山田祥平のRe:config.sys

Windows 7はOSの領分を変えるか



 

 

 XPがVistaになっても、Vistaが7になっても、OSそのものができることは、大きく変わるわけではない。確かに、やりたいことを発見しやすくはなっている。想像力と好奇心、そして、少しばかりの向上心さえ持ち合わせていれば、XP搭載機よりも、7を搭載した方が、ずっと多くのことを手早くこなせるだろう。

●WordこそがOS

 それなりに美しいWordの文書を作る人から相談を受けた。同じような文書を繰り返し作るのに、いちいち以前の文書の内容を消して、残った枠組みに新たなデータを書き込むのがめんどうだというのだ。

 簡単に解決するには、枠組みだけの文書を用意しておいて、必要になるたびに、それをコピーして名前を変更し、それを開いてデータを書き込めばいいと教えた。ところが驚いたことに、その人は、文書のコピーの方法を知らなかったのだ。USBメモリなど別のメディアにコピーするのは何となくわかるが、同じフォルダ内の文書をコピーして同じフォルダに別の名前で置く方法は想像がつかないという。

 念のために書いておくと、ファイルを右ドラッグして、フォルダウィンドウ内の別の位置にドロップすると、コンテキストメニューが表示されるので、「ここにコピー」をクリックすれば、「○×」というファイルから、「○× - コピー」という同じ内容のファイルができるので、そのファイル名を変更すればいい。

 でも、知らないのは当たり前だ。そんなことは、教えてもらわなければわからない。特に、その人は、PCでのすべての作業をWordでこなしていた。フォルダウィンドウを使うこともない。その人にとっては、WordこそがOSで、WindowsはWordを稼働させるための土台に過ぎない。むしろ、ハードウェアと一体化した存在だ。

 もし、Wordだけで似たようなことをするなら、枠組みだけの文書を開き、データを入れた上で、別の名前で保存することになるだろう。

 なお、ここでも、ちなみにを蛇足として書いておくと、Wordなどの「ファイルを開く」ダイアログは、OSそのものなので、その中で右ドラッグによるファイルのコピーはできる。アプリケーションごとに、オープンダイアログが異なっていないのは、せめてもの救いだ。

 もし、その人が、紙をベースに作業をしているなら、枠組みとなる原紙をオリジナルとして作成しておき、コピー機で必要枚数コピーし、それにデータを書き込むという方法をとっただろう。本人もきっとそうするといっている。ところが、コンピュータに向かったとたん、その発想ができなくなってしまうのだ。

●ブラウザもまたOS

 相当古くからコンピュータを使ってきたユーザーでも、アプリケーションに編集だけをゆだね、ファイル操作にOSを使うという切り分けをしない。ファイルを見つけるのも、見つけたファイルを開くのも、すべてアプリケーションを起動してからという使い方をすることが多い。

 まして、新規にファイルを作成する際に、右クリックで0バイトの当該種類のファイルを新規作成してから開くといったことをする操作は、ほとんど行なわれていない。OSやアプリの入門書に目を通しても、そういう使い方を詳しく説明したものは、あまり見あたらない。これは、ぼくを含めて教えてきた側の罪だともいえる。

 そして、インターネットが当たり前の環境になり、多くのことをブラウザでこなすようになり、その傾向はますます高まった。最初にブラウザを開き、必要なサービスサイトを呼び出し、そこから、作業を始めるのだ。ただ、リンクのクリックは、リンク先が、ウェブサイトなのか、文書なのか、動画なのかを気にすることはない。でも、それは自分が作ったデータではなく、他人が提供するデータであるからで、クリックしたリンクの種類に応じて別のアプリケーションがそれを開くことはすんなりと受け入れられる。つまり、ここでは、ブラウザがOSであるというわけだ。しかも、Windowsよりも、よりOS的である。

●7の新しいAPIは何を変えるのだろう

 Windows 7が出てきても、このあたりの事情はまったく変わらないだろう。さあ、文書を作ろうというときには、よっしゃとばかりに、デスクトップ上のWordアイコンを開く。その作業が終わったら、息抜きに芸能ニュースでも読もうかと、おもむろにIEのアイコンを開くだけだ。XP時代と何も変わらない。これでは、新しいOSに魅力を感じないのも仕方がないといえる。

 カーネルと各種の標準サービスにAPIとランタイム、そしてシェルとファイルシステム。ぼくらエンドユーザーが把握できるOSの領分はそれだけだ。でも、実は、ユーザーによっては、シェルどころかファイルシステムの存在も意識していない。アプリがすべてをまかなってくれるからだ。アプリがOSの APIを利用しているにすぎなかったとしても、使う側にとっては、それはアプリの提供する機能なのだ。

 市販のパッケージソフトの市場が縮小し、目から鱗が落ちるような斬新なアプリケーションソフトが登場しにくい状況が続いている。PCでパッケージソフトを動かすこと自体が、一般コンシューマーレベルでは意識としても希薄になっているのかもしれない。

 Windows 7では、新たなパラダイムのために、実に多彩なAPIが追加されるときいている。今までやろうとするとかなりたいへんだったことも、APIを組み合わせれば、比較的、簡単に実現できるのだそうだ。

 そしてマイクロソフトはあえて、それらのAPIの活用をサードパーティに任せようとしている。Windows 7は、シンプルなOSに徹し、その秘めた機能を引き出すのは、アプリケーションの仕事にさせようとしている。それはそれで1つの道だとは思うが、新しい APIの使いこなしに取り組めるだけの体力がソフトウェアベンダーにあるのかどうか。

 NECの9800シリーズのときに、NECが熱心に動いたように、今、マイクロソフトに求められるのは、新たなOSを生かすためのソフトウェアをリクルーティングすることではないだろうか。すべてをOfficeスウィートでゆだねてしまっていては、そのパラダイムは変わらない。今、変えなければ、あと10年は同じままだ。

バックナンバー

(2009年 4月 10日)

[Text by 山田 祥平]