笠原一輝のユビキタス情報局
MicrosoftにAdobe、PCソフトベンダーがクラウドファーストを急速に進める時代の到来
2016年11月10日 06:00
先週筆者はAdobe Systems(以下Adobe)のプライベートイベントであるAdobe MAX 2016に参加してきた。その模様は別記事でも紹介したが、本コラムではAdobe MAX 2016で筆者が感じたことなどを中心にお伝えしていく。
Creative Cloudという名前はついているが、実際はローカルアプリケーション
今回のAdobe MAX 2016に参加して感じたことは、“クラウドファーストへとAdobeも舵を切った”、というAdobeからの強烈なメッセージだ。Adobeと言えば、言うまでもなくクリエイターツールの雄だ。ビジネスパーソンにとってデジタルデバイスとMicrosoft Officeがそうであるように、クリエイターにとっては、デジタルデバイスとAdobeのPhotoshop CC、Premiere Pro CC、Lightroom CC、Illustrator CCは不可分の存在だと言って良い。
それらのデスクトップアプリケーションについている“CC”はCreative Cloudの略で、Adobeが展開しているサブスクリプション型のソフトウェアスィートのブランド名だ。Creative Cloudという名前からも分かるように、クラウドを意識した機能が実装されており、例えばクラウドストレージと同期するCreativeSyncなどの拡張機能がここ数年実装されてきた。
しかし、現実には、Creative Cloudを実際にクラウドベースで使っているクリエイターはさほど多くなかった。多くのクリエイターは、大容量のHDD/SSDが搭載されているMacBook Proなどにインストールして、ローカルで写真を編集したり、イラストを描いりた、動画を編集したりという使い方が一般的だ。そもそも、Creative Cloudで用意されているクラウドストレージの容量は、プランにもよるが5GB、20GB、100GBと、数TBクラスや無制限といった他社に比べると少ない容量で、お世辞にも使い勝手がいいとは言えない状況だったからだ。
このため、どちらかと言うとAdobeのクラウドストレージは、クラウドにデータを置いて処理するという使い方よりは、複数のデバイス間でデータを同期するという使い方が一般的だった。
ディープラーニングを活用したAIの進化
だが、今回のAdobe MAX 2016の発表を見て、Adobeはその状況を変えようとしていると感じた。もっと言うなら、Adobeでさえ変わらなければならない状況になっているという方がより正確かもしれない。
今年クラウドコンピューティングは大きな進化を遂げた。その最大の鍵はAI(人工知能)だ。AIというのは古くて新しいテーマだが、この10年で並列演算が得意なGPUの演算性能が飛躍的に伸びたことで、マシーンラーニング、そしてその一部とも言えるディープラーニングの研究がここ数年で飛躍的に進み、一足飛びにAIが実現できそうな目処が立ってきた。CPUやGPUはクラウド側にあるデータセンターにあるマルチプロセッサを利用するので、その処理能力はクライアントのそれとは段違いだ。
ユーザーにとって分かりやすい例で言えば、AppleのSiri、Google音声検索、MicrosoftのCortanaといった音声認識ソフトウェアがある。音声認識をクライアントコンピュータ(PCだろうがスマートフォンだろうが)のアプリケーションとして実行していた頃は、クライアント側のプロセッサの性能に上限があったので、あまり認識率はよくかった。しかし、現代の音声認識は、クライアントでは人間が話す音声をキャプチャと結果を表示する機能だけが搭載されており、キャプチャされた音声はクラウドサーバーへアップロードされ、そこでクライアントの何十倍、何百倍もの処理能力を持つプロセッサ群で処理が行なわれる。このため、認識率はクライアントで処理していた時代よりも遙かに高くなる。
しかも、既にほとんどの音声認識エンジンにはAIの機能が実装されている。Yahoo! JAPANが同社の音声認識アプリなどに採用している“YJVOICE”もその1つで、ディープラーニングの仕組みが採用されており、音声認識にAIを利用して認識率を高めている。ほかのサービスなどに関しては、音声認識エンジンは具体的な発表こそしていないものの、どんどんAIの機能を取り込んでいる。
今後はこうしたAIを利用したクラウドアプリケーションはどんどん増えていくとみられている。その時に必要になるのは、クラウドサーバー側にあるGPUクラスターのような高い処理能力を備えた並列実行可能なプロセッサ群だ。つまり、今後はゆっくりと、処理能力がクライアント側にあるプロセッサからクラウドにあるプロセッサへと移り変わってゆく、そしてその流れは止まることがないということだ。まさにコンピューティングモデルの大転換が発生しており、我々は今、そのまっただ中にいるのだ。
数々の発表はAdobeが本格的にクラウドファーストになったことを示す
Adobeもまさにそうした時代に合わせて変わろうとしている。今回のAdobe MAX 2016でのAdobeの発表はそうした“本格的なクラウドコンピューティング時代”へと繋がっていくことばかりだ。
クラウドコンピューティング時代に避けて通れないのが、モバイルへの対応だ。ここ数年、Adobeはモバイル向け(より具体的に言うならiOSとAndroid OSへの対応)アプリの拡充を続けてきた。今回のAdobe MAXでは、iOS向けに提供してきたPhotoshop Sketchの拡張を発表し、デスクトップ版Photoshop CCのブラシをそのままPhotoshop Sketchで利用できるようにした。これにより、従来は自分で作ったPhotoshop CCのブラシを使いたいがために無理をしてもデスクトップ版のPhotoshop CCを出先で使っていたクリエイターも、iPad ProとApple Pencilだけで思い通りのイラストを描くことができるようになる(クリエイターにとってそれだけPhotoshop CCのブラシが重要なのだ)。また、Android版のアプリも拡張され、Photoshop Sketch、Photoshop Fix、Comp CCが新たに提供される(従来はiOS版のみ提供されていた)。
さらに、AdobeはCreative Cloud向けのAIのプラットフォームとしてAdobe Sensei(センセイ)の提供を開始することを明らかにした。その名前(日本語の先生に由来する)から色物的に捉える向きもあるようだが、Adobeは大まじめにこのAdobe Senseiをグローバルに展開していく。AdobeはAdobe SenseiのAPIをサードパーティにも公開する計画で、既にAdobe Stockの自動タグ付け機能、Photoshop CCのフォント自動認識機能、2D/3D混在CG作成ツールProject Felixの編集機能などの新機能をAdobe Senseiベースで実現している。
また、Project Nimbusは、Lightroom CC/Lightroom Mobileを進化させたクラウドベースの写真管理編集ツール。Nimbusに関しては別記事で詳細に解説しているのでそちらをご参照頂きたいが、こちらも従来はローカルでしか処理できていなかった写真の管理や編集を、クラウドに持って行こうという意欲的な取り組みだ。
このように、今後Adobeは本気でクラウドファーストを推し進めていく、それを象徴しているのがモバイルアプリの充実であり、Adobe Senseiであり、Project Nimbusなのだ。
PCメーカーの生きる道
こうしたクリエイターツールでさえ、クラウド化していくというクラウドコンピューティングへのシフトはもう誰にも止められないというのが、業界の一致した見解で、Adobe、そしてMicrosoftといったローカルのコンピューティングに強みがあったソフトウェアベンダーも、クラウドコンピューティングへと急速に舵を切りつつある。
そうした時代に、ローカルコンピューティングしかできない“従来型のPC”が生き残っていけないのは明白だ。今後新しいアプリケーションは、必然的にクラウドベースで実現されていく。それを利用するには、クラウドに特化したOSが必要になる。では、AndroidやiOSのデバイスでデバイスを作れば解決かというと、そうでもない。これらのスマートOSは逆にローカルコンピューティングでやってきたことを実現できていない、多くのユーザーやメーカーが必要なのはその中間解だ。
実はそれに最適なOSをPC業界は既に持っている、それがWindows 10だ。Windows 10はUWPという新しいソフトウェアモデルを持っている。UWPはクラウドに最適化されたタッチUI、ソフトウェア開発モデルなどを備えており、クラウドコンピューティングのOSという側面を備えている。その一方、従来のWindows 7時代までに主流だったWin32アプリ、つまりはローカルコンピューティングのアプリケーションをそのまま実行できるOSという側面も備えている。このようなクラウドとローカルのハイブリッドOS、言ってみればスマートOSとWindowsのハイブリッドOSというのがWindows 10の本来の価値だ。
PC業界が生き残るには、この価値をしっかりとアピールするような製品が必要になる。MicrosoftがAdobe MAX 2016直前に発表したSurface StudioやSurface Book(2016年型)や、LenovoがIFAで発表したワコムのペンタブレットをタブレットに統合したYOGA Bookもそうした製品の1つだ。まさに従来型のローカルコンピューティングのPCとしての側面と、スマートOSのデバイスという側面両方の特徴をきちんと備えたPCを世に問うことができれば、クラウドコンピューティングの時代でもPCはしっかり生き残っていけると筆者は考えている(もはやそれはトラディショナルなPCではないかもしれないが……)。
既にソフトウェアベンダやプラットフォーマーは本格的なクラウドコンピューティング時代に向けて走り始めている。今後デバイスメーカー、特にPCメーカーにとっても、いち早くそれに適合した製品を世に問うことができるか、それが重要になってくるのではないだろうか。