山田祥平のRe:config.sys

スマホを使えば使うほどPCが恋しくなる




 昨年(2011年)はスマホ元年といわれる年だったが、そのトレンドは、今年ますます加速して、浸透の年となるだろう。今、思うのは、スマホを使えば使うほど、パーソナルコンピュータのおもしろさ、便利さが見えてくるということだ。

●コンピュータは通信機

 NECがC&C構想のビジョンを示したのは1977年だった。もちろん、そのころは、自分自身がコンピュータと身近な関係にあったわけでもなかったので、コンピュータと通信の融合などと言われても、いったいどういうことなのかピンとこなかった。ちょうど、その年、ぼく自身は大学生で、一般教養の物理の授業をとったらBASICのことを教えられ、一切コンピュータを使わないで、簡単なプログラムを書かされたことを覚えている。

 それから8年経った1985年、すでに自分のコンピュータを手に入れていたぼくは、書店で見つけたパソコン通信のムックを読んで、おぼろげながらコンピュータは実は通信機でもあるんだということを理解した。そして、それによって世界が大きく広がることを、身をもって体験していた。レコードプレーヤーは自分で入手したレコードの再生しかできないけれど、ラジオは通信デバイスとして、無尽蔵に娯楽やニュースなどの情報を入手できる。さらに、コンピュータなら、双方向通信だしオンデマンドだ。だから、自分で情報の発信もできる。その頃にはNECのC&C構想も有名なものになっていて、これは、こういうことだったのかと再認識したものだ。

 その後、1990年前後、システム手帳がブームになった。ファイロファックスなどのバインダー型手帳に、リフィルと呼ばれる好みの用紙を挟み込み、自分オリジナルの手帳が作れるシステムだ。市販のリフィルではあきたらず、当時すでにレーザープリンタが手元にあったので、自分専用のリフィルを作って六穴パンチで穴をあけて挟み込んだりもしていた。そのリフィル作りにもパソコンやワープロソフトは大活躍してくれた。

 少しあとになって1990年以降には、電子手帳のブームもあった。ただ、個人的に電子手帳に深くのめりこむことはなかった。なぜなら、初期の電子手帳は通信機能を持たなかったからだ。当時としては、パソコン通信ができないデバイスはあまり眼中になかった。たとえば、初代ザウルスは1993年にPI-3000として発売され、1994年頃には通信機能も実装されてはいたが、もう、そのころには、モバイル指向のノート型のWindows PCが出ていて、そちらを持ち運んで使っていた。

●みんな実は手帳が欲しかった

 今にして思うと、現在のスマホのブームによって登場している各種のデバイスは、1990年代に、NECやシャープ、ソニーといった日本のベンダーがやりたかったこと、そのものなんじゃないかとも思う。つまるところは早すぎたということだ。しかも、その10年後、2000年代には、携帯電話が浸透し、電子手帳とは別の方向にトレンドが移行した。ドコモが始めたiモードは偉大だったと思うし、コンシューマを取り巻くコミュニケーション環境を一変させたとも思うが、そのトレンドにデバイスがついていけていなかったように思う。タイミング的にちょっと早すぎたのはもったいなかったが、このマーケティングがなければ、今のスマートフォンのトレンドも起こっていないにちがいない。アップルが2007年にiPhoneを出せたのも、iモードがあったからこそだと思うのだ。

 ぼく自身は、いわゆるiモード端末にもあまり熱心ではなかった。iモード端末のフルブラウザを使うくらいなら、さっさとパソコンを取り出して、普通にWindowsでブラウザを使っていた。端末の小さな画面では、一度に表示できる情報量も限られているので、携帯電話用に最適化されたサイトを熱心に見ることもあまりなかった。

 もっともよく使ったのはメールで、メインに使っているメールアドレスに届くメールを、すべてiモードメールアドレス宛に転送して読んでいた。送信や返信が必要な場合は、リモートメールサービスで、Fromがメインメールアドレスになるようにし、自分自身のiモードメールアドレスからメールを送信しないように工夫してきた。こうすることで、自分のキャリアメールアドレスを他人に知られることがなく、メールが届くアドレスを1つに絞り込むことができる。

 今、キャリアメールアドレスは、通信事業者が顧客をつなぎとめる最終兵器ともいえるものだが、単一のデバイスでしか読み書きできないサービスがいつまで現役でいられるかは難しいところだ。

●スマホはPCには追いつけない

 そしてスマホの時代がやってきた。大型化するスクリーンと高解像度化で、スマホのブラウザもそこそこ満足な情報量を表示できるようになった。アプリケーションプラットフォームとしても、それなりに実用に耐える。今のスマホはメインメモリが512MB程度のものが多く、PC並みにアプリを切り替えて使い分けようと思うと、ちょっと足りない感じがするのだが、今後は1GB超を実装したものが増えていくだろうから、あまり心配はしていない。スマホは安くなったからといって古いモデルを購入すると必ず後悔する。トレンドに見合ったスペックを実装していなければ、必ず不便を感じるようになるからだ。

 さすがのぼくも、去年あたりから移動中の利用には、PCよりもスマホを使うことが多くなった。つまり、電車の中で立ったままPCを使うようなことがなくなった。スマホで用が足りることが多くなってきたからであり、その用事も、そこそこ不便なくこなせるようになったからだ。

 ところが、ちょっとややこしいことをやろうとすると、色々ともどかしいことが起こる。たとえば、その典型が文字列のコピー&ペーストだ。iOSでのコピペではあまりいらだちを感じることはないのだが、それでもストレスはある。Android OSでは特にやっかいで、もう少し何とかならないものかと思う。

 複数のタスクの切り替えは、それなりに使えるようになってきた。あのアプリを起動中に、このアプリを呼び出して作業し、元のアプリに戻ってくるような使い方だ。十分にメモリがあれば、待たされる感じもない。だからこそ、コピペの操作がもどかしくなるのだ。

●似ているけれど違う

 複数のデバイスがクラウドによって当たり前のように連携している今、スマホのスクリーンはPCのスクリーンを拡張する、インテリジェントなウィンドウだ。スマホはある意味で、現在のコンピュータの相似デバイスであり、かつて、ノートPCが、据え置き型のデスクトップコンピュータと遜色のない性能を持ち始めたときのことを彷彿とさせる。当時のノートPCは、常に、何かをガマンしなければならなかった。それは今も同じなのだが、PCとスマホでは、もちろんOSも違うし、そこで走るアプリも異なるが、クラウドのおかげでデータオリエンテッドな環境としては、あまり違和感がない。

 WindowsスレートPCが、なかなか市民権を得ないのも、Windowsそのものが、マルチタッチを前提に作られていないのはもちろん、まったく同じアプリを走らせようとしていることに無理があるように思う。それをいさぎよく諦めたのがスマホであり、自分の立ち位置をよく理解しているともいえそうだ。

 ぼくらは、カテゴリの異なるデバイスが、相互につぶしあう光景を見たいわけではない。デバイス相互がうまく連携し、それぞれに欠けている要素を互いに補い合い連携していってほしいと思っている。今のPCとスマホの関係は、そこをうまくやっているんじゃないだろうか。スマホを使えば使うほど、PCが恋しくなるのは、そのあたりの理由も大きい。

 諸説もろもろあるが、今年はPCの存在が再確認される年になるのではないかと思っている。というのも、スマホを使う人が急増し、会社以外ではPCは必要ないと思い込んでいた層が、こぞってPCを求めるようになるだろうからだ。Windows 8も目前だ。使い続けてきたWindows XP PCも、そろそろお払い箱のタイミングだ。必然的にUltrabookも市民権を得るだろう。スマホがPCを殺すのではなく、PCを活かすのだ。

 あけましておめでとうございます。どうか、今年も、このコラムをよろしくお願いします。