■大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」■
東芝のノートPC事業が、1985年に世界初のラップトップPC「T1100」を発売して以来、2010年で25周年を迎えた。この間、20年間に渡ってPC事業に携わり、自らPC事業成長の推進役を担ってきたのが東芝取締役会長である西田厚聰氏である。
このほど、東芝のPC事業への取り組みについて西田会長にインタビューする機会を得た。経団連副会長を務めるなど要職にある西田会長が、PC事業に関して言及するのは極めて異例のことでもある。25年目を迎えた東芝のPC事業について、改めて西田会長に振り返ってもらった。
--25年間に渡るPC事業の成長は、東芝の成長にどんな点で寄与していますか。
東芝取締役会長 西田厚聰氏 |
西田 PC事業そのものが拡大し、東芝全体の業績に対して寄与するという点での貢献もありますが、それもよりも、私自身、PC事業で学んだことを、企業経営に生かしているという点での影響が大きいといえます。私は、企業経営には、「イノベーションの乗数効果」が大切だという言い方をしています。この言葉を使うことができるのは、私自身がPC事業で数多くの経験をしてきたことが背景にある。もし、PC事業を経験していなかったら「イノベーションの創出」、「イノベーションの拡大」といった言葉ぐらいで止まっていたのではないでしょうか(笑)。
PC産業のイノベーションは、多くの企業がもたらしたそれぞれのイノベーションが、まさに乗数効果となって表れたものです。現在、PC産業は、ノートPCで12兆円、デスクトップPCで8兆円の市場規模となっている。25年間で実に25倍という成長を遂げています。それだけでなく、PC産業での経験を生かして、それを新たな事業へと発展させた企業も少なくない。最初はノートPCに搭載された液晶ディスプレイやプラズマディスプレイが、その後、薄型TVへと利用され、現在に至っているというのもその一例でしょう。
2005年6月に東芝の社長に就任したときに、この乗数効果の考え方を社内に取り込めないかと考えた。また、私が経験し、蓄積したPC事業のノウハウを、あらゆる部門に移植しようということも考えた。すべての事業部門を廻り、そのなかで乗数効果の意味を説いて廻りました。1番最後に廻ったのが、PCの開発、製造を担当していた青梅工場ですよ。彼らが1番、それを理解していますからね(笑)。
--乗数効果と、PC事業のノウハウは、どんな点で各事業に生かされていますか。
西田 東芝が持つ30を超える事業の中でも、薄型TV事業の場合は、かなりPCの世界に近いといえます。液晶ディスプレイを社外から調達しても、東芝らしい製品づくりができると考えたのは、やはりPC事業の考え方を持ち込んだものです。東芝が、液晶パネル生産のIPSアルファから出資を引き上げたのも、PC事業の経験が背景にある。また、「薄型TVの生産に、台湾のODMを活用しろ」と言い出したのは私です。これも同様にPC事業の経験を生かした。ノートPCでは、東芝が持つ技術を生かしながら、台湾のODMに生産させ、世界最高品質のPCを世の中に送り出してきた。
当初、東芝社内でも、「これまでPCしか作ったことがない台湾のODMが、薄型TVを作れるはずがない」、「素人にTVの生産を任せるのか」という声がありましたよ。ところが実際に作らせてみたら、短期間にものすごいものが出来てきた。彼らのアセンブリ技術は世界最高水準ですから、やらせてできないはずがない。東芝がTV事業において早期に黒字化を達成したのは、このようにPC事業のノウハウを持ち込んだことが大いに寄与している。デジタル化の世界では、乗数効果が発揮しやすいのです。
--振り返れば、1990年代に、東芝のノート事業は、それまではすべて青梅工場で開発と生産を行ない、日本でのモノづくりにこだわる体制でした。それを一気に、海外生産に転換したわけですから、この時は、正直驚きました。
西田 かつて青梅工場では、東芝独自の技術が発揮できるHDDなどの生産も一部では行なっていました。しかし基本的には、PCの最終アセンブリを行なっていた工場であり、こうした付加価値のない部分は外に出しても大丈夫だと判断した。いや、むしろその方がメリットが大きいと判断したのです。付加価値の部分であったら外に出すようなことはしなかったと思います。
--しかし、東芝のすべての事業において、PC産業で起こった乗数効果やノウハウを生かせるわけではないとも感じます。例えば、東芝の基幹事業の1つである社会インフラ事業では、原子力発電を担当しており、事業速度や環境は、PC事業のそれとは大きく異なります。生かせる事業と生かせない事業があるのでは。
西田 社会インフラ事業においても、PC事業のノウハウは大いに活用できる。例えば、火力発電事業については、私はコモディティ化した事業であると位置づけました。最初はこの言葉に、社員はキョトンとしていましたが(笑)、火力発電を取り巻く環境を見てみると、東芝以外にもさまざまな企業がこれを作ることができる構図となっている。
こうなるとコモディティ化した世界と一緒です。いかに速く、高い品質のものを、SCM(サプライチェーンマネジメント)を活用しながら、市場に提案できるかが鍵になる。5年以上の商談を経て、納品するから、そのサイクルで事業を行なうという発想のままでは負けます。短期間で勝負をしなくてはならない世界なんです。また、原子力発電についても、確かに作れる会社は少ないが、1つ1つの部品を捉えると、いくつもの会社が作ることができ、やはりコモディティ化した部分がある。
20年間、同じビジネススタイルというのは通用しません。これまでに、こういう発想がなかった社会インフラ事業が大きく変化しているというのが、いまの東芝の実態です。
もう1つ、私が重視しているのは「調達」という部分です。
--それはどうしてですか。
西田 どんな事業でも、グローバルで戦うことを考えると、コストを強く意識しなくてはならない。そのコストという観点で、最も大きな効果を発揮するのが「調達」です。東芝は、全体的に標準化が遅れていたところがあった。そこで、私は思いきって、設計担当者を調達部門に異動させた。当時、設計部門からは、大反対にあいましたが、それでも強引に異動させた。これによって、社内の意識を大きく転換させることに成功したのです。
いま東芝には、調達だけを担当する役員がいます。他社の場合には、調達と生産を兼務したり、あるいは調達担当がいないという場合がありますが、東芝は、調達専任とすることで、グローバルに戦えるコストと品質を両立することができる。社員の意識もそれによって大きく変わっている。
スリムコンパクトノートPCの「dynabook R730」は、標準化された部品を多用しても、東芝らしいPCに仕上げることができた。しかもコスト競争力もある。こうした製品をあらゆる事業で創出できるようになっています。
--現在、西田会長は財界活動にも積極的ですが、PC事業の経験は、日本経済全体にも波及させる必要があると考えていますか。
西田 政府が打ち出した新成長戦略の中にも、私は、自らの経験をかなり盛り込みました。これはかなり良いものができたと思っています。経団連の提言の中にも、「危機感とスピード感を持って大胆に実行していくことが重要である」という文言とともに、産業構造の転換を促す必要性も訴えた。それと、具体的な数値目標を提示し、そこに向かっていく姿勢を明確にすべきであることを示しました。
これまでの成長戦略は、定性的なものばかりです。これでは人は動きませんよ。もっと明確な数字を示していくべきです。しかしその一方で、政府にいくつかの具体的な予算措置をお願いしていますが、単年度での予算措置はできても、それを中長期的に行なうことができていないという課題がある。10年間の計画のうち、1年目はやったが、残りの9年はどうするのか、ということになる。実行という観点から、もう少し踏み込んだ議論をしていく必要があります。政府と民間がもっと歩み寄り、お互いの経験をうまく生かすべきであることを感じています。
--ところで、なぜ東芝は、PC事業をここまで成長させることができたのでしょうか。
西田 大きな理由は、事業を開始した当初からグローバルを視野に入れていたことだといえます。グローバル市場でいかに勝ち抜くかということを視野に入れて、危機感を持って事業に取り組んできた。これが東芝のPC事業における成長の原動力となっています。薄型TVも、韓国メーカーが世界で大きな成功を収めていますが、これもグローバルで戦うことを視野に入れ、それに向けた成長戦略を描いてきたからです。
グローバルで事業を推進するということは、自ずとグローバル人材の育成にも直結する。PC事業は25年間に渡って、グローバルで事業を行なっていますから、最も多くのグローバル人材を排出しているともいえる。ただ、グローバルを意識しすぎたから、世界でトップシェアをとっても、日本では今でもトップシェアを取れていない(笑)。これは反省点です。これからは日本でもトップシェアをとりますよ(笑)。
--ちなみに、PC事業での失敗はありますか(笑)。
西田 それはありますよ。最大の失敗は、1度、デスクトップPC市場に参入したことですね。お客様から、東芝はノートPCだけを開発しているので、デスクトップPCを含めた一括での商談ができず、コストダウン効果が薄い。だから、ぜひデスクトップPCを開発してくれといわれた。それでデスクトップPCに参入したことがあった。
これが見事に失敗しましたね。開発したデスクトップPCの仕様が時代を先取りしすぎたのが反省点です。
ちょうどそのとき、私が東芝アメリカ情報システムの社長(東芝アメリカ副会長を兼務)として米国赴任しなくてはならなくなり、最後まで面倒をみきれなかったことも良くなかった。結果として、市場に受け入れられずに撤退することになってしまいました。
しかし、この製品コンセプトは、いまの時代ならば合致している。2010年に投入したノートPCの技術を採用したBtoC向けのオールインワン型PC「dynabook Qosmio D710」が、市場から高い評価を得ており、トップシェアを獲得している。これがその証です。
--今後の東芝のPC事業はどうなりますか。
西田 これからの25年というのは予測しにくいところもありますね。PCの形が変わり、いまのようなスタイルのPCではないものもたくさん出てくるでしょう、PCという呼び方ができないものも増えてくる。ただ、大きな意味でPCといえるものは、これからも生き残る。その中で東芝は、技術面で、製品面でもリーダーとなるものを提供し続けていく。それは変わらないといえます。