笠原一輝のユビキタス情報局

迫りくるコンシューマPCの“2006年問題”
~PCが抱える地上デジタル対応への課題





インテル株式会社 代表取締役共同社長 吉田和正氏

 「現在、業界をあげてPCにデジタル放送の機能を搭載すべく取り組んでいる。オープンアーキテクチャのPCに、どのようにセキュアな環境を組み込んでいくかが課題になっており、いくつかのソリューションは今年登場するだろう。ただ、少し時間がかかるかもしれない」とインテル日本法人の代表取締役共同社長 吉田和正氏は、1月に行なわれた新世代のCentrinoモバイル・テクノロジ発表会で、記者団の質問に答えた。

 現在日本のPC業界は、まさに業界の命運をかけてデジタルTVの機能をPCに組み込むことにチャレンジしている。吉田社長は「少し時間がかかるかもしれない」と表現したが、実際には残された時間はそう長くない。

 というのは、PC業界はまさに「2006年問題」とでも呼ぶべきタイムリミットに直面しているからだ。


●時間切れで危機を迎えるPCのデジタルTV実装

 業界で「2006年問題」と呼ばれるこの問題は、現行PCへのデジタル放送実装の暫定許諾が、2005年12月31日で有効期限が切れることに起因している。

 PCに限らず、日本のデジタル放送を受信する機器の仕様は、すべてARIB(アライブ、社団法人 電波産業界)という総務省の指定団体により規定されている。特に、デジタル放送は、ARIB STD-B14ARIB STD-B25という2つの仕様による、コンテンツ保護が実現されていなければならないという取り決めになっている。

 そこで、問題となるのがPCのオープンアーキテクチャという特徴だ。PCは、いわゆる業界標準と呼ばれるオープンな仕様に基づいて作られている。この仕様は、誰に対しても開かれており、パーツさえ買ってくればユーザーがPCを作ることも可能なのは言うまでもない。

 もちろん、ソフトウェアの仕様も公開されており、基本的には誰でもちょっとした能力さえあれば、ソフトウェアを作ることが可能になっている。

 このため、極論すれば、PCのバス上を流れるデータをキャプチャして、それを復号化して見るということも不可能ではない(難易度はこの際議論しないことを前提としての話だが……)。だから、例えば、PCにデジタル放送の受信機能を実装した場合、そのデータをHDDに格納する際に暗号化しても、デコードしてGPUに送り込むためにHDDから読み出してメモリ空間に展開した時に、データを吸い出すことも原理上は不可能でない(繰りかえすようで申し訳ないが、その難易度は議論しない……)。このため、ARIBの規定では、バスやメモリ空間なども含めて暗号化することが求められているのだ。

 しかし、現在のPCのアーキテクチャではバスやメモリの暗号化はできない。Intelが計画している「LaGrande」テクノロジやMicrosoftの「NGSCB」(Next Generation Secure Computing Base)などが実用化されれば不可能ではないが、NGSCBはLonghornまで実装されない可能性が高く、かなり先の話になってしまう。

 そうした状況もあり、ARIBはPCに関しては例外規定を時限的にもうけた。それが、出力時にSDの解像度(具体的には480pまで)に落とすのであれば、内部バスやRGB出力などがセキュアになっていなくても、出力を許可するというものだ。このため、NECのVALUESTARシリーズなどは、この制限にそって地上デジタル放送やデジタルBS/CS放送の受信チューナを実装している。

 ただし、この例外規定は、2005年の12月31日までとされており、2006年の1月1日以降には、出力も含めてすべてセキュアにする必要がある。つまり、現在NECがやっている方式でも、PCに地上デジタル放送やデジタルBS/CS放送のチューナを搭載することはできなくなるのだ。

 これがPCの「2006年問題」となるわけだ。

●富士通がデジタル放送用のセキュリティチップを開発

 この問題を議論する際には2つの問題に分けて考える必要がある。具体的には内部バスやメモリなど、PC内部のセキュア化、そしてGPUと出力というビデオ周りのセキュア化の2つだ。

 PCにおける問題点(と、コンテンツホルダー側が指摘する問題点)は、オープンアーキテクチャに起因することはすでに述べた。

 HDDに暗号化して格納することは可能でも、GPUにビデオのデータとして送るために、メモリ空間で復号化し、スケーリングやIP変換などを行なう必要がある。その段階ではどうしても暗号を解除しないとならないため、その時点のメモリデータを読まれて、暗号化されていないデータを作られてしまう可能性がある(しつこいようだが、その難易度は議論しない)。

 そこで、PC業界は、メモリ空間を監視するセキュリティチップの開発に取り組んでいる。富士通は、昨年の11月に公開した雑誌FUJITSU11月号「デジタルTV対応PC向け権利保護LSI」という論文を発表している。

 この中で富士通は、地上デジタル放送向けに「権利保護LSI」と同社が呼ぶセキュリティチップを開発したことを明らかにしている。

 その論文によれば、このセキュリティチップは、2つの機能を備えている。1つめは、MPEG-2のコンテンツがTVチューナ上のエンコードチップでエンコードされる時、B-CASカードを利用して暗号化してからHDDにコンテンツを格納する機能。

 もう1つが、メモリ上でアプリケーションが暗号化されたデータをデコードし、GPUに転送する際の動作をチェックし、規定外の動きをするアプリケーションからコンテンツを保護するという、監視機能の2つだ。

 このチップを利用することで、エンコーダチップからHDDまで(つまりPCIバスなどの汎用バス)、HDDにあるコンテンツ、HDDからメモリまでの読み出し(同じく汎用バス)などをすべて保護することが可能になる。これにより、PCにデジタル放送を受信して保存する機能、ディスプレイ上に720pや1080iなどで表示する機能などをすべて実現可能になる。

デジタル放送向けのセキュリティチップを利用した、PCへのデジタル放送の実装

●グラフィックス周りではHDCPへの対応が必要

 ただし、それでもすべてが解決されるわけではない。もう1つ、GPUのセキュア化という問題をクリアしなければならないからだ。

 GPUには、HDCP(High-bandwidth Digital Content Protection)と呼ばれるコンテンツ保護技術を組み込むことになる。

 HDCPの実装は、2つの部分に分けて議論する必要がある。HDCPには、GPUから外部のディスプレイに出力する際のやりとりの仕様であるダウンストリームプロトコル、メモリ空間からGPUに対して出力する際のやりとりの仕様であるアップストリームプロトコルという2つの仕様が用意されている。

 このうち、ダウンストリームプロトコルに関してはすでに仕様が決まっており、実際対応している製品がすでに出荷されている。例えば、以前この連載でも紹介したシャープの液晶TVであるアクオスのGDシリーズに採用されているDVIポートはHDCPに対応しているし、デルの26型液晶ディスプレイ「W2600」のDVIポートも対応している。

 問題は、アップストリームプロトコルと呼ばれるメモリからGPUへコンテンツを転送する際の仕様だ。実際、HDCPの規格策定やライセンスを行なっている、Digital Content Protection LLCではアップストリームプロトコルの仕様策定を行なっているが、その仕様は曖昧なところが多く、完全なものではないという。

 ただ、仮に、HDCPのアップストリームの仕様が完全に決まっても、別の課題もある。それが、GPUそれ自体のHDCP対応が全然進んでいないことだ。

 PCがHDCPに対応するには、アプリケーション側がHDCPに対応すること、GPUが対応することという2つをクリアする必要がある。アプリケーションベンダに対応してもらえなかったとしても、最悪の場合、日本のPCベンダが独自にアプリケーションを書いてしまえばいいから、比較的クリアは可能だろう。問題はGPU自体のHDCP対応だ。

 GPUがHDCPに対応するには、GPUがハードウェア的にHDCPに対応し、かつデバイスドライバもHDCPに対応する必要がある。最大の問題は、HDCPに対してGPUベンダ側の動きがあまり活発ではないという点だ。以前のレポートでも、GPUベンダ側の動向を紹介したが、急いでHDCPを実装する必要はない、というのが彼らのスタンスだ。

ダウンストリームプロトコルとアップストリームプロトコル。ディスプレイへの出力がダウンストリームプロトコル、ソフトウェアからGPUへの出力がアップストリームプロトコルの担当になる

●GPUベンダがHDCPに積極的ではないのは日本以外のニーズがないから

 実際、ATI、NVIDIAという2大GPUベンダのロードマップには2005年にリリースされる次世代GPUに、HDCPが実装される予定はないという。なぜ、GPUベンダ側の動きは鈍いのだろうか?

 その理由は簡単だ、ニーズが無いからだ。日本以外の地域では。

 GPUベンダは、MicrosoftがLonghornでの実装を検討している次世代のセキュリティ技術であるNGSCBが実現するタイミングにおいて、HDCPを実装することを検討している。考えてみれば当たり前の話で、仮にGPUにだけHDCPを実装したとしても、メモリやHDDなどがセキュアになっていなければ何の意味もないからだ。

 ここで忘れてはならないことは、NGSCBは当初ビジネス向けを想定しているという事実だ。なぜなら、米国では個人の権利意識が日本より強く、仮にNGSCBをコンシューマ向けとした場合は、かなりの反発を受ける可能性があるからだ。

 また、米国のデジタル放送の方式である「ATSC」では、機器側にコピープロテクションの仕組みを要求していない。このため、すでに米国ではATIがHDTV WonderのようなPCのデジタル放送用チューナカードを販売しており、すでにPCでのフル解像度デジタル放送受信が実現されている。機器側にコピープロテクションの仕組みを入れる必要がないのだから、もちろんHDCPは必要ない。

 NGSCBがどんなに早くても2006年の後半にリリースされるLonghornでのサポートであり、かつ最初のLonghornには実装されない可能性もあるという状況では、実装によりライセンス料も必要となるHDCPの搭載を遅らせるのは、頷ける話だ。

●2005年中に搭載するならGPUベンダに特別版を要求するしかない

 日本のPC業界にとってこの問題は非常に大きな問題だ。ソフトウェアはともかく、GPU自体を作ることはできないからだ。日本のコンシューマPCに実装されているGPUのほとんどは、ATI、NVIDIAの単体型GPUか、IntelやATIなどの統合型GPUだ。従って、この3社が実装してくれない限り、PCベンダとしてはなすすべがない。

 だが、その間にも、2005年12月31日という暫定措置のタイムリミットが迫っている。

 現状でそれをクリアし、実装する方法は、GPUベンダにHDCPを実装した特別版を作ってもらうことだ。HDCPを実装したGPUと、前述した富士通のセキュリティチップを搭載する、という方法がもっとも妥当なところだろう。

 GPUベンダ側は、HDCPの技術開発はすでに終わっていると説明しており、PCベンダ側が要求すれば、特別版を作ることも技術的には可能と考えることができるからだ。だが、もし、この方法をとる場合のコストは膨大なものとなることは容易に予想できる。

 問題は、そこまでして導入する「デジタル放送」というアプリケーションがPCにとって魅力的なものであるのか、という点だ。NECのVALUESTARシリーズに搭載されているデジタル放送の機能も、さほど話題になっているとは思えないのが現状だ。

 確かに、現在の仕組みでは480pに出力が制限されてしまう制約があるとしても、ではそれが720pや1080iなどの出力が可能になることで、ユーザーがPCを購入しようと思うような、魅力的なアプリケーションとなるのか?

 このあたりについては、次回以降で取り上げていきたいと思う。

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(2005年2月10日)

[Reported by 笠原一輝]


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