森山和道の「ヒトと機械の境界面」

他者が形作る「ネット上の自分」のデザインは可能か
〜自分のコピーとしてのtwitter上のbot作りに学ぶ



●ネット上での人物像は作れるのか

 ホームページ、ブログ、mixi、twitter、facebook。ソーシャルサービスがどんどん増え、Web上で「自分」あるいは「自分の一部」を見せる機会が増えている。本人にそういう自覚がなくても、Web上やネット空間での表現を通して、その人がどういう人かを想像することはよくある。twitterのような即時性の高い媒体の場合はなおさら、ちょっとしたところに当人の人となりが現れる。それで「炎上」するような事件もしばしばあるが、うまく利用すれば逆の効果も期待できるだろう。

 現在は、もともと対人関係を作るのがうまい人が、ネット上でもやはりうまく人と付き合っている印象がある。だが、テキストのやりとりだけの世界であれば、ネット上でのペルソナを、ある程度ならば狙ったかたちに作り上げることも可能なのではなかろうか。

 微妙な印象を受けるかもしれないが、それほど特殊なことではない。例えば、お洒落をしたり化粧をしたりして、自分の印象を「こんな人なんだよ」と見せかけることは普通に行なわれている。それと同じように「こんな自分」をネット上で作り上げたいというニーズはおそらくかなりある。その「こんな自分」というのは、ネット上ではおそらく、「こんな言動をする自分」ということになるはずだ……。

首都大学東京

 そんなことを考えていたところ、首都大学東京 システムデザイン学部インダストリアルアートコースの渡邉英徳氏の研究室で、「情報化された/想像上の『もうひとりの自分』(i-self --- informationized / imaginary self)」を、twitter空間上のbotとして作るという課題を「ネットワークメディアアート」コースの「ネットワーク演習」として学部学生たちと実践していることを知った。どんな課題なのかについては渡邉研究室のページから引用してご紹介する。

(以下引用)

ウェブ上に書き出される個人の思考、想いは、書いた本人さえ思野に収めることができないほどの膨大な量になってきています。また、実世界ではほとんど顔を合わせないのに、ウェブ上では毎日「会っている」相手が幾人も居る、というシチュエーションは、2010年現在すでに普遍的なものです。

人々は「ウェブ上の人物像」を通して「実世界の人物像」をイメージし、コミュニケーションを取っています。実/ウェブ世界双方の「自分」を切り分け、使い分けることの意味が徐々に失せつつあるのかも知れません。時間や場所に紐付けられている「実世界の自分」を磨くことだけではなく、いつでもどこでも人とこころを交わすことのできる「ウェブ世界の自分」をしっかりデザインすることが求められつつあります。

今回の課題では、「実世界の自分」と対置されているようで、実はどこかでつながっている、ことばとアイコン(キャラクター)によって生み出される「ウェブ世界の自分」について考え、オリジナルボット「i-self」を制作してみましょう。

(以上引用終わり)

 この課題の講評会にお邪魔し、渡邉英徳氏に話を聞いた。なお渡邉英徳氏は首都大学東京の准教授のほか、ベンチャー会社である株式会社フォトンの代表取締役で、アーティストでもある。最近では三次元デジタル地球儀のGoogle Earthを使って宇宙戦艦ヤマトの姿を見せた「YAMATO Earth」や、長崎の被爆者の体験をマッピングした「Nagasaki Archive」、沈みつつある島として知られるツバルの状況を伝える「ツバル・ビジュアライゼーション・プロジェクト」などで知られている。

●学生課題:twitterのbotを使ってインターネット上の自分を作る

 botは形態素解析をしたりデータベースを使ったりするなど凝った作り方もできるが、今ならばpha氏が作成したtwitter Botスクリプト「EasyBotter」など、既存のツールを使うことで比較的手軽に作成することも可能だ。作り方も検索すればすぐに見つかる。ちなみにtwitterのbotをまとめたサイトもあるくらい、twitter上には多くのbotがいる。雑学をつぶやくbotや名言系のキャラクターbot、時報botなどが良く知られている。

渡邉研究室でのtwitter bot課題講評会の様子。学部3年生が2カ月ほどかけた

 さて、学生たちに与えられた課題は、twitter上で自動的に発言するbotを作って、それを使って「自分」を作れというものだった。今回は学生の発表なので個別の発表を1つ1つ取りあげることはしないが、見たところいくつかのタイプに別れていた。

 まずは「自分のコピーとしてのbotを作れ」と言われたことの意味を深く考えるタイプ。自分のコピーを作るという課題は、すなわちWeb上での人格は何によって規定されているのかと考えることに他ならない。そして「twitter上での自分」は、言葉使いやふるまいによって決まる。そのため素直に自分のコピーbotを作るためには、まず自己評価を行ない、それを人工無脳たるbotの発言として実装するにはどうすればいいかと考えることになる。

 具体的にはtwitterでの自分の発言を自己分析、あるいは他者の目から分析してもらって、あるキャラ設定をしてbotをデザインすればいい。ただし狙ったデザイン通りうまく実装できるかどうかには技術やセンスがいるのでまた別の問題だ。一方、うまくbotが動いた場合は、逆説的に自分のtwitterでの他者との付き合い方が浮き彫りにされる。

 オルタナティブな自分としてのbotを作るタイプの学生もいた。人は誰しも他者に積極的には見せない一面を持つ。その一面を敢えてbotに実装することで自己表現を狙うものだ。この場合はいわば「自分+bot」で、自分自身の見せ方によりバラエティをもたせることを狙うことになる。あるいは自分自身のコンプレックスを前面に押し出してネタ化して笑いをとる方向にはしり、大量のフォロワーをうまく獲得した学生もいた。これは「ネット上の自分」の設計をうまく行なった例と言える。

 また、botを作ることで、botというかたちで表現した自分、いわばネット上のツイートの集合というかたちで表現された自画像との自己対話を試みた学生もいた。自分の口癖などを実装したbotを見ることで内省するわけだ。ただ現状ではうまく自分のさまざまな面をbotで表現することは難しく、特定の一面だけが表現されたものになってしまうことが多い。その結果、「自分で自分の作ったbotが嫌いになった」とする学生もいて、それはそれで興味深かった。

 自分の欠点は何なのか、理想の自分はどういうものなのか、第三者ではなく自分自身が作ったbotに問いかけることができるのだ。ペットのbotを作るタイプもこの中に分類できるかもしれない。まるきり現実世界の自分というよりは、現実の自分に紐付いている何かを表現するタイプだ。

 またbotを作っている過程で、当初の目的ではないところが他者に受け入れられるようになったことに気付き、そちらの方向でのbot作りに熱中してしまった学生さんもいて、これまた学生らしく、面白かった。

 中には人間にかなり近いbotを作ることに成功した学生もいた。人は誰しも落ち込んだりしてマイナス発言をいってしまうことがある。それに対してポジティブなことを発言して人間を励ますbotだ。この手のアイデア自体は珍しくはないのだが、あまり突拍子のないことを言わないように、そしてウザがられないように工夫した結果、botと気づかれたあともリムーブされることが少なかったという。いわば、なんとなく励ましてくれるぬいぐるみのようなかたちに進化した「共感系bot」である。この方向性は面白いと思う。このbotの場合は、特にプラス発言の作り込みがうまかったのだろう。渡邊氏も「一番人間っぽかった」と評価していた。

 完成度が高かったbotの中には、時間帯ごとにキャラクタの生活を設定してポストの性格や反応語句を変えたものもあった。たとえば昼間は大学の話をし、夜はゲームなどの話をするbotである。さらに日本語形態素解析を使って相手の発言の一部を自分のツイートの中に組み込んで発言することにより、よりリアルなbotを作ることが可能だ。その結果、なんとなく知ってる誰か、すなわち制作者の面影を残しているbotができたという。1番、課題本来の「もう1人の自分」を表現できた例だと言える。

 それぞれのやり方で課題に取り組んだ学生発表はこんなところだった。ネット上に「もう1人の自分」としてのbotを作る、そしてそれを作ろうとしたときに感じる面白さがなんとなく分かって頂けただろうか。botはただの人工無能なのだが、それを使って自己を表現しようとすると、自分はいったいどういう人で何をネットで言っているのかということに自覚的にならざるを得ないのである。その結果、botを通じて、色んなメッセージが伝わってくる。自分はどういう人になりたいのか、フォロワーを増やしたいのかそうでもないのか。どんなことを言う人になりたいのか、などなど……。

●「ネット上の自分」は他者が輪郭を構築する
首都大学東京 システムデザイン学部 准教授 渡邉英徳氏

 Web上でいかに自分をモデリングするか、セルフメイドすればいいのか。学生たちに課題を出した渡邉氏自身はアーティストとしての実体験として、自分がやったことの「生ログ」ではなく、報道で編集された自分の表現がTVやネット上で流れ、それを通じて自分自身のことを知る人のほうが多いという経験を持っている。他者はWebで出しているすべてを見て判断してくれるわけではないのである。Web上で何らかの活動をしている人ならば、似たような感覚は大なり小なり持っているだろう。

 今回、学生への課題としてtwitterのbot作りを出したのは、即時性が高く反射的な会話の妙味が重視されているtwitterならば、文章力がより要求されるブログよりもよりイメージ作りが容易なのではないかと考えたからだという。今の人工無能が長い文章を書いても読めるものにはならない。だが人間であってもたまたま開いたタイムラインに出現したモノゴトに対して反射的にあれこれ言うことがほとんどであるtwitterならば、ある程度、馬脚を現さずにいることが可能かもしれない。実際、botに対してbotと気付かずに、いわゆる「マジレス」している人はときどき見かける。

 今回の課題は、学生たちにネットリテラシーを身につけてもらうこともその一環として含んでいる。渡邉氏は学生たちに対して、将来どういう人間になるにせよ、「究極的には、人に貢献しないといけない」と語っているそうだ。そのステップとして、どんな風にネット上で振る舞うべきなのか、そもそも自分はどういう人なのかと考える過程があるわけだ。

 ネット上では、「自分はこういう人間だ」と直接声を大にしていってもあまり意味がない。「ネット上の自分」は周囲の人によって輪郭が描かれて形作られる。まわりの人が「あの人はこういう人です」というイメージをモデリングするのである。そして、それが実社会に反映する。

 このようなネット社会の中では「自分自身が理想とする姿を遠慮なく構築する」ことが大事だと渡邊氏は語る。自分自身はこういうキャラだといういわば理想の自分を立ててしまって、それにたくさんの人のリプライを沿わせていくのが良いのではないかという。いわばコスプレやロールプレイのように自分自身を作る。自分の性格のアピールしたい点をうまく言えるように目指す。うまく言えればそれが自分の言葉になる。

 そのためには最初に、私はこういう人間で、こういうことを表現したいと考えること。自分の中で切り売りするところはどこかと社会人なら考えなければならない。ただし衒ってはいけない。人と会うときはそれなりの服装をするように、言葉遣いには気をつける。「揺るぎなくつぶやけ。筋を通して話をしろ」と学生たちには伝えているという。

 渡邉氏は、これを「twitterにおさまっている刹那的文字空間をどうデザインするか」と表現した。事象に対する「身振り」をどうデザインするかが大事だという。ネットリテラシーとしての会話の受け答え、振る舞い方、所作のようなものだ。

 また、自分が他者に何をどこまで曝すか考えることも重要だ。対象規模も同様である。巨大なハブになる人もいる一方で、数百人、数十人程度にしか影響を与えたくないという人もいる。むやみやたらに人に知られれば良いわけではない。否定する人に夢を語ってはいけないとよく言うが、自分が影響を及ぼしたい範囲を考えることもアーティストにとっては重要かもしれない。

 今回の学生たちの発表を見ていて、bot作りはいわゆる「箱庭療法」に似ているところがあるなと思った。botやITを使うことで、自分自身が抱える問題を外在化し、時には自己啓発することができるのだ。生身の人間相手だとちょっとどうかなと思われるようなことであっても自分の一部をbotという形で切り出し、外に対して出してしまってやりとりすることで成長するようなこともたぶん可能なのだろう。ペットを飼う行為ともどこか似ているところがある。達者な人であればわざわざbotなど作らなくても日常会話を通してやればいいことだが、こんなやり方もあるということだ。

 筆者個人のtwitterアカウントは「@kmoriyama」で、ご覧頂ければ分かるとおり、面白ネタのリツイートや単なる思いつきばかりが並んでいる。とてもセルフプロデュースしているとは言えない。ネット上の自分をどのようにプロデュースしていけばいいのか、それは自動化できるのかといった最初の疑問の答えはまだ分からないが、新しいITには、これまで考えられていない可能性の萌芽が隠されているように思った。