■山田祥平のRe:config.sys■
TV、PC、パソコンのようなデバイス、そしてタブレットにスマートフォン。少しずつ性格の異なるさまざまなデバイスが互いに領域をクロスしながら市民権を得つつある。まさに、これがIntelの提唱しているコンピュート・コンティニュアムだし、マイクロソフトでいえば3スクリーン戦略だ。これら複数のデバイスは、ぼくらの生活の中に、これからどう根付いていくのだろう。もう1度レジデンシャルについて考えてみたい。
●PCが当たり前にしたログインの概念Windowsは、3.xの頃からマルチユーザーの概念は実装されていて、複数のユーザーが1台のコンピュータを共有する仕組みは提供されていた。でも、ごく一般的に認識されるようになったのは、Windows XP以降ではないだろうか。それでもすでに10年近くの時間が経過している。当初は、パスワードの入力が億劫で、PCを使うのにどうしてそんなめんどうなことをしなければならないのかと疑問に思ったユーザーも少なくなかったと思う。そのために、機能として、パスワードを設定していても、登録されたアカウントが1つだけの場合は、そのパスワード入力なしでもログインできてしまうようなオプションまで用意されていた。
1台のPCを複数のユーザーが共有したのは、ハードウェアがまだまだ高価だったからだ。つまり、空調の効いた部屋に鎮座して、順番にユーザーの持ち込むプログラムを処理していたかつてのメインフレームの世界の事情と何も違わない。
さらに、日本ではスペースの問題もある。PCを家族が1人1人、自分専用のものを持つというのはコストの問題も大きいが、それを設置する場所を確保するのが難しい。日本において、特にノートPCが群を抜いて普及したのは、こうした事情もある。
そして今、PCはかなり安くなった。でも、その反面、セキュリティや個人情報に関する意識は高まった。だから、少なくともPCを持ち出すようなユーザーは、とりあえずWindowsにログオンするためのパスワードを設定するようになったし、ユーザーによってはBIOS等でスタートパスワード、HDDパスワードを設定しているだろう。
ユーザー名とパスワードの組み合わせにより、1台のPCを家族が共有していても、特に意図してハックしない限りは、互いのプライバシーをカジュアルに尊重しながら使っていくことができる。それに、多くのプライバシーはクラウドに移行し、PCの中に極私的情報がギッシリと詰まっているということも少なくなりつつある。
プライバシーのカタマリというと、なんと言っても携帯電話ではないか。いわゆるガラケーでは、その傾向が強い。スマートフォンは多くのファンクションをクラウドにゆだねるが、今のところはGoogleの依存度が高く、さらに、Googleアカウントとの紐付けによって、他のサービスがそのまま使えてしまうので、共有するのが難しい。
●今は、便利を犠牲にしてデバイスを共有スマートフォンではVMWareがLGと協業し、エンタープライズ向けに仮想化技術を使ってスマートフォンのプロファイル切り替えを実現しようとしているという。さっきまでAさんがメールを読み書きしつつ、つぶやいていたデバイスが、特定の操作によって、Bさんの携帯電話に切り替わるわけだ。複数のユーザーで、携帯電話を共有するというのは、ちょっと考えにくいことなのだが、実際にはそうでもない。さらに、これはコンシューマにとっても重要な機能だ。
というのも、冒頭に書いたように、世の中にはPCと携帯電話以外に、多くのデバイスが浸透し始めているからだ。ここまですごくなくてもいいから、SIMを入れ替えればプロファイル情報が切り替わる機能くらいはあってほしいとも思う。デバイスは共有しても、電話番号が割り当てられたSIMを共有することは考えにくいので、十分に実用になるんじゃないだろうか。海外で現地SIMを装着したような場合に、そのSIMをどうするか、SIMグルーピングの概念などを導入することでなんとかなりそうだ。
ちなみに、手元のiPadには、パスワードを設定していない。スリープを解くと、ロック解除画面が現れるのは仕様として仕方がないとしても、パスワードを入れることなくロックを解除できる。その代わり、このiPadではメールを読み書きすることもなければ、Twitterアプリも設定していない。ただ、Apple IDだけは仕方がないので設定している。
こうしておくことで、このiPadは、リビングに転がしておいても、いつでも誰でも自由に使える。また、ちょっとした外出に持ち出されても困らない。仲間と1台のクルマで出掛けても気軽に同乗者に手渡せる。
iPadのようなデバイスは、肌身離さず手元におき、自分専用として、あるときには書斎で、あるときにはリビングで、あるときには寝室で、あるときには出張に携行するといった使い方もあるだろうけれど、もう少しゆるやかなオーナー概念で使われることも想定した方がよさそうだ。以前にも書いたが、これがレジデンシャルデバイスの考え方だ。この記事を書いたのは2010年11月だが、ここにきて、微妙に用途が近い複数のデバイスが大量に一般化することで、こうした考え方を速やかに確立させなければならなくなってきた。
デバイスの種類によっては、ごくたまに使えればいいから、家族のように複数のユーザーで共有したってかまわないものもあるということだ。ぼくの場合はiPadがそうだ。だから誰が使ってもいいように手元のiPadはデバイスとして解放されている。家族に持ち出されることがあっても、永久に独占されるわけではないので困らない。
だからiPadは1台だけあればそれでいい。ただ、2台目以降のiPadを購入しなくてすむ代わりに、自分自身のプライバシーと紐付けられたさまざまな使い方ができない。専用クライアントを使ってメールも読み書きできないし、予定表も使えない。故意にいたずらをされることはないだろうけれど、ぼく以外の操作によって、ぼくの個人アカウントでつぶやかれても困る。
本当なら、iPadにマルチユーザー機能があればいいとも思う。でも、音楽を共有することができるのかとか、アプリケーションはどうするのかといったややこしい問題がたくさんある。ハードウェアベンダーとしては、個人が自分専用のデバイスを個人ごとに買ってくれた方が潤うわけで、なかなかそうは問屋が卸さないということだ。アップルとしてもiPadは1人のユーザーと紐付けられたパーソナルなデバイスだと考えているだろう。
●スマートフォンでもマルチユーザーを期待でも、1つのデバイスを複数のユーザーが使うマルチユーザーの概念は、これからの暮らしの中で重要な考え方になっていくと思う。実際、家族で見るTVがそうだし、iPadのようなデバイスだってそれに近いものがある。
NECはクラウドコミュニケータとして、LifeTouchのようなAndroidOSを使ったデバイスの開発に熱心に取り組んでいるが、最初に出た「Smartia」のようなデバイスでは、家族が1つのデバイスを一緒に楽しむ様子が強調されている。先日発表された「LifeTouch NOTE」も発表会では家族で使う様子がアピールされていた。これは、まさにデジャブで、一家に1台パーソナルコンピューターをと、業界全体が躍起になって叫んでいたころの広告展開を思い出してしまう。
また、パナソニックは、先だって、デジタルメディアプレーヤー「SV-MV100」を発表している。同社では、このデバイスがAndroid端末だとはアピールするつもりはないようだが、実際にはそうだ。しかも、BIGLOBEでのアプリケーション配布も行なわれるという。DIGAで録画した番組を持ち出せるというのがウリのこのデバイス、もし、一家に1台あれば、家族がとっかえひっかえ使うんじゃないだろうか。どうせこのデバイスを持ち出すのなら、ついでにメールも読み書きできれば便利だし、つぶやきたいと思うことだってあるかもしれない。
スマートフォンのように、まさにパーソナルに見えるデバイスだって同様なのだ。今年はタブレットタイプの端末がたくさん出てくるだろうし、場合によっては、その日の気分でスマートフォンを持ち変えるようなこともしてみたいかもしれない。今のガラケーが、端末の持ち替えを一般化できず、待ち受け画面の着せ替えや、イルミネーションの変化、裏蓋の取り替え程度でお茶を濁し、本当は1人に1.2台くらいは売ることができたかもしれないビジネスチャンスを逃してしまったことを反省すれば、スマートフォンで同じ過ちを繰り返さないようにするべきだ。だからこそ、VMWareとLGの取り組みは興味深いし、おそらくはGoogleだってちゃんと考えているに違いない。