山田祥平のRe:config.sys

自作PCで垣間見るクラウドのこちら側

 かつて、PCの自作というのはパフォーマンスの高いPCを、少しでも安上がりに手に入れる方法の1つだった。ところが、今は、その状況が少し変わってきている。完成品のPCの価格低下によって、必ずしも安上がりではなくなりつつあるのだ。

完全な標準化と新しさの共存

 Haswellの登場を機会に、長く使ったPCケースを新調することにした。手に入れたのはCorsair製の静音ケース「550D」で、水冷ユニット「H100i」と電源「AX760」についてもCorsairのものを調達した。これまで長年使っていた古いケースに格納してテスト稼働させていたマザーボードを取り出し、お古で間に合わせていたメモリを新しいものに交換増量し、新しいケースに引っ越しだ。

 もともと器用な方ではないので、日曜大工的な作業は苦手だ。自作PCというのもそれに近いものがあって、結線とケーブルの引き回しなどは、どうがんばってもスパゲティ状態になってしまう。まあ、蓋を閉じれば見えないし、中がどうなっていても、正常に稼働すればそれでいいと考ることにして、そこには目をつぶる。

 これまで使っていたケースは、自室に3台あるタワー型PCケースの中でも、もっとも古いもので、たぶん3世代くらいは中味が入れ替わっている。確か、Nehalemのときに新調したはずなので、2008年の秋頃じゃないかと思う。なにせ、穴ふさぎのために、未結線でつけっぱなしになっているDVDドライブがPATA接続のものなので、どのくらい古いか想像できるというものだ。

 前面パネルにはUSBやIEEE 1394の端子は出ているが、それをマザーボードに接続するためには、1本1本のピンを慎重に端子に挿す必要がある。これが面倒で前面パネルは使わないという時期もあった。

余裕のあるケースは作業しやすい

 新しいケースは、何から何までよくできていて、自作の世界が一変していることを実感させてくれた。前面USBについても、標準化されたUSB 3.0のコネクタがついていて、マザーボードの指定箇所にグサッと挿すだけで完了だ。ほとんどがオンボードのマザーボードで拡張スロットもビデオカード用に使うくらいだ。

 マザーボードの大きさよりもちょっとだけスペースに余裕があり、基板外周付近の作業もたやすかった。入手したケースは、配線がより美しくできるように、ケーブル類を基板の後ろ側に通す迂回路的なスペースも確保されていて、やる人がやれば美しいPCを自作できるかもしれない。でも、ぼくがやると冒頭の写真のようになってしまうのは情けない。

 それにしても、PCの世界のエコシステムというのは本当によくできていると思う。マザーボードのサイズからネジ穴の位置、電源関連を含む各種の端子形状など、何から何まで標準化されていている。大げさにいうとAT互換機黎明期から何も変わっていないといってもいいくらいだ。

 周辺サプライのメーカーは独自規格に振り回されることなくパーツ類を商品化できるし、その恩恵を自作ユーザーは低コストで受けることができる。もちろん、それは、メーカー製PCの価格低下にも貢献しているわけだ。

 古いケースは破棄するつもりはない。3年ほど前に、コンパクトだからとよさそうだと思って入手したケースが意外にうるさかったので、そちらを引退させ、別のプラットフォームで稼働させるつもりだ。断捨離の時代にあっても、なかなか寿命を全うできない年代物のPCケースではあるが、それなりにちゃんと使えてしまうところはスゴイと思う。

 メーカー製のPC、特にノートPCを新たなプラットフォームに入れ替えるのは大変だ。OSのアップグレードならともかく、ハードウェアについてはそれこそ丸ごと買い替えるしかない。だが、自作機ならプラットフォームの入れ替えもプロセッサとマザーボードの入れ替えだけで済む。運がよければメモリだって、クロックは多少遅くても前のものがそのまま使える可能性もある。

 今回は、さすがにもう使うことはめったにないと思ったので、光学ドライブは装着せずに、ポータブルタイプのBDドライブを別途調達したが、自作機の場合は古いドライブをそのまま使い続けることもできる。

 テクノロジーの変化は頻繁に訪れるが、システムが丸ごと入れ替わるということはあまりなく、PCケースの中の各種パーツは、カテゴリごとにライフサイクルが異なる。だから、最初に全部揃えるのは大変だが、一部を入れ替えながら使い続けるというやり方なら、意外にランニングコストをかけなくても済むし、流行の言葉でいうならエコでもある。特に、ぼくらのように、新しいプラットフォームをいち早く体験しなければ話にならないという立場にとっては、デスクトップPCのフォームファクタは、かなり重宝する。ノートPCはノートPCで、各社の新製品をとっかえひっかえ、毎日持ち歩き実際に使いながら評価するしかないというのとは、この点が大きく異なる。

自作でのぞけるブラックボックスの中味

 静音ケースの効果はかなりのものだが、Haswellを冷やすにはオーバースペックなくらいにたくさんのファンが回っているので、さすがに無音というわけにはいかない。これについては様子を見ながらファンを止めていこうかとも思っている。

 タワー型のケースを使うのは、作業に使っているデスクが2×1mという、比較的大きな会議室用のテーブルなので、引き出しが皆無で下方に結構なスペースを確保できるからだ。テーブルは、かつてブラウン管のディスプレイを使っていたときに、大きなスクリーンでも距離をとれるようにと考慮して購入したが、液晶ディスプレイを使うようになって、もうちょっと奥行き方向は短くてもいいかもしれないと思い始めている。それでも24型を4台並べて置けるというのは、このサイズならではだ。

 かくして新しいタワーが、このテーブルの下に鎮座して稼働し始めた。きっと、このケースも中味を入れ替えながら10年近くは使うことになるのだろう。感覚としては、ほとんど家具だ。

 しょっちゅうケースを開いてパーツの入れ替えなどをしているパワーユーザーからしてみれば、ぼくがここで書いていることなど、何を今頃そんなことを、といわれるかもしれないが、かつて自作を経験したことがあって、しばらく遠のいているのなら、最近のPCケース事情がどのようになっているかを、量販店頭などで確かめてみるといい。ちょっとしたカルチャーショックを感じるに違いない。売り場の面積が極端に狭くなっていることにも気がつくかもしれない。そういう時代だ。

 自作は誰にでも勧められるものではない。おそらくは多くのユーザーは、優れた工業デザインでしっかりと作り込まれた完成品のメーカー製PCを購入した方が満足度は高いだろう。でも、デジタルに占領されつつあるこの領域で、ぼくら門外漢が手を入れられる部分として、最後まで残っているのがここだ。

 通常、ノートPCは5年も使わない。少なくともぼく自身はそうだ。でも、PCケースは中味がそっくり入れ替わったとしても、ずっと出で立ちはそのままなので、長年の愛着という点でも安心感がある。

 そろそろ夏休み。メーカー各社は工場見学やノートPC組み立て教室イベントを開催する予定のようだが、ここはひとつ、親子で秋葉原にでかけて買い物をして、自宅でPCを自作というのはどうだろう。クラウドのこちら側としてのブラックボックスの中味を垣間見る貴重な経験になるかもしれない。

(山田 祥平)