モバイラーが憧れた名機を今風に蘇らせる
第4回
東芝「Libretto 30/60」
~Windowsモバイルのエポックメイカー
2015年2月28日 06:00
時は今から約19年前の1996年、まだ弊誌「PC Watch」の創刊2日目。PC業界に新しいモバイルの旋風が吹き込んだ。それが東芝の「Libretto 20」である。
それまでWindowsが動く超小型モバイルPCと言えば、IBMの「Palm Top PC110」が存在していたのだが、いかんせんCPUやメモリ、HDDなどが非力で、Windows 3.1はなんとか動くが、Windows 95の動作は厳しかった。Libretto 20はWindows 95を本格的に使用できる、画期的な超小型モバイル機であった。
それまでの“モバイルノートPC”は、B5ファイルサイズが当たり前であり、「サブノート」と呼ばれるジャンルが支配していた。東芝はLibretto 20を「ミニノート」と呼び、新しいPCのジャンルを切り開いたのである。
今回、そのLibretto 20こそ入手できなかったが、正統後継である「Libretto 30」と、筐体を維持しつつ、CPUなどのプラットフォームを刷新した「Libretto 60」の2機種を入手できた。
PC-9821を買った筆者を“後悔させた”DOS/V機
1996年は筆者がまだ13歳、まだ中学1年生の時のことである。当時は身の回りでPCは大して普及もされておらず、学年(200人程度)の友達のうち十数人、つまり10%程度の家庭に、あまり使われていなさそうなPC-9800シリーズが置いてある程度であった。
子供の頃からPCに興味を惹かれた筆者だが、中学校への進学に当たり「PCを進学プレゼントとして上げるから、自分で好きなものを選びなさい」と親に言われ、選択をすることに。10%の普及度と言えども、PC-9800シリーズなら身の回りである程度相談する環境が整っており、さらに中学校でもPC-9800シリーズを技術の授業で使っていたので、「PC-9821V12」を選択したのだった。
そんなわけで、DOS/Vの世界とはある程度距離を置いていた筆者であったのだが、ご存知の通りWindows 95の爆発的なヒットによって、国内でもDOS/V市場が隆起。筆者がPC-9821を購入した後に、友達(正確には友達の親だが)が購入したPCの100%がDOS/V互換機であった。
また新たに出てくるソフトウェアやゲームなども、当然Windowsをベースとしているため、DOS/V互換機でも問題ない。さらにDOS/V互換機の世界では、EDO DRAMやパイプラインバーストSRAMのキャッシュなど、新しいハードウェアの技術的要素が多く、ワクワクできた。そんなわけで、筆者としては旧DiscStationをプレイできる以外は、PC-98にこだわる必然性が薄れていった。
PC-9821/V12は安い買い物ではなかったため、親に「もう1台DOS/V互換機を買ってください」と言えるはずもなく、小遣いでメモリやオーバードライブプロセッサ、ビデオカードなどを購入してPC-9821V12を強化して行った。パーツを買うついでにPC関連の店を回っている中、筆者の目に飛び込んできたのが、「Libretto 50」である(残念ながら当時、筆者はそれ以前のLibretto 20の存在を知らなかった)。
「ん? Pentium 75MHz搭載でメモリは16MB?! CPUは俺が買ったV12と比べればちょっと遅いが、メモリは倍じゃないか。しかもHDDも810MBと変わらない。それをこのサイズで? これなら横になりながら、親にバレずにPC遊べるじゃないか。それなら2年待てば良かった」などと、後悔させられたものだ。
ちなみに“親にバレずに”と書いたのは、親がPCを買ってくれたにも関わらず、使うことに関して全然同意が得られなかったからである。PCの電源を付けると、どうもゲームしか遊ばないと思っているらしい。もちろんプログラミングやワープロの合間にゲームをプレイしていたのは事実だが、ゲームがなければ今ほどCPU性能は向上しなかっただろうし、GeForceやらRadeonやら、話題になる市場もないと思うのだが、親にはそれが分からなかったのだから仕方ない。
で、PC-9821V12のHDDは、今のビデオカードのフル回転以上に煩くて、夜中電源を付けると、すぐに親が駆けつけてきて、「今ゲームやっていたでしょう!」と怒られていたものだ。Libretto 50ならこっそり電源付けられるだろうから、せめてプログラミングをもう少し習えたとか、RPGツクールでどこかのゲームディレクターにデビューできたのではないかと思うと、後悔以外の言葉が見当たらない(とは言え、今のIT記者としての人生には満足している)。
ちなみに、Libretto 20の登場を知らなかった理由も付け加えておくと、PC-9821V12購入前から親のすすめと出費で「日経WinPC」(現在休刊)を購読していたのだが、先述の理由で「PCをつければゲーム」というイメージがすっかり植え付けられた親に、約半年で購読をやめさせられたのである。当時ネットもやっていなかったので、以降PCに関する新情報は入らなくなってしまい、そんなわけでLibretto 20の情報を見逃した。
よく考えられた小型フォームファクタ
プライベートな話題で前置きが長くなったが、まずは本題のLibretto 30/60の特徴について見ていこう。と言っても、Librettoはミニノートというジャンルを切り開いた先駆者であるから、もはや説明するまでもないだろう。本体サイズは210×115×34mm(幅×奥行き×高さ)、重量は840g。このサイズにWindows 95が十分動くスペックと、6.1型TFT液晶を詰め込んだ。ただこれだけで、革新的であった。
キーボードは、さすがにテンキーはないものの、主要キーの配列に関しては至ってまっとうであり、フルサイズキーボードをそのままギュッと小さくしたような雰囲気である。エンターキーの横にはPause/Home/Page Up/Page Down/End/Ctrlキーを縦一列に配しており、デスクトップに引けをとらない1キー1アクションの使い勝手を実現している。
キーピッチはわずか13mm。昨今のPCは最低でも16mm程度確保されていることからすると圧倒的に小さく、窮屈なのは間違いない事実なのだが、実際にタイピングして見ると「思いのほかタッチタイプできる」印象だ。ただタッチ感に関しては後発のLibretto 60の方が軽く、高速にタイピングできる。
ポインティングデバイスは「リブポイント」と呼ばれる、これまた画期的なものであった。液晶の右横に取り付けられた平べったいスティック型のポインタを利用して、親指でマウスカーソルを移動し、このスティックに親指を置くと必然的に背面来る天板の位置に左クリック(人差し指)と右クリック(中指)ボタンを配置している。
東芝の一般のノートに幅広く採用していたアキュポイントと比較すると、キーボードのホームポジションから手を離す必要が生まれるので、利便性ではイマイチなのだが、このサイズにポインティングデバイスを配置できるのは、天板しかなかったのだろう。とは言え、両手で操作する「バイオU」とは異なり右手だけでマウス操作できるので、ファイルのコピー(Ctrl+ドラッグ)などの操作がより容易だと言える。
革新的なフォームファクタはAMDからだった
まずはLibretto 30から見ていこう。CPUには、AMDのAm5x86-P75を採用。本来133MHzで駆動するチップだが、100MHzで駆動させて低消費電力化を図ったものとなっている。本機に搭載されているのは208ピンSQFPで3.3V動作、ケース内上限温度85℃品である。Libretto 30の前身となるLibretto 20は1996年4月に発売されたモデルだが、CPUは同じAm5x86で、75MHz駆動に限定したものとなっていた。
Am5x86-P75はi486対応のマザーボード/チップセットで利用可能で、i486とはソケットやバス互換がないPentium 75MHzに相当する性能を実現していたCPUである。FSBは33MHzで、内部でクロックを4倍に逓倍して動作していた。1996年当時、Intelにはモバイル向けのPentiumプロセッサがなかった。つまり、LibrettoのフォームファクタはAMDが実現させたと言っても過言ではない。
チップセットには、高密度実装を実現するために東芝が独自に開発/設計した「Petunia」を採用。このチップセットは、システムコントローラ、PCMCIAコントローラ、I/Oコントローラ、リアルタイマー、システムインテグレータという5つの機能を1チップに集約しており、体積/面積、そして消費電力を削減した(出典:Librettoスーパーブック)。Librettoの開発の裏には、当時最先端だった東芝の半導体技術も大きく影響していたわけである。
メモリはSamsung Semiconductor製のファーストページRAM「KM416V1000AT-6」を採用。4チップで8Mの容量を実現している。ビデオチップはCirrus Logicの「CL-GD7548」。VLバスに対応した、いわゆるウィンドウアクセラレータであり、表示モードは640×480ドット、800×600ドット、1,024×768ドットの3つ。1MBのビデオメモリをサポートし、そのビデオメモリには三菱製のEDO DRAM「M5M4V4265CTP」が採用されている。
HDDは東芝の「MK0501MAT」。Librettoの筐体は決して薄いわけではないのだが、少しでも薄くするために、9.5mmではなく8mm厚という特殊タイプの2.5インチHDDとなっている。このため9.5mmタイプに換装するためには改造が必要で、さらに厚みのある12.5mmの大容量2.5インチHDDを入れるために、裏蓋を切るユーザーも続出したという(通称裏切りと言われる)。
ちなみに入手した品には、クロックジェネレータ「W48C54A」を改造して、133MHz駆動させた跡があった。またメモリも増設されていた。前の所持者はかなりのヘビーユーザーだったようである。
基板を見て分かる通り、多数の部品を高密度で集約しており、東芝の技術力の高さが伺える。逆にバイオUと比較すると、1枚の基板で全ての機能を実現しているため、フレキシブルケーブルはキーボードと液晶のみとシンプルに抑えられているのが分かる。これが、当時50万円や100万円ですら珍しくなかったノートPCの世界で、20万円を切る価格(税別で198,000円:アプリケーションモデル)を実現できた理由だとも言えるだろう。
(また)時代が隔てた兄弟機
続いてはLibretto 60の方である。と言ってもこちらは正しくは「Libretto for DoCoMo D-2」(Libretto MobilePackII)というモデルで、大容量バッテリ、FDD(PCカード型)、およびモバイルデータカードをセットにしたものである。
セットの話はさておき、搭載される半導体を見ていこう。CPUはPentium 100MHz(VRT)となっている。先述の通りLibretto 20登場時はIntelは対抗できるモバイルCPUを用意できなかったのだが、わずか1年足らず(1997年1月のLibretto 50で初搭載)で用意したことになる。
ちなみにPentium VRTのVRTは、モバイル向けのPentiumに新たに搭載された機能である。当時のデスクトップ用Pentiumは3.3Vの電圧で駆動していたのだが、ご存知の通り消費電力は電圧に直接影響されるので、バッテリ駆動時間や放熱面からも低電圧の方が好ましい。そこでPentium VRTはI/O電圧を3.3Vのままに、コア電圧を2.9Vに低下させる「デュアルボルテージ」技術を採用ことで消費電力を削減した。なお、この技術はPentium MMXプロセッサ全モデルで採用され、今となってはブロックごとに駆動電圧がさらに分離されている。
そんなわけで、Libretto 30と60は見た目もそっくりな兄弟機ながらほぼ別物となっているわけだが、しかしCrusoeがモバイル市場を牽引し始めたところに低電圧版Pentium IIIを投入したり、サードパーティのチップセットが軌道に乗り始めたところにCentrinoプラットフォームを投入したりと、Intelのビジネスの“上手さ”は抜きん出ている。
新CPUに対応するために、メモリはEDO DRAMになり、チップセットは新開発の「Petunia II」となった。ちなみにPetunia IIはWindows 95 OSR2に合わせて設計したとされており、サウンド機能追加のためのDMA機能、パラレルポートのECP対応などが追加されている(出典:Librettoスーパーブック)。このためチップセットは大型化した。
ビデオチップには、Chips and Technologies製の「T65550」が採用されている。こちらはVLバスに加えPCIバスにも対応したウィンドウアクセラレータである。ビデオメモリは1/2MBに対応し、64bitエンジンを備えるなど、CL-GD7548と比較して高速化されている。ビデオメモリは東芝純正の「TC51V4265DFTS-50」であった。余談だが、Chips and Technologiesは後にIntelに買収された。
Libretto 30と比較してさほど実装の高密度化はされていないが、底面がプラスチックからマグネシウムになったり、CPUの上に大型のヒートシンクを備えるようになったりと、CPU性能向上に伴う発熱増加対策が施されていることが分かる。底面はマグネシウムの採用で強度が高まったのだが、フレームはプラスチックのままであり、強度の違い、そして経年劣化により、分解時にプラスチック側の爪が破壊される可能性が高まった。
両機とも不調を抱える
さて、今回は両機ともにヤフオクではなく、Libretto 30は他媒体の記者、そしてLibretto 60は弊社のスタッフから譲り受けたものである。よって入手価格は0円だ(Libretto 30は取りに行ったので、電車賃はかかったのだが)。
まずはLibretto 30。見た目大きな欠損はないのだが、「電源が入らない」という致命的な不具合を抱えている。まずはこれを解決しなければならない。そして何やら天板には妙なシールが貼られている。これではミニノート伝説を創った開発者の方々にちょっと失礼である(笑)。
一方Libretto 60は電源は入るものの「画面が映らない」と言われたもの。バックライト切れか、それともフレキケーブルの破損か。前者ならバックライトを交換するだけで良いのだが、後者となると致命的である。
発売から20年近く経っている製品ということもあり、分解や修理には細心の注意を要する。というのもLibrettoは殿堂入りしても良いぐらいのデバイスであり、間違って壊したら、もう2度とスペアパーツを入手する機会がないかも知れないからだ。今回も数回分解したのだが、正直毎回緊張して冷や汗モノだった。
余談だが、Libretto 30はACアダプタが付属されてなかったものの、Libretto 60と共通の15Vタイプであり、Libretto 60のものを流用できる(逆は出力電流不足になるのでできない)。もっと言えばLibretto L1~L5のACアダプタも利用可能だ。
さらに蛇足だが、Libretto 60は、本体の電源をオンにして使用していてもバッテリが充電されるという“当たり前仕様”なのだが、Libretto 30は電源オフ時にしか充電されないという、ノートPCとしては異例な仕様となっている。なお、Libretto 30と60のバッテリは共通のようである。
楽勝で修復。ついでにLibretto 60をCF化
さてまずLibretto 30からである。ACアダプタを繋いでみたところ、確かに起動しない。しかしLibretto 60で充電したバッテリを使うとあっさり起動する。そこで分解して、テスターを電源部の至るところに当ててみたところ、どうやらヒューズが切れていたことが分かった。
とにかく動かすだけならヒューズをショートさせてしまうのが手っ取り早いのだが、別のパーツの故障が原因で切れていたのなら危険だし、そもそもヒューズなしというのも怖い。ということで秋葉原に向かい、千石電商で購入して(74円)取り付けた。
本来古いヒューズを取り外してから新しいヒューズを取り付けるべきなのだが、20分はんだゴテで格闘しても古い部品が取れなかった。近くに背の高いコンデンサもあり、長時間の作業は禁物である。どうせ古いヒューズは中で断線しているわけだから、そのまま新しいヒューズを載せてハンダ付け。すると見事にLibretto 30がACアダプタで起動した。
恥ずかしいシールは、剥がした後アルコールで残ったシール材を除去。ようやく東芝として誇れるPCとなった。
さて続いてはLibretto 60である。「ディスプレイが真っ暗のまま」だと言われて電源投入してみたが、普通に映るのではないか。ところが、持ち方によっては突然液晶が消えたり線が入ったりと、どうやらどこか接触不良のようである。
開けてみたところ、Libretto 60はLibretto 30とは異なり、液晶のフレキケーブルがラッチで留めるZIFタイプではなく、上から押さえて留めるソケットタイプであることが確認できた。そしてそのコネクタの接合が甘かった。これが映ったり映らなかったりする原因のようだ。
Libretto 60を修理したついでに、ストレージをHDDからCFに変更した。これならばバッテリの持ちが伸びるだろうし、騒音も減って、さらに振動にも強くなる。ちなみに以前Libretto L1修復時には変換名人の「CFIDE-441IA」を使用していたのだが、Libretto 60はHDDを基板の真上に収納していることもあって、コネクタと基板の間の隙間が狭く、CFIDE-441IAだとコネクタのピンが出っ張って装着できない。そこで底面がほぼフラットの「CFIDE-402FB」を使用した。
CFIDE-402FBは2.5インチ互換のネジ穴が付いたフレームも用意されているのだが、Librettoの金具を取り付けるとやや短く無意味なため、完全に取り払って軽量化することにした。またコネクタ部も基板と干渉したのだが、そこには配線が通っていなかったようなのでバッサリ切る。変換名人は何かと加工が必要だ(笑)。
データの移行はなかなか苦労した。というのも、Libretto 60はHDDの後ろからメモリと同容量の領域を確保し、そこをBIOS独自のハイバーネーション領域にするためだ。HDDやCFをLibrettoに接続し、フォーマットすれば自動的にその領域が確保されるのだが、別のマシンで予めその領域分以上を適当に残しても、Librettoに戻すと起動しない。当初この問題だと分からずCF本体を疑ってしまい、約1日無駄にしてしまった。
ただ、Libretto側で一度領域確保さえ行なっていれば、別のマシンで(パーティションを変更しない限り)煮ようが焼こうが自由である。幸い、今回Libretto 60と同時にPCカード接続のFDDを譲り受けた。まず既存のシステム上で起動ディスクを作成。それからCFに換装して、FDDから起動してFDISK命令で領域を確保して、パーティションをアクティブに設定してからsys c:コマンドでブートできるようにする。それからCFを抜いて、別のマシンで旧HDDからデータをCFに移し、Librettoに戻せば完了である。
娘とどこでも一緒
さていよいよ活用法である。Libretto 30については、もはやどこかの博物館に飾られても良いレベルなので、そのまま保存したい。一方Libretto 60については、普段の取材でも使えるよう、標準バッテリを2本ヤフオクで購入した。Librettoは充電が遅い“いたわり充電?”のためか、20年経った今でもバッテリ駆動時間は2時間ぐらい持つ。大容量バッテリだと3時間半は堅い。
これだけバッテリを持っていれば取材も安心してできるので、移動中もバリバリ使える。懐かしの「プリンセスメーカー2 for Windows 95」(プリメ2)のCDを引っ張りだしてインストール。CDの内容をCFカードにコピーし、PCカード変換で常時接続しておけば、CDがなくともプリメ2がプレイできる。娘といつでもどこでも一緒だ。中学校の時は、家に帰らないと会えなかったのに。
ちなみにLibretto 30はサウンド機能がないので、プリメ2には向かない。ついでにLibretto 60プリインストールの「ロータス オーガナイザー 97」で娘のスケジュール管理をしつつ攻略しようと思ったのだが、640×480ドットではウィンドウ表示できず断念である(笑)。
懐かしさのついでに、ドッキングやらPCカードやら関連周辺機器、関連書籍、果てはカタログまでをいっぱい集められたので、写真で紹介したい。当時はいろいろ拡張する楽しみがあったのに、今はExpressCardですら廃れてしまったものだ。
早く大人になりたかった
繰り返しになるが、Librettoの登場は筆者がまだ中学生の時であった。当然、PCが欲しいと思っていても、自分で買うお金なんてなかった。今はお金はあるが、逆に欲しいと思うPCがない。きっと、大人になるのが20年早かったら、もっとPCの業界にワクワクできたんだろう。
この3カ月の間いろんな人に見せたが、評判がいいのは競合(とはもう言えないのだが)他社と、社内の若い人々だった。「このサイズでWindows 95が動くのはやっぱりすごい。うちにはできなかった」。「このサイズ感が最高。もう手にする機会がないかもしれないから写真に撮っておく」。そんな賞賛の声が飛び交う。LibrettoがWindowsモバイルノートのエポックメイカーだったことは間違いない。
実際取材に持って行っても、常に注目の的である。もちろんこれが1997年当時なら「うわぁすごい、ちっちゃい」と関心の的のだが、今となっては「うわぁ渋い、使えてるんですか?」と心配の的である。が、世紀を跨いても注目はされることには注目される。
ただ当時、実際にLibrettoを使っていた社内の“年寄り”に見せると、評判はあまり良くない。「小さいのは偉いけど、取材に持って行って発表会が始まるタイミングで、もうバッテリがなくって使い物にならなかったんだよね。それからこの小さいキーボード、やっぱ取材には無理だわ」と笑う。
なるほど。50万円のPCが当たり前でポンと買える時代に生まれたら、20万円の単なる小さいPCなんて、それほど大したものじゃないかもしれない。すぐに買えて憧れの的じゃなかったら、それはそれで幸せじゃないかもしれない。……などと思うと、複雑な気分にさせられるのであった。
【表】購入と復活にかかった費用(送料/税込み) | |
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Libretto 30 | 0円 |
Libretto 60 | 0円 |
ヒューズ(2個) | 148円 |
ポートリプリケータ | 800円 |
バッテリ(2個) | 2,600円 |
ソニー2.5mm→3.5mm変換プラグ「PC-262S」 | 450円 |
合計 | 3,998円 |