音の出ないコンピュータというのは、もう考えられない。UIにおいても、音のフィードバックはかなり重要な役割を果たす。もちろん、音楽やビデオなど、リッチコンテンツを構成する重要な要素でもある。 ●音があふれる生活空間 ゲームは苦手だが、ゲームサウンドが出ているときと、出ていないときでは、得点に大きな差が出ることくらいはわかる。音を消してプレイすると、スコアは極端に低くなる。そのくらいサウンドによる操作のフィードバックは重要だ。 いつも持ち歩いているノートPCは、公共の場所で使うことが多いので、サウンドはミュート状態にしてあって、必要なときだけミュートを解除するのだが、ブラウザでリンクをクリックすると音がしないのは、それだけでも、何となく頼りなく感じるものだ。警告音やエラー、バックグラウンド処理の終了、メッセンジャーの呼び出しなどは、タスクバーボタンの色が変わるので気をつけていればすぐにわかるのだが、ぼんやりしていると、それを見落としてしまうこともある。でも、音が出ればすぐに気がつく。 ぼくらの生活空間には、音があふれている。その雑然とした音の中から、自分に必要な音だけを抜き出し、それに集中できるのだから、人間の耳というか意識というのはすごいものだと思う。 先日も、久しぶりに東京・サントリーホールにオーケストラを聞きに行ってきた。マリス・ヤンソンス指揮によるバイエルン放送交響楽団のコンサートだ。演奏中、一度だけ叩かれるトライアングルの音が耳に残る。コンサート会場にはたくさんの聴衆がいて、それぞれが息をしているし、咳払いも多少はする。衣服がすれる音だってしているはずだ。でも、そのような音は意識の外にあり、さらに、あの大音響のオーケストラの演奏の中で、トライアングルの音がちゃんと聞こえるのだ。 ●聞こえているのに聞こえない 雑多に耳に入ってくる音は意識の中で分離され、必要なものだけが意識の中に残るのだろうか。意識が捨てている音を拾えば、もしかしたら何か新しい発見があるかもしれない。そのことを子どもたちに感じてもらおうと、宮城県仙台市立東二番丁小学校で、総合的な学習の時間の一環として、ラジオ番組を作る学習をさせたのだそうだ。「音の世界を広げよう」という単元で、身の回りにあるさまざまな音に興味、関心を持ち、その音を聞いて楽しんだり、探して集めたり、伝え合ったりする活動を通して、自分たちの生活をより豊かにしようとする態度を養おうというのがその目標だ。 同小学校教諭の石橋雅之先生は、学習にあたり、子どもたちにさまざまな体験をさせた。たとえば、音声を消したTVを鑑賞させ、音のありなしでどのような違いがあるかを実感させる。最近のTV番組は、バラエティなどではテロップが頻繁に出てくるので、音がなくても、あるいはビデオの早送りでもだいたいの内容がわかってしまうが、味気なさは感じるだろう。まして、ドラマや音楽番組は音なしでは成立しない。 子どもたちは、いくつかのグループに分かれ、それぞれ街や学校、家庭などで音を探して収録してきて、それを素材にクイズ番組や観光案内などの番組を構成し、ラジオ番組を作った。子どもたちがICレコーダを抱えて集めた音を持ち寄り、宮城教育大の協力で、ボランティアの学生たちの指導のもと、Mac上の「GarageBand」で番組の体裁に編集していく。 ナレーションは、小学校の放送室で収録したそうだが、何も聞こえない静かな場所だと思い込んでいたアナウンスブースも、実際に声を収録してみると、街中の車の音など、雑多な音が入り込んでいることに子どもたちは驚いたという。 約2カ月間、音の学習に取り組んだ結果、できあがった番組は、保護者や一般のギャラリーを前に、仙台市内のアップルストア仙台一番町店内で発表会として披露された。 発表会で、子どもたちは「聞いたことのない音をたくさん見つけられた」、「何気なく聞いている音に耳を傾けることができた」といったコメントを発表した。 身の回りの自然音を集めたグループの1人は「身の回りには意外に自然が少ないのに驚いた。もっと自然が増えたらいいのにと思う。仙台は建物だらけなのに、なぜ、杜の都と呼ばれるのか不思議に思った」と不思議を訴える子どもも。また、「年寄りのいるところで激しい曲が流れたり、若い人ばかりのところに演歌が流れるのも迷惑だ」などと、音、すなわち音楽が飲食店などの雰囲気を決める重要な要素になっていることも指摘していた。 ラジオ番組の1つでは、音当てクイズの中でPCの音が流れ、アップルストアでは流れてはいけないと大人だけが思っているサウンドが高らかに鳴り響き、場内の笑いを誘っていた。 こうして子どもたちは、たくさんの音を聞いたり調べたりすることで、音が生活に欠かせないものであることを知り、人は音と暮らしていることを学んだというわけだ。 ●想像力が作る映像 教育現場に熱心なアップルだが、子どもたちにはコンピュータのOSが何であろうと、あまり意識もしないし、不自由もしないとも聞く。個人的にも子どものころから1つのOSの作法に縛られるよりも、いろいろなGUIに慣れ親しんでおいた方がよいようにも思う。少なくとも、携帯電話のメニューUIに慣れ親しむよりはずっといい。 発表会で流れたWindows XPの起動音が子どもたちにとってのPCの音であるように、おそらくは自宅にあるPCは、ほぼすべてがWindows PCなのだろう。でも、番組を制作する過程においてMac OS上のGarageBandを使うことには、何の抵抗もなかったようだ。 今、教育の現場では、ビデオ編集の需要が高く、何らかの素材を集めるというと、普通はビデオカメラで撮影した映像なのだそうだが、今回は、音に注目した。音のない映像は物足りないが、映像のない音は想像力が映像を補う。子どもたちも、そのことを実感したにちがいない。
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(2007年12月14日)
[Reported by 山田祥平]
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