大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」
Microsoftにベンチャー精神は残っているのか?
~ナデラCEOが強力に支援するGarageプロジェクトとは
(2016/4/7 06:00)
Microsoftには、「Garageプロジェクト」という取り組みがある。2009年にスタートしたこのプロジェクトは、勤務時間以外を利用しながら、社員が興味を持ったアイデアを実現することを支援するものだ。完成したアプリやサービスは、マーケットプレイスで公開。ユーザーのフィードバックを得て改良を加えることになる。一部には実際の製品やサービスに反映されるものもある。いわば、全世界で約12万人の従業員を抱える大企業となった同社の中に、ベンチャー精神を息づかせるための取り組みだといっても良いだろう。MicrosoftのGarageプロジェクトを追ってみた。
本社27号棟にあるGarageプロジェクトの拠点
米ワシンシン州シアトル近郊のレドモンドにある米Microsoft本社キャンパス。世界最大の本社とも称されるこのエリアには、約42,000人の社員が勤務。本社エリア内には、125の棟がある。
その125棟の中で、27号棟はちょっと変わった施設となっている。
27号棟を入って左側には、「MAKER GARAGE」と呼ぶエリアが用意されている。セキュリティカードで管理されたエリアを入ると、さまざまな道具が用意されている。ドライバーやハンマー、ハンダごてといった工具のほか、オシロスコープや3Dプリンタなどの最新機器がある。取材に訪れた際も、2人組の男性が室内のディスプレイに向かって、デザインの打ち合わせをしていた。ここは入室が許可されたメンバーであれば、24時間365日使用することができる。
一方、入口から右側に向かうと、オープンスペースが用意されている。大きく「GARAGE」と書かれたドアは全開にすることが可能で、手前にあるセルフキッチンコーナーと合わせると、かなりの大きさのオープンスペースを確保できる。立ち見であれば、200人以上は収容できるだろう。この場を使って、ハッカソンを行なうこともあるという。
「GARAGEという大きなステッカーを貼ったのは、ガラスがあることに気がつかず、頭をぶつけた社員がいたから」と、冗談を交えながらこの施設に迎えてくれたのは、米Microsoft The Garage担当のEd Esseyシニアプログラムマネージャーだ。
「アイデアがあっても、Microsoftという組織でそれを実現するためには、その背後に必ずビジネスプランが必要であった。しかも、Microsoftという企業規模を考えれば、一定規模の成果が期待されることになる。それでは、多くのアイデアが埋もれたままになってしまう。だが、多くのベンチャー企業がそうであるように、大規模なビジネスプランを想定しなかったり、ビジネスの成果を抜きに自由な発想を生かすことができる場があれば、アイデアを実現することができるようになる。実験し、学んで、アイデアを生み、それを実現する。Garageプロジェクトは、そうした狙いから誕生したものである」とする。
Garageプロジェクトに参加するメンバーのほとんどがコミュニティとしての参加であり、仕事としてこのプロジェクトに従事しているのは、コミュニティを運営するための社員に限定される。そして、Garageプロジェクトの資金の多くは、このプロジェクトをサポートする事業グループからによるものであり、Garageプロジェクトそのものに大規模な予算措置が取られているということはない。
27号棟は、そうしたGarageプロジェクトに参加している人たちが集まることができ、そこで研究、開発を行なうことができる施設になっているというわけだ。木曜日には、多くのメンバーが集まって、遅くまで一緒に仕事を行なうことが多いという。
自由な発想で開発できる環境
開発に没頭できるような環境を実現していることを象徴するように、オープンスペースにはある機械が設置されていた。これは「Lend-O-Matic」と呼ばれるもので、自動販売機のような形状をしたものだ。実は、ここには、iPhoneやAndroid端末など、さまざまなデバイスやツールが格納されている。
Garageプロジェクトの参加者は、自分の社員カードをかざすと、開発に必要なデバイスなどをここから自由に借りることができ、それが終わるとそこに返却することが可能だ。必要なデバイスを簡単に利用できる環境を整えている。しかもこの機械も、Garageプロジェクトへの参加者がアイデアの1つとして考案したものだという。
Garageプロジェクトでは、ここで用意されたツールなどを使って、社員が勤務時間以外を利用して自分が持っているアイデアを具現化することになる。
対象となるプラットフォームは、Windowsプラットフォームには限定しない。iOS向けでも、Android向けでも、Linuxでもかまわない。そして、アプリの開発だけに留まらず、センサー技術やロボティクス技術を活用したハードウェアでも構わない。むしろ、制限はないといった方が良いかもしれない。
実際、27号棟のMAKER GARAGEの中には、パンチングマシンのようなロボットや、センサーで一瞬蓋が開くもののすぐに閉じてしまう箱、雨を降らせるための実験装置、機械学習とIoTセンサーを使用した水耕栽培システムなどが設置されている。
27号棟にいると、Garageプロジェクトのアイデアは、なんでもありという感じが伝わってくる。
Garageプロジェクトのメンバーは、ほかのメンバーやユーザーとの連携を通じてアイデアを試し、事業グループに先行する形で作業を進めるといったこともあるという。
米MicrosoftのChristina Chenゼネラルマネージャーは、「かつては、2~3年かけてソフトウェアを開発していたが、今はソフトウェアを作りたいと思えば、すぐに作ることができる。また何回も変更ができ、毎週アップデートすることもできる。だが、そのためには、ユーザーと双方向の環境がなくてはならない。それにより、独りよがりではないものが開発できる。ソフトウェア開発者にとって、より満足ができるソフトウェアを開発できる時代になってきた」と前置きし、「そのためには、より柔軟な開発プロジェクト体制が必要である。草の根でアプリを開発したり、さまざまなグループが交わり、さまざまな観点からの知見を取り入れ、一緒になって仕事をしていくことも必要。また、今までの古いやり方を捨て、失敗しても良いということを認めなくてはならない。Garageプロジェクトや、そこで実現されるハッカソンは、失敗しても良いというとこが前提。失敗しても、すぐに変えれば良いと考えている。これが、Microsoft社内にアイデアを実現させてみようという機運を生むことに繋がっている」と指摘する。
また、米MicrosoftのLawrence Ripsherゼネラルマネージャーは、「これまでのアプリ開発は、開発者が『これで正しいのではないか』という手探りの状態で行なってきたが、今ではお客様の声を聞いて、正しいものを作れるようになってきた。エンドユーザーと深い関係を作り、多くの人が共感してくれるものを作ることができる。また、クラウドが登場して、技術的スケールアップを行ないやすい環境になっている点も見逃せない。Garageプロジェクトは、社内外を含めて多くのユーザーからの評価や反応を得られる仕組みを持ったものであり、しかも、当初からクロスプラットフォームを前提としている。それぞれの社員が、自らのアイデアを具現化することに対して、責任をとりながら、挑戦することができる環境が整っている」などと述べた。
Garageプロジェクトから誕生したアプリとは?
Garageプロジェクトでは、既にいくつかのアプリやサービスが公開されている。
最近の成果として注目を集めているのが、「Hub Keyboard」である。
Androidで利用できるアプリで、複数のアプリを利用する際などに簡便な操作を実現するものだ。Google Playから無料で入手できる。
キーボード上の統一された簡単な操作環境から、コピーおよびペーストの作業、文書検索、情報共有、メッセージの翻訳などが可能になるもので、Office 365を始めとするアプリで使用することができる。アプリを切り替えなくても、Hub Keyboard上からさまざまな操作ができるのが特徴だ。
2015年3月に、シニアデザイナーであるSteven Won氏の個人的な取り組みとして開発が始まったHub Keyboardは、それに賛同した7人のメンバーたちと一緒に、Garageプロジェクトの1つとして本格的な開発がスタートした。
ユーザー調査を行ない、その成果を反映する一方、社内のイベントでこの内容を発表し、社内から資金を獲得するための提案活動や、ハッカソンを通じた取り組み、また製品テストなども行ない、公開へと繋げた。公開後も利用者からのフィードバックを得て、改良を加えているという。
Wonシニアデザイナーは、「Hub KeyBoadの開発において興味深いのは、開発スタートから完成に至るまで、全てをデザインがリードして開発したプロジェクトだったという点。これは、大企業においても、草の根型の開発をもとに、技術革新を起こせることを示したものだと言える。ほかのプロジェクトを促進する動きに繋がる」とする。
2つ目が、「Mimicker Alarm」というアプリだ。
これは、Microsoft Researchで取り組んでいる、言語APIを提供する「Project Oxford」と連動したものであり、目覚まし時計アプリの1つとして開発した。
Mimicker Alarmにより、朝、指定した時間にスマートフォンのアラームが鳴ると、それを止めるためには、指定された表情をするか、指定された色のものを写真に撮影するか、指定された早口言葉を喋るかといった作業をしなくてはならない。30秒以内にゲームを完了できない場合には2度寝したと判断され、再びアラームが鳴る。これは、画像認識技術や音声認識技術の活用により実現しているアプリの1つに位置付けられている。
3つ目は、手書きメモアプリの「Plumbago」である。これはWindows 10および8.1で利用できるもので、Microsoft Storeから無料でダウンロードできる。
デジタルデバイスにおいても、手書きと同じような使い勝手を実現することを目指したもので、ペンの太さや色、あるいはペンの種類を自由に選んで、手書きで文字を入力したり、イラストを書いたり、色を塗ったりできる。25ページ分を一冊のノートとして定義し、それらのページを一度に表示したり、管理するといったことが可能だ。
デジタルデバイスでも、手書きを重視したいという利用者には最適なアプリの1つだといえよう。現時点では、日本語には対応していない。
そのほかにも、Surfaceを取り付けて、縦や横に回転させて利用することができる台座もGarageプロジェクトで開発されたという。これは、Garageプロジェクトに参加しているメンバーが、さまざまな工具を使いながら、わずか3日間で完成させたもので、デザイン部門のバイスプレジデントがこれを見て「事業チームには50人の産業デザイナーが在籍していながら、気がつくことができなかったもの」と、目を丸くしたという。
こうした自由な発想をもとに、さまざまなものが開発されているのが、Garageプロジェクトというわけだ。
口先だけではなく、アイデアを実現する
「Garageプロジェクトのモットーは、doers. not talkers.」だと、米MicrosoftのThe Garage担当のEd Esseyシニアプログラムマネージャーは語る。口先だけの提案でなく、アイデアを現実のものにするのが、Garageプロジェクトの基本姿勢というわけだ。
現在、45の領域において、約1万人以上がGarageプロジェクトに参加しており、過去16カ月間に、ちょうど50個のプロダクトがリリースされたという。
そして、Garageプロジェクトには、2本の柱があるという。
1つは、ハッカソンに代表されるハッキングの文化。これは、会社全体のマインドを変えることに繋がるという。そして、もう1つは、小さな規模でプロジェクトを動かすことだという。これは、エンジニアが勇気を持って挑戦することに繋がるという。
Esseyシニアプログラムマネージャーは、「2014年にGarageプロジェクトが開催したハッカソンには、全世界から13,000人が参加した。これは事件と言えるものだ。ハッカソンによって、多様性を活かした進化が見られ、過去にないほどの盛り上がりを見せた」とする。
そして、このGarageプロジェクトは、米Microsoftのサティア・ナデラCEOが強力に支援している点が見逃せない。ナデラCEOは、CEO就任前に、Garageプロジェクトで推進されていた燃料関連のプロジェクトを支援。ナデラCEO自身がエンジニア出身であることも、このプロジェクトに注目している理由の1つといえるだろう。
ナデラCEOは、CEO就任後にも27号棟を訪れ、オープンスペースを利用してタウンミーティングを開いたことがある。
そこでは次のように語っている。
「私たちは変化が激しい業界で働いているが、その中でいかに競争力を維持するか、そのためにどう進化させるかを考える必要がある。Garageプロジェクトは、実験から学び、Microsoftが足りない部分を補完する役割を果たす場所であり、革新的なアイデアを実現することに取り組むことができる場となっている。そこに参加する人たちの情熱に期待している。そして、ここで得た経験を、自分のグループに戻って、Microsoft全体に広く影響を与え、会社の環境を変えて欲しい」。
このように、ナデラCEOは、Garageプロジェクトが、Microsoftを変えるきっかけになるとの期待を持っている。
Microsoftに変化を及ぼすGarageプロジェクト
本社エリアだけで4万人を抱える大企業のMicrosoftだが、同社の創業時からのベンチャー精神を維持するための場としても、重要な取り組みになるのがGarageプロジェクトであり、それを支えるのが27号棟という場になる。
Esseyシニアプログラムマネージャーは、「Garageプロジェクトは、エンジニアリングに対して明らかな変化を及ぼしている。Garageプロジェクトがエンジニアの成長の源泉になっている」と前置きし、「大企業の中でイノベーションができるのか。スタートアップらしいアイデアが、Microsoftのような大きな会社から出てくるのか。それに対する挑戦でもある」とする。
大企業となったMicrosoftが、ベンチャー精神を失わないための代表的な取り組みが、Garageプロジェクトというわけだ。ここから生まれる成果を見ていれば、Microsoftにベンチャー精神が息づいているのかどうかを推し量ることができると言えそうだ。