大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

ライバルから見たIBMのPC事業売却




 IBMからLenovoへのPC事業売却が正式発表された時、日本IBMの大歳卓麻社長は、東海地区のあるユーザーの元を訪れていた。

 本来なら直接、自分の声で、PC事業担当者に向けて、この売却の意味、今後のPC事業についてメッセージを発する予定だった。現在、日本IBMのPC事業は社長直轄部門であり、大歳社長自らが責任を持って事業を推進している立場にあることも、大歳社長の「直接語りかけたい」という、気持ちにつながっていたはずだ。

 だが、米国本社とLenovoとの交渉のなかで中国政府および米国政府との手続きに遅れが生じ、当初、予定された日には正式な発表できず、発表日がずれ込んだという経緯があった。

 発表が確実となった前日、大歳社長は、六本木の本社で約15分間に渡るビデオを撮影し、自らのメッセージをこのビデオに託した。

 「これは、IBMにとって極めてポジティブなものといえる。そして、これまでの売却とは異なり、新たなビジネスモデルを構築するものになる」

 大歳社長は、ビデオでこう語りかけた。

●大和研究所に走った動揺

IBMフェロー 内藤在正氏
 今回の売却で、もっとも動揺が走ったのは、やはり大和研究所だっただろう。

 ThinkPadの開発拠点である同研究所のPC事業担当社員は、そのまま新会社に移行することになるからだ。

 IBMという誇り高き企業に就職した社員が、一夜明けた途端に、中国のPCメーカーの社員に自動的に移行するのだから、社員に動揺が走ったのも当然といえば当然である。

 しかも、正式発表前の第1報が、ネガティブな形で報道されたため、その動揺は大きかったはずだ。

 ThinkPadの生みの親であり、IBMフェローである内藤在正氏は、次のように話す。

 「きちんとした発表の前に、誤った形で情報が届いたために社員が動揺したのは確かだった。だが、社員にきちんとした説明を行ったところ、すべての社員がこの意味を理解し、社員にとって幸せな判断であることと知った」と話す。

 以前、PC事業を担当していた橋本孝之常務執行役員は、「IBMの社員は変化することに慣れている。今回の売却の意味をしっかり理解すれば、IBMのPC事業を担当している社員はこれまで以上に力を発揮することになるだろう」と期待する。

 一昨年の日立製作所へのストレージ事業売却で、IBMの社員は自動的に日立との合弁会社に移籍することになった。古い社員のなかには、かつてのメインフレームに関するスパイ事件を持ち出し、「スパイした会社に行けるか」と吐き捨てた例もあったという。だが、この提携は、現在では黒字へ転換し、両社にとっても成果となっている。これも変化に強いIBM社員ならではの特性が生かされた例といえるかもしれない。

 実は、ここ数年の入社式で大歳社長は、決まって話す言葉がある。

 それは、「就社でなく、就職を目指して欲しい」という言葉だ。それを新入社員に対して、こう説明する。

 「IBMという会社に入ったことがみなさんのゴールではない。みなさんは、職業や社会に就職したのであり、自分のスキルをどんどん磨き、それを生かせる場があったら、その会社に行くことも必要だ」

 日本IBMでは、就社につながる「入社式」という言葉を使わず、「スピリング・キックオフ」という言葉を使っている。新入社員にとって、これからがスタートであるという意味だ。

 この意識が浸透していれば、今回のPC事業売却は、社員にとって、極めて前向きに受け取れるものとなるはずだ。

 内藤氏は、それを証明するようにこう言い切った。「大和研究所の社員は、IBMのPCを作りたいのではない。ThinkPadを作りたいのだ。そして、ThinkPadは自分自身だと思っている」

●チャンスと見る競合メーカー

 だが、競合メーカーは、ある意味でチャンスと見ている。

 それは、日本IBM幹部の言葉とは裏腹に、優秀な社員が流出する可能性があると見ているからだ。

 ノートPCは、日本のメーカーが優位性を発揮できる分野。米国や欧州でノートPCの出荷比率が高まるなかで、DellやHPに対抗するにはこの分野での優位性をますます発揮する必要に迫られる。だからこそ、ノートPC分野での優秀な人材を確保したいというのは、国産PCメーカーに共通した意見だ。

 とくに、事業の売却そのものを持ちかけられたとされる東芝は、ノートPC事業に特化した世界戦略を展開しているだけに、そうした人材を確保したいのは明らかといえるだろう。もちろん、ソニーや富士通も同様だ。事業そのものの買収は、コンシューマにフォーカスするソニーや、国内生産にこだわる富士通にとっては魅力が薄い。しかし、対象が大和研究所の技術者となれば、話は別だ。魅力は大きいといえるだろう。

 今後、水面下では、技術者争奪戦が始まるというのが、多くの国産PCメーカーに共通した見方だ。

●シェア争いへの影響

 今回のIBMの動きによって、国産PCメーカーが気になるのが自社への影響だ。ここには2つの観点がある。

 1つは、PC事業のシェア争いという観点からの影響。IBMの付加価値戦略と世界戦略を足がかりに、低コスト戦略を打ち出すLenovoが、日本市場および海外市場でどれだけの影響を及ぼすか、という点だ。世界第3位のスケールメリットと、今後の事業戦略の大きな舞台となる中国での高い実績は侮れない。

 PC事業を担当する前に、中国で通信事業を担当していた経緯を持つNECパーソナルプロダクツの片山徹社長は、自らの目で見てきた経験から、「中国国内での認知度や、価格戦略ではLenovoが持つ影響力は極めて大きい」と指摘する。だが、「全世界戦略、あるいは日本において、これが通用するかは別問題。当社のPC事業への影響はない」とも断言する。

 Dellの日本法人も、「業界再編の動きが加速しているが、Dellは競合を見てビジネスをしているのではない。顧客の動向、ニーズを見ながらビジネスを行っている。今後も利益を伴って成長機会があるビジネスだ考えている」と、影響がないことを示唆する。

 また、ソニーのIT&モバイルソリューションズネットワークカンパニーNCプレジデントの木村敬治執行役専務は、「今後、PCがテレビと接続して利用されるなど、これまでにはなかったAVとITの融合が進み、バイオはそうした方向へとますます進化する。Lenovoがコンシューマに強いといっても、我々とは狙いが異なるだろう」と話す。

 一方、東芝のPC&ネットワーク社社長の西田厚聰取締役執行役専務は、「IBMの顧客が、この売却をどう理解するか。むしろビジネスチャンスができたと判断できる」と強気の姿勢を見せる。

 実際、IBMのPC事業売却の第1報がニューヨークタイムズ紙で報道されてから、PCの商談が一時的に保留になった例もあった。

 日本IBMの大歳社長も正式発表日にまわった東海地区の複数のユーザーでPCの商談が止まっていた事実を明かす。

 「正式発表を前に、IBMがPC事業から撤退するという形で報道されていたため、不安を感じたユーザーがいたのは事実。だが、私が直接説明をさせていただき、安心してIBMのPCの導入ができることを理解していただいた」と話す。

 裏を返せば、IBMの説明が理解されないままだと、競合メーカーにとっても大きな商談の場が誕生することになりかねない。

●IBMに続くPC事業売却はあるか

 もう1つの観点は、各社のPC事業そのものの存続についてだ。

 IBMの発表を前に、米Gartnerが、2007年までに上位10社のPCメーカーのうち、3社が撤退するとの予測を発表したこともあって、IBMに続き、国産メーカーのPC事業売却の可能性を指摘する声も業界関係者の間では出ている。実際、世界上位10社のなかには、国産メーカーとして富士通、東芝、NECの3社が含まれている。

 これに対して、富士通の黒川博昭社長は、「社内には、赤字が出ないようにしないと、撤退しなくてはならないとは言っている」としながらも、「ユビキタス社会へと進むなかでは、PC事業は、きちっと育てていかなくてはならない事業。引き下がってはいけないと考えている」として、事業を継続する方向性を示した。また、PC事業を統括する伊東千秋取締役専務も、「富士通にとって、PC事業はものづくりの強さを示す指標となっており、製造を含めて、今後も事業を続けていきたい」と、異口同音に事業継続を強調する。

 東芝の岡村正社長も、「確かに前年度は大幅な赤字を計上したPC事業だが、確実に黒字化へと転換しはじめている。PC事業売却の意志はない」と言い切る。

 一方、「依然として、PC事業はノンコア事業」として、PC事業には厳しい姿勢を見せるNECの金杉明信社長も、「営業利益率で3%、ROIC(投資資本利益率)で10%という目標に対して、着実に成果をあげつつある。まだ手放しで評価できる段階ではないが、成果が出ていることは評価できる」と語る。そして、「BIGLOBEとの連動を考えれば、PC事業が持つ意味は大きい」とPC事業を持っていることの重要性を示唆する。

 こうして見ると、各社ともPC事業売却は、視野に入れていないというのが共通的な見解だといえる。

 だが、収益性の低さは各社とも認識しているのは明らか。IBMがPC事業を売却した理由の最大の要因もそこにあると各社首脳は見る。

 「一定の成長性、利益にこだわるIBMならば、こうした判断があるのは当然のこと。驚くべきことではない」(富士通 黒川社長)、「ソリューション事業を中心とする構造改革を着々と進めてきたIBMにとっては、収益性の観点から見ても考えられた判断」(ソニー 木村執行役専務)という各社首脳のコメントからも明らかだ。

 当然、収益性の厳しさは各社に共通したもの。予想外の市場低迷や、価格競争の激化、それを背景にした収益性の悪化という構図に陥れば、いまは売却の可能性を否定している各社も、それを検討材料にしないわけにはいかないだろう。

 首脳のコメントとは裏腹に、再編の動きが続かないというのは、むしろ考えにくい。台湾や中国のODMメーカーの再編を指摘する声もある。そして、日本、米国、台湾のメーカーも利益確保の面から厳しい条件を突きつけられたなかで事業を推進している。

 これから数年にわたって、PC事業に関する各社首脳のコメントは注意深く見ていく必要がある。

□関連記事
【12月17日】Lenovoへの売却について、ThinkPadの生みの親が会見
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/1217/ibm.htm
【11月30日】米Gartner、PC市場の暗い先行きを予想
~2007年までに上位10社中3社が撤退か
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/1130/gartner.htm

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(2004年12月20日)

[Text by 大河原克行]


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