山田祥平のRe:config.sys

ネガは楽譜、プリントは演奏、そしてAdobeのDNGは




 Adobe Systemsのトーマス・ノール氏が来日し、デジカメで撮影されたRAWファイル用の標準アーカイブ形式である「DNG」に関するアップデートブリーフィングが開催された。ノール氏は「Photoshop」の生みの親であり、また、ICCプロファイルによるカラーマネジメントシステムの設計者でもある。

●RAWは光景の刺身

 RAWファイルは、撮像素子がとらえた情報をそのまま記録したもので、「生」を意味する。刺身のことを「Slice of RAW Fish」というのと同じだ。そして、DNGは、Adobeが2004年に発表、継続して開発が続けられているデータ形式で、デジタルカメラベンダーごとにまちまちな形式となっているRAWファイルを標準化しようというものだ。現在の最新バージョンは1.2。DNGはDigital Negativeを意味し、その名の通り、デジタルなネガフィルムをイメージしている。

 「ネガは楽譜、プリントは演奏」というのは、写真家であり、音楽家でもあったアンセル・アダムスが残した偉大な言葉だ。ここで改めて、DNGは、あくまでもネガであり、リバーサルではないことを強調しておきたい。つまり、現像済みのリバーサルフィルムが、鮮やかに発色し、そのままで鑑賞できるのに対して、現像済みのネガフィルムは、そのままでは階調が反転している上、カラーネガフィルムはオレンジ色のベースが絡んでいて、実際の色がわからない。それをプリントにする段階で、色やトーンで演出するのだ。だから、同じネガからでも、プリンター(デバイスとしてではなく写真を焼き付ける人)のセンスや技術によって、まったく異なるプリントができあがる。

 ぼく自身は、写真を2度撮影できるという意味で、ネガフィルムが好きだ。その延長で、デジタルカメラのRAWファイルも好んで使ってきた。2度撮れるというのは、1度目は本当のレリーズ、自動での仕上がりが気に入らないときにはRAWファイルをいじって、もう1度、色温度や露出を見直して再撮影に近いことができるという意味だ。昨今のカメラは、通常のJPEGとRAWの両方を同時記録できるので、ぼくの手持ちの一眼レフは、すべて同時記録するように設定してある。ほとんどの場合はJPEGで事が足りるのだが、万が一の保険としては、とても安心だ。だから、ストレージの圧迫は無視して同時撮影をする。うまく撮れていなかったでは話にならないからだ。感覚的には露出をばらして数枚撮るよりもずっと実用的だと思う。

 DNGは、各社まちまちなRAWファイル形式を標準化しようとするムーブメントだ。でも、残念ながら、一眼レフ二強であるキヤノンもニコンもDNGをサポートしていない。両社ともに独自の形式だ。

 ちなみに、現時点でDNGを記録できるカメラは、Adobeのサイトによれば、ハッセルブラッドの「H2D」、ライカの「Digital-Modul-R」、リコーの「GR Digital」、サムスンの「Pro 815」の4機種と、かなり寂しい状況だ。ただ、これ以外にもペンタックスのKシリーズを始め、リコー/カシオなどにも対応機種がある。また、ライカハードウェアに対して、ソフトウェアは比較的潤沢で、DNGを扱える製品は、かなり増えてきている。

【お詫びと訂正】初出時にDNG対応機種を4機種のみと記載しておりました。お詫びして訂正させていただきます。

●カメラの潜在能力を引き出すには

 DNGがネガティブを称するのは、生の情報をレンダリングし、カラーマネジメントされたディスプレイやプリンタに画像として出力する際に、sRGBやAdobe RGBといった既存の色空間の枠内に押し込められていない生の情報を最大限に生かした色を生成できるからだ。

 つまり、カメラの撮像素子は、たとえば、カメラの背面に用意された液晶ディスプレイで見るものよりもはるかに多くの情報を取り込んでいるということだ。もちろん、その情報がそのままデータとして記録される。そのデータを、あらかじめ設定した色空間で、しかも非力なカメラのエンジンで処理していては、捨てる情報が多くなってしまう。だからRAWのままPCに持ってきて、PCの高い処理性能を使って絵を生成する。

 モーツアルトのピアノソナタの楽譜は1つだが、演奏するピアニストによって、まったく違った風に聞こえるし、交響曲のようなオーケストラものでも指揮者によって演奏は変わる。楽譜と演奏の関係は、ネガとプリントの関係であり、デジタルな世界であれば、RAWとデバイスへの出力状態だ。

 DNGの最新バージョンでは、カメラ・プロファイルと呼ばれる概念が取り込まれるそうだ。これは、カメラの素性を記録したもので、本来なら自社のカメラの素性を知り尽くしたカメラのベンダーが用意すべきものだ。カメラのベンダーが、撮像素子の特性などを正確に反映し、さらには、撮影時に使われたレンズの特性などもいっしょに記録したデータを使うことで、データをより有効に扱えるようにする。

 たとえば、歪曲などの収差や色収差などを抑制するために、カメラのレンズは、さまざまな工夫がこらされているが、収差はソフトウェア的に解決するものと割り切ってしまえば、恐ろしく明るいレンズが、低価格でできるかもしれない。光学ファインダーをのぞけばバレバレだが、今後、カメラのファインダーがEVFに移行するようなことがあれば、ファインダーをのぞいても収差に気がつかないで、仕上がりだけで満足してしまえるかもしれない。DNGがやろうとしていることには、そういうテーマも含まれている。

 もちろん、こうしたことは、カメラメーカー各社の独自RAW形式でも可能だが、それを標準化することで未来永劫、新旧のRAWデータを安心して保存し、いつでも展開できるようにしておこうというわけだ。つまり、Adobeが過去にPDFで成し遂げたことと、何ら変わるものではない。Wordや一太郎がなくなることは考えにくいが、多岐にわたるデバイスで同じ見かけの文書を表示するためにPDFが広く受け入れられていることを見れば、DNGがやろうとしていることは理解できるはずだ。

●本当の色なんて誰にもわからない

 つまるところ、撮像素子がとらえた光景は、悲しいほどにデジタルで、それを見ようとしても見ることはできない。このカメラは素晴らしい色で光景を切り取る、なんていう言い方をするが、誰にも本当の色なんてわからないのだ。目の前に見える写真(のようなもの)は、そこに出力されるまでに、必ず、なんらかの意図が介在している。そして、その意図が、きわめてセンスのいいものであれば、センスのいい写真(のようなもの)として目に映る。だったら、そのセンスを高めれば、カメラの潜在能力をもっと引き出せるはずだ。

 モノクロのネガフィルムを見たときに、真っ白に見える部分も、焼き付けの際に注意深く処理すれば豊かな階調が記録されていることがわかる。RAW処理でも同じ理屈が成立するはずだし、そのためにも、詳細なカメラ・プロファイルが欲しい。

 新たなテーマに取り組むDNGのバージョンは1.3。まずは、AdobeのCamera RAW、Lightroom 2.4、DNG SDK 1.3でサポートされることになるそうだ。

 だが、この素晴らしい構想を信じて、手元にある数万枚近いRAWファイルを、せっせとDNGにコンバートするかというと、なかなかその気にはなれない。やはり、ニコンとキヤノンには、カメラがネイティブにDNGをサポートすることを望みたい。

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(2009年 4月 17日)

[Text by 山田 祥平]