■福田昭のセミコン業界最前線■
次世代大容量磁気メモリの行方が混沌としてきた。次世代大容量磁気メモリとは、DRAMとほぼ同等の容量と、SRAMとほぼ同等の読み書き速度を兼ね備えながら、電源を切ってもデータが消えないメモリ(不揮発性メモリ)であり、原理的には製造コストがSRAMよりもはるかに低く、DRAMに近いレベルを狙えるメモリである。
具体的には、2Gbit~16Gbit級の記憶容量、数十nsの読み出しアクセス時間、数十nsの書き込みアクセス時間、10年以上のデータ保持期間、ほぼ無限の書き換え回数を実現できるとされている。NANDフラッシュメモリに比べると記憶容量では劣るものの、NORフラッシュメモリよりも記憶容量が大きく、データの書き換え時間がはるかに短く、書き換え回数の制限がない不揮発性メモリだとも言える。
世界で初めて製品化されたMRAMのチップ写真。記憶容量は4Mbit |
次世代大容量磁気メモリは「第2世代の磁気メモリ」とも呼ばれている。「第1世代の磁気メモリ」はすでに商品化されており、システムに採用された実績を有するからだ。第1世代の磁気メモリは「MRAM(Magnetic Random Access Memory、エムラム)」と呼ばれており、最大容量で16MbitのMRAMが製品化済みである。
MRAMは磁性体の磁化の向きの違いを電気抵抗値の違いに変換することで、データを記憶している。磁化の向きの違いをデータとする点は、HDDと変わらない。ご存知のように、HDDの書き換え回数はほぼ無限回であり、半永久的にデータを記憶しておける。MRAMはHDDの記憶原理を半導体集積回路(電子回路)に持ち込んだメモリだとも言える。
MRAMは、SRAM並みの読み書き性能とほぼ無限の書き換え回数、半永久のデータ保存期間(20年以上)を実現した初めての不揮発性メモリ製品である。ただし、記憶容量はあまり大きくできなかった。データを記憶するメモリセルがとてつもなく大きいからだ。おおよそ、DRAMの5~7倍くらいの面積がある。言い換えると、同じ半導体製造技術ではDRAMの5分の1以下の記憶容量になってしまう。実際のMRAMでは磁界発生用の配線と周辺回路が加わるので、実現可能な記憶容量はさらに小さくなる。
●DRAM並みの記憶容量を狙えるSTT-RAM第1世代の磁気メモリの弱点である大容量化を一気に進められそうなのが、次世代大容量磁気メモリ(第2世代の磁気メモリ)である。第1世代との違いはメモリセルの大きさにある。原理的にはDRAMのメモリセルとほぼ同じ大きさを狙えるのだ。そして将来は、DRAMを超える記憶容量を実現できると期待されている。
次世代大容量磁気メモリは「スピン注入メモリ」あるいは「STT(Spin Transfer Torque)-RAM」と呼ばれている。なお半導体業界ではメモリを分類するときにSTT-RAMをMRAMに含めることがあるが、本稿ではMRAMは第1世代のみを指すことにし、STT-RAMはMRAMに含めない。
STT-RAMのメモリセルでは、電子のスピンによって生じる磁気モーメントを利用して磁性体の磁化の方向を変える。微細化(あるいは磁性膜の面積を小さく)するとともに、データの書き込みに必要な電流値が小さくなるという、高密度化に適した特性を備えている。
MRAMのメモリセル(左)とSTT-RAMのメモリセル(右)の構造 | DRAMセル並みの小ささを実現するSTT-RAMセルの構造と書き込み電流 |
●STT-RAMの開発はベンチャーが主導
そのSTT-RAMだが、DRAMメーカーやフラッシュメモリメーカーなどの半導体大手はこれまで、研究開発にはそれほど積極的ではないと見られていた。研究開発を主導しているのは海外の技術開発ベンチャー企業であり、特に米国の技術開発ベンチャー、Grandisがその代表格であり、STT-RAMの開発では先頭を走る企業とされてきた。
Grandisは2002年に設立され、米国カリフォルニア州ミルピタス(シリコンバレーを構成する街の1つ)に本社工場を構えている。設立当初からSTT-RAMの技術開発に取り組んできた。STT-RAM技術に関する62件の米国特許を保有しており、海外で取得および申請中のものを含めると特許の件数は192件に達する。
Grandisは最近まで、開発したSTT-RAM技術をライセンス供与することでメモリチップを製造してきた。2005年にはマイコン大手のルネサス テクノロジ(現在のルネサス エレクトロニクス)にSTT-RAM技術を供与したと発表した。その後、256KbitのSTT-RAMチップを90nm CMOS技術によって共同で試作したことを2009年8月に公表している。このメモリは単体チップではなく、フラッシュメモリ内蔵マイコン(フラッシュマイコン)のような埋め込みメモリを想定して試作された。
そして2008年には韓国の半導体メモリ大手Hynix SemiconductorにSTT-RAM技術をライセンス供与し、単体チップを共同で開発すると発表した。GrandisとHynixは2010年12月に、64MbitのSTT-RAMを試作した結果を国際学会IEDMで公表した。今後は両社共同で大容量化を押し進め、1Gbitクラスのチップを2012年には発表するものと期待されていた。
Grandisの概要 | 256Kbit STT-RAMのチップ写真とチップの概要 | 64Mbit STT-RAMのチップ写真 |
●韓国Hynixと東芝のSTT-RAM共同開発
事態が大きく動き出したのは2011年7月である。7月13日にHynixと東芝がSTT-RAMを共同開発することで合意したと発表したのだ。このリリースは一部で誤解を招いた。和文リリースでは「MRAM」としか表記しなかったからだ。英文リリース内では「STT(Spin Transfer Torque)」と明記してあり、STT-RAMの共同開発だと分かる。
Hynixの研究開発拠点である韓国の利川(Icheon)に東芝のエンジニアが出張し、共同開発を開始する。東芝は過去、IBMとの製造技術共同開発やソニーとIBMの3社共同によるプロセッサ「Cell」の共同開発でも海外にエンジニアを出張させてきた経験がある。今回の共同開発でも東芝のエンジニアが出張する。過去と同じ方式であり、違和感はない。
少し驚いたのは、東芝がSTT-RAMの製品開発に積極的に取り組む気になったことだ。同社は2010年2月に64MbitのSTT-RAMチップを国際学会ISSCCで発表しており、一見すると研究開発に積極的なようにも見える。しかし東芝が試作チップに採用したSTT-RAM技術は垂直磁気記録方式であり、技術的な難度が非常に高い。製品を意識した技術開発ではなく、基礎研究寄りの技術開発であり、製品開発にはあまり積極的ではないとみなされていた。
これに対してHynixとGrandisが共同で試作したSTT-RAMチップは長手磁気記録方式であり、高密度化の可能性では垂直磁気記録に譲るものの、技術的な難度は垂直磁気記録方式に比べると低く、製品に近いチップと言える。
●SamsungによるGrandis買収の波紋
東芝とHynixの共同開発の背景にはGrandisの存在があり、東芝とGrandisは近くライセンス契約を結ぶ可能性が高い、あるいはすでに両社はライセンス契約を締結済みではないかと思われていた。
ところが2011年8月2日、半導体メモリ最大手のSamsung Electronicsが7月末にGrandisの買収で合意していたことを公表した。Samsungのリリースによると、GrandisはSamsungの研究開発部門に統合される。買収の対象はGrandisの従業員および特許を含めたすべての資産である。
これまでSamsungは、相変化メモリ(PCMあるいはPRAM)を次世代不揮発性メモリの有力候補として積極的に開発してきた。例えば2011年2月には、国際学会ISSCCで1Gbitの相変化メモリを試作した結果を公表した。また512Mbitの相変化メモリを製品化し、同社のシステムに採用済みだとされている。一方でSTT-RAMの開発では先頭を走っているとは言えない状況だった。Grandisの買収は、この状況を一気に逆転させる可能性が少なくない。
東芝とHynixの立場は微妙になった。東芝はSamsungにとってNANDフラッシュメモリの最大の競合相手である。HynixもDRAMとNANDフラッシュメモリの両方でSamsungと競合関係にある。Grandisが保有している多数の特許をSamsungが入手することは、東芝とHynixにとって頭の痛い問題となりかねない。
韓国におけるSTT-RAMの研究開発という側面で見ると、事態はさらに複雑である。韓国政府は「Terabit-level Memory」の産学共同研究プロジェクトを推進しており、その中で垂直磁気記録方式のSTT-RAM研究に年間403万ユーロを投じている。韓国Hanyang UniversityのFusion Technology Centerが共同研究拠点で、共同研究には同大学の研究者のほか、SamsungとHynixの研究者が参加している。ここではSamsungとHynixが共同研究チームを組んでいるのだ。
「Terabit-level Memory」研究プロジェクトの概要 | 垂直磁気記録方式のSTT-RAM研究拠点であるHanyang UniversityのFusion Technology Center |
STT-RAMはここに来て、ポストDRAMの有力候補となりつつあるようだ。DRAMの微細化限界が近づきつつあるという、厳しい現実が背景にある。具体的にはDRAMセルの記憶素子であるキャパシタが、微細化に追随できなくなってきた。微細化すればするほど、キャパシタの静電容量は小さくなる。すると貯えられる信号電荷の量が減少する。2Xnm時代は何とかなりそうだが、1Xnm時代がDRAMは見えていない。そこを救うのがSTT-RAMとなるのかどうか、行方はまだ分からない。
(2011年 8月 8日)