●なかなかバージョンが上がらないPS3のSDK
仕切り直しとなったPLAYSTATION 3(PS3)の価格とスペック。東京ゲームショウ(TGS)でのショックにより、PS3を取り巻く状況は変わり始めた。それは、PS3向けタイトル開発も同じだ。 実は、TGSを前にして、PS3のタイトル開発には、かなり暗雲がたれ込めていた。開発の難度が高くてタイトルが遅れている、特にSCE側のソフトウェアスタックの準備が遅れている、タイトルをPS3として期待されているレベルにするのは難しい、といった声が聞こえてきていた。TGSには各社ともなんとか間に合わせて、それなりのタイトルを並べたが、内実は綱渡り状態で不安も強かったという。 これまでもPSPのように、ローンチ時にタイトル開発で綱渡りだったSCEのプラットフォームはあった。しかし、今回のPS3ほどせっぱ詰まった状況はこれまでになかったと言われている。例えば、ソフトウェア開発キット(SDK)はTGS時にはバージョン1.0がリリースされているはずだったのが、TGSに近くなってようやく0.93が提供された。そもそも、春頃に発表したスケジュールでは、SDKは6月までに1.0にする計画だったはずだ。 SDKのバージョンナンバーは、キットの成熟度を示しており、完熟(1.0)まで、まだしばらくかかる状態にある。デベロッパは、それだけ、不完全で、当然バグも多いSDKをベースにして開発しなければならない。 これは、SCE自体のソフトウェア開発がスケジュールに追いついていないことを意味している。カンファレンスなどでSCEの担当者に会うと、技術的には非常に深く、現場レベルでは相当な努力もしていることがよくわかる。しかし、SCE全体でソフトウェア開発のリソースと、それに時間が不足していると推定される。つまり、プロジェクトの規模の割に、開発リソースの見積もりが甘かった可能性が高い。 開発ハードウェアでは、PLAYSTATION 3のデバッグ用のキット通称「デバステ」が出回り始めているが、ソフトウェア側はこのように、かなりスケジュールが押していた。発売まで2カ月を切ってのこの事態に、デベロッパは危機感を募らせていた、というのがTGS直前の状況だった。 ●特殊性の強いCellのSPEのハードルが高い また、PS3でのタイトル開発が進むにつれて、アーキテクチャ上のチャレンジもより現実的になってきた。CPU側では、もちろん、Cellの複雑なプログラミングモデルが難関になっている。メインの汎用CPUコアである「PPE(Power Processor Element)」は比較的簡単に扱うことができるが、サブの演算コアである「SPE(Synergistic Processor Element)」のハードルが高い。「初期タイトルでは、SPEをフルに活かすことは絶対に無理。まだ、試しに使ってみる程度。習熟するには、かなり時間がかかる」とあるデベロッパは語る。予想通り、SPEでつまづいているわけだ。 別なデベロッパは、SPEプログラミングを始めると苦しいのはメモリだと漏らす。SPEはメモリ共有モデルは取らず、各コアに内蔵する256KBのローカルストアメモリにプログラムとデータを持ってきて実行する。ところが、256KBは実行イメージも含めての量なので、ユーザーエリアはそれより小さくなる。さらに、外部DRAMへのアクセスレイテンシの隠蔽のためにバッファリングする場合には、このメモリを2分割して128KBで使わなければならない。「ローカルストアが1MBあれば、全然違っただろう」という。 もっとも、制約の多いローカルストアは、メモリレイテンシが短く、レイテンシサイクルを確実に読むことができるという大きな利点も持つ。これは、ゲームのようなリアルタイムアプリケーションでは、重要な利点だが、そのためにメモリ量は犠牲になっている。 これまでも、ゲームデベロッパは、「ここで1命令(32bit長)削れば、4 bytes分メモリが節約できる」といった、ケチケチプログラミングを強いられてきた。程度の差はあれ、PS3でも、まだ、それに似た状況は続いている。もっとも、Cellについては「やればやるほどパフォーマンスは出せる」という声もあり、決して皆がネガティブなわけではない。しかし、労力が必要で、ハードルが高く、時間がかかることは確かだ。 また、Cellの場合、これまでのように1個のCPUコアのパフォーマンスを限界まで引き出すのではなく、複数のCPUコアで最大パフォーマンスに持って行く必要がある。そのため、必要とされるスキルが異なってくる。いわゆる「ハードを叩いて性能を引き出す」型のスキルだけでは、うまく通用しない。 ●メモリ回りがボトルネックとなるRSX アーキテクチャ上苦労を強いられているのはGPU「RSX(Reality Synthesizer)」も同じだ。RSXのGPUコア自体は、NVIDIAのGeForce 7800 GTX(G70)コアを持ってきているため、Programmable Shaderのプロセッシングパフォーマンス自体は高い。また、PCグラフィックスに触った経験があると、アーキテクチャ的にも親和性が高く扱いやすい。しかし、メモリインターフェイス幅は128bitで、それに合わせてROP(Rasterizing OPeration)も8本となっている。つまり、ラフに言って、RSXはハイエンドGPUのShaderエンジンに、ミッドレンジGPUのメモリ回りの組み合わせとなっている。 そのため、RSXはShaderのコンピューティングパワーに偏ると性能は極めて高いが、Shaderから下のROPやメモリを圧迫すると、性能的に見劣りがしてしまう。つまり、パイプラインの下流がボトルネックになっている。そして、このボトルネックは、原理的に、解像度の高いHDTV表示時により影響が大きくなる。「RSXは解像度さえ低ければ最高のGPUなのだけど、HDTV表示になると苦しい」とあるデベロッパは語る。ちなみに、最初の開発ツールでは、GeForce 7800 GTX(G70)を使っていたため、メモリ帯域は実機の2倍弱あった。そのため、ツールの移行で、この部分はスペックダウンしている。 特に、メモリ帯域を食うHDR(ハイダイナミックレンジ)やフルスクリーンアンチエイリアシング(FSAA)は、RSXでは原理的にコストが高く、デベロッパは苦労を強いられる。PCグラフィックス並にHDRやFSAAできれいに見せようとすると、ハードルが極めて高いのがRSXだ。例えば、テクスチャをCell側のメモリに置いて、FlexIO経由でテクスチャリードするといった、メモリ圧迫を軽減する手段を工夫する必要になる。 面白いことに、これは、ちょうどXbox 360 GPU(Xenos)と逆の構図となっている。Xbox 360 GPUの場合は、固定のラスタオペレーションとそのワークメモリはGPUに接続されたeDRAM側にある。そのため、10MBのeDRAMに収まる範囲なら、メモリ帯域を圧迫せずにShaderから下の処理ができる。(実際には、このeDRAMに収まる範囲というのがクセモノで苦労する)。つまり、FSAAがコストフリーで使えることになる。 しかし、Xbox 360 GPUでは、逆にShaderのプロセッシングパフォーマンスがボトルネックになると言う。つまり、RSXと全く逆に、足りなくなるのはShader ALU部分の性能というわけだ。もっとも、その一因は、Unified-ShaderアーキテクチャにまだMicrosoftもデベロッパも不慣れなためで、例えばスレッディングリソースが足りなくてストールしたりするという。そのため、まだリソースをうまく使うことで、Xbox 360 GPUのShaderパフォーマンスは向上の余地があると言われる。 いずれにせよ、PS3はGPU側にも、ゲーム機ならではの制約があり、それが開発をやっかいなものにしている。こうした状況で、PS3では、立ち上げ時期に、本当に違いを感じさせることができるタイトルを揃えられるか、疑問が上がっていた。 ●不安の声が多かったPS3の立ち上げ SDKの遅れや、開発の難度の高さ、アーキテクチャ上の問題から、揺れていたPS3のタイトル開発。デベロッパの間からは、PS3に対するグチも多く聞かれた。グチだけならまだしも、PS3自体の立ち上げが上手く行かずタイトルが売れないかもしれないという意見も出ていた。 「ゲームタイトルもめぼしいものが揃わない、最初の出荷台数も少ない、価格も高いとなると、今冬のPS3ローンチは、話題作り程度に留まるのでは。その上で、来春になって仕切り直しで、再立ち上げをすることになるかも」とある業界関係者はTGS前に予想していた。タイトルの価格が高くなることを懸念する声もあった「9,800円や8,800円という値段でタイトルが並んで、果たして買ってもらえるだろうか。本体とタイトル2~3本で10万円コースになると、さすがにきつい」。 特に、SCEがターゲットとする年度内に600万台の販売は、達成できるかどうか、疑問視する声が多かった。「最初は、出たら即買う層が飛びつくが、彼らが買い尽くした後は、本体が高すぎて動きが鈍るのでは。600万をSCEが出荷できても、実際に売れるかどうかは別。今回は、さすがに思惑通りに行かないのではないか」 全体に見て、PS3に対しては、かなり悲観ムードが漂っていた。ゲームベンダー側は、プラットフォームが立ち上げに失敗すれば、そのプラットフォーム向けタイトルへの投資分の回収が難しくなってしまう。やはり、ロケット型で一気にゲーム機が普及してくれないと、タイトルに注力しにくい。その点でも、PS3は不安があったわけだ。 ●TGSで見えてきたゲーム開発の横の様子 しかし、日本価格の仕切り直しとスペックの変更で、この状況はある程度変わり始めると思われる。タイトルの開発のやっかいさは変わらないが、少なくとも、立ち上げの不安はかなり軽減されたことになる。 以前、PS3の不安材料についてゲーム業界関係者と話し合った時、「PS2の時も、発売前は業界関係者が集まると、みんなでPS2は絶対にうまく行かないと囁きあっていた。ところが、フタを開けたら今のように成功していた。まだこの先、久夛良木マジックがあるかもしれない」という声があった。価格引き下げで、すんなり行くかどうかは、まだわからないが、今回も、久夛良木氏による逆転があったわけだ。 また、TGSを機に、各社のPS3タイトルの開発状況が見え始めたことも大きい。TGSまでは、各ゲーム会社とも、横の様子はあまり見えない。つまり、他社のPS3タイトルがどこまで進んでいるか見えにくい。そのため、どこまでやればいいのか、他社と比べて品質的にどうなのか、暗中模索で進めることになる。しかし、TGSでオープンになると、状況が見える。あるデベロッパは「今回はウチは相当がんばっていると思ったが、他社もみんなきちんと出してきたので驚いた」と語っていた。もっとも、「○○が処理落ちしていた」「落ちているタイトルがあった」と、完成度や技術上の限界も見える。良くも悪くも、ローンチ前後のタイトルの着地点が見えてくることになる。 もっとも、TGSでのタイトルは、綱渡り状態だっただけに、必ずしもこれまでのような高い評価を与えられているわけではない。しかし、これは、PS3だけでなく、おそらく、新ゲーム機ハードに共通する問題だ。 次世代機では、アーキテクチャの複雑化のために、ハードウェアの特徴を活かしたタイトルを開発するのに、これまでより時間がかかる。Xbox 360を見ても、タイトルが真に次世代機らしくなってきたのはつい最近だ。発売から1年、タイトル開発が1巡して2巡目に入らないと、そこまで作り込めないほど新ハードは複雑になっている。基本アーキテクチャはGAMECUBEを踏襲するため開発が容易なWiiも、ネットワーク回りは任天堂の経験が浅いだけにかなり苦労をしていると言われる。 つまり、ハードが複雑化すると、それだけハードを活かしたタイトルの開発に時間がかかる。これは、PCでは当たり前のことで、ハードのローンチと同時に、ハードを活かしたタイトルが揃うというこれまでのゲーム機のタイトル開発の方が異常だった。ローンチで次世代機は判断できなくなっている。 □関連記事 (2006年9月27日) [Reported by 後藤 弘茂(Hiroshige Goto)]
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