインターネット戦略では大きく出遅れており、ネットが爆発的に成長を始めたら取り残されると言われていた。しかし、Allard氏のレポートがきっかけとなり、Microsoftは'95年末にインターネットへと戦略転換。新時代にも生き残ることができた。
Allard氏(2005年E3時) |
その後、Allard氏は、次のチャンスはゲームにあると考えるようになった。そして、DirectXチームのSeamus Blackley氏(元Xbox Technology Officer)らがスタートさせたXboxプロジェクトに加わった。そして、Allard氏によってXbox Liveが整えられ、Xbox 360ではプロジェクト全体の技術的な指揮をAllard氏が執ることになった。
ゲーム機に対するAllard氏のビジョンは明瞭だった。ハードウェア主導だったゲーム機を、ソフトウェアとネットワークのプラットフォーム主導に切り替える。プログラミングフレームワークをしっかりと組み、開発者の労力を減らす。フレームワークはソケット型で他社のAPIを組み込むことができるようにする。
また、ゲームプログラムのプラットフォーム依存性をできるだけ減らすようにする。さらに、エントリーレベルの開発者が、簡単にゲームをプログラムできる、上位のプログラミング環境を整える。そのために、Allard氏はランタイムベースのプログラミングモデルを導入した。これが、.NET Frameworkを拡張(実際にはサブセット.NET Compact Frameworkの拡張)したXNA Frameworkの上に載った「XNA Game Studio Express」だった。
Allard氏のこのビジョンは、それなりに効果的で、ゲーム開発の流れを、(完全にとは行かないが)ある程度変えた。Allard氏は、インターネットとゲームという、Microsoftにとってカギとなる2つの戦略で重要な舵取り役を果たして来た。
Allard氏が次に着目したのはモバイルデバイスだった。Allard氏は、Xbox 360開発の後段から、インタビューでも盛んにモバイルデバイスについて語るようになっていた。例えば、2005年2月のインタビューでは、Allard氏はポケットから自分の愛用のiPodを取り出し、次のように語った。
「ここに私のiPodがある。iPodは、ハードウェアとソフトウェアとサービスのエレガントなバランスのいい例だ」。
Microsoftの幹部で、ライバル社の製品を愛用していることを公言し、ここまで手放しにほめた人物は珍しい。逆を言えば、Allard氏はiPod(当時はまだiPhoneがなかった)をそれだけ脅威だと見なしていたと思われる。実際、Allard氏らは、Xbox 360が手を離れた段階で、対Appleで迅速に動き始める。
Xbox 360開発の内幕を暴いた本「THE XBOX 360 UNCLOAKED」(DEAN TAKAHASHI)によると、組織改革によってモバイルデバイスを傘下におさめたBach氏とAllard氏らは、「iPodキラー」に向けて具体的な動きを始めたという。Allard氏は、このプロジェクトにかかり切りになり、Xbox 360の表舞台には出てこなくなった。
2006年のE3でLive Anywhereを紹介するBill Gates氏 |
その結果、産まれたのが、iPodと同様にデバイスとソフトウェア、サービスを一体化したZuneプロジェクトだった。Allard氏は、ゲームでのプログラミングモデルをモバイルデバイスにも拡張し、ZuneをXNA Framework端末にしようとした。Xbox 360、Zune、Windows PC、Windows Mobileで横断的に、同じコードが走り、連携したサービスが利用できる環境を組み上げようとした。この構想をMicrosoftは「Live Anywhere」と名付けた。2006年のゲームショウ「E3」では、当時Microsoftの会長兼CSAだったBill Gates(ビル・ゲイツ)氏自身が登場、Live Anywhereを紹介した。
初代Zuneは、ハードウェア設計が間に合わないので、東芝ハードウェアの上に、Microsoftソフトウェアを載せた形で出された。しかし、そうこうしているうちにAppleはiPhoneをリリースして、スマートフォン市場でも大成功を収めた。MicrosoftはZuneが市場で成功を収めないうちに、今度はスマートフォンでAppleの挑戦を受けることになった。後は知っての通り、Appleの戦略は拡大し、iPadへと展開。さらにGoogleがAndroidで同じ範囲のデバイスへと浸透を始め、Microsoftは後手後手に回ることになる。
こうしてみると、Allard氏のビジョンも、モバイル市場の流れの速さに追従できずにいたことがわかる。インターネットとゲームでは、うまくやったAllard氏も、今回は、成功できずにいた。Microsoftの上層部側から見ると、ここは1回仕切り直して、モバイルとゲームを切り離して、別な舵取り役にまかせようという判断になったのかも知れない。その結果、失望したAllard氏がMicrosoftを離れることになったのかも知れない。
いずれにせよ、今回の組織改編が、Microsoftがモバイル事業を仕切り直しするサインであることは明瞭だ。もちろん、ターゲットはiPhoneとAndroidだ。また、ゲーム事業については、Xbox 360をどう盛り返すかがカギとなる。
しかし、Allard氏が去ることは、Microsoftが、また1人、古い時代のMicrosoftらしい開発リーダーを失うことを意味している。Allard氏は、管理職的なつまらない開発リーダーではなかった。インタビューでは、ビジョンを熱っぽく語り、ライバル社の製品の素晴らしさを躊躇なく認め、ある種のカリスマ性があった。あるMicrosoft社員は、「Jのような開発リーダーは、今ではMicrosoftでも少なくなってしまった」と語っていた。
Allard氏は、公開されたメールの最後で、自分が抜ける代わりに、Microsoftはのろまだからダメだとブログに休みなく書き綴るような大学生とか、メインストリームでブレイクできないソーシャルネットワーキングの天才とか、20年間も美しいクルマを設計すること一筋にやってきた設計者のような人物を雇って欲しいと締めくくっている。