山田祥平のRe:config.sys

ジグソーパズルとしてのパーソナルクラウド

 ジグソーパズルの最後のピースがピタリとはまったときの快感……。根性がなくて残念ながらそれを味わったことは1度もなく想像に過ぎないのだが、きっとものすごい充実感があるのだろう。最近ちょっと腑に落ちた概念がある。雲は空に浮かんでいるという、実に単純な話だが、ここに書き留めておきたい。

妥協とガマンのモバイルPC

 PCがいつまでも今の形のままであるはずがない。今の形のPCはそのうちなくなるだろうが、別の形で生き残る。いや、そんなことはない、PCは絶滅し、その他のスマートデバイスにその役割を奪われる。

 この10年くらいの間に、いろんな議論があった。

 とはいうものの、こうして原稿を書いているのはまさにPCそのものであり10年前と同じだ。処理性能は飛躍的に高まってはいるかもしれないが、Windows環境でATOKを使って秀丸で原稿を書きメールで送る。10年前はすでに光ケーブルを引き込んでいたので、通り抜けていくルートも同じだ。引き込み時に設置されたONU(Optical Network Unit)はそれをそのまま未だに使っている。何も変わってはいないのだ。

 PCが暮らしや仕事の中心に当たり前のようにあるようになって、個人的にはすでに30年近くが過ぎているが、常に頭の中にあったのは、デバイスそのものが小さくなってガマンしなければならない部分が増えてしまっても、できるだけメインの環境に相似であってほしいということだった。

 例えばモバイルノートPCは軽くてバッテリで長時間使えることが求められる。そこにはとにかく妥協したくない。でも、その代わりにいろんなガマンを強いられる。小さくてキーボードが打ちにくいとか、画面が小さいとか、タッチパッドが使いにくいといった不満を前提に使ってきた。仕方がないと思ってきた。もちろんノートPCでも、外部ディスプレイを追加したり、マウスやキーボードを接続したりすればデスクトップPCと同じ使い方ができるが、それではモビリティが失われるし、何より、パフォーマンスの点で不満を感じるようになる。だからといってパフォーマンスを確保すれば、今度はバッテリが保たなくなるし、それでも長時間使おうと思えば重いバッテリを追加する必要がある。ACアダプタを持ち歩くにしても、今度は、場所の束縛から逃れられなくなる。それらの損益分岐点を考えながら、ここまでは許せるという観点でモバイルPCを選び、普段と、できるだけ相似になるように環境を整えて使ってきた。

インテリジェントなスクリーン

 OSが稼働していてアプリを使うという点ではAndroidやiOSのスマートフォンやタブレットも立派なPCだ。実は、ここもちょっと前まで、普段遣いのPCと相似になるように工夫を重ねてきた。全プラットフォームに提供されているアプリを優先的に使い、それがないものはWebアプリで代用するといった具合だ。

 一方、宿泊を伴う出張には必ず外部ディスプレイを持って出掛けるようになった。24型ディスプレイをスーツケースに入れて持って行っていたこともある。出張先のホテルで、このサイズのディスプレイを使えると本当に仕事が捗るのだ。これもまた、自宅の仕事場の相似形を、出張先のホテルに再現しようとした結果でもある。

 今もなお、スーツケースの中には13型のHDMIディスプレイ2台とUSB HDMIアダプタが入れっぱなしになっていて、それをノートPCに接続すればいつでも3スクリーンまでのマルチディスプレイ環境が得られるようにしてある。1台のPCが、普段のものの劣化相似形であったとしても、デバイスの追加によって、できるだけ環境を等しくしようとすることで生産性を上げようとしてきたわけだ。

 モバイルPCに外部ディスプレイを接続すると作業領域が増える。1度に見ることができる情報が増えるのはもちろん、ディスプレイからディスプレイへと、コピペをするのも簡単だ。これが1台だと、狭いデスクトップに工夫して複数のウィンドウを表示させたりする必要がある。ウィンドウの背後に隠れたウィンドウに、コピペやドラグ&ドロップするのは、けっこうな手間だ。選択して、ドラッグして、貼り付け先となるアプリをタスクバー上で見つけ、そのボタンの上でポインタを静止させ、ウィンドウが前面に出てくるのを待って……と、文字で説明するのがもどかしいくらいだ。スクリーンがたくさんあればその必要はない。まさに右から左にドラッグするだけでコピペが完了する。

 そんなわけで、例えば今、ぼくは記者会見などの席につくと、たいてい持参したノートPCを開くわけだが、そのデスクトップにはメモのためのOneNote、メールの受信トレイ、そしてTwitterのタイムラインという3つのウィンドウを開く。そしてそれぞれの状況が常時わかるようにしておく。

 これで会見中に新着メールが届いても重要な要件にはすぐに返事ができるし、Twitterには、同じ記者会見に出席しているジャーナリストが実況などをポストした場合、それはそれで参考になる。さらにそれに対するRTで野次馬的な反応も知ることができる。

 これって本当にそれが1番効率的なのかと思い、ノートPCの横にiPadを出してTwitterのタイムラインをストリームで表示させるようにしてみた。また、ポケットの中のスマートフォンも机の上に出し、メールが着信したらすぐに内容を確認できるようにしてみた。いってみれば、イマーシブなスクリーンを3つというイメージだ。

 結果はどうだったか。

 その方がずっと便利でスマートだった……。

 まさにマルチスクリーンなのだが、各デバイスは直接接続されているわけではない。でも、スマートフォンが知らせてくれて、チラリと件名を確認できる新着メールは、ノートPCにもほぼ同時に届いている。必要ならすぐにノートPCを使って返事ができる。Twitterのタイムラインもメモに使っているOneNoteの背後でせっせと更新されている。メールへの返信や、Twitterへのポスト、リツイートはキーボードが装備されたノートPCを使ってすればいい。

デバイス同士はバラバラでもクラウドでつながっている

 デバイス相互が物理的なケーブルで接続されていなくても、すべてのデバイスはクラウドにつながっている。だから、個々のスクリーンに表示される情報は、その見かけは違うかもしれないが、その実体は常に同じものだ。ノートPCとタブレットの両方を携行するのは無駄が多いと思っていたが、インテリジェントなスクリーンを持ち運んでいると思えば、ちょっとだけ納得もできるというものだ。

 そこで気がついたのは大、中、小、さまざまなデバイスを、強引に相似形にしようとすると、それぞれの個性を殺してしまいかねないということだった。これからは、個々のデバイスをジグソーパズルのワンピースのように見立て、丹念に組み立てていくことを考えることにしたほうがいいことに気がついた。

 そこに完成するのは空の上の雲。クラウドだったのだ。

 新しい時代のPCはPersonal Cloud(PC)だったということか。待つまでもなく、すでに形は変わっていたのだ。それならスマートフォンはPhone for Cloudで、タブレットはPad for Cloudとなる。今までのPCはノートにしても一体型にしても十把一絡げで箱、つまり、Pack(age) for Cloudといったところだろうか。

 結局、全部PCだ。

 つまるところは、PhoneもPadもPack(age)も、すべては「P」。ジグソーパズルのワンピースだったということだ。

(山田 祥平)