【短期集中連載】ThinkPad生誕20年の軌跡を追う

【第2回】次の20年に向け転機を迎えるThinkPad




 「ThinkPad」の生みの親であるレノボ・ジャパンの内藤在正副社長には、20年間に渡るThinkPadの開発の中で、反省しなくてはならない製品があるという。それは、自らの気持ちの中に知らないうちに芽生えた妥協する気持ちが原因だったという。果たして、何が起こっていたのか。そして、レノボによる買収によってThinkPadはどう変わったのか、また、これから20年に渡るThinkPadはどうなっていくのか。引き続き、内藤副社長に聞いた。

●若いエンジニアの力をもっと信じる
内藤在正氏

 今回の取材の中で、内藤副社長は、自らの大きな失敗談を明かしてくれた。「どこかに妥協を許す気持ちがあった。それが大きな反省点だ」と内藤副社長は語る。

 それは、「ThinkPad T30」の開発を行なっていた時のことだ。実は、同製品が市場投入される数年前から、CPUの消費電力が急速な勢いで増えていた。「3Wの消費電力だったものが8Wになり、ノートPCにもファンを搭載する必要が出てきた。さらに、その1年後には16Wになり、続けて20W、30Wへと消費電力が高まっていった。ファンはますます大きくしなくてはならず、ヒートパイプも大きくする必要に迫られた。当然、PCの筐体そのものも大きく、重くする必要に迫られた」。

 内藤副社長は、現場で陣頭指揮をとりながらも、対策への困難ぶりを理由に、「これでは筐体が大きくなるのは仕方がない」と、自ら思い始めていたのだという。完成した製品を見て、内藤副社長は愕然とした。あまりにも大きな筐体を持った、重たいPCができあがってしまったのだ。

 内藤副社長は自問自答した。「自分の物差しだけで判断してはいないか。若いエンジニアをもっと信じるべきではなかったのか」。自らの経験に加え、新たなことを勉強してきた若いエンジニアの力をあわせることで、「仕方がない」という閉塞感を打破できる可能性に、結論は行き着いた。

 次期製品となるThinkPad T40では、若いエンジニアに多くのことを任せた。すると若いエンジニアたちは、内藤副社長の期待以上の成果を発揮してみせた。「ThinkPad T40」では、軽量化が図られ、さらに高性能化も実現した。

 「私がエンジニアから引退すると宣言したり、若いエンジニアを信じなかったことを謝罪したりはしなかったが」と、内藤副社長は冗談混じりに笑うが、この時、内藤副社長自身にも、自らの仕事の仕方に、大きな変化があったのは間違いない。

ThinkPad T30 ThinkPad T40

●レノボによる買収発表で走った激震
合弁発表会でのレノボのYang Yuanqing(ヤン・ユアンチン)CEO(左)とNECの遠藤信博社長(右)

 ThinkPadのこの20年にわたる歴史の中で、最大の出来事は、2004年12月に発表されたレノボグループによる、IBMのPC事業の買収であろう。ThinkPadが中国メーカーであるレノボに売却されるというニュースは、業界にも大きな激震が走った。当事者である大和研究所の社員への激震はそれ以上のものだっただろう。

 この時、内藤副社長は、米IBMのCTOとして米ノースカロライナに赴任していた。大和研究所の代表という立場からは離れていた時期でもあった。レノボによる買収の話に対して、大和研究所の社員はどう動くのか。内藤副社長は、その動静を俯瞰していたという。

 だが、日本でネガティブな報道が先行し、社員に動揺が走るとみるやいなや、日本に飛んで帰り、大和研究所の社員を前に、自らの想いを語り始めた。「今のIBMの動きを見ているとどうだろうか。液晶事業やHDD事業、基板事業など、PCの主要部品となる事業が続々と売却されている。それらの部品を活用するPC事業も、いずれはそうなるであることは薄々感じていたはずだ。つまり、この川はどこかで渡らなくてはならない。問題はどの橋を渡るかである。私は、この橋が一番丈夫だと感じている。レノボは日本で事業をやっているのか、ビジネスコンピュータの領域をやっているのか。一方で、ThinkPadは中国市場での実績はない。すべてが補完関係にある。一緒になったら次に始まるのはリストラだが、同じものを持たない会社にリストラはない」。

 内藤副社長は、「その時、この言葉がどれだけ響いたのかはわからないが」とするが、それから2カ月間に渡り、日本に滞在し、社員との対話を続けていった。この際、約300人の大和研究所の社員のうち、会社を去ったのはわずか15人程度と、内藤副社長は初めてその数字を明かしてくれた。主要なメンバーは、そのままレノボに残ることを決めたという。

 では、内藤副社長自身は、そのときには、どう思っていたのだろうか。「正直なところ、私が辞めるとか、別の行動を起こすという選択ができる立場にはなかった」と笑うが、「その時に社員に向けて発した言葉には、嘘は1つもなかった」と断言する。そして、「大和研究所のエンジニアは、IBMのPCを作りたいのではなく、ThinkPadを作りたいと考えている。ThinkPadを自分自身だと思って開発してきた。IBMのロゴは我々が入社する前からあり、それはレノボには持っては行けない。しかし、ThinkPadのロゴは、我々が作ったものであり、それは新しい会社に持って行くことができる。それを理解したことで、新たな環境でThinkPadの事業に取り組むことを、前向きに捉える社員が増えていった」と続ける。

 IBMにおけるPC事業の位置付けは、ThinkPadという高い評価を得る製品を持っていながらも、残念ながらコア事業ではなかった。ハードウェア事業においては、メインフレームやサーバーが中心であるのに加え、1990年代からは、サービス事業中心へと経営体質を転換する中で、PC事業の位置付けはますます薄くなっていたともいえる。

 だが、PC専業メーカーであるレノボグループにとって、ThinkPadはコア事業以外のなにものでもない。「大和研究所の中には、徐々に、レノボの成長を支えるのは我々だという意識が芽生えていった」。実際、レノボグループに移ってから、大和研究所への研究開発投資額は増加している。大和研究所の社員も増加傾向にある。

 また、2011年1月にみなとみらいへ移転したのも、新たな投資によって、研究所を次のレベルに高めるという狙いがある。いわば「投資」である。「レノボへの事業移管は、ThinkPadにとって、大きな峠を越えるものであり、その点では一時的には辛いこともあった。だが、今振り返れば、最もいい橋を渡れたと考えている」。レノボグループになったことで、ThinkPad事業はさらに成長する土壌を手に入れたといっていい。

●20年間にわたって維持されてきた大和のDNA

 ThinkPadは、なぜ20年間に渡って、世界中のユーザーに受け入れられてきたのだろうか。内藤副社長は、「お客様の信頼を裏切らなかったことが最大の理由ではないか」と自己分析する。それは、「お客様にとって当たり前といえることを、提供し続けてきたことに尽きる」と続ける。

 その一例を次のように語る。「たとえば、ThinkPadを長年利用していただいたユーザーが、次にまたThinkPadを選択してくれたとする。しかし、買い換えたものが、操作性が大きく変わっていたり、製品の信頼性が落ちていたりというように、もしもお客様をがっかりさせることが起きていたならば、それはThinkPadに対するユーザーの信頼を裏切ることにつながる。10年間信用してもらっていたことが、1回の出来事で壊れてしまうということもある。継続的に、信頼してThinkPadをご利用いただける環境を提案しつづけてきたことが、20年間続いた理由の1つだろう」とする。

 ThinkPadの信頼性を維持してきた背景には、大和研究所が持つDNAといえるものが見逃せないと感じる。そのDNAは、内藤副社長の言葉を借りれば、「やり遂げる」ことだという。有言実行により、これまで数多くの難関をくぐり抜けてきた実績が社内に浸透していることは、IBMでも、レノボでも同じだ。

 「もともとThinkPadを作りたくて大和研究所に配属された人ばかり。レノボになってからは、ThinkPadを作りたいという人の入社がさらに増えている」と、内藤副社長は話す。そうした人材がThinkPadを開発しているのだから、やり遂げる精神が定着するのも当然なのかもしれない。

 だが、内藤副社長は、そこには1つの課題があると指摘する。これまでの20年間は、ほぼ世代代わりがないままに、大和研究所は成長を続けてきた。だが、レノボになって新たな人たちが加わり、プロフェッショナル採用も増えている。他社での経験を持った人たちが増える中で、大和研究所のDNAをどう継承するのかが、これからの課題になってくると内藤副社長は語るのだ。

 「これからは大和のDNAは何かということを、社内に向けて積極的に訴求していく必要があるかもしれない。大和のDNAを継承するための努力が必要だろう」とも語る。

●大和研究所はなぜ継続できたのか

 1つ気になることがあった。IBM時代を含めて、これまで大和研究所は、海外移転や閉鎖という議論に至ったことはなかったのだろうか。

 内藤副社長は、「現在でも、1人あたりのコストが一番高い研究所」と語りながら、次のように述べる。「IBMには、数多くの研究所があり、ThinkPadは、大和研究所だけが開発するものであるという決まりがあったわけではなかった。しかし、結果として大和研究所で開発したほうがいいということになったに過ぎない」。

 それは裏を返せば、危機感の連続であったともいえよう。そして、レノボになってもそれは同じである。

 内藤副社長は、社員に向けてこう語る。「このラボは1年後に潰される可能性が常にあることを肝に銘じてほしい」。今年の成果が昨年と同じ水準であれば、大和研究所の存続は難しいと内藤副社長は語る。そして、来年にはさらに上の水準を目指さなければ、同様に存続はないという危機感も持っている。

 「円高というだけで、何もしないのにコストが上がる。さらに、もともと1人あたりのコストが高い。そこからどんなものを生むことができるのか、どんな貢献ができるのか。日本に拠点を置く大和研究所を存続させるために、どんなことをしなくてはならないのか、ということを常に考えていく必要がある」。

 レノボグループには、イノベーション・トライアングルという言葉がある。トライアングルを構成する3つの頂点は、中国、米国、そして日本の研究開発拠点のことを指す。これまでは日本といえば、大和研究所を指していたが、NECパーソナルコンピュータとの合弁により、日本の研究開発拠点は、レノボ・ジャパンの大和研究所と、NECパーソナルコンピュータの米沢事業場の2つの拠点の両方を指すことになる。

 「JAPAN R&Dとして、大和+米沢という体制ができあがった。お互いの強みを活用しながら、1日でも早く、多くの成果を出していきたい」とする。

 2011年7月にNECパーソナルコンピュータとの合弁がスタートしてから1年以上を経過している。エンジニア同士が深い交流を行なっているばかりでなく、すでに製品としても、両社の技術を相互に取り入れた相乗効果が上がっている。

 「技術者同士の交流では、お互いに言っていることが理解できる喜びを感じている」と、内藤社長は語る。そして「お互いの刺激が、プラス効果につながっている」とも語る。

 大和と米沢は良い関係を築いているようだ。それが日本の研究開発体制を強化することにもつながっているともいえよう。

●次の20年に向けて大きな転換期を迎える

 「今ThinkPadは、新たな時代に入ろうとしている」。ThinkPadの将来について尋ねたとき、内藤副社長はこう切り出した。

 そしてこうも答える。「今が一番難しい時期かもしれない。今までの20年と、これからの20年を、1つの延長線上で捉えることはできないのではないか」。今まで20年間やってきたThinkPadの理念は変えない。だが、ThinkPadには、変えなくてはならない次の進化が求められているというのだ。

 「これまでの20年間やってきたことの中には、ThinkPadが持つ『安心の砦』のような部分がある。しかし、それが、これからの20年間も通用するのか。たぶんそれは通用しないだろう。今その答えを探しているところだ」。

 たとえば、ThinkPadは7列配列キーボードを採用してきた。現行モデルでは、これがすべて6列配列キーボードへと変更されている。「7列配列では、達成できない筐体の大きさがある。また、ほかにもネガティブ要素が発生していた。これは、ThinkPadがどこかで越えなくてはならないものだった。このように、今までのレガシーさえ守っていたらいいというところにいたら、次の20年はない。今は勇気を出して、熟考を重ねた次の時代のThinkPadを作り上げなくてはいけない。これが第5世代のThinkPadになってくるはずだ」。

 現行のThinkPadは第4世代といわれる。ThinkPadの黎明期が第1世代だとすれば、第2世代ではThinkPadのアイデンティティを確立するために、キーボードの品質やパワースイッチの位置といった細かいところにまで踏み込んで、整合性および共通性を強化。セキュリティチップの搭載やHDDアクティブ・プロテクションといった品質の強化にも乗り出した。

 そして第3世代はレノボに移行した時代。高性能とユーザビリティの強化、環境配慮にも乗り出した時期である。

 現在の第4世代を象徴するのが「ThinkPad Edge」である。中小企業にも受け入れられる新たなコンセプトの製品として開発され、ThinkPadの事業領域を広げてみせた。

守りと攻めの戦略

 「レノボでは、プロテクト&アタック(守りと攻め)という戦略を打ち出しているが、ThinkPad Edgeは、アタックの製品から、プロテクトの製品へと位置づけが移行した」と、これが成功につながった製品であることを示す。

 そして、これに続くのが第5世代ということになる。答えを導き出す期限は、設定をしていないという。

 そして、「私も未来永劫いるわけではない。新たな世代に引き継いでいく必要がある」として、その仕事は次の世代に任せているようである。

 「この課題は大変難しいことである。だからこそ、いい加減には考えるなといっている。たとえば、内藤さんが変えろと言ったから変えたでは答えにはならない。また、変えるのが怖いから変えないというのも認められない。自分が変えた先には、ちゃんとお客様の顔が見えているのか。お客様が納得してくれる形で変えることができるのか。それが重要なポイントになる」。

 20年という節目を迎えて、大きな転換期を迎えているのは、内藤副社長の言葉から、強く感じることができる。

●PCプラス時代のThinkPadの位置づけは

 レノボグループでは、「PCプラス」というコンセプトを掲げている。これは、PCを中核に据えながらも、タブレットやスマートフォン、スマートTVといった製品群との連携がこれからは重視されてくる、というものだ。レノボグループでは、その領域に向けての製品投入を、中国市場から開始しているところだ。

 内藤副社長は、「PCプラスの時代においても、ThinkPadの位置づけには変化はない」と断言する。プロフェッショナルのためのツールであるというコンセプトは普遍だというわけだ。

 では、「PCプラス」の「プラス」という領域にも、ThinkPadブランドの製品は展開されるのだろうか。

 内藤副社長はこんな言い方をする。「今のThinkPadのようなノートPCが、すべてクラムシェル型のスタイルとなっているのは単純な理由によるもの。手で押さえなくてもスクリーンが立っているし、キーボードが必要であるため、それが手前に配置されている。そして、必要とされるプロセッサパワーを実現するためには、これだけの厚みと大きさが必要である。仮にこの形状でなくてもスクリーンが存在したり、キーボードよりも快適な入力方法が誕生したとすれば、当然、別のスタイルが考えられる。それがプロのためのツールになるのならば、ThinkPadが今の形から変わっていくことの方が自然であろう」。これも次の20年のThinkPadの行方を示す重要な考え方だといえる。

●PC Watchの読者にメッセージ

 インタビューの最後に、内藤副社長に20周年を記念して、PC Watchの読者に向けて、特別にメッセージをもらった。

 「ThinkPadのブランドを支えてきたのは、お客様からの信頼に尽きます。今までいただいてきた信頼に対して感謝するとともに、20年間存続をさせていただいたことに対してお礼を申し上げます。これからも信頼を裏切らないために、より良いビジネスのツールとして、またビジネスとパーソナルを両立したライフスタイルに貢献できる製品を投入するとともに、お客様が今は思っていないような次の領域の使い方を、引き続き提案していきたいと考えています。これからもThinkPadをよろしくお願いします」。

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(2012年 10月 9日)

[Text by 大河原 克行]