山田祥平のRe:config.sys

そのスマホでしかできないこと

 多くの場合は縦横比16:9の長方形の板と装備された最低限のボタン。スマートフォンのハードウェアはほぼそれだけで勝負しなければならない。その「ほぼ」が各社の明暗を分ける。踊り場に来たと言われているスマートフォンシーンではあるが、9月5日からドイツ・ベルリンで開催される展示会IFAに先立ち、Samsungとソニーモバイルコミュニケーションズが自社フラグシップスマートフォン刷新を発表した。

Galaxy NoteとXperiaの刷新

 IFA直前に現地で開催されたプレスカンファレンスで発表されたのは、Samsungの「Galaxy Note 4」とソニーモバイルコミュニケーションズの「Xperia Z3」だ。両シリーズともに、先代は、日本のキャリアでもNTTドコモとauの両社が扱っていたので愛用している方も少なくないだろう。まさにAndroidスマートフォンを代表するブランドといってもいい。

 Galaxy Note 4は、先代に対して、ハードウェアとソフトウェアの両面から差別化を狙ってきた。大画面を活かしたマルチタスキング、そして、アプリ間でデータを共有するためのクリップボードの使い勝手の向上などがある。OSが提供する仕組みをSamsung流にアレンジしてみましたという印象だ。確かにコピーしたデータが順にスタックされ、それがボタンとなって最前面にフロートし、別のアプリに任意のデータをドロップしてという作業の流れは分かりやすい。OS標準の機能だけでは、こうはいかない。

 また、Samsungのスマートフォンは、ホームボタンが物理ボタンで、その両脇にタッチ方式のバックボタン、タスクボタンが装備されているため、画面をナビゲーションバーが占有しない。先代を踏襲した5.7型の大画面ということもあり、遠目に見ても、あれはGalaxy Noteだということがすぐに分かる。本体に収納可能なS Penをサポートし、それを活かしたアプリが数多く揃っているのも魅力となっている。今回は、万年筆のモンブランやスワロフスキーとの協業で、さらに見かけを個性的なものにすることができるようにもくろんでいるようだ。Adobe RGBの90%をカバーするという液晶ディスプレイの色域も、シーンによっては同機を判別する材料になるかもしれない。個人的には、未だにバッテリが交換可能というのも好感が持てる。

 また、同時に発表された「Galaxy Note Edge」は、Note 4の特徴はそのままに、さらに外観に大きな工夫がもたらされた。長辺部分のエッジに細長い曲面液晶を実装し、カバーなどを閉じていても、また、メインの画面がオフになっていても各種の情報やコマンダー表示ができるようにしたのだ。まるでスマートフォンの画面の延長としてのAndroid Wear的な要素を本体に実装してしまったようなイメージだ。

 それに対してソニーのXperia Z3はどうか。XperiaはZからZ1、Z2と、Galaxy Noteの倍のペースで新機種を投入してきた。ただ、Samsungのフラグシップは「Galaxy S」のシリーズがあり、半年ごとに交互の投入なので、ペースとしては同等といえる。

 歴代のXperia Zを並べたものを遠目で見ても、それがどの世代のものかを言い当てるのは難しいかもしれない。確かにデザインも異なるし、軽薄短小化も実現されている。でも、表面に物理ボタンがないだけに、個性の演出に苦しんでいることがよく分かる。

 今回のXperiaは、カメラ機能の刷新がアピールされている。レンズの焦点距離は従来の27mm相当から25mm相当へと、より広角になり、さらに暗所での撮影品位改善のためにISO12800がサポートされるようになった。地味ではあるが、今のスマートフォンの使い方を反映した大きな進化だ。

スマートフォンの個性ってなんだ

 いわゆるガラケーは、そのハードウェアでかなりの部分を勝負してきたように思う。2つ折りのデザインや、フィーチャーフォン特有のテンキーなどについても機種ごとにさまざまな工夫があり、遠目に見ても、機種名を判別できることは多かった。だからというわけではないが、フィーチャーフォンの時代には、端末そのものをケースやカバーで覆って使うことは、あまりなかったように思う。

 今、スマートフォンの時代になり、電車に乗っていても、乗客のほとんどがスマートフォンを触っているという光景が珍しくもなんともなくなっている。でも、それぞれの手元を見ると、みんな思い思いのデコレーションで、遠目には何を使っているのかよく分からなくなっている。

 そんな中で、Galaxy Noteは、5.7型というその画面サイズで判別しやすい。逆に、Xperiaは、その所有者が演出しやすい面があるかもしれない。ぼくは、電車の中でiPhoneをハダカで使っている人を見かけたことがほとんどないのだが、それに近い位置付けと言ってもいいかもしれない。

 つまり、今、スマートフォンの工業デザインは、シンプルな下地で演出しやすいものにするか、あるいは個性的な外観を持たせるかという大きな流れがあることを両社のアプローチは語っているように感じる。これは、言ってみればアパレルの世界観が持ち込まれた結果のようにも思える。いずれにしても必死なのだ。

 今や、スマートフォンは、どのメーカーのどの機種を選んでも大きな失敗はないようになりつつある。同じようなことを以前にも書いた覚えがあるのだが、そのときの対象はPCだった。PCのコモディティ化が叫ばれていた当時、これからはPCもデザインや所有感などで選ぶ時代になるといった論調だったように記憶している。

 果たしてPCは、なぜか没個性化が進んでしまったようにも見える。そして起こったのが価格破壊。そこにちょっとした刺激を与えたのがモバイルPCやタブレットだ。スマートフォンがPCシーンと同じ失敗を繰り返さないようにすることは、そのビジネスのための必須課題とも言えるだろう。なくなってしまう危惧があるカテゴリではないが、どのメーカーのどの製品でもさして代わり映えがしないとなると、後は価格の勝負にもなりかねない。

 ボタンが多く、折りたたみなどで機構が複雑になりやすいことで、コストがかさみ、故障も多くなるフィーチャーフォンと比べて、シンプルな構造のスマートフォンはすでにメインストリームだ。それがこれからどこに向かうのか。キャリアでもなくクラウドサービスでもなく、ハードウェアに依存しないソフトウェアでもない純粋なハードウェアとしてのスマートフォンの行方が気になるところだ。

 IFAはいよいよ始まるが、その解答はまだ出てきそうにない。

(山田 祥平)