山田祥平のRe:config.sys

震災を救うIT




 突然の地震、そして津波。被災された方々には心からお見舞い申し上げる。あの日からちょうど1週間が経過したが、多くの人の努力によって、救援が少しずつ進んでいる。小さなパケットも、それが集まればクラウドになって人々を救うのだ。

●Twitterが教えてくれたリアルタイム情報

 未だに枕元にはリュックに出張装備一式を詰め、PCを脇において就寝している。いくつかのスマートデバイスとその充電装備一式だ。それにしても、なんと充電しなければならないデバイスが多いことか。そして、すわ一大事というときには、そのリュックにPCを詰め、携帯電話をポケットに入れてて家を飛び出せば、少なくとも電子化された財産はすべて持ち出せる。

 3月11日の午後、新宿駅の西口で買い物をすませ、電車に乗って帰ろうと地下に潜って駅に向かおうとしていたときだった。足下がおぼつかない。体が変になったのかと思ったら地震だった。そのうち、たくさんの人々が建物から飛び出してきて、道路の中央分離帯付近に集まってくる。ものすごい人だった。まるで、円谷プロの特撮映画で、怪獣に襲われた都市のような様相だ。揺れはなかなか収まらなかった。地面の揺れが収まっても、高層ビル群は逆振り子のように揺れ続けている。

 スマートフォンを取り出してTwitterのタイムラインを眺めると、「揺れた」、「まだ揺れている」、「長い地震」といった発言で埋め尽くされている。携帯電話で発信しようとしても、きっと規制なのだろう、全くつながらない。でも、IPは大丈夫だった。日本通信のモバイルIPフォンもつながった。いずれにしても電車が動くまでには相当の時間がかかるだろうと判断し、甲州街道を西に向かって歩き始めた。

 歩いている途中にも、余震は続く。甲州街道の上を走る首都高速が崩れてきたらどうしようとか、沿道のビルが倒れてきたら死ぬなと思いながらも歩き続ける。あのときほどヘルメットが欲しいと思ったことはなかった。Googleマップでもっと安全そうな道を探そうかとも思ったが、最短距離を進むことを選んでしまった。ショーウィンドウのガラスが割れてしまった店舗も見かけた。酒屋の前は相当量の酒が割れてしまったのだろう、ものすごく酒臭いにおいがたちこめていた。

 自宅に戻ると、家具が定位置からずれ、中身は飛び出していた。自室は倒れた家具でドアをあけるのがたいへんだった。デスクの上で、24型の液晶ディスプレイがうつむけに倒れ、画面の中央に無残な傷跡を残していたが、PC関連の稼働状況に問題はなかった。何よりもケガもなくいられたことを幸せに思うし、大きな被害に遭われた方を思えば、被害は皆無といってもいいくらいだ。

●復帰インフラの優先順位

 甲州街道を歩いている途中も、時折タブレットでTwitterのタイムラインを確認した。ブラウザで鉄道会社のホームページを確認しても、夕方復旧の見込みとあるだけで詳細はわからないが、タイムラインでの発言を見ていると、とてもそんな状況ではなさそうだ。次々にRTされてくるコメントで、TVがなくても、ラジオがなくても、東京がどうなっているのか、それなりにわかったのはありがたかった。

 深刻な状況が続く1週間、とりあえず、いつものタイムラインに加えて、Twitter Japanの震災関連公開リスト「@twj/earthquake」と自分の住んでいる地域のハッシュタグ「#teiden」を監視することにした。パブリックな情報については、TVの情報が早いこともあったが、電車が動いたとか止まっているとか大混雑といった一次情報に関しては、Twitterが速い。それに今回の地震は原電の事故と東北の津波被害が尋常ではないため、東京が、今どうなっているのかの情報をマスメディアから得るのがかなり難しい状況だったが、Twitterでは、身近な情報もあふれるように流れてきた。もちろん、勘違いや大げさな表現も多々目にしたが、それはそれ。裏付けを得るためのきっかけになるだけでありがたい。

 普通の電話がほとんどつながらない状態で、改めてテキスト強しの印象を持った。ユーザーの中には、家族で同じアカウントを共有し、非公開設定でそれを伝言板代わりにするような使い方をする人たちもいたようだ。家族間でメーリングリストを作ったり、それぞれのアドレスに同報メールを送るよりもずっと簡単だ。

 ケータイメールは基本的に端末に届く。そしてその端末でしか読めない。手持ちの携帯のバッテリが切れて、充電もままならない状態のときにはどうしようもない。でも、クラウド連携のサービスなら、パブリックな端末だって難なく読み書きできるわけだ。極端な話、人のスマートフォンを借りたって用を足せる。避難所で、無線LAN環境を作るなんてことは難しいかもしれないけれど、インターネットにつながったPCが1台あるだけで、ずいぶん安心がもたらせるかもしれない。仮設公衆電話の確保も大事だろうけれど、IP網の復活は、より大きな恩恵をもたらす。これからは、スマートフォンを持つ人たちも増えていくだろう。復帰インフラの優先順位も少しずつ変わっていくにちがいない。

●電気と通信に頼り切った生活

 例え、どのような通信インフラを使ってもPCのIP接続ができるようにしておくことは重要だと身にしみて感じている。例えば、アナログ固定電話だけしかなくても、通信ができるようにしておくこと。まあ、これは、パソコン通信黎明期に出張先のホテルでミノ虫クリップで回線を取り出した経験もあるので比較的簡単だ。ただ、今のノートPCはモデムを内蔵していることが珍しくなってきているため、そうもいかないのが悩ましいところだ。こうなると、スマートフォンのテザリング機能解放は、今後の必須課題と考えてもよさそうだ。

 携帯電話をPCにBluetooth接続してデータ通信をできるように各種の設定を済ませておくことや、USB接続でも大丈夫なようにドライバをきちんと入れておくことも必要かもしれない。いずれにしても、携帯電話のネットワークが生きていなければ意味がないわけだが、何も準備をしないよりはずっといい。

 ITの進化とクラウドの整備によって、今回の震災からは、過去のそれに比べればずいぶん助かっているようにも思う。その反面、マスメディアに欠けているものも見えてきている。新聞のような紙メディアの存在も微妙だ。もちろん、電気と通信に頼り切った暮らしを痛感もした。これから解決しなければならない課題は山積みだ。