元麻布春男の週刊PCホットライン

アプリケーション流通の現状とこれからの課題



●パッケージアプリケーションは死んだ

 「パッケージアプリケーションは死んだ」これは10年ほど前、筆者が米国に行った際に良く言われていたことだ。PC用アプリケーションソフトウェア流通の主力だったパッケージ流通がダメになってしまったことを嘆く言葉であり、当時の量販店のPC用ソフトウェア売り場の棚は、新旧の発売時期がバラバラなアプリケーションが雑多に並ぶ、死んだ状態であることが多かった。タイトルは一応ジャンル別に並んでいるのだが、新作の隣に5年前のアプリケーションが並んでいるという状態で、製品が動いていない(売れていない)ことを如実に示していた。

 残念ながら、その後生き返ったという話を聞くことはなく、ソフトウェアのパッケージ流通が衰退するのと歩調を合わせるかのように、PC量販店チェーンが潰れていった。Computer CityやComp USAは、一時はカテゴリーキラーとも呼ばれたPC専門の量販店だったが、すでになくなって久しい。かろうじて生き残ったのは、Best BuyやFry'sといったPCも扱う総合家電量販店チェーンだ。

 当時のアプリケーションは、購入してインストールし、設定するだけでも一苦労で、使いこなすとなると、一般の人には相当に大変だった。対面販売で購入し、分からないことがあったらお店の人に相談する、という購買モデルを半ば必要としていた。また、そうやって再来店したユーザーが、ついでに周辺機器を購入したり、PCの買い換えを相談したりという形で、お店の売り上げを支えてもいた。そうやってエコシステムは回っていたわけだ。しかし、このパッケージソフト(アプリケーション)を中核としたエコシステムも、20世紀の終わりとともに終焉を迎えた。

 幸いなことにわが国では、「死んだ」と呼ばれるほどにはパッケージ流通は衰退していない。それでもLaox The Computer館の閉鎖、T-Zoneの消滅、PC専門店のグループ化など、PC専門店を取り巻く環境は大きく変わった。ソフトウェアの棚を見ても低価格パッケージが増えたし、かつてはPC量販店の1階を占めた関連書籍/雑誌のコーナーが移動や縮小を余儀なくされている。解説書を読まなければ使えないようなアプリケーションは、もう流行らないのである。

 パッケージ流通が廃れた、少なくとも下り坂になった後、PC業界は代わりになるエコシステムを見つけられないできた。あるいは見つけるための真剣な努力をどれくらいしてきただろう。これは業界全体の問題であり、1社にその責任を押しつけるのは間違っているのだが、やはりソフトウェア業界のトップ企業であるMicrosoftの責任は大きいのではないかと思う。パッケージ流通の衰退が言われた20世紀末、Microsoftは企業向けのソフトウェアに軸足を移し、コンシューマー/リテール市場に以前ほど注意を払わなくなった。その影響は決して小さくないハズだ。

●iPhone最大の革新はAppStore

 ここ2年ほど、急速に注目を集めるようになったのがスマートフォンであり、それと同じソフトウェア基盤を活用するタブレットだ。が、スマートフォンが誕生したのは、この2~3年の話ではない。埋もれていたものが、現在のようにスマートフォンに注目を集めるきっかけを作ったのは、間違いなくAppleのiPhoneだ。

 iPhoneの革新はさまざまあるが、おそらく最大のものは、AppStoreを中心としたソフトウェア流通のエコシステムを独自に構築したことにあると筆者は思っている。公開されたAPIにより誰もがアプリケーションを作成可能で、それをオンラインのマーケットスペースで販売することができる。それぞれのアプリケーション(App)は、機能的には限られていても、分かりやすく使いやすいから、事実上マニュアルも要らない。アップデートも自動的に通知され、ワンタッチだ。

 寡聞にして、かつてのPCソフトウェアの隆盛時と異なり、iPhone用のアプリで株式の公開にたどり着いた企業を筆者は知らない。また、現在アプリを販売している企業の中から、MicrosoftやOracleに匹敵するような規模の会社が生まれてくる可能性があるのかどうかも分からない。だが、それでもパッケージ流通が輝きを失った後、初めて登場した代替のエコシステムが、AppStoreに代表されるオンライン・マーケットスペースだ。

 アプリケーションソフトのオンライン販売が、PCソフトウェアの世界になかったわけではない。むしろ歴史が古いのはPCソフトウェアの方だ。しかし、PCソフトウェアのオンライン販売は、中身的にはパッケージと同じか、パッケージの劣化版(旧バージョン、機能省略版)であることが多く、面倒なインストール作業を行なわねばならないのはもちろん、多くの場合ソフトウェアを最新状態に保つには、ユーザーが注意を払う必要がある。

 流通コストの高いパッケージ版と共通のバイナリをベースにしていては、価格がどうしても高くなるし、高価格に見合うだけの価値を生み出すために、多機能化と複雑化が避けられなくなる。そして多機能を実現するために、また価格が高くなる。結局は、この悪循環が一般向けPCソフトウェアの首を絞めていったような気がしてならない。

 そういう意味において、スマートフォンのオンライン・マーケットスペースは、ソフトウェアのパッケージ流通に対するアンチテーゼとなっている。単に流通コストのかからないオンライン販売を行っているだけでなく、機能を絞って直感的に利用できるアプリ、それにより3G回線でもダウンロード可能なサイズの実現、インストールやアップデートの自動化など、新生代スマートフォンの成功にアプリとオンライン・マーケットスペースによるエコシステムは不可欠だった。

 このスマートフォンでの成功を見て、ソフトウェアのオンライン販売で先行していたパーソナルコンピューター向けのソフトウェア販売でも、オンライン・マーケットスペースを導入しようという動きが出てきている。

 すでにAppleはMac向けにMac AppStoreを展開しているし、Microsoftは2012年の発売ともいわれるWindows 8において、同様のオンライン・マーケットスペースを展開するとも言われている。写真1はIntelダグ・デイビス副社長のキーノートにあった言葉だが、まさにアプリがわれわれを変えていく(Apps Transforming Us)というわけだ。

【図1】Appleはオンライン・マーケットスペースのMacプラットフォーム上での展開を開始した【写真1】スマートフォン/タブレットでカギを握るのはアプリとそれを取り巻くエコシステム

 今回のIDFでIntelは、Atomベースのプラットフォーム(Windows 7とMeeGo)に対して、オンライン・マーケットスペースであるAppUpセンターを、中国で立ち上げると発表した。共同で中国にInovation Center for Mobile Computingを摂理するTencentが、AppUpセンターでも協力するとしている。Tencentは、オンラインゲームやSNS事業を展開する中国最大のインターネット企業だという。

 すでに欧米ではサービスを開始しているAppUpセンターだが、半導体企業であるIntelが、自社のプラットフォーム向けであるとはいえ、アプリケーションのオンライン・マーケットスペースまで展開するのだから、その重要性は十分認識しているわけだ。問題は、その位置づけで、IntelはAppUpセンターを営利事業ではなく、デベロッパー向けのサービスであるとしている点にある。

 言うまでもなく、オンライン・マーケットスペースの最大のターゲットは一般コンシューマーであり、プラットフォームを成功させるには、このターゲットを踏まえてエコシステムを構築する必要がある。もちろんエコシステムを築くには、事業としてオンライン・マーケットスペースを展開する必要がある。現在のAppUpセンターでは、その条件を満たすことはできない。

【写真2】2011年にAppUpセンターが中国でスタート【写真3】Intelのリネイ・ジェームス上席副社長(左)とTencentでチーフアーキテクトを務めるSteve Zheng副社長(右)

 AppleのiTunes Store/AppStoreが本当に凄いのは、アカウントの作成や支払いに必要なお金をプリペイドカードとして全国のコンビニで購入することができる点だ。東京であろうと地方であろうと、大人だろうが学生だろうが、コンビニにいってプリペイドカードさえ購入すれば、オンライン・マーケットスペースを利用することができる。IntelやGoogleに、コンビニでプリペイドカードを売るところまで踏み込む気構えはあるのだろうか。あるいはコンシューマー向けのオンライン・マーケットスペースをプラットフォームベンダではなく、キャリアや端末メーカー任せにして大丈夫なのか、マーケットが細分化される恐れはないのか、その答えが出るのはまだこれからだ。

 スマートフォン/タブレットの市場は、これからが本格的な普及期。アプリも無料版が中心で、支払いやアカウントの問題はあまり大きな関心を集めてはいない。しかし、将来的にこの市場が大きく育つには、開発者が収益を上げ、それが高品質なアプリとしてユーザーにフィードバックされる好循環を築く必要がある。現時点で最もそれに近いポジションにあるのはAppleで間違いないが、勝負はまだ始まったばかりだ。