実録! 重役飯

学生時代に、映画を観た勢いで渡米。クアルコム中山社長の原点と「変化は美しい」の経営哲学

いつもご愛顧をありがとうございます。PC Watchは2026年をもって30周年を迎えました。30周年を記念し、20周年の際にも実施した「重役飯」を復活させました。この企画では、PC・IT業界を代表する企業のトップの方にインタビューを行ないます。特別企画ということで、通常であれば企業の戦略や製品について伺うところ、今回はインタビューに対応いただく方の行きつけやお勧めの料理店にて会食を行ないながら、その方の趣味や考え方など人となりに焦点を当てた質問を行ないました。この企画を通じて、企業の経営を担う人の個性や考え方などを知っていただければ幸いです。聞き手はPC Watch編集長の若杉です。

クアルコムジャパン社長 中山泰方氏

 30周年記念の重役飯、第5回となる今回のお相手は、クアルコムジャパン社長の中山泰方氏。会食の場は中山氏の想い出の場所でもある「Bar Your Song」(以下、敬称略)。

先々代社長、ジム・キャシーとの想い出の場所

――本日はよろしくお願いいたします。まず、こちらのお店を選ばれた理由を教えていただけますか?

中山:ここはもともと、弊社の2代前の社長であるジム・キャシー(Jim Cathey)が毎日のように入り浸っていたバーなんです。このバーではいろんなレコードをBGMとしてかけているんですが、ジムもレコード好きで、近くに住んでいたのでよく来ていたようです。

 ちなみに僕は、青山学院大学出身なんですが、ここのマスター、そしてバイトしている学生さんたちも青学の人なんですよ。そういう理由から3カ月に1回ぐらい利用しています。

入り口へと続く通用口
Bar Your Songのカウンター

――この企画でバーを選んでいただいたのは初めてです。

中山:ジムはオーディオの隔月刊誌で特集を組まれるほどのオーディオマニアだったんです。彼が所有する珍しいレコードをここに寄付したりもしています。

 彼が会社を離れるときの送別会もここでやりました。居心地がいいんですよね、ここ。ゆっくり話せるこういう場所が好きです。

「サッカー少年」がPC-98で学んだ「待つ時間の感動」と原体験

――まず子ども時代ですが、どんな風に過ごされましたか?

中山:僕は京都生まれ京都育ちです。実家は金箔屋を営んでいました。学校は小学校から高校まで一貫の京都教育大学附属校に通っていましたが、勉強よりもサッカーに熱中していましたね。

 小学生の頃から「紫クラブ」のチームにいて、高校まで京都代表にも選ばれていたので、その頃は将来サッカー選手になると思っていました。

 また、父親の趣味が音楽で、家の中ではずっとビートルズなどロックが鳴っていました。ただ、父親は機械音痴だったので、子どもの頃から僕が家電を配線する係でした。それがガジェットや機械に触れる原点だったかもしれないですね。

 さらに母方の実家が着物織機で使用する木筒を作る職人だったこともあって、ものづくりも大好きでした。雨の日などはラジオを聴きながらひたすらガンプラを作る小学生でした。

――初めてコンピューターやゲーム機に触れたのはいつ頃ですか?

中山:小学6年生の時、学校の図書館にNECの「PC-9801」が置いてあって、教育実習の先生たちと一緒にコマンドを打ったりするのが流行っていました。雑誌に掲載されているプログラムを打ち込んで「動いた動いた!」と、とても衝撃を感じていました。文字を入れると動く絵に変わるのが、不思議な手品のようでしたね。

――あの頃、BASICで絵を描こうとすると、PAINTで色を付けるのにも1ラインずつ作業するので、1枚の絵を描くのに何秒も待たされたりしていましたね。

中山:その待たされる時間にもドキドキしていました。レコードも同じで、針を落として順番に全部聴かないといけないといった昭和の頃のテクノロジーは、ちょっとした待つ時間こそがよかったんです。アナログな不便さの中に夢があったと思っています。

 中学、高校時代はそんなにPCに没頭してませんでした。大学3年生くらいの頃に学校の通知がメールで来るようになったんですよね。その頃から、PCが段々と生活に入ってきたと感じるようになりました。

内定辞退からの決断と、「名刺切れ」から生まれた覚悟

――今の業界に進もうと思ったきっかけは?

中山:大学では化学を専攻していたのですが、その後、サンフランシスコ州立大学へ行って、経済を勉強しました。

――アメリカに行かれたきっかけは何だったんですか?

中山:実は学生時代はプロミュージシャンになろうと思っていました。下北沢の「屋根裏」や新宿「ACB HALL(アシベホール)」などでライブ活動ばかりしていて就活をせずにいたら就活期間が終わっていました(笑)。

 ただ音楽で飯が食えないと分かっていたので、どうしようか悩んでいました。そんなとき、新宿で洋画を見ていたら、周囲のアメリカ人は笑っているのに自分が英語のギャグとかを理解できないのが悔しかったんですね。ということで、就職も音楽も無理ならと、勢いでアメリカへ渡りました。

――行動力がすごいですね。

中山:英語も何も分からないのに、勢いだけはあったんですよね。その後、アメリカでの生活資金がなくなったので一時帰国して再度就職活動をしました。そして、アイスクリームで有名な企業から内定をもらい、就職する気でいました。

 そんな中、再度アメリカに戻る直前、大学の後輩から「不義理をしてしまったので、話を聞くだけでいいから新横浜にある会社の説明会に行くだけ行ってきてほしい」と頼まれたんです。それが「エリクソン東芝(今の日本エリクソン)」でした。

 こうしてエリクソン東芝で無線エンジニアになりましたが、無線について何も勉強していなかったので、独学で陸上特殊無線技師などの資格を取りました。ネットワークセンターから何千局もの基地局を1台のPCでコントロールするのが実に楽しかったのを覚えています。

 その後、営業に同行して技術説明することが多くなったんですが、「自分がやった方が売れるな」と気付き、自分の意思で営業へ転向しました。1年半ほど営業をやっていたら実績が業界でも噂になり、当時のクアルコムジャパン社長の松本徹三が一本釣りしてくれてクアルコムジャパンに転職しました。

 半導体のことを何も知らない自分をなぜ採用してくれたのか不思議でした。そのことを尋ねたら、松本社長から「半導体を知ってる人はたくさんいるが、キャリアやネットワークなどのインフラ側の気持ちが分かる人材がいない。だからあなたを採った」と言われ、大きなモチベーションになりました。

――これまでで絶体絶命だと感じた場面と、それをどう乗り越えたか教えてください。

中山:転機だと思うのは、クアルコムジャパンで世界トップクラスの携帯OEMだった国内メーカーのアカウントを担当していた頃です。私が未熟だったため十分なプロフェッショナルな仕事を最初からできず担当替えを要求されました

 絶体絶命でしたが、最終的に松本社長が「中山しかいない」と守ってくれました。この出来事があって「この会社のために一生働こう」と、クアルコムジャパンに対する強いコミットメントが芽生えました。

「任せる経営」と、AI解析がもたらす「フェアな判断」

――約2年前に社長になられて、一番変わったことは何ですか。

中山:以前は何でも自分でやっちゃいがちのタイプだったんですが、社長になってからはゴールを示して部下に任せるようにしました。任せることで部下に責任感が生まれ、会社が育ちます。

――仕事で一番大事にしていることは?

中山:お客様からの信頼を失わないことです。自社製品が好調だからといって「売ってあげている」という不遜な態度になってはダメです。相手の立場を理解し、供給が難しくても誠実に対応して信頼を守り抜くことが大事です。

――判断に迷ったときの決め手は?

中山:松本(初代社長)だったらどうするか、ジム(先々代社長)だったらどうするか、を自分の中で置き換えて考えています。彼らは論理的に先を考え、かつ判断が早いので、その視点をなぞって判断しています。

――若い世代とのジェネレーションギャップについて感じていることは?

中山:若い人は時間に対してドライですね。勤務時間が終われば仕事の途中でも退勤する。僕らの世代は終わるまで寝ずにやるのが普通でしたから、こういう若い人たちの感覚はこちらも勉強させてもらっていますね。今の若者たちはデータやリファレンスが多くて効率的です。自分と異なっていても「若い人はそういうものだ」と理解して一緒に仕事をすることが大切だと思っています。

――AIが仕事に入ってきたことで変化はありましたか?

中山:とても変わりましたね。ドキュメント作成だけでなく、データの分析・解析に僕はよく使います。自分の主観や感情が入りがちな評価や配置において、AIはデータをフェアに読んでくれるので視野を広げてくれます。

――仕事上のモットーを教えてください。また、新社会人に向けてのメッセージは何かありますか?

中山:仕事上のモットーは「変化は美しい」です。年齢とともに保守的になりがちですが、自らに言い聞かせて変化し続けています。クアルコムはCDMAから始まり、PC、XR/VR、IoT、ロボット、オートモーティブ、データセンターもやると言っています。このように本社が次々と新しいことをやるので、リージョンの社長として常に変化を求められるし、会社としても毎日変化が必要とされる「お祭り」のような会社です。

 新社会人へのメッセージとしては「明日何が求められるか分からないから、目の前にあるタスクは、今日全部やった方がいい」と伝えたいです。

週末朝3時起きのサーフィンと、絵を描くキャンバスとしての「PC論」

――プライベートの趣味はなんですか?

中山:サーフィン、レコード、音響、ガジェット、車、バイクなどの機械モノと音です。週末は朝3時に起きて湘南へ向かい、車の中で音楽を爆音で聴き、サーフィンをして、帰ってからはレコードを聴いて寝るのが週末の過ごし方です。

 最近、KEF製のスピーカーを買ったのですが、ストリーミング音源でも心地よく聴けるので買って大正解でした。

――PCとスマホの使い分けや、PCに対するこだわりは?

中山:現在は自社のチップがPCに入るようになったことで、PCをよく持ち歩くようになりました。僕にとってPCは「絵を描くキャンバス」です。スマートフォンは流れてくる情報を追うもので、プロダクティビティにはあまり向かないと思っています。ノートPCは画面を開くと、発想やプロダクティビティが湧いてくる。

 特に早朝4時から5時の静かな時間帯に1人でPCに向かい、高い視点(バードアイ)から構造やストーリーを考える時間が至福です。キーボードと画面があるノートPCのフォームファクタは普遍的な魅力を持っていると思っています。

――今一番欲しいものはなんですか。

中山:PCで音楽制作(DTM)をやりたいので、DTM用のパワフルなPCです。スペックを選んだり見比べたりしている時間が一番楽しいですね。

30年後も「パッション」と「言語文化」が残る世界に

――10年後ご自身はどうしていると思いますか?またPCはどうなっているでしょうか。

中山:10年後は次の世代にバトンを渡して、折に触れて、僕がそうしているように「先代(中山)だったらどうしてるかな?」と思い出してもらえればありがたいですね。そして、自分は全然違う業界の仕事をやってるような気がしますね。

 もし選べるなら、宮崎などでリモートワークしつつ趣味のサーフィンと仕事を両立していたいですね。

 PCのフォームファクタ自体は変わらないと思います。省電力・常時接続・AI内蔵が進み、うるさいカフェの中にいても没入できる環境を提供してくれるデバイスになっていてほしいです。

――10年後の世界で、AIが進んでも「人間にしかできないこと」は何だと思いますか?

中山:「熱(パッション)」です。悔しさ、怒り、感動、美しさから生まれるモチベーションや情熱はAIには作れない人間特有のものです。

――30年後も残っていてほしいものは何ですか?

中山:3つあります。1つ目は毎日変化が起こるこのクアルコムの「わちゃわちゃとした文化」。

 2つ目は「言語・地域文化」です。祖母が使っている古い京都弁は今はもうほとんど使われなくなってしまっているんですが、文化が均一化・標準化されてしまうと熱量が失われてしまうので、とてももったいないと思うんです。

 3つ目は技術に対して「変化や革新を求める情熱」です。昔、松本初代社長から「君は世界を変える仕事をしている。世界を変えられるし、うちの会社は世界を変える技術を持っている」と言われました。実際に世界はCDMAプロトコルで変わりましたし、僕らはパッションで世界を変えてきた。

 同じように30年後も、「人が世界を変えるんだ」というパッションが続いていてほしいです。

――インタビューは以上となります。本日はありがとうございました。