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富士通、デスクトップ出荷台数2,000万台達成式典レポート

デスクトップPCの累計生産が2,000万台となった

 富士通は、2015年2月20日、福島県伊達市の富士通アイソテックにおいて、デスクトップPCの2,000万台出荷達成記念式典を開催した。

 富士通アイソテックでは、1994年12月から個人向けデスクトップPCの生産を開始したのに続き、1999年からは企業向けデスクトップPCの生産を開始し、2004年には累計生産が1,000万台に到達。2015年1月16日に累計出荷台数が2,000万台に達した。

 その間、2011年3月には、東日本大震災による震度6弱の地震が直撃し、操業を停止。震災発生から12日後には島根富士通で代替地生産を開始したが、38日後には富士通アイソテックでの生産を完全復旧させたという出来事もあった。また、2001年からはPCサーバーの生産も開始している。

 富士通アイソテックの岩渕敦社長は、「1994年にデスクトップPCの生産を開始した当時の最先端PCと比べると、現在のPCは搭載しているメモリは1,000倍の容量、HDDは2,000倍の容量を持つ。当初は組立工程と、試験工程を分けていたり、人を数多く配置し、多くの部材が多く在庫されていた。今では1つの工程内で組立と検査が行なわれ、部品も適切なタイミングで、適切な量が供給できる環境が整っている。富士通アイソテックでは、2003年から生産革新運動を開始しており、2004年に比べると、PCの製造手番は80%削減され、生産性は3.8倍に向上。PC棚残を24%削減した。世界トップレベルの品質、コスト、納期、環境を実現し、今後も、福島でのものづくりを通じて地域への貢献、および循環型社会の形成に貢献していきたい」と述べた。

 JR福島駅から阿武隈急行線に乗り換えて約20分。のどかな街並みが広がる保原駅から徒歩5分の位置にあるのが富士通アイソテックだ。

福島県伊達市の富士通アイソテック
工場内にも看板が掲げられている

 同社は、1957年2月に設立。8万平方mの敷地に、A棟からE棟まで、44,000平方mの延床面積を持ち、富士通のデスクトップPCおよびPCサーバーのほか、シリアルインパクトプリンタ、サーマルプリンタなどを生産。さらに、精密加工センターにおける機械精密加工事業、富士通オープンカレッジによる教育事業のほか、富士通東日本リサイクルセンターによる情報機器のリサイクルや、東日本テクノセンターによる情報機器の修理も行なっている。

 約800人の社員と、200~400人の派遣および請負社員が従事。デスクトップPCは、伊達氏発祥の地の伊達市にあることになぞらえて、「伊達モデル」と呼び、国内生産によって実現する高い品質や、国内市場に向けた即納体制を特徴としている。

 生産コストが安い海外への生産委託が増加しているが、富士通アイソテックでは、全社での生産革新運動を通じてリードタイムの削減を図るなど、製造から物流までの徹底的な改善と効率化によって、MADE IN JAPANの高品質なPCをいち早く市場に投入してきたという。

 富士通アイソテックでは、効率的な生産体制の確立に向けて、トヨタ生産方式をベースとした、FJPS(Fujitsu Production System)を実践。最近では、デジタル工房やデジタル生産、ものを作らないものづくりなどにも取り組んできた。

 「ものを作らないものづくり」では、落下衝撃時の応用解析、電磁波ノイズの解析、基板のノイズ解析、装置の曲げ剛性解析、静電気の放電特性解析、装置の放熱特性解析などの各種シミュレーションを通じて、コンカレント化による開発期間の短縮化や、早い段階での不具合を発見することでの信頼性および品質向上を実現することに着手。「デジタル生産」では、ものを作らないものづくりから得た設計データをもとに、工程分析などに活用。ラインシミュレータによる効率的な作業環境の実現、ロボットシミュレータによるロボットを活用した工程の実現など、コンピュータ上で仮想工場を構築することで事前に生産ラインを検証。高い品質を維持した形で量産立ち上げを実現することができるという。

 「大切なのは量産直後から高い品質を維持した生産体制を実現すること。生産終了が近くなってから品質が高まっても意味がない」と岩渕社長は、デジタル生産の優位性を訴える。また、「デジタル工房」では、3Dスキャナーやバーチャルホログラフィーなどによるバーチャルリアリティの採用、その場で試作して確かめることができる3Dプリンターの採用などにより、ラピッドプロトタイピング手法を導入。商品企画から開発上流プロセスまでを改革するといった取り組みを開始している。

 20日午後4時から開催された式典では、富士通の齋藤邦彰執行役員常務や富士通アイソテックの岩渕敦社長、島根富士通の宇佐美隆一社長など同社幹部や、福島県・鈴木正晃副知事、伊達市・仁志田昇司市長などの地元関係者など、約100人が参加した。

 記念式典で挨拶した富士通 ユビキタスプロダクトビジネスグループ長の齋藤邦彰執行役員常務は、「2,000万台というのは大きな数字。東京都民の1,000万人という数字を大きく上回る。また、(ディスプレイを含めた)デスクトップPCの横幅を1mだとすれば、2万kmとなり、米国を往復してしまうほどになる。

 ただ、この2,000万台の道のりは平坦ではなく、簡単に達成できたわけではない。今では世界のPCの90%が中国生産。その中で、富士通は日本でPCを作り続けてきた。富士通アイソテックは、10分の1の人件費で生産する中国に対抗するため、毎年10%ずつコストダウンを図ってきた。これは努力のたまものである。そして、福島県および伊達市、パートナー各社の協力によって、2,000万台を達成できた。感謝を申し上げたい」と感謝の意を述べたほか、「富士通アイソテックは、2,000万台で終わるつもりはない。ずっと、MADE IN JAPANで頑張りたい。これからのデスクトップPCは、今のような形ではなくなるかもしれない。だが、今後も、3,000万台、4,000万台とMADE IN JAPANのPCを作っていきたい」と語った。

 富士通アイソテックの岩渕敦社長は、「多くの方々の厚い支援をいただいたことで今日がある。デスクトップPCは富士通の大きな柱に育っている。これを『伊達モデル』と呼び、多くの方々にご愛顧いただいている。しかし、生産立ち上げには多くの苦労が伴い、生産革新に取り組む毎日も厳しいことの繰り返しである。そして、東日本大震災では甚大な被害を受けた。こうした数々の試練を乗り越えて、丸20年をかけて、累計2,000万台の生産を達成できた。これに満足することなく、3,000万台、4,000万台に向けて一層の努力をする」と挨拶した。

富士通アイソテック 代表取締役社長の岩渕敦氏
20日午後4時から開催された2,000万台出荷達成記念式典
式典に出席した地元関係者およびパートナー
式典に出席した富士通幹部
挨拶する富士通の齋藤邦彰執行役員常務
福島県・鈴木正晃副知事
伊達市・仁志田昇司市長

 来賓として登壇した福島県・鈴木正晃副知事は、福島県・内堀雅雄知事の代読として挨拶。「富士通アイソテックは、長きに渡り地域に根ざした企業として、県内の産業発展に貢献。PCサーバーの累計100万台出荷達成に続き、デスクトップPCの累計生産台数2,000万台を達成した。震災から4年を経過したが、まだその影響が残っている。そうした中でも、福島県は、『福島からチャレンジを始めよう』を合い言葉に、復興の要である、産業、経済の活性化にしっかりと取り組む。富士通アイソテックには、ぜひさらなる飛躍を遂げてもらい、福島の復興を支えていただくことを期待したい」と語った。

 さらに、伊達市・仁志田昇司市長は、「富士通アイソテックは伊達市を代表する企業であり、経済、雇用を通じて、地域に貢献してもらっている。富士通のPCと言えば、世界的に通用するブランドであり、そのデスクトップPCは、国内では唯一、ここで生産され、全国で利用されていることは、伊達市民にとっても誇らしいことである。そして、累計2,000万台の生産達成は伊達市にとっても喜ばしいことである。世界トップレベルの技術力と開発力により、常に高い信頼性を持った製品づくりに取り組んできたたまものである。伊達市の知名度はまだ低いが、富士通のデスクトップPCが『伊達モデル』が呼ばれていることは、伊達市の知名度向上にも繋がる」などとした。

記念のくす玉割りの様子
2,000万台出荷達成記念モデルを公開
2,000万台出荷達成記念モデルとともにボースを取る齋藤執行役員常務
累計出荷2,000万台の記念モデル。ベースモデルはESPRIMO WH/77S

(大河原 克行)