山田祥平のRe:config.sys

画素さえ多けりゃいいってもんじゃない

 世の中が急速に4K超の時代に突入しようとしている。でも、本当にそれでいいのかという疑問も残る。モバイルデバイスにおいてはバッテリ駆動時間とのバーターでもある。今回は、そのトレンドについて考えてみよう。

時代が求めるデバイスの表現力

 その昔、まだ、ノートPCの液晶ディスプレイがモノクロームだった時代に、びっくりするほど高価ではあったがカラー液晶が出てきた。個人的にはモバイルにそんなものはいらないとも思っていた。ところが、アッという間にモノクロ液晶は現役を退き、市販されるノートPCは、ほぼすべてカラーになってしまった。当時のPCはテキスト処理が主体だったがGUIはカラーを要求したということだ。

 そんなことを思い出しながら、今の4Kトレンドを見ていて連想するのは、15年くらい前のデジタルスチルカメラの画素数競争だったりもする。当時は、イメージセンサーが小さくなる一方なのに、画素数は増える一方で、極小画素が問題になっていた。必然的に画素のサイズは小さくなり、それに伴い画素ピッチも短くなり、バケツに例えられた画素で受け入れることができる光の量が少なくなり、十分なダイナミックレンジを確保できないともいわれた。それによってS/N比が確保できなくもなり、光の条件によってはノイズだらけの絵を乱発していた。

 今は、フォーサーズ、APS-Cやフルサイズイメージセンサーが標準的なイメージセンサーのサイズとして定着し、少なくともレンズ交換式カメラのようなカテゴリでは、センサーのサイズがその枠の中に半固定され、その上で画素数が少しずつ増えてきている。これなら技術の進化で画素ピッチの極小化をキャッチアップできると考えてもいいかもしれない。

 一方、スマートフォンはどうだろう。例えばiPhoneは6sで4年ぶりに背面カメラの画素数を800万画素から1,200万画素に引き上げた。画素ピッチは1.22μmと公表されている。むしろ、周辺技術が整うまで画素数を増やさなかったことに良心を感じるくらいだ。

 ただ、そのiPhoneの4K動画は果たして万民が求めていることなのかどうか。

ハードウェアの進化についていけていないソフトウェア

 TVより一足先に、PCのディスプレイの4K化が進んでいる。20型を超えるサイズの画面であればそれもまた悪くない。使い道も生まれるだろう。4Kといってもたかだか800万画素である。1,000万画素超の静止画さえ等倍表示はできない。

 しかも、OSの対応が後手後手で、かえって使いにくい場面にも遭遇する。その辺りの事情は連載の4K修行僧に詳しいが、例えばWindowsは96dpiで使われることを前提に設計されているため、4K解像度で表示するなら46型程度のディスプレイが必要だ。それより小さな画面ではスケーリングが必要になるだろうし、画面が小さくなればなるほど視力に合わせてスケーリング値を大きくしていく必要がある。

 ところがスケーリングがうまく機能しているかというと決してそうはなっていない。もちろんレガシーなアプリケーションが邪魔をしているという見方もあるので、一概にWindowsの不完全な対応を責められはしないのだが、とにかくソフトウェアがハードウェアをまだ使いこなせていない。

 そして悲しいかな、せっかくハードウェアがあっても、4Kネイティブなコンテンツがまだまだ少ないという現実がある。デジタルスチルカメラで撮影した写真は4Kではとても足りない一方で、いわゆる4K動画はスマートフォンや民生用のビデオカメラで撮影したものがほとんどだ。当然、ものすごく小さいイメージセンサーがとらえた映像だ。そのデータの圧縮率も含めて考えると、いろんなところに無理がある。

始めにコンテンツありき

 おそらく今年は、スマートフォンのミドルレンジ化が進む年になるだろう。ボリュームゾーンがグッとミドルレンジ側にシフトするのだ。多くの消費者にとって、1台のスマートフォンに10万円もの金額はかけられないということが露呈する。これまではキャリア側のさまざまな施策によってハイエンドスマートフォンを相当安い金額で入手できていた日本国内の消費者だが、今年は総務省の介入もあって、そういうわけにはいかなくなるだろう。必然的に、ミドルレンジ〜ローエンドのスマートフォンが一線に躍り出てくる。

 そうなれば、撮影も表示も4Kなどといったことは望めなくなるだろう。それに見合ったハイエンドプロセッサの搭載も難しくなる。ただ、それで困ることはあまりないかもしれない。多分、スマートフォンのハードウェア的な進化はいったん開店休業状態のように見え、エコシステムの再構築が水面下で進められる年になるだろう。それでもポルシェやメルセデス、BMWのような高級スマートフォンは残るだろうし、それを欲しがる人もいなくはならない。相変わらず、iPhoneも魔法のような新機能で刷新されるだろう。でも、世の中の多くの人々はスマートフォンをコモディティとして捉えるようになる。PCが歩んできた道とまるで同じだ。

 そうすると4Kコンテンツの供給はいったん停滞する。個人的にはそれでいいと思う。停滞しているうちに技術が進み、堂々と4Kを名乗るにふさわしいクオリティのコンテンツを作れるようになるからだ。

 同じことはハイレゾにも言える。「ハイレゾ対応」といった言葉まで生まれる始末で、これまでの機器ではハイレゾを再生できないかのような雰囲気だ。ピュアオーディオの世界なら、そういう見方があってもいいと思うが、ネイティブからはほど遠い捏造された「なんちゃってハイレゾ音源」ばかりでは、せっかくの対応機器も対応損といったところか。

 でもまあ、新たな時代のコンテンツというのは、その品位がガクンと落ちたところから始まり、どこかのタイミングでドンと跳ねる。過去で言うならPCのビープ音が音楽を奏ではじめたとき、画面にうごめくような動画が再生されるようになった時にそれを感じた。今なら、VRの萎えるような画質の体験型コンテンツにそのムードを感じないでもない。

 優れたコンテンツがあってこそのスクリーンだし、そこに表示されるコンテンツの制作プロセスも優れた入力デバイスとハード、ソフト含めたその周辺技術に依存する。悪貨が良貨を駆逐するようなことはあってはならない。

(山田 祥平)