■山田祥平のRe:config.sys■
PCレスのトレンドは高まる一方だ。さまざまなデバイスのコンピュータ的能力が向上し、汎用的なコンピュータを使わなくても用が足りるようになってきている。巨人Hewlett-Packardが、絶好調のPC事業を再構築するといったニュースも飛び込んできた。この傾向はこのまま続いていくのだろうか。
●写真を撮ればPCが欲しくなるほんの10年くらい前までは、日常的に写真を撮るような人など、ほんの一握りに過ぎなかった。どこの家庭にもカメラはあったかもしれないが、カレンダーフィルムと言われるくらいで、36枚撮りや24枚撮りのフィルムを現像してプリントすると、正月から花見、夏休み、紅葉、クリスマスまで全部写っているというのも珍しいことではなかった。
カメラ付き携帯電話の普及によって状況は一変した。誰もが日常的にカメラ機能を携帯し、何かがあれば、喜び、驚き、悲しみ、楽しさをその場で写す。そして今は、その写した結果の一部は、ほぼ瞬時にSNSに送られ、不特定多数を含む仲間とシェアされるようになっている。
あるデジタルカメラベンダーに話を聞いたところ、やはり、彼らもそれなりの危機感を抱えているようではある。ただ、携帯電話のカメラ機能は、暗いシーンでの撮影に弱いことや、高いレンズ性能を確保できないことから、どうしても、100%の信頼を得られないと彼らは考える。だから、特別なシーンは専用デジカメで、日常的なシーンはケータイでという棲み分けができているという認識でいるのだそうだ。
それでも、携帯電話のカメラの機能向上は著しく、それに追いつかれることがないように、ローエンドのコンパクトデジカメであろうが、撮れる写真の質向上に余念がないという。きっと、近年、著しい勢いで浸透し始めている携帯電話の動画撮影機能についても事情は似たようなものだろう。
3月の大震災の記憶は新しい。未だに続く余震のたびに、ゾッとし、いたたまれなくなる。
震災の多くの映像が、携帯電話で撮影されたものであろうことは明らかだ。個人的には、こうして撮られた震災記録は、防災のために大きな役割を果たすことになるだろうし、そればかりではなく、今後の映画やTVの災害シーンに大きな影響を与えることになるだろうと思っている。そのリアリティが人間の想像による作り物とはまったく違うことを、誰もがしっかりと瞼の裏に焼き付けたからだ。このことは、きっとフィクションの世界を変えるにちがいない。ぼくは、あのとき新宿で、高層ビルがメトロノームのように揺れるのを目撃して、その瞬間に思った。
あるイメージングソフトウェアベンダーにも話を聞いてみた。プロユースはともかく、携帯電話やスマートフォンで、各種の画像加工ができるようになり、多くのユーザーがそれに満足してしまうようになると、彼らのビジネスがたち行かなくなる可能性はないのだろうか。
でも、この心配は杞憂に終わりそうだ。というのも、ベンダーとしては、携帯で写真や動画を撮影するユーザーが増えることは、イメージングビジネスのターゲットの裾野を拡げることにつながるからだという。今までは、写真のレタッチや動画の編集などは、たいへんな作業で、はなから無関係を決め込んでいたユーザーの一部が、携帯電話でその面白さを体験し、もっと凝りたいという欲が出てくる可能性が高いとみているのだそうだ。
iPhoneアプリのInstagramの人気などを見るとわかるように、撮影した写真に一工夫させることで、フィルタを使う楽しさを浸透させた功績は大きい。その楽しみを知ったユーザーの多くは、それだけで十分満足するだろうけれど、人とはもっと違う写真を創りたいと考えるユーザーが一定数生まれることは間違いない。
●PCは役割を奪われたのか東京・六本木の国立新美術館で開催中(2011年9月5日まで)の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」をのぞいてきた。印象派・ポスト印象派の絵画コレクションを集めたもので、その変遷を時系列で見ていくと、1800年代に「写真」という新たなテクノロジーが登場して、それが絵画にどのような影響を与えたのかを読み解くことができる。「写真」によって、いったんは「役割」を奪われたように見えた「絵画」が、新たな可能性を見いだす過程でもあるわけだ。
PCは今、当時の「絵画」のようなステージにいるんじゃないだろうか。
企業で使われているPCのように、特定用途に限定して使われるものは別として、コンシューマが使うPCは、どんどん他のデバイスにお株を奪われつつあるのは事実だ。かつてはPCの周辺機器だったはずのプリンタだって、今ではPCレスを謳う複合機が主流だ。
ハードウェアとしてのPCは汎用機だ。ソフトウェア次第で用途が変わり、別の道具となる。それがスゴイ、面白いと思われた時代が、ある程度続いた。いわゆる汎用モーターのようなものがあって、アタッチメントを変えれば掃除機になったり、扇風機になったりするようなものだ。
でも、今の暮らしを支えているモーターを使う家庭電化製品は、そのすべてが専用機だといっていい。汎用モーターなんてものは、ぼくらの暮らしの中には見当たらない。
PCが汎用モーターであるとすれば、いずれは同じ運命をたどるんじゃないかと思っていた時期もあった。ワープロ専用機がPCに駆逐されるようなことは起こったが、それはきわめて珍しい事例であって、多くの役割は、PCから専用機に移行していっている。もちろん、見かけは専用機に見えても、一皮むけばPCだという例は枚挙にいとまがない。でも、それだって作る側にとっては汎用の専用化だが、使う側にとってはバリバリの専用機だ。家電量販店の店頭に設置されたデジカメプリント機の蓋を開けると中にPCが入っているなんて、誰も思っていないに違いない。時折、特に海外で目撃することが多いのだが、空港の案内掲示に使われているモニターや、エレベータの中で各種の情報を流し続けているモニターが、Windowsのブルースクリーンになっているのを見て、コントロールはPCなんだなということを思い出すくらいだ。コンビニのレジを始め、PCは、まだまだ知らないところで、たくさん使われているのだろう。
●HPの見直しは大きな成長のためこの状況が続けば、一般のコンシューマがPCの存在を忘れてしまうようなことがあっても、ちっとも不思議じゃない。でも、デジタルカメラベンダーや、イメージングソフトウェアベンダーのビジョンをきいて、ちょっとだけホッとした。なぜなら、それらは、人間の向上心を前提としたものであるからだ。人は常に、今よりもいいものを求めるし、怠惰から、いったんは後退はしても、必ず、上を見る。
米HPのPC事業については、日本HP取締役副社長執行役員パーソナルシステムズ事業(PSG)統括/岡隆史氏が、その背景を話してくれた。たとえばwebOSは、ハードウェアからは撤退するものの、ソフトウェア事業としては今後も展開するのだそうだ。しかも、タブレットはやめるが、関連デバイスを二度とやらないとは言っていないという。
それでは同社のPSGビジネスはこれからどうなるの? という問いに対しては、PC事業に関して戦略的な位置付けを再度見直すことは、次に大きく成長するための道筋、戦略を示すことを意思表示したものであり、撤退等を報じたリアクションに驚いているという。HPはこの先、もっと成長するための1番いい方法を選ぶだろうし、その方法の1つとして、事業分離もありうる。ありうるけれども、そうすると発表したわけではない。1年から1年半かけて変化を起こすというシンプルな理解をしてほしいと同氏はいう。
それに、HPは世界一のPC事業体だ。3兆円超の売り上げがあり、利益率も6%近い。他の同業他社とは次元が違うと念を押した上で、逆に安心していると同氏は心情を吐露する。言ってしまったからには、改革を実行せざるをえないし、たとえ分社化してもフォーチュン60位に入るような規模であり、業界のリーダーでいられるのは間違いない。そのうえ巨人HPから独立することで、経営スピードも上がり、フレキシビリティも増す。だから、いずれにしてもよくなるしかなく、悪くなることはありえないと岡氏。
同氏の本当の心中はわからないけれど、切り捨てではないという気迫は十分に伝わってきた。PCの置かれた現状を考えれば、HPのとろうとしている行動は、もしかしたら必然的なものなのかもしれない。
PCのユーセージモデルが欠如していると言われるようになって久しい。でも、そのモデルはスマートフォンに代表される各種のPC's Sonsが創成することになるのだろう。そのときのためにも、PCはもっともっと高性能をめざさなければならないし、いつでもどこでも使えるように薄型軽量化に努めなければならない。IntelのUltrabook構想も、こうした一連の流れの中でのPC再定義なのだろう。Microsoftが、汎用的なOSをより使いやすくすることで、新たな境地を切り拓くために、Windows 8にチャレンジするのも、目指すところは同じなんじゃないか。