森山和道の「ヒトと機械の境界面」

持ち歩けるヒト型ケータイ「エルフォイド」
~手のひらに対話相手を感じる携帯型アンドロイド



 株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)と大阪大学は3月3日、日本科学未来館にて、携帯型遠隔操作アンドロイド「エルフォイドP1(P1=プロトタイプ1号)」の記者発表会とシンポジウムを開催した。「エルフォイド」を開発したのは、自分そっくりのアンドロイド「ジェミノイド」などの研究開発で知られるATRフェローで大阪大学教授の石黒浩氏だ。記者発表会とシンポジウムを合わせてレポートする。

 「人の存在感を効果的に伝えるデザインを採用した」とされる「エルフォイドP1」は2010年8月に発表された「テレノイドR1」のデザインと携帯電話の通信技術を融合したもの。独立行政法人科学技術振興機構(JST)の戦略的創造推進事業(CREST)「共生社会に向けた人間調和型情報技術の構築」採択課題「人の存在を伝達する携帯型遠隔操作アンドロイドの研究開発」の一環として開発された。

エルフォイド。長さは約20cm弱ATRフェロー、大阪大学教授の石黒浩氏。第2世代の「テレノイド」(後ろ)と「エルフォイド」(前)の比較

 「エルフォイド」は、長さは20cm弱、横幅は12.3cm程度。声のほか、見た目や触覚、動きによって、人の存在感を遠隔地に伝える通信メディアとしてデザインされた。「人肌ゲル」という商品名を持つウレタンゲルでできた外装は柔らかく、エロティックな触感がある。携帯電話よりはやや大きなサイズで、しっとりとした重さがある。

 クアルコムとNTTドコモの協力によって、中にはクアルコム製の3G通信モジュールが内蔵されておりNTTドコモのFOMA端末として動作する。通話は胸の中に仕込まれたボタンを押すことで動作する。今後はボタンもできれば廃して、画像・音声認識技術によって動作するようにする予定。この「携帯電話」そのものを、通話している相手本人のように感じることができるという。

 石黒氏は「現在の携帯電話はメールや地図閲覧などの機能は多様化しているが、通話機能そのものはあまり進化していない」と述べた。「スマートフォンはPCを小型化したものであり、通話機能そのものを重視した携帯電話そのもの進化ではない」という。そこで、「人らしいものを認識する」という人の性質にもとづいて、人として存在できるメディアとして「エルフォイド(Elfoid)」を発想した。なおこの名前は「妖精(Elf)」と「のようなもの(-oid)」という言葉を組み合わせたものである。

存在感を伝えるミニマルデザインを研究課題としている内部には3G通信モジュールを内蔵デモの様子。実際にケータイとして通話可能
触感は非常に滑らかな人肌のようサイド。頭部にはスピーカが2個おさめられているテレノイドの頭部。エルフォイドでは簡略化されている

 「エルフォイド」ならびにその前身である「テレノイド」は、「一目で人とわかるものでありながら、男性とも女性とも、幼い子ともにも高齢者にも見えるようなデザイン」が採用されている。

 石黒氏はこれまで人に似せた外見のアンドロイドや、自分そっくりのアンドロイド「ジェミノイド」などを作って、人と同じような距離感で人の存在を感じることができる対話の研究をすすめてきた(ジェミノイドについて詳細はこちら)。これまでの研究によって、人間らしい外見を持つアンドロイドであれば基本的には誰でも適応できることがわかったという。例えば、石黒氏の「ジェミノイド」を石黒氏以外の人が操作しているときであっても、ロボットが連動して動いていれば、「ジェミノイド」がつつかれると自分がつつかれるような感覚が生まれる。誰でもロボットに乗り移ることが可能なわけだ。

 そこで石黒氏の外見ではなく個性をもたない形であれば、より適応しやすい、より乗り移りやすいのではないかと考えた。そこで作られたのが50自由度の「ジェミノイド」に対して12まで自由度を減らした「ジェミノイドF」(2010年4月発表)である。「ジェミノイドF」はコストも抑えることができ、「ロボット演劇」などにも使われた。さらに見掛けと動きの最小のデザイン「ミニマルデザイン」を持つ「テレノイド」を実現した。テレノイドは高齢者や夫婦、両親と子供との間では非常にうまく対話できたという。

ジェミノイド。石黒氏そっくりのアンドロイド不特定多数が使うアンドロイドメディアとしての「テレノイド」携帯電話サイズのアンドロイドとしての「エルフォイド」

 デモでは、「テレノイド」を使ったアドリブの対話のほか、寸劇形式での「エルフォイド」を使った対話シーンが演じられた。

【動画】テレノイドを使った対話
【動画】エルフォイドを使った親子の対話
【動画】エルフォイドを使った孫とお爺さんの対話
【動画】エルフォイドを使ったお年寄りと介護士の対話

●さまざまなモノが繋がる社会へ

 今回発表された「エルフォイド」は今年度から始まった5年間のプロジェクトの最初のプロトタイプである。今後、存在感を効果的に伝えるミニマルデザインを目指して、見かけのデザインと中身の機能を充実させていく予定だ。具体的にはより高速なLTE(Long Term Evolution)の利用を前提とした各種処理のクラウド化や、アクチュエーター内蔵化が予定されている。

 3G超小型通信ユニットを提供したクアルコムジャパン株式会社 代表取締役会長 兼 社長の山田純氏は、「今の携帯電話はサイバーワールドの利用するための機能を充実させる方向に進化しているが、人と人のコミュニケーションの希薄化をケータイが加速させている面もあるかもしれない。石黒先生に出会い、テレノイドをさわったときに衝撃を受けた。もっと人間の情動を伝え合うような開発がされてもいいのではないかと考えた。昨今、日本からの提案によるグローバルマーケットへの発信が少なくなっている。日本からの発案を可能にするため今後も引き続き協力していきた」と述べた。

 今回、エルフォイドに提供された小型軽量モジュールには通話のための必要最低限の機能が実装されている。現在の携帯電話端末メーカーだけではなく、人と人が話すという基本機能を従来のケータイとはまったく違う規格で作ったり、もっと違ったプレイヤーがチップセットを使えばおもしろいものができるのではないかと考えているという。またセンサー類の統合や画像認識などの高度化、機能の一部または大半がクラウド化されていくことを期待していると述べた。

クアルコムジャパン株式会社 代表取締役会長兼社長 山田純氏エルフォイドに実装された通信モジュール「IEM」。100円玉大「IEM」のアーキテクチャ

●LTEによる広帯域・低遅延通信とロボットコミュニケーション応用
NTTドコモ先進技術研究所 主幹研究員の奥村幸彦氏

 同じく協力企業であるNTTドコモ先進技術研究所 主幹研究員の奥村幸彦氏は「LTEによる広帯域・低遅延通信とロボットコミュニケーション応用への期待」と題して、2010年12月24日からブランド名「クロッシィ」としてサービスインし、現在エリア拡充中のLTEとその可能性について講演した。

 「LTE」は「Long Term Evolution」の略で、FOMAと比較して通信速度は約10倍、周波数利用効率で約3倍と大容量化しており、伝送遅延は約4分の1といった特徴をもっている。モバイルにおける光ファイバー回線に相当すると考えられているのは周知の通りだ。

 時代背景として、通信速度はこの15年でおよそ1,600倍になっており、またここ3年の間にスマートフォンの普及、動画サイトへのアクセス増加によって、急激にトラフィックが増えている。それでLTE普及が期待されているというわけだ。

 一方、通信のリアルタイム性、堅牢性が実現され、端末/通信デバイスの多様化すれば、これまでと違う通信端末が活躍できるようになる。その中の1つにロボットや「エルフォイド」のような端末が考えられる。例えばLTEが十分使えるようになれば、処理はすべてクラウド側で行なうこともできるようになる。ロボットのようなものを動かすためには従来にない低遅延ネットワークが必要になるが、今回のプロジェクトでドコモも検証を行ないたいと考えているという。

LTEの特徴通信デバイスの進化とネットワーク連携LTEを使ったロボットコミュニケーションの可能性

●エルフォイド/テレノイドの研究開発のこれまでとこれから
ATR研究員 港隆史氏

 ハードウェアの詳細については、ATR研究員の港隆史氏が述べた。前述のように今は3G通信を採用しているが、今後はLTEによる高速データ通信機能を備えることで、外部コンピュータによる情報処理を活用できるようにする予定だ。さらにカメラマイク、温度センサー、加速度センサーなどを実装し、話者の視線や表情認識、状態認識機能を組み込む予定としている。

 アクチュエータはモータやソレノイドのほか、軽量ですむ形状記憶合金も検討している。なおバッテリは今の段階では2~3時間程度保つそうだが、そのあたりはどこまで処理をクラウド化するかによっても変化する部分である。また、通信端末だけに、熱処理はかなりの難題となりそうだ。

エルフォイドの中身可動部位やアクチュエーター選定は検討中センサーの統合化もすすめる予定
ATR主任研究員 西尾修一氏

 ATR主任研究員の西尾修一氏は、社会的受容性の評価について述べた。「エルフォイド」は互いの身体感覚を感じながら使ってもらいたいと考えているという。そのため今後は、遠隔地にいるヒトとの対話から、互いにエルフォイドをつかった対話、対面状況での実験などを社会実験込みで見て行く予定だ。

 「エルフォイド」はまだできたばかりだが、等身大の「テレノイド」のほうは既に東京ミッドタウン、高齢者施設、小学校などで社会実験を行なっている。実験の結果、最初は接触に躊躇する人が多いが、高齢者にはむしろ好評で、自発的にいきなり抱きしめる人も少なくなく、ずっと会話を続ける人もいたそうだ。携帯電話の使い方が年齢層によって違うように、この手のものも年齢層によって使い方が違うのかもしれない。ただ、以前のモデルは重たいなどの問題点もあったので、今回は少し小型にして軽くしたとのことだ。

 小さい子供や高齢者の場合、「テレノイド」が遠隔操作されているものだということ自体がなかなか理解できないことが多いという。また、遠隔操作を継続して行なっていると、操作している側の話しかけ方が変わってくるなど、面白い点もある。だから現状ではまだ存在感は伝わってないようだが、今後改良していく予定だとした。今後テレノイドは、オーストリアのアルスエレクトロニカやデンマークなどでも実証実験を行なって行く。

東京ミッドタウン、高齢者施設、小学校などで社会実験を行なっている海外での実験も行なっていく

 クラウドコンピューティングによる人情報処理については、大阪大学准教授の岩井儀雄氏が述べた。現在、LTEの通信下で複雑な環境で顔認識できる技術を開発中だという。実用化に向けては遅延の少ない映像転送、かなり劣悪な環境でも問題なく動作する堅牢な人画像処理、音声と人映像情報処理の同期、人情報とエルフォイド制御のマッピングを行なわなければならないといった課題がある。これらに対してLTE回線を利用しながら顔画像処理から開発しているところだという。

大阪大学准教授 岩井儀雄氏LTE通信実験の様子。クラウド処理のためには上り帯域が足らないとのこと顔画像処理システムの実験の様子

 声の情報から人の動きを抽出し、アンドロイドを制御する研究についてはATR研究員の石井カルロス寿憲氏が講演した。今テレノイドの操作にはタッチパネルでのボタン操作が使われているのだが、将来的には声の情報だけから半自律的にロボットに自然な動作をさせたいという。初年度では声からロボットの唇の動きを制御する研究を行なったという。具体的には音声から「フォルマント(音声の声道に対する周波数)」を抽出して母音空間を導き出し写像によって唇形状を推定し、ロボットのアクチュエータに指令を送る。もちろん通信エラーによるデータのずれや遅延の制御も必要だ。

ATR研究員 石井カルロス寿憲氏音声信号による唇動作生成の流れロボット側の音声と動作の同期
大阪大学 准教授 中西英之氏

 「存在感を伝達するモダリティの解明」については、大阪大学 准教授の中西英之氏が解説した。物理的なモノが動くのと、映像が動くだけなのは、人に与える印象はだいぶ違う。エルフォイドは手で握りこんで使う通信端末だ。ユーザーインターフェイスとしてエルフォイドにどういう価値があるのか。そこでまずは、アバター、テレノイド、エルフォイドを使うことで、身体動作だけ、身体動作+物理的実体、身体動作+物理的実体+触覚とを比較して、それぞれの要素の影響を順番に見ていけるのではないかと考えているという。

 既存の類似研究にはビデオ会議の研究があるが、ボイスチャットとビデオチャットとを比較した場合、相手に考えさせながら喋らせると、ボイスチャットの場合は特徴的なところがあるという。我々は文章でいえば句読点を打つようなところで普段は黙るが、考えながらのボイスチャットだと、言葉の間など普段は切れないところで言葉を区切る傾向があるという。また、ビデオ対話しているディスプレイそのものが動いたり、相手とちょっとした擬似的な物理的接触、インタラクションができるデバイスを使った実験の様子などを示し、身体動作が伝わることの影響について研究していると語った。

段階的検証を行なっていく予定身体動作の効果の検証物理的実体(この場合はディスプレイが前後する)の動きの効果の検証

 CRESTのこの領域の研究総括で、国立情報学研究所副所長の東倉洋一氏は、「エルフォイド」で「遠隔での心の共有」が実現できるのではないかと期待していると述べた。「人間と情報環境の調和」をこの領域の研究のキーワードとしており、石黒氏らの研究は送り手と聞き手の2者の間の「共有関係」でこの調和にアプローチしているものだと考えているという。人間と情報環境をうまく組み合わせて情報環境を使う人間がいろんな次元で能力を発揮できることを期待おり、「コミュニケーションの質の転換による未来価値を創出することを期待している」と語った。

●「手のひらに対話相手を感じる」エルフォイドの可能性
エルフォイド。胸の部分はぼんやり光る

 「エルフォイド」について,石黒氏は「個人的には市販を真剣に考えている」と述べた。携帯電話としての発売はハードルが高いだろうが、より簡易な無線接続する端末としての可能性ならあるかもしれない。そして世の中に「エルフォイド」のような端末を大量に出すことによる社会の変化がおき、研究者ったちが自分たちで新しいメディアそのものを外に出すことで、もう一歩踏み込んだ研究ができるようになる社会情報学的側面もあるのではないかと語った。研究ではもちろん無意識の人の動作や脳活動を計測するほか、「存在感」の計測と「存在感の指標の確立」を目指す。

 「エルフォイド」の面白いところは、手で握り込んで操作する柔らかい物体だということだ。しかも相手のトークにあわせて動く。石黒氏は「手のひらに対話相手を感じる」ことを主眼として開発したという。手に持つと自分の身体の一部のように感じるような物体なので、対話相手は親しくなければなかなか話すことはできない。触感で人を感じる、特に親密な人とだけ話す端末である。

 携帯電話は多様化しつつある。石黒氏は、その中の1つとして、携帯電話の利用方法の1つとして「エルフォイド」のような携帯電話を提案したいと述べた。

 デモンストレーションを見ていると、エルフォイドでの通話を終えるときに、女性の役者さんがエルフォイドを握り込んだまま、軽く左右にふるような動作を見せた。あれは作り込んだよいうよりはむしろ自然に出た動作だろう。石黒氏も、このような新規な端末によって、他の携帯電話とは違うプロトコル(儀礼的手順)が生まれるのではないかと考えているという。例えば電話のかけかた1つとっても変化する可能性がある。

 もっとも、将来このような端末が普及するのであれば、電話はいちいち切ったりかけたりしない時代が来ると考えるほうが妥当かもしれない。ポケットに「エルフォイド」を入れて歩き回っている石黒氏を見ていると、むかしの「南くんの恋人」というコミックを原作としたドラマを連想した。今後の実装次第だろうが、この端末は誰彼構わずかけるというよりは、誰か特定の人の分身のような端末になるのかもしれない。そこまで進歩できるかどうかは分からないが、単なるモノが新たな存在感を身にまとうことができるかどうか、今後も注目していきたい。