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技術立国日本の自叙伝「石の上にも30年」を再定義

 有機ELディスプレイが今まさに従来型のLCDを置き換えようとしている。その源をたどれば、日本が生んだ日本の技術だといってもいい。偶然から生まれた白色有機ELを執念ともいえる研究で花咲かせたのは山形大学の城戸淳二教授だからだ。ところが、その栄華を謳歌するのは日本ではない。くやしいかもしれないがそれが現実だ。

ビジネスマンとしての教授

 別件取材で山形大学工学部を訪問してきた。別記事(有機エレクトロニクスで世界をリードする山形大学)で書いたように、山形大学工学部は有機EL研究のメッカとして、日本、そして世界中の企業や大学からトップクラスの研究者が集まる聖地になっている。

 何人もの研究者にお会いし話をきけた。純粋に学術畑を歩んできた方もいれば、サンヨーやパイオニアといった大企業の出身者もいた。それぞれが口を揃えていう。どんなものでもモノになるまでには30年かかると。

 今、山形大工学部では30歳台で教授になるのは難しいという。修士、博士課程を終えて助手になり、助教授を経て教授になるまでに20年以上。でも、それ以上に研究がものになるのには時間がかかる。研究職というのはそのくらいたいへんなものらしい。

 発端から最初の10年間で実用化のめどがたち、さらに次の10年間で一般人でも手に入る最先端のテクノロジーとなり、次の10年間でコモディティになって既存技術に置き換わるというわけだ。

 山形大工学部の助手として城戸淳二教授が有機ELに取り組み始めたのは1989年のことなのでもうすぐ30年目の節目を迎える。同教授が初の白色有機ELの開発に成功したのはその4年後の1993年だ。

 ちなみにこの年は富士通ゼネラルが世界初のプラズマディスプレイを商品化した年である。皮肉な因縁だと思う。プラズマは道半ばで倒れたが、この有機ELについてはOLEDとして今はまさにコモディティとして刈り入れがはじまろうとしているタイミングだ。

 今年2017年は、有機ELパネルを使った国産TVがソニー、東芝、パナソニックから発売されたが、そのすべてが韓国・LG製のパネルを使っている。仕方がない。日本は有機ELを使ったTVパネル事業から、ある意味でおりてしまっている。そしてTV用の大型有機ELパネルを作っているのはLGのみだからだ。

 スマートフォンはどうか。こちらはこちらで韓国のサムスンの独擅場となっている。この秋には、次世代iPhoneが有機EL採用という噂もあり、もしそうなればものすごい勢いで液晶との置き換えが進むことになるだろう。城戸教授はあと2年で液晶を有機ELが置き換えるというが、本当にそうなりそうな勢いでもある。

 その一方で、先日、ジャパンディスプレイ(JDI)が決算報告や中期経営計画について説明し、巨額の特別損失を計上することを明らかにした。日立、東芝、ソニーの液晶事業を統合し、国のファンドを受けて発足したまさに日の丸企業だがこうした残念な結果となっている。

 JDI、そして有機ELからは撤退していたソニー、パナソニックの3社の事業を統合して設立されたJOLEDもあるが、本格的な有機EL事業の立ち上げには時間もかかるだろう。

 とくにiPhoneクラスの出荷数のパーツを引き受けるとなると、それに精一杯でほかのことがなにもできなくなってしまう。大きな投資も必要だ。早い話が間に合わない。仮に城戸教授のいうように、あらゆるスマートフォンが液晶をやめて有機ELに移行するようなことが起これば、液晶に注力していたビジネスは崩壊する。

ものづくりを超えて

「ものづくり」が日本の生き残る道であり、それが日本の原点でもあるという声をよくきく。だが、中国や韓国がこれだけの大国として、さまざまな観点で日本を脅かすまでになったことを考えると、もう日本がものづくりにこだわり続けても決して明るい未来はないという議論もある。これらの国々がものづくりではかなわないほどに成長著しいことは誰もが認めることでもある。かつて米国が日本にものづくりを委ねたようなパラダイムがそこにあるわけで、だからこそ、iPhoneやPCといったハイテクデバイスの多くが中国で製造されているのはご存じのとおりだ。

 こういう状況であっても、新しい技術がコモディティとなるのに30年間かかるとしたら、20年目でEXITするというのも検討すべき方法論なのかもしれないなとも思う。実際、山形大学では有機ELに関して、すでに次の研究フェイズに入っている。有機ELディスプレイで味わった苦い経験を二度と繰り返すまいとしている気持ちも強いに違いない。一方で、有機ELディスプレイをさらによいものにする要素技術研究も進められている。それらの技術が結実すれば現行製品とは比較にならないほどのデバイスができるともいう。

 彼らはプラズマの死も見てきたのだ。ならば、持って行かれるのを指をくわえて見ているのではなく、積極的にビジネスとして研究を請け負って、適正な価格で売るしかない。まさにシリコンバレースタートアップ/ベンチャーのEXITだ。ある意味で研究室は、仮想スタートアップ、仮想ベンチャーということもできる。

 はっきりいえることは、最先端技術の発端から、そのエンドユーザーレベルへの浸透までの30年間をすべて自前でコントロールすることは、たぶん無理だということだ。今、デジタルトランスフォーメーションの叫び声があちこちから聞こえるようになり、製造業はもちろん、あらゆる事業がデジタルの波に乗り遅れまいと懸命だ。なにしろ、この波に乗り遅れた企業は死ぬとまで言われている。

 デジタルトランスフォーメーションはある意味で、従来型のビジネスを捨て、新たなビジネスにチャレンジすることでもある。いや、捨てるというよりも、他者に委ねることといってもいい。それによって組織そのものはIT企業に生まれ変わる。それがデジタルトランスフォーメーションだ。ある意味で日本がものづくりと訣別を迫られているようにも思える。

 こうした時代の流れの中で、研究、そして、製造業、さらにITベンダーはどのような形で共存していくべきなのか。そして、それは1つの国の中だけで完結してしまうのかどうか。今、考えなければならないことは山のようにある。

 山形大学がやろうとしているのは、研究室というアカデミックななアーキテクチャにビジネスのAPIを実装するデジタルトランスフォーメーションだ。カネになるなら中国であろうが韓国であろうが拒む理由はない。大事な大事なお客さまだ。日本列島を沈没させないためにも、そうやって技術立国を再定義することからはじめなければなるまい。