大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

日本初公開、Microsoft「エリア51」取材記

〜宇宙空間レベルの静音設備もあるハードウェアラボ

ハードウェアラボが入居する87号棟

 米ワシントン州シアトル近郊のレドモンドにあるMicrosoft本社キャンパス内には、ハードウェアラボがある。Surfaceを始めとする同社ブランドのハードウェア製品の開発に向けた各種研究のほか、製品化前の技術評価などを行なっている施設だ。

 初期生産した500台のハードウェアの検証もここで行なわれている。米本社キャンパスの中の比較的はずれにある89号棟に、ハードウェアラボはあるが、「Microsoftのエリア51と呼ばれている」と言われるように、ハードウェア開発に関する機密情報や各種ノウハウがここに集約されており、同ラボで働く社員は、スマートフォンをロッカーに入れてから入室することが定められるほど、セキュリティ対策は厳重だ。今回の取材でも、残念ながら内部の写真撮影は禁止された。ハードウェアラボでは、どんなことが行なわれているのか。その様子をレポートする。

入口の様子。セキュリティ対策が厳しい施設だ

ハードウェア開発の各種ノウハウを集約

 ハードウェアラボは、SurfaceやMicrosoft Bandなどの同社ハードウェア製品の開発に向けた研究が行なわれている施設だ。

 かつてはキャンパス内の20カ所に分かれてていたハードウェア関連施設を集約。ハードウェアに関する新たな技術を検証し、それらの技術を、設計および開発に反映する役割を担う。マイクロソフトが、優れたハードウェア製品を投入することができるのは、このラボの存在抜きには語れない。実際に、ここでは、ハードウェアに搭載されるさまざまな素材や部品、技術を評価し、プロトタイプの生産まで行なっている。SurfaceシリーズやMicrosoft Bandなどの誕生の地であるといってもいいだろう。また、HoloLensは、92号館の地下フロアで開発が行なわれたというが、89号館のハードウェアラボが蓄積したノウハウも、その開発を下支えしてきた。

 今回取材することができたのは、ハードウェアラボの中にあるアプライドサイエンス(応用化学)ラボ、オーディオラボ、ビデオラボ、ヒューマンファクタリングラボなどである。

キーボードの素材評価やペンの感度などを検証

 最初に訪れたアプライドサイエンスラボは、タッチパネルやセンサーなどの精度を高めたり、小型、軽量化に向けた新たな材料の選定などを行なうラボだ。隣接するマテリアルサイエンスラボと連携しながら、3〜5年先に実用化する素材技術の評価なども行なっている。

 例えば、Surface Pro 4のキーボードは、水を弾く素材を採用しているが、こうしたキーボードの表面加工に関する評価はここで行なわれる。エンジニアは、「水を弾く素材を採用しながら、触り心地を損なわないものを採用。さらに、長年使用した際の素材への疲弊の影響なども評価している」と説明する。このように、Surface特有のキーボードの開発には、独自の評価基準を用いて、さまざまな角度から検証を行い、その成果を反映しているというわけだ。

 さらにここでは、Surfaceペンやタッチセンサーなどの評価も行なわれる。力を入れて書いた場合のペン先の筆圧感知、傾斜角度によって書き味が異なる状況を生み出すセンサーの評価、さらにはペンの太さや色を変えるソフトウェアの評価も行なう。紙にペンで書くような入力感覚を実現するために、ペンに軽い振動を発生する機能を入れるといった技術もここで研究されている。

 中でも、Surfaceのペン入力のスムーズさを実現しているのが、遅延のない入力環境だ。

 「ペンで押したり、タッチしたりした場合の遅延は、それほど気にならない。だが文字を書くように、画面をなぞると遅延が発生しやすい。10ms以上になると遅れが気になるが、8msの速度を実現すれば遅延を感じずに滑らかなペン入力が可能になる。Surfaceは、ペン入力が重要な差別化技術になっている。紙にペンで書くような環境を実現することを目指している」とする。

 また、アプライドサイエンスラボでは、新たな素材や技術の開発にも取り組んでいる。ここでは、タッチパッドの上に指をかざすだけで、画面上に表示されるコンテンツを操作するといった技術や、ワイヤー上の銅を編み込んだ素材やゴムのように伸びる素材を活用して、タッチセンサーを作り上げ、小型、軽量に繋げるといった研究も行なっている。最先端の技術の1つとして紹介したのが、プラスチック素材を酸化させ、薄いトランジスタを形成する技術。これを使うことで、近い将来は、洋服などに違和感なくセンサーを組み込むといった使い方が可能になるという。

ハードウェアラボの成果が反映されたSurfaceシリーズ
Microsoft Bandもハードウェアラボの成果を活用している

宇宙空間レベルの静音性を実現する設備も

 2つ目のオーディオラボでは、Surfaceから発生する音に関しての検証、評価を行なう施設となっている。

 建物の中央部分に、5m四方の無響音室を設置し、そこで、音に関するさまざまな評価を行なうことになる。

 室内は音が反響しない状況を作り上げるとともに、外のノイズが入り込まないように、部屋の周りは厳重にコンクリートで固め、壁の構造はほかの部屋とは独立したものにしている。検査施設には、空調設備のノイズや照明のノイズも入り込まないような配慮も行なっている。

 「マイナス23dbという宇宙空間レベルの静かな環境まで実現できる」という。

 この大型無響音室のほかにも、16個のチャンバーを設置し、さまざまな研究を行なっている。

 そのうちの1つであるリスニングームでは、Skypeを屋外で利用する際に、マイクがしっかりと音を拾うか、スピーカーから音がしっかりと聞こえるかといったことを検証。実験に使用する際に発する周辺の騒音については、独自のアルゴリズムをもとにして再現できる環境を構築しており、さまざまな利用シーンを想定した実験が可能だ。

Surfaceのカメラ機能を徹底追求する施設も

 3つ目は、ビデオラボである。

 ここでは、Surfaceに内蔵されたカメラで撮影した映像が、最適な色になるようなチューニングが行なわれている。同ラボ内に設置された「HAWKS BOX」は、Surfaceを固定することができる専用の評価設備で、LED照明を配置し、PCからのコントロールによって、照明の明るさを柔軟に変更することができる。これにより、照度や色温度を変えることで日中や朝方を再現した環境での撮影実験を可能としている。専用のテストチャートを用いて評価することが可能で、この設備だけで830種類のデータを取得し、画像の質を評価することができるという。

 BOXという名称からも分かるように、Surfaceが1台設置できるだけの小さなものだがその機能は多岐に渡っている。

 ちなみに、HAWKS BOXの名称の由来は、シアトルのアメリカンアットボールチームであるシアトル・シーホークスにかけたもので、技術者は、同チームが、2013年にスーパーボウルで優勝したことを記念して名付けたと笑う。ちなみにシーホークスのオーナーは、Microsoftの創業者であるポール・アレン氏だ。

 また、スペクトラムライトブースと呼ばれるスペースも用意している。ここは、さまざまな撮影用素材を用意し、ハロゲンライトによる照明を使用することで、屋外で撮影するのと同じシーンを再現し、検証できるという。とくにこの時期のシアトルは雨が多く、晴れ間が出ても、すぐに雨が降るという状況が繰り返される。屋外でのテストには不適切な土地柄ともいえ、こうした屋外を再現するブースの存在は不可欠だ。ブースの中央には「ハンクくん」と呼ぶ、上半身だけのマネキンが用意され、左右に動いて人の動きを再現する。動きがある人の撮影にも最適化したチューニングがここで行なわれることになる。

 もちろん、ここでは競合製品との比較評価も行なっているほか、中国の生産ラインで製造された製品も、初期ロットに関しては画質の評価を行なっているという。

 現在、ビデオラボには6人のエンジニアが勤務しているが、エンジニアそれぞれの意見を反映するだけでなく、実際にユーザーを招いて、画質に対する評価を行なってもらうといった作業も行なっている。さらに、オンラインツールを活用した調査も随時実施し、これを製品化に反映させているという。

3Dブリンタなどを活用してプロトタイプを生産

 ハードウェアラボの中には、プロトタイプを製造するための施設も用意されている。

 このエリアでは、大型の3Dプリンタが用意され、インダストリアルデザイン部門からデータを入手し、すぐにモックアップを完成させることができる。Surfaceであれば、約6〜8時間でモックアップを作ることができることから、午後4時までにデータを手に入れれば、セッテイング作業を含めて、翌朝にはモックアップが完成するといった仕組みだ。形状が複雑なHoloLensでも、約20時間でモックアップを完成することができる。これによって、実際に手でもった場合にはどんな感じなのか、装着した場合にはどんな感じになるのかといったことが確認できる。

 さらにレーザーカッターを使用して、さまざまな素材を作り上げたり、Surfaceのキーボードに使用する100種類近い素材を用意して、それをモックアップにプレス加工するといった部屋も用意されている。

 そして、プロトタイプを作るために、切削加工などを行なうことができる機器を25台も配備していることにも驚いた。このエリアに踏み込むと、まさに量産設備のような規模であることを感じざるを得なかった。

HoloLensが開発されていたとされる92号棟
HoloLensは3月30日から米国で開発者向けに提供を開始する

独自の研究を行なうヒューマンファクタリングラボ

 ハードウェアラボの中でもユニークな施設が、ヒューマンファクタリングラボである。

 一般的にはエルゴノミクスという言葉が使用されるような領域の研究を行なっているが、「エルゴノミクスというのは身体そのものにフォーカスしたものであるのに対して、ヒューマンファクタリングとは、身体だけでなく、視覚や聴覚、あるいは感情や脳の動きといったことまで捉えて、これを製品に反映することを目指している」と位置付ける。

 ヒューマンファクタリングラボの中には、身体の大きさなどを測定するためのさまざまなツールが用意されているほか、それぞれのデバイスの利用シーンを想定した検証を行なうためにソファなどが用意されているのもユニークだ。Xboxをプレイする際に、ソファに寝転がりながらコントローラを操作するとどんな影響があるのか、長時間立ったままでSurfaceを利用した際にはどんな影響があるのかといったことも検証している。ここでは、モーションキャプチャーが使用されており、人の動きをデータ化し、分析を行なうことになる。

 同ラボの中でも異彩を放つのが、中央に設置された黒い大型のブースだ。同ラボでは、「ダースベーダー」との名称が与えられているが、人の背丈以上の大きさがあり、光沢の黒い塗装はまさにダースベーダーを彷彿とさせる。約2カ月前に導入された、この「ダースベーダー」は、人が中に入り、36台のカメラを使って、人の頭の形状をスキャンし、デジタルデータ化する設備だ。従来の設備では1人の頭の形状をスキャンして、データ化するまでに8時間を要したが、新たな設備ではそれが2時間で行なえる。この設備を使って、数多くの頭の形状をデジタルデータとして収集。データ化したものは、画面上でさまざまなシミュレーションを行ったり、場合によっては、モックアップを作成して実際に製品を取り付けてみるといったことも行なわれる。

 多くの読者は気が付いていると思うが、これは、Microsoftが開発中のHoloLensのために導入したものだ。

 「人の頭のサイズや形状はさまざま。さらに、額が大きかったり、額が狭かったりといった差もある。さまざまなデータを分析し、これを設計に反映することで、HoloLensでは、全世界の約9割の人が、違和感なく装着できるデザインを実現することができた」という。

 同様の取り組みは、Microsoft Bandでも行なわれている。

 数年前から、あらゆる人の手首をスキャンし、これをデータ化。手首部分のモックアップを作って、Microsoft Bandのプロトタイプを実際に装着させて、最適な形状を追求していった。「手首の形状は全ての人が異なるというぐらいにさまざまな形状がある。そこで、とくかく多くの人の手首の形状をデータ化し、全ての人が使えるデザインは何かといったことを求めた」とする。

 ヒューマンファクタリングラボの中には、手首や頭のモックアップがいくつも置かれており、それを見ただけでも、手首や頭の大きさや形状はさまざまであることが分かる。

 一方で、最適なキーボードやマウスを作り上げるために、ユニークな実験も行なっている。筋肉の収縮が分かるセンサーを取り付けて、キーボードやマウスを操作した時に、筋肉がどう動いているのかといったデータのほか、緊張度や疲労度、筋肉への影響といったことも検証しているのだ。キーをどの程度の力で押すと、筋肉への負担が少ないのかということを導きだし、それに最適化したキーボードづくりも進めているという。

 そのほかにも、目の動きを捉えたり、人の発音を捉えたりといったことも、ヒューマンファクタリングラボでは先進的に取り組んでおり、これらのデータも、Surfaceをはじめとする同社のハードウェア製品のモノづくりに生かされている。

マイクロソフトの「エリア51」

 ハードウェアラボが、日本のメディアに公開されたのは今回が初めてのことである。

 そして、今回公開されたのはその全容の一部であるといえる。

 だが、その一部を見ただけでも、ハードウェアメーカーとしてのMicrosoftが、独自の視点で研究を行ない、ノウハウを蓄積。徹底した検証と評価を行ない、その成果をモノづくりへと繋げていることを感じることができた。

 広大な本社キャンパスの中においても、ハードウェアラボはMicrosoftらしくない施設と言えるかもしれない。それは、その多くがソフトウェアに関する施設であることに対する異質性なのかもしれないが、これまで取材をしたPCハードウェアメーカーのものと比べても、規模は大きく、そして、独自の研究を行なっている点には驚いた。

 Surfaceというユニークな形状のデバイスが生まれ、さらにMicrosoft BandやHoloLensなどといった新たなハードウェア製品群にも果敢に挑戦できる背景には、このハードウェアラボの存在が見逃せないのは確かだ。

 エリア51とは、米空軍が所有する基地で、さまざまな極秘情報が蓄積されているとも言われる場所だ。ハードウェアラボは、まさに、Microsoftにとって、「エリア51」と言える存在なのだろう。

(大河原 克行)