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Qualcommがウェアラブル機器向けに投入したSnapdragon Wear

幅広いウェアラブル市場を掘り起こすための試み

 Qualcommの「Snapdragon Wear」は、スマートウォッチのようなウェアラブルデバイス向けのSoC(System on a Chip)ファミリだ。スマートウォッチは、鳴り物入りで登場したものの、市場の広がりが今一つの状態に留まっている。ある程度の市場は築けたものの、スマートフォンより広い市場という皮算用には、まだほど遠い。そのため、チップベンダーは、ウェアラブルデバイスを成功させるためのチップ開発に注力し始めている。

 第1世代のスマートウォッチは、旧世代のモバイル向けのSoCを低電圧駆動させた製品が多い。そのため、低電力とは言っても限界があり、1週間以上のバッテリライフというウェアラブルの目標は実現できていない。また、多くのデバイスが、ホストとなるスマートウォッチとの連携に依存している。何よりも、価格帯が、アクティビティトラッカのようなウェアラブルデバイスよりもずっと高い設定だった。

 第1世代のスマートウォッチの大半は、言ってみればモバイルデバイスをウェアラブルに持ってきたシロモノだった。高機能で多用途ではあるが、特定の用途に特化して使い易いわけではない“器用貧乏”的なデバイスだった。結局のところ、高コストのチップを載せ、それなりのディスプレイを備えた高価格の製品には、それなりの多機能性が期待されてしまう。多機能性を実現しようとすると、どうしても高コストになってしまう。というスパイラルにある。

市場のダイナミックレンジが広いウェアラブル

 ウェアラブル市場を拡大するための道筋はシンプルで、そうした多機能デバイスから離れることだと考えられている。特定機能に特化し、はるかに低価格低コストで、1週間以上のバッテリライフが可能、かつスタンドアローンでの運用ができるデバイス。これが市場拡大のカギとなると見られている。一言で言えば、数千円で気軽に買えて、子どもの位置トラッキングや活動量の測定のような用途に使えて、充電をあまり気にかける必要がないデバイスだ。

 PCとは異なり、ウェアラブル市場では「ワンサイズフィッツオール(1種類で全てに対応)」が利かない。幅広いダイナミックレンジを持つ市場をカバーするためには、幅広いレンジの製品が必要となる。チップアーキテクチャも物理設計もプロセス技術もソフトウェアスタックも、全てにバリエーションを持たせる必要がある。

ウェアラブルシステムのアーキテクチャ
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1週間のバッテリライフに最適化したSnapdragon Wear 1100

 QualcommのSnapdragon Wearファミリは、こうした状況に対応したチップファミリだ。

 まず、現在の多機能スマートウォッチ向けには、ウェアラブルに最適化した設計の「Snapdragon Wear 2100」で対応する。28nmプロセスで低電力かつ低コストに対応したチップだ。クアッドコアのCortex-A7、最小構成のシェーダGPU「Adreno 304」、オールウェイズオンのセンサーハブを搭載し、無線通信はLTE/Wi-Fi/Bluetoothを搭載する。Snapdragon Wear 2100のポイントは、高機能スマートウォッチ向けに、スマートフォンSoC並のフィーチャを、より低電力な実装で実現したこと。Qualcommの得意技であるLTEモデムを搭載して、スタンドアローンでの運用も可能にしている。

 しかし、Snapdragon Wear 2100では多機能スマートフォンはカバーできても、ウェアラブルの市場を広げる、より低コストかつ専門化したデバイスはカバーできない。そこで、QualcommはSnapdragon Wear 1100をCOMPUTEXで発表した。Snapdragon Wear 1100は、低機能のスマートウォッチやアクティビティトラッカ、スマートヘッドセット、スマートアクセサリといった市場をカバーする。

Snapdragon Wear 2100と1100の棲み分け
Snapdragon Wear 2100のカバーする製品分野
Snapdragon Wear 1100のカバーする製品分野

 Snapdragon Wear 1100は、シングルコアのCortex-A7、基本機能だけのGPU、センサーハブ、LTEモデムを搭載する。QualcommらしいのはLTE統合という点で、LTEの強味をモバイルだけでなくウェアラブルでも活かそうという同社の戦略がよく見える。機能的にはSnapdragon Wear 1100は、上位の2100のカットアウト版のように見えるが、全く異なる。

 Qualcommによると、コアのコンフィギュレーションや実装など全ての面で、より低電力に最適化されているという。同じCortex-A7コアでも、2100と1100では、コンフィギュレーションも実装も異なると見られる。そのため、Snapdragon Wear 1100では、LTEスタンバイでも“1週間”のバッテリライフが可能だ。

 1週間のバッテリライフというのは、真のウェアラブルデバイスを実現する上でのマジックナンバーで、幅広い層に浸透させるためのカギだと言われている。「毎日充電でなければ、1週間に1度の充電だろう。3日に1回の充電だと、憶えていることが難しい(笑) 充電されなければ、使われなくなる。充電を習慣付けるためのカギとなるのは、ライフサイクルに合ったバッテリライフだ」とARMのJames Bruce氏(Director of Mobile Solutions,ARM)は語る。

大きく異なるSnapdragon Wear 2100と1100

 Snapdragon Wear 2100と1100を、もう少し詳しく見ると、より違いが明瞭となる。CPUコアはどちらもCortex-A7で最高1.2GHz動作だ。CPUコア数は2100がクアッドコアと、ローエンドのモバイルSoC並であるのに対して、1100はシングルコアだ。また、CPUコア自体のコンフィギュレーションも異なっており、Snapdragon Wear 1100のコアの方が、より低電力に最適化されているという。リーク電流源であるキャッシュSRAMの量も256KBと小さい。

 GPUコアは2100が最小構成のシェーダ3DグラフィックスのAdreno 304で、OpenGL ES 3.0対応。640×480ドットのディスプレイを60fpsで駆動できる。それに対して、1100は2Dグラフィックスを想定した基本的な機能のみのグラフィックスエンジンだ。メモリコントローラは2100がLPDDR3対応に対して、1100は現状ではコストが安く小容量のLPDDR2対応。

 通信では2100はQualcomm X5モデムを内蔵し、LTEではCategory 4(CAT4)の高速通信に対応するほか、Bluetooth、Wi-Fiもサポートする。対する1100は、ベーシックなCAT1 LTEモデムのみので、Wi-Fiなどはオプションだ。OSとしては、Snapdragon Wear 2100がAndroid/Android Wearに対して、Snapdragon Wear 1100はLinuxとリアルタイムOS(RTOS)となっている。とは言え、今後の1100クラスのチップは、Android/Android Wearをサポートするようになるだろう。

Snapdragon Wear 2100と1100の違い
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 Qualcommは、Snapdragon Wear 1100では、同チップを従来のフィーチャフォン携帯電話向けのアプリケーションプロセッサ(AP)と比較している。フィーチャフォンデバイスの延長に低電力ウェアラブルチップがあると見ている点が面白い。昨年(2015年)の段階では、Qualcommは6270をウェアラブル向けとして位置付けていた。

昨年(2015年)のQualcommのIoEDayでは6270をウェアラブル向けとしていた

 既存のフィーチャフォン向けQualcomm 6270/6155は、2006年発表のチップで、65nmプロセス、3Gネットワーク。それに対して、Snapdragon Wear 1100は28nmで4G LTE CAT1。CPUコアはQualcomm 6270がARM9で、Snapdragon Wear 1100 Cortex-A7と比べるとかなり非力だ。パッケージサイズはQualcomm 6270が12mm角の144平方mmであるのに対して、Snapdragon Wear 1100は8.9平方mm角の79平方mm。ダイサイズではない、パッケージサイズだ。

従来のフィーチャフォン向けAPとSnapdragon Wear 1100の比較

 Qualcommは、Snapdragon Wearは2100と1100ともに28nmのローパワープロセスで製造していると言っているが、詳細は明らかにされていない。ファウンドリがTSMCだった場合には、28nmのローパワープロセスにも2種類がある。1つは28nmプロセスの立ち上がり期から提供している「28LP」、もう1つは2014年から提供を始めた「28ULP」だ。

 28ULPは、TSMCがIoT/ウェアラブル向けと銘打って投入したプロセスだ。プロセッサなら28LPと同じスピードでアクティブ電力が半分、スタンバイ電力は3%になると謳っている。リーク電流を抑えることができるしきい電圧の非常に高いeHTVと性能の高いuLVTなど、しきい電圧の異なるトランジスタのバリエーションが4種と多い。Snapdragon Wearが28ULPを使っているかどうかは、分かっていない。

ウェアラブル/IoT向けにTSMCが開発した28ULP

スマートフォン向けモバイルSoCから下に伸ばす

 Snapdragon Wear 1100の構成は、2014年にARMが低電力のウェアラブル向けSoCのリファレンスとして示した構成によく似ている。ARMが、シングルの低電力CPUコアに、最低機能のグラフィックスの構成だ。低電力のシングルCPUコアや低機能のグラフィックスシステムなどの構成は、現在の高機能スマートフォン時代が始まる前のフィーチャフォン携帯電話向けAPに近い。ただし、オールウェイズオンのセンサハブの統合など、ウェアラブルに特化した機能も備える。

ARMが2014年のARM Techconカンファレンスで示した、低電力向けSoCのリファレンス
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 ウェアラブルのような組み込み用途は、ちょうどAPとMCU(Micro-Controller)の狭間の領域にある。MCUは、Cortex-Mファミリなどの低電力低パフォーマンス低コストのプロセッサコアに、ワーキングメモリとストレージメモリを内蔵したワンチップ構成が一般的だ。

 組み込み用途は、本来はMCUの領域だった。しかし、今後のスマートなウェアラブルデバイスは、MCUではカバーできない、より高機能なCPUとOSを必要としている。だが、スマートフォン向けのSoCは、高性能化し過ぎたことで、エントリーレベルのウェアラブルデバイスにはオーバーキルなチップとなってしまっている。Snapdragon Wear 1100は、そのギャップを埋める試みとも言える。

 ウェアラブルに必要な機能に絞り込んだSnapdragon Wear 1100は、スマートフォン向けSoCに近いSnapdragon Wear 2100とは大きく異なる。Snapdragon Wear 2100は、低コストで低電力のウェアラブルデバイスに対応はできないが、Snapdragon Wear 1100は、より広い市場に対応はできるサイズと電力とコストとなっている。実際には、Snapdragon Wear 1100と類似のチップを数社が開発しており、今後は1つの流れとなりそうだ。

MCUとMPUの間の埋まらないギャップ

 ただし、Snapdragon Wear 1100のようなタイプのソリューションの成功への道筋は、まだ明瞭ではない。そこには、現在のエントリーレベルウェアラブル向けチップの限界も示されているからだ。それは、MCU/MPUのギャップと、ウェアラブル/IoT(The Internet of Things)向け通信規格だ。これらの壁のために、現状では、低コスト低電力に振ることに限界がある。

 Qualcommは、Snapdragon Wear 1100の最初のアプリケーションとしてキッズウォッチをフィーチャしている。キッズウォッチは、子どもに持たせて、親が子どもの位置をトラックし、子どもといつでも通話が可能で、子ども同士もコミュニケーションができる、そんなデバイスだ。子どもに持たせるため、長バッテリライフで低価格、WAN通信が必要であるため、Snapdragon Wear 1100にはうってつけのターゲットとなっている。逆を言えば、それ以外の市場は、Snapdragon Wear 1100でも大きく掘り起こすことは、それなりに難しい。

 現在のチップ設計では、組み込み向けの低コスト低電力のMCUと、Snapdragon WearのようなAPタイプのモバイルSoCのようなMPU搭載製品の間にギャップが空いている。コストと消費電力、性能のギャップだ。MCUは低コスト低電力だが、メモリ量などの制約のためにAndroidなどのリッチOSを走らせることは難しい。一方、MPUを載せたSoCは、リッチOSを走らせることができるが、外付けメモリを必要とするため、コストと電力の削減に限界がある。

 「メモリ技術に注目して見ると、Cortex-MシリーズなどのMCU製品は、外付けのDRAMが不要で低電力でコストが安い。しかし、問題はAndroidなどのOSを走らせることができない点だ。そのためには、外付けのDRAMが必要となり、それはコストを上げバッテリライフを短縮してしまう」とARMのJames Bruce氏(Director of Mobile Solutions,ARM)は指摘する。

現状ではMCUとMPU搭載製品の間には機能とコスト、電力に大きな差がある
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ARMの製品ラインも2方向に分かれている
同じウェアラブルチップでも低電力低コストに特化したMCUは異なる設計となる
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 Snapdragon Wearは、アプリケーションプロセッサ型のチップを低電力低コストに持ってきた。しかし、依然として外付けメモリを必要としている。そのため、内蔵メモリで単体チップで成り立つMCUとは、未だに電力とコストに大きな差がある。この問題は、組み込みに適した新しい不揮発性メモリ技術が浸透するまでは解決しない。

大容量で組み込みに適した不揮発性メモリが浸透するとギャップが埋まる
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 また、通信規格では、IoT向けには複数の規格が策定されており、いずれも超低電力を目指している。IoT/ウェアラブル市場を巨大に育てるためには、その市場に最適化した通信規格が必要とされている。この通信規格の部分がまだ確定していないのも現状の難点だ。そのため、真にウェアラブルタイプのデバイスが急発展するには、まだしばらく時間がかかるりそうだ。