特集
【特別企画】知っておきたいApple Payの初歩から将来、秘密まで
(2015/6/13 06:00)
今週サンフランシスコで開催されたAppleのWWDC(World Wide Developers Conference=世界開発者会議)では、2014年10月より米国でサービスを開始している「Apple Pay」のイギリスにおけるサービス開始が発表された。導入は今秋を予定している。サービスインは米国に続いて2地域目となる。
日本でのサービス開始がいつになるかは全く分からないが、Appleのファンを始めとして興味のあるユーザーも少なくないだろう。一方で日本ではサービスを開始していないだけに、いったいどんなサービスなのかも十分に伝わってはいないと思う。そこで、現在のサービス内容と、WWDCでアナウンスされたiOS 9における拡張を整理する意味で、できるだけ分かりやすくApple Payの仕組みや、導入へのバックグラウンド、ビジネスモデルについてまとめてみた。
また、筆者自身も米国でのApple Payサービスに登録を試みている。その模様は同時に掲載している「買い物山脈」を合わせて読んでもらえると楽しめるかも知れない。
Apple Payの仕組みを知る
日本はモバイルペイメントの先進国である。フィーチャーフォンの時代から「FeliCa」をベースにした非接触による支払いや会員サービスが提供されてきた。スマートフォンになっても同様で「おサイフケータイ」のサービスは、公共交通機関の利用や少額支払いなどで身近なものになっている。特に本誌の読者層などは比較的利用率も高いと思われる。
それでも日本はまだ現金主義の傾向が強い。おサイフケータイの中でも積極的に利用されているのは、Suicaなどの交通系サービスや、楽天Edy、WAON、nanacoといったプリペイド型のサービスだ。対してクレジット扱いとなるポストペイ型としてはiD、QuicPayなどのサービスがある。後者もクレジット決済額の上限は絞られており、その仕組みから、決済分野においては現金の延長上にある「少額決済」手段としておサイフケータイは提供されている。
欧米に目を向けると、クレジットカード発祥の地である米国をはじめ、ヨーロッパ地域などは明らかにカード社会だ。極端な話、例えば5ドル程度の決済でもカードを提示することに抵抗感はない。それだけ身近なものだけに成熟したサービスともなっていた。それでも、信用決済であるカード払いは犯罪のターゲットになり、磁気カードをスキミングしたり、Webサービスなどに登録されているカード情報を盗み見るなどの不正利用は存在し続けており、その対応を常に課題として抱え続けてきた。EU地域では早い段階でカードへのICチップ搭載を義務付け、対面決済においては暗証番号の入力を求めるなど、セキュリティを向上させてきた。日本のカードにもICチップを搭載したものが増えており、使用時にサインではなく暗証番号の入力を求められるケースも増えた。
一方のアメリカだが、カード先進国であったがゆえにセキュリティ面では立ち後れたと言っていい。ICチップを搭載しない磁気ストライプだけの古いタイプのカードが市場に溢れている。決済端末は更新に応じてICチップ対応やNFC搭載のものに少しずつ切り替わっていったが、カード自体が非対応なためさほど利用が進まないままだった。アメリカに旅行してクレジットカードを利用する際、パスポートの提示などを求められた経験のある人もそれなりにいるはずだ。あれは、不正使用を防ぐためカード所有者本人であることを確認するセキュリティなのである。
そんなアメリカだが、ようやくセキュリティ向上に向けての大きな動きがあった。2014年にオバマ大統領が法案に署名したことで、2015年10月以降は店舗での対面販売におけるカード決済をEMVと呼ばれるICチップ入りカードで行なうことが義務付けられた。これまで、不正使用にあたっては銀行やクレジットサービスが被害を補填していたが、法律の施行以降は小売店側もこの責を負うことになる。このことで店舗側のPOSや決済端末の更新でICチップ対応と併せてNFCリーダの搭載が勢いを増していくことになるのだ。
決済インフラが少しずつ整う一方で、市場に溢れる磁気ストライプだけのカードに突然ICチップが生えてくるわけではない。カード更新によりICチップ搭載のカードに切り替わる例もあるが、全てを切り替えるのには数年以上を要することになるだろう。コスト面で積極的ではない部分もあり、実際この3月に作成した筆者のデビットカードも、未だ磁気ストライプとカード番号がエンボスされた古いタイプだった。
ここにAppleが参入する余地があった。市場に溢れる既存の磁気ストライプだけのカードを、よりセキュアなトークナイゼーションによる決済が可能なタイプへと変える電子的なWalletサービスである。これが「Apple Pay」だ。
Apple Payが決済サービスだと誤解する向きもあるが、より正確には「Walletサービス」である。Appleはクレジットカード/デビットカードの発行は行なわない。提携する銀行や金融機関の発行したカードを電子的にiPhoneへと収納して、トークナイゼーションと呼ばれる決済情報のトークン化と、Touch IDによる本人認証を付加する。これによりカード決済をよりセキュアに行なう。これがApple Payの仕組みである。
トークナイゼーションの実際のインフラなどは提携するAmerican Exprrss、Mastercard、VISAなどのクレジットサービスが構築してきた。Apple Payはこのインフラを使って、対面決済におけるNFCによる非接触の支払い方法を実現する。ユーザー向けにわかりやすくApple Payという名称が使われているが、バックグラウンドではこれらのクレジットサービスのexpress pay、PayPass、pay Waveが利用されている。
カード決済においては取引手数料が発生する。この手数料が発行銀行やクレジットサービスの利益になる。一般的に小売店はこの手数料を販売価格へと転嫁できないため、カード決済の導入を行なうには、導入により見込める売上げの増加を天秤にかける必要がある。カードの導入に消極的な小売店が存在するのはこのためだ。
Apple Payも同様に取引手数料を得る。ここで新たに小売店の負担が増えるのではなく、これまで発行銀行とクレジットサービスで分け合ってきた手数料の一部をAppleが得ることになる。発行銀行は利益が減ることになるが、不正利用の補填コストなどと天秤にかけてセキュリティの向上にメリットがあると判断したということだ。Appleの取り分は決済総額の0.15%。仮に100ドルの取引があった場合、15セントの手数料を得る。これがApple PayにおけるAppleのビジネスモデルだ。
実際の運用ではプラスチックタイプのクレジットカード/デビットカードをApple Payに登録する際に、これらのカード番号とは異なる独自の番号を端末毎に生成する。これはクレジットサービスがサーバー経由で行ない、この番号はiPhone内部のセキュアエレメントに収納される。この番号はApple側でも知りえない。取引に際しては、これに一度切りで使い捨てのセキュリティコードを付加して、クレジットサービスとの取引を完了させる。これがトークナイゼーションだ。こうした手順をAppleのサーバーとクレジットサービス側で踏むことで、元々のクレジットカード情報は小売店側にも保管されない。Appleも個々の決済内容は保管せず、プライバシーの保護を行なう。
「iPad Air 2」や「iPad mini 3」も、Apple Pay対応のデバイスだ。これらの機種にNFCは搭載されていないため、対面でのコンタクトレス決済はできないが、iPhone 6/6 Plusと同様にクレジットカード/デビットカードを収納できる。こちらの前述の通りにトークナイゼーションが行なわれて、対応サービスのEC決済でApple Payが利用できる仕組みだ。
Apple Payだけではない、モバイルペイメント
Apple Payが序盤で成功を納めているのはいくつかの理由がある。1つはタイミングで、前述したように米国における2015年10月からのEMV義務化をターゲットにした。こうした期限があることで、ICチップやNFCリーダの付いた決済端末が更新されて、ある程度のボリュームに達する時期と一致した。例えばGoogleはAppleより先にGoogle Walletのサービスを始め、指紋認証はないがNFC決済の仕組みは同様に提供をしていた。しかし、肝心の決済端末が十分に普及していなかった。米国内キャリアのジョイントベンチャーであるisis(現在は諸般の事情でSoftcardに名称を変更した)も同様である。
もう1つAppleにとって有利だったのは、iPhoneという人気デバイスがあることだ。発表後は一気にかつ大量に市場に同一モデルが存在するという背景は、導入する側でも受け入れやすい。Appleにとっても前述の手数料収入に加えて、Apple PayによってiPhoneの販売台数がさらに伸びるのであれば、マーケティングとしては大成功と言える。
このようにEMVやトークナイゼーションという完成したクレジットサービスのインフラの上で、Apple Payは動いている。もちろん、使いやすいインターフェイスの導入や、NFCを本体先端部に付けることで、親指をホームボタンに添えたままでタッチできるなど、Appleらしい味付けがあってこその成果と言ってもいいだろう。
では、こうしたWalletサービスをAppleが独占するのかと言えばそうではない。決済インフラ自体は前述したように、American Express、Mastercard、VISAの上に乗っかっているサービスだ(この秋にはDISCOVERも加わる)。Android Payで出直すGoogleや、LoopPayを買収して、Samsung Payとして今秋から米国と韓国で同様のサービス展開を目指すSamusungも存在する。トークナイゼーション、指紋を始めとする生体認証による本人確認などはいずれもApple Payと同等レベルを目指すだろう。発行銀行やクレジットサービスとしても、Apple Payを導入した以上、同一条件であれば参入を拒む理由はなく、むしろ決済機会の増加ということで歓迎されるはずだ。実際、Capital Oneのカンファレンスにおいても、他のWalletサービスの導入は十分に検討の余地があるとコメントがあった。
米国以外への地域への展開時期は
では、米国以外の他国ではどうなのかというのが次の興味だ。冒頭にも述べたように、Appleは今秋にイギリスでApple Payのサービスを開始することをアナウンスした。昨年(2014年)Appleがサービス導入時に発表した米国内22万カ所を超える、イギリス内25万カ所でサービスを開始する。
イギリスを含むヨーロッパ地域は、早くからICチップによるセキュリティを導入していた。コンタクトレスも同様で、pay Wave、PayPassなどの導入が行なわれており、考え方によっては米国以上に立ち上げは容易とも言える。さらにイギリスは公共交通機関に導入されているオイスターカードがあり、既にデビットカードでの利用が可能だ。先行したのは、やはり通貨と国の関係だろう。1カ国1通貨の方が発行銀行との交渉も容易だ。EU圏の多くもイギリスと同等レベルでインフラは構築されているが、通貨は共通でも国が違う。発行銀行との調整部分や税制度などの関係で、多少の手間がかかる。こうして見れば、中国へのApple Payの導入は比較的容易とも想像できる。
さて肝心の日本はどうかと言えば、時期については全く分からない。VISAやMastercardなどのクレジットサービス側が、インフラとなるトークナイゼーションを日本リージョンに展開していないからだ。それは、NFC Type-A/Bの決済リーダがまだ十分に普及していないという側面もあるだろう。とは言え、2020年の東京オリンピックに向けて、インフラ整備は加速していく。更新されるPOS端末や決済端末にはFeliCaと一緒にNFC Type-A/Bリーダも搭載されていくだろう。それがある程度行き渡った段階でクレジットサービスがトークナイゼーションをデプロイすれば、条件は米国や欧州とほぼ同じになる。
ちなみにクレジットサービスは国際サービスなので、Apple Payが米国のみのサービスとは言っても、利用については欧州でもできるし、極めて限定的ながら日本でも可能だ。元のクレジットカード/デビットカードの発行国を米国(と通貨としての米ドル)に限定しているだけで、決済インフラと決済端末が対応していれば他の地域でも決済はできる。日本で発行されたクレジットカードが、欧米やアジアでも使えることと同意だ。ただ、NFC Type-A/Bのリーダが必要な点とpay WaveやPayPassといった非接触式の基礎サービスがその地域で提供されているかどうかがポイントになる。
同業者と協力してあちこちで試したところ、実体験としてフランス、スペイン、ドイツではApple Payが利用できるところは結構ある。身近なところでは台湾でも利用が可能なようだ。日本はかなり厳しいが、IKEAでは店舗によって利用可能なようだ。この部分は同時掲載の買い物山脈に詳しいので、繰り返しになるがそちらもに目をとおしてもらいたい。
ロイヤリティプログラムに対応する第二の矢
おサイフケータイとは、FeliCaとNFC Type-A/Bというハードウェア的な違い以上に用途がかなり違う。おサイフケータイが、決済では少額決済に特化した現金払いの延長に位置付けられているのに対し、Apple Payの決済部分はクレジットカード/デビットカード払いそのものである。つまり、どちらかが排斥されるのはではなく、共存可能なサービスとも考えられる。
現行のおサイフケータイには、決済の仕組みのほか、会員サービスやポイントプログラムなどのいわゆるロイヤリティプログラムの機能がある。これは早くからFeliCaを導入して、フィーチャーフォン、スマートフォンに各社が独自のロイヤリティプログラムを展開してきたからだ。
一方のiPhoneがNFCを搭載するのは2014年発売の「iPhone 6/6Plus」まで待つ必要があった。しかし、国内スマートフォンのシェアでは半数を超えるiPhoneだけに、企業や店舗のいわゆるロイヤリティプログラムは早期から対応を開始した。多くはそれぞれのアプリケーションに、会員番号となるバーコードなどを表示させる機能を搭載し、バーコードスキャンで対応させている。いま筆者のiPhoneに入っているだけでも、ヨドバシカメラ、ビックカメラ、無印良品、東急ハンズなど数多くの会員証機能がある。
Appleは2012年にiOS 6をリリースしてPassbookを導入した。インターネットで購入した各種チケットや航空券などの情報を一元管理して表示する仕組みだったが、必ずしも狙い通りにはいかなかったと思う。フォーマットをPassbookに共通化させるためそれぞれの企業などが実際に提供したいサービスをすべて含めることができないため、前述したようにそれぞれの独自アプリケーションが主流となっているのが現状だ。最もPassbookが利用されている局面は航空チケットだと思われるが、これも独自アプリ上で行なえることをPassbookにも対応させているにすぎない。iPhone 5の発売時に筆者はTwitterで「木村屋のあんぱん配って終わりじゃないでしょうね?」とつぶやいたが、国内では本当に最初にあんぱんを配って終わった感がある。
そこで、AppleはPassbookのテコ入れに動いた。今秋に正式版がリリースされるiOS 9からは、Passbookが新アプリの「Wallet」へと変わる。WalletではiPhone 6/6 Plusに搭載されているNFCを、Apple Payの決済だけではなくロイヤリティプログラムでの活用にも拡張する考えだ。おサイフケータイの会員サービスとほぼ同等と言っていい。
こうした次の一手は、Apple Pay立ち上げ後の小売店の反応やフィードバックによるものだろう。確かに取引はセキュアになり、もしかしたら販売機会も増えたのかも知れない。しかし、一方で小売店側は顧客の情報を得られなくなった。これまで展開してきたロイヤリティプログラムとの関係が絶たれてしまったのだ。こうした不満の声に応え、この部分の改善を目指すのが、iOS 9でのWalletアプリとなる。
では、Apple Payが本当に世界を変えるのかと問われるとそうではない。一部では以前に比べてコンタクトレス決済の比率が倍増したなどという報道も出ているようだが、そもそもの母数はあってないような数だ。ことAppleがなすことになると報道関係者でもすぐに世界が変わると言う人も存在するが、世界とはそう簡単には変わらない。全ての決済においてコンタクトレスが占める割合はいまだ微々たるものだ。決済に対する手段が増え、少しだけ生活が快適になる。ほんの少し変わった。それで十分ではないか。