【IMW 2011レポート】
NANDフラッシュメモリの過去、現在、未来

初日(23日)夕方のポスター発表会場

会期:5月23日~5月25日(技術講演会のみ、現地時間)
会場:米国カリフォルニア州モントレー Hyatt Regency Hotel



 半導体メモリ技術に関する国際会議「国際メモリワークショップ(IMW:International Memory Workshop)」では、NANDフラッシュメモリの歴史を代表する人物による招待講演と、NANDフラッシュメモリの今後を話し合うパネルディスカッションが開催された。NANDフラッシュメモリの過去から現在を概観し、未来を展望するときに参考となる内容だったので、その概要を本レポートではご紹介する。

●SanDisk創業者のHarari氏がフラッシュメモリの歴史を語る
右がEli Harari氏。左はSanDiskの現CEOであるSanjay Mehrotra氏

 NANDフラッシュメモリの歴史を代表する人物とは、フラッシュメモリ応用製品の開発企業として知られるSanDiskの共同創業者兼元CEO(最高経営責任者)の、Eli Harari氏である(論文集1ページ~4ページ)。Harari氏は1988年にSunDisk(その後、社名をSanDiskに変更)を設立し、同社を現在では全世界に約3,400名の従業員を有する、フラッシュメモリ応用製品のトップベンダーに育て上げた。Harari氏は2010年12月31日付けでCEOを退き、SanDiskの技術顧問となった。SanDiskの現在のCEOは共同創業者の1人で、同日までCOO(最高執行責任者)を務めていたSanjay Mehrotra氏である。

 Harari氏は講演の始めに、フラッシュメモリの歴史を概観した。1970年に紫外線消去型EPROMをIntelが開発したことから、フラッシュメモリの歴史は始まる。たった1個のMOSトランジスタに1bitのデータを電気的に記録するメモリセルがこのとき、誕生した。紫外線消去型EPROMはマイクロプロセッサ・システムの開発に不可欠な、マイクロコード格納用メモリとして普及していく。1970年代~1980年代に最も普及した不揮発性半導体メモリでもある。

 紫外線消去型EPROMのメモリセルは、ゲート電極が2層構造となったMOSトランジスタであり、その構造は現在のNANDフラッシュメモリのメモリセルとほとんど変わらない。2層構造のゲート電極の上層が制御ゲート(コントロール・ゲート)、下層が浮遊ゲート(フローティング・ゲート)であり、制御ゲートがワード線を兼ねる。浮遊ゲートは電気的に周囲と絶縁されている。この浮遊ゲートに電荷を貯えることでデータを記録する仕組みである。

 ただし紫外線消去型EPROMはデータの消去には、強力な紫外線の照射を必要とするという弱点があった。紫外線の光エネルギーを利用して浮遊ゲートの電荷をシリコン基板側に戻す。1970年代のMOSトランジスタは、ゲート酸化膜が70nm~100nmと非常に厚かった。このため、電気エネルギーだけでは浮遊ゲートの電荷を消去すること難しい。またデータ消去には紫外線ランプを使うのだが、消去の所要時間は少なくとも30秒は必要であり、しかも全ビットを一括して消去するモードしか選べなかった。


●Harari氏がNANDフラッシュの動作原理を発明した
Eli Harari氏が考案したEEPROM特許(USP4,115,914)の表紙イメージ。ファウラー・ノルドハイム・トンネリング(FNトンネリング)を利用して電気的にデータを書き換え可能にした、世界初のメモリ・セルである

 Harari氏は1973年に米国プリンストン大学(Princeton University)で酸化膜中の捕獲準位に関する研究で博士号を取得した後、航空宇宙電子機器メーカーHughes Aircraftの子会社に勤務した。1975年にHarari氏は、紫外線消去型EPROMのゲート酸化膜を10nm程度にまで薄くすると、高い電界を加えることによって電荷が浮遊ゲートとシリコン基板の間をトンネリングするようになると考えた。この数年前にファウラー・ノルドハイム・トンネリング(Fowler-Nordheim Tunneling)と呼ぶ量子トンネル効果が発見されており、現在から振り返ると、これはフラッシュメモリの動作原理(NORフラッシュメモリの消去原理とNANDフラッシュメモリの書き込み原理および消去原理)そのものである。しかし当時のシリコン酸化膜には不明な点が多く、ゲート酸化膜を薄くするとリーク電流によって浮遊ゲートの電荷が保持できなくなるとされていた。

 そこでHarari氏は、熱酸化によって厚さが3.3nm~16nmのシリコン酸化膜を作製した。およそ1万個のシリコン酸化膜のサンプルに高い電界を加えて電子がトンネリングすることを確かめたほか、絶縁破壊が酸化膜中の製造欠陥によるものではなく、トンネリングによって酸化膜中に電子捕獲準位(トラップ)が生成し、このトラップが原因で絶縁破壊が発生することをつきとめた。そしてファウラー・ノルドハイム・トンネリング(FNトンネリング)を利用した電気的に書き換え可能なEEPROMの特許を1977年に申請した(USP4,115,914)。


●NORフラッシュの発明者は誰か
Exel Microelectronicsが考案したNORフラッシュメモリ特許(USP4,698,787)の表紙イメージ

 そして1980年代半ばに、不揮発性半導体メモリの開発は大きく進展した。1984年に、現在のNORフラッシュメモリの基本技術が開発されたのだ。東芝とExel Microelectronicsが個別に開発した。東芝が開発したメモリセル技術は多結晶シリコンの消去専用ゲートを新たに設ける構造で、3層多結晶シリコン(トリプル・ポリシリコン)技術と呼ばれた。Exel Microelectronicsが開発したメモリセル構造は現在のNORフラッシュメモリ製品の構造そのもので、nMOSトランジスタのチャンネルにホットエレクトロン(CHE:Channel Hot Electron)効果を起こして浮遊ゲートに電荷を蓄積し、FNトンネリングでシリコン基板に電荷を引き抜く方式である。

 なお「フラッシュ(Flash)」の名称を考案したのは東芝の舛岡富士雄氏(現在は東北大学名誉教授)である。このためNORフラッシュメモリの発明者は舛岡氏であるとされているが、Harari氏は講演で、舛岡氏のトリプル・ポリシリコン構造よりもExel Microelectronicsの発明したnMOSトランジスタ構造が製品のNORフラッシュメモリに近いことを、さりげなく指摘していた。


●NANDフラッシュメモリと東芝の舛岡氏

 舛岡氏は1987年に、NANDフラッシュメモリを開発する。メモリセルの基本構造は、Harari氏が1976年に考案したMOSトランジスタ構造と同じである。紫外線消去型EPROMと同じ2層構造のゲート電極を備えるnMOSトランジスタで、FNトンネリングによって電荷を出し入れする。

 舛岡氏のNANDフラッシュメモリがきわめて優れていた点は、メモリセルアレイの回路構造にある。ワード線が隣接するnMOSトランジスタでソースとドレインを共有することで、メモリセルを非常に高い密度で詰め込んだのだ。ソースとドレインを共有するnMOSトランジスタ列はセル・ストリングと呼ばれ、1本のセル・ストリングに接続するトランジスタの数を増やせば増やすほど、実効的にbit当たりのメモリセル面積が小さくなる。メモリセルアレイの回路構造が論理ゲートのNAND(論理積の否定)に相当することから、この構造のフラッシュメモリを舛岡氏は「NANDフラッシュメモリ」と呼んだ。

 そしてこの点はHarari氏の発明した部分なのだが、NANDフラッシュメモリとNORフラッシュメモリでは書き込みの原理がまったく違っていた。NANDフラッシュメモリはFNトンネリングを利用しているので、CHEを利用するNORフラッシュメモリに比べると書き込み効率が高く、メモリセル当たりの書き込み(プログラム)電流が非常に少ない。そしてFNトンネリングの効率はゲート酸化膜厚に依存しているので、メモリ・セル・トランジスタのチャンネル長を短くしやすい。すなわち、トランジスタそのものを小さくしやすい。これに対してNORフラッシュメモリはソースとドレインの間に高電界を加えるため、チャンネル長を短くしづらい。微細化に追随できないので、メモリ・セルをあまり小さくできない。すなわち高密度化・大容量化ではNANDフラッシュメモリが圧倒的に有利なのである。

NANDフラッシュメモリのメモリセルアレイ。IRPS 2011レポートより引用フラッシュメモリ開発の歴史。Harari氏の講演スライドを筆者が一部改変したもの

●SunDiskとSSDの誕生

 NANDフラッシュメモリの原理と試作結果が公表された、そのわずか1年後の1988年に、Harari氏はフラッシュメモリ技術の開発企業「SunDisk」を設立する。共同創業者は3名。プロセス技術者のJack Yuan氏、メモリ設計者のSanjay Mehotra氏、デバイス物理技術者のEli Harari氏である。CEO(最高経営責任者)にはHarari氏が就任した。SunDiskは設立後、まもなくしてシステム・アーキテクトのBob Norman氏を迎える。共同創業者とNorman氏の4名のチームが、SunDiskを率いることとなった。

 SunDiskが狙ったのは、磁気ディスクや光ディスクなどの記録メディア(回転メディア)をフラッシュメモリ(固体メディア)で置き換えることである。1988年当時にはたぶん、誰も信じなかったであろう、SSD(Solid State Drive)が普及する世界をすでに将来像として見据えていた。これは驚くべきことだ。

 いや、日本人でほぼ同様のコンセプトを確信していた人物は存在した。1990年代前半に日経BP社の日経エレクトロニクス誌で記者を勤めていた筆者(福田)は、東芝に在籍していた舛岡富士雄氏にインタビューする機会を得た。舛岡氏は「将来、フラッシュメモリは広く普及し、磁気ディスクを置き換えていく」と強く主張した。そして「しかし自分の言うことを、(東芝では)誰も信じてくれない」、さらにフラッシュメモリの市場規模を将来は「5兆円~10兆円になるだろう。でも、誰も信じない」と苦笑しながら語っていた。舛岡氏は2004年に東芝を辞め、東北大学の教授に就任する。後から振り返るとインタビュー当時すでに、舛岡氏は東芝を辞めるつもりだった可能性が高い。現在では考えられないことだが、当時の東芝はフラッシュメモリの事業展開に対して非常に消極的だった。半導体メモリの開発リソースはDRAMに注ぎ込まれていたのだ。

 SunDiskに話題を戻そう。SunDiskは設立後すぐに、2つの新しいコンセプトを生み出した。「マルチレベル」と「システムフラッシュ」である。マルチレベルとは、1個のメモリセルに1bitを超えるデータを記録する技術であり、現在ではNANDフラッシュメモリのほとんどが1個のメモリセルに2bitを記録するマルチレベルセル(MLC)方式を採用している。「システムフラッシュ」とは、コントローラ技術によって既存の記録メディア(回転メディア)をエミュレートすることである。システムからは、フラッシュメモリ・メディアが磁気ディスクや光ディスクなどと同様に見えるようにする。すなわち、簡単に差し換えられる。

SunDiskが考案した「固体ストレージ・システム(Solid State Storage Systems)」のコンセプト

 「マルチレベル」と「システムフラッシュ」のいずれも、固体メディアが回転メディアを置き換えるには不可欠だと考えた。この考え方は、現在のSSD(Solid State Drive)と非常に似ている。もちろん当時はSSDという単語は存在せず、SunDiskは「固体ストレージ・システム(Solid State Storage Systems)」と呼んでいた。

 「固体ストレージ・システム」は、微細化が可能なデータ格納用フラッシュメモリ技術と、ハード・ディスク装置(HDD)を手本にしたコントローラ技術で構成される。これらの要素技術によって大容量かつ低コストの固体ストレージを実現する。


●1990年代の小型ストレージ戦国時代

 このコンセプトに沿った最初の製品は、1991年に開発された。記憶容量が20MBのATA互換SSDである。1MB当たりの単価は50ドルときわめて高価だった。約20年後の2010年にSanDiskが発売したSSDは、記憶容量が64GB、1GB当たりの単価はわずか2ドルである。

 そしてこの20年間にはどのような出来事があったのかをHarari氏は解説した。まず、1990年から2000年にかけて、小型ストレージの開発競争が起こった。ホストにソフトウェア・コントローラを搭載してフラッシュメモリを制御するタイプのストレージや、フラッシュメモリを格納した小型メモリカード(スマートメディア、メモリースティック、CF)、1.8インチHDD、1インチHDD、大容量FD(フロッピーディスク)といった小型ストレージが相次いで市場に投入された。フラッシュメモリの主流はNORフラッシュメモリだった。一方でフラッシュメモリ・キラーの筆頭は超小型HDDと期待されていた。

NANDフラッシュメモリの記憶容量(代表例)と微細加工寸法の進展。Harari氏の講演スライドを筆者(福田)が一部補足したもの

 しかし2000年以降になると、データ格納用ストレージの市場ではNANDフラッシュメモリとSDメモリーカードが優位になっていく。NANDフラッシュメモリが優位となった大きな理由は、NANDフラッシュメモリがNORフラッシュメモリよりもずっと微細化に適していたこと、同じ微細加工寸法で同じシリコン・ダイ面積だと、NANDフラッシュメモリがNORフラッシュメモリよりもずっと大容量にできたこと、である。現実には、NORフラッシュメモリのメモリセルはゲート長を約110nmよりも短くできないでいる。これに対してNANDフラッシュメモリは20nm付近にまでゲート長を微細化できた。これでは記憶容量当たりの単価では勝負にならない。

 SDメモリーカードが優位となった理由は、オープンな標準規格の策定を積極的に進めたこと、東芝やパナソニックなどの大手エレクトロニクス企業を早期にパートナーにできたこと、などが大きいとする。


●NANDフラッシュメモリ技術の将来を議論

 ここまでがHarari氏による招待講演の概要である。そしてIMW 2011では半導体メモリ技術の将来を論じるパネル・ディスカッションが開催された。パネル・ディスカッションのモデレータとパネリストは以下の通りである。

・モデレータ
 Raman Achutharaman氏(Applied Materials)
・パネリスト
 Laith Altimime氏(IMEC)
 Matti Floman氏(Nokia)
 Jooyoung Lee氏(Samsung Electronics)
 Sung-Kye Park氏(Hynix Semiconductor)
 綱島祥隆(つなしま・よしたか)氏(東芝)

 議論の対象がDRAMとフラッシュメモリに分かれたために、パネル・ディスカッションそのものはやや発散気味となったが、NANDフラッシュメモリの将来に対しては興味深い意見を聞くことができた。その概要をご紹介しよう。

 NANDフラッシュメモリの将来動向では、(1)現在の浮遊ゲート技術によるNANDフラッシュメモリの微細化がどこまで進むのか、(2)微細化をけん引するリソグラフィ技術は何か、(3)微細化が停滞したときの大容量化技術にはどのような候補があるか、が問題となっていた。

3次元構造のNANDフラッシュメモリ。VLSI2009レポートから引用

 Laith Altimime氏(IMEC)は、浮遊ゲート技術と現状のArF液浸リソグラフィ技術による微細化は16nmくらいが限界で、16nm未満のフラッシュメモリはEUV(Extreme Ultra-Violet)リソグラフィの採用を避ける(製造コスト増を避ける)ために3次元構造によって大容量化を進めていくとの見通しを述べていた。ここで3次元構造とは、細長い柱状(ピラー状)のシリコンをウェハ表面に碁盤の目のように並べ、ピラーの側面にゲート電極を上下に並べた構造を指す。セル・ストリングがウェハ表面に対して垂直に伸びる。この構造だと、垂直に並べたセル・トランジスタの数だけ、記憶容量を増やせることになる。

 Sung-Kye Park氏(Hynix Semiconductor)は、隣接するメモリセル間の結合が微細化を阻害していると説明した。そしてエア・ギャップを利用することで最新のNANDフラッシュメモリではメモリセル間の結合を弱めているが、大容量化を阻害する要因としては依然として変わらないとした。

 綱島祥隆(つなしま・よしたか)氏(東芝)は、以前は浮遊ゲート技術の限界を2xnmと予測して2xnm世代では電荷捕獲(チャージ・トラップ)技術がNANDフラッシュメモリに採用されるとのロードマップを述べたことがある、と切り出した。しかし2xnm世代のNANDフラッシュメモリも浮遊ゲート技術で製品化されたことで、電荷捕獲技術の出番は実質的になくなってしまったとロードマップを修正してみせた。そして19nm技術のNANDフラッシュメモリをArF液浸リソグラフィとダブルパターニング技術の組み合わせで製品化できたと説明した。さらに1Xnm世代の微細加工は、トリプルパターニング技術やクオドパターニング技術が必要なるとの見通しを示した。

 半導体メモリ市場調査会社DRAMeXchangeの調べによると、NANDフラッシュメモリ大手5社の2010年通年における売上高合計は191億7,000万ドルに達した。1ドルを85円とすると1兆6,500億円の市場が、少なくとも存在することになる。東芝に在籍していた舛岡富士雄氏が1990年代前半に予想した市場規模「5兆円~10兆円」を笑う人間は、現在のフラッシュメモリ業界にはきわめて少ないか、あるいは存在しないのではないかと思える。

 SanDiskの創業メンバーは、本当に数少ない舛岡氏の理解者だったのだろう。そのSanDiskが東芝をフラッシュメモリ製造のパートナーとして選び、これまで手を携えて歩んできた背景には、NANDフラッシュメモリの発明者に対する敬意が感じられる。Harari氏が招待講演の中で名前を挙げた日本人は、「東芝の舛岡氏」だけだった。

(2011年 5月 31日)

[Reported by 福田 昭]