山田祥平のRe:config.sys

サウスブリッジのたもとで



 サンフランシスコの街を歩いていたら、Macの大きなボディをむきだしで抱えて歩く女性にでくわした。すぐそばにはアップルストアがあるので、修理に持ち込もうとしているのだろうか。いずれにしても、銀座の雑踏では、なかなかこういう光景にはお目にかかれない。もし、今、使っているパソコンが、なんらかの理由で使用不能の状態になったらどうするだろうか。そして、そのパソコンが、唯一無二のものであったとしたら……。

●万が一のアクシデントが自分の身にふりかかるなんて誰も思ってはいない

 2004年の情報通信白書によれば、パソコンの世帯普及率は前年よりも6.8%増加し、78.2%に達しているという。だが、逆にいうと、10軒に2軒はパソコンがないということであり、まして、複数台のパソコンがある家庭はまだまだ少ない。

 その一方で、ちょっと古い情報だが、2003年8月のPC Watch読者環境調査によれば、1台しかパソコンを持たないユーザーは11%しかいない。約半数のユーザーは2~3台のパソコンを持っているし、それ以上の台数のパソコンを持っているユーザーも多い。驚くべきは、調査結果にパソコンの所有台数がゼロという値がない点だ。

 アンケート対象となっている本サイトの性格を考えても、当たり前といえば当たり前の話だが、これはかなり特殊な環境だ。身の回りを見渡しても、さすがに、パソコンがないという家庭を見つけるのは難しくなってはいるものの、複数台のパソコンがあるという一般家庭はまだ珍しい。教壇にたっている大学で、今年の春に、一年生の女子に対して個人的に収集したアンケートでも、家に一台で、それは自分のパソコンではなく、兄弟、あるいは、父親のパソコンを借りて使うという回答が目立っていた。

 ということは、もし、その唯一無二のパソコンが壊れてしまったら、修理に出している数日間は、家族全員がパソコンを使えなくなってしまうということになる。不便ながらも、百歩譲ってそれは我慢できたとしよう。ハードディスクが無事ならいいが、もし、クラッシュしていれば、そこに保存されたデータは戻ってこない。パソコンが唯一無二なら、データだって唯一無二の可能性は高い。万が一のアクシデントに備えて、まめにバックアップをとっているのは、パソコンを複数台持つような先進ユーザーだけだろう。

●かけがえのないデータは十分にケアされているのか

 写真高画質プリンタのセールスピークは2000年だそうだ。ちょうどこのタイミングでデジカメを手に入れたユーザーがいたとしよう。

 2000年のコンシューマー向けデジカメというと、200万画素の初代IXY DIGITALなどが思い浮かぶ。個人的には、コダックのDC4800 Zoomがお気に入りで、いつもカバンにいれて持ち歩いていた記憶がある。当時から今まで、ごく一般的なユーザーであったとしても、4年間かけて撮りためた写真は、少なく見積もっても500枚以上はあるだろう。幼稚園児だった子供も小学生の生意気盛りになっているはずだ。

 もし、その500枚の写真が、パソコンが壊れたことで失われてしまったら、これはもう、相当なショックを受けるにちがいない。せめて、プリントアウトでも残っていれば救われるかもしれない。2000年秋モデルのプリンタであれば、とりあえず、写真高画質というレベルにはあった。フィルムで写真を撮っていた時代にも、同時プリントしたプリントだけを残し、ネガは行方不明ということも多いのだろうから、それはそれで、まあ、仕方がないとあきらめることもできるかもしれない。

 ビジネスの現場で使われるパソコンのデータは、万が一に備えて、二重三重のバックアップ体制がとられているだろうけれど、家庭で使われるパソコンでは、なかなかそうはいかないし、ユーザーの意識も、その被害の重大さを認識していない。日記などの文字データであれば、一度は、自分で書いたものなので、記憶をたどって、ある程度は復元できる可能性もあるが、画像はそうもいかない。4年前のあの日に戻ることはできないのだ。

 こうした、かけがえのないデータを扱うようになったわりには、今のパソコンというのは、そのケアがあまり考えられてはいない。書き込み型の光ディスクドライブがあるのだから、あとは、ユーザー責任でバックアップをとりましょうというのでは不十分だ。みんなが、まさか、自分のパソコンだけは壊れることはあるまいと思っているし、だからこそ、複数台を用意しておこうとはしないのだ。もちろん、コストの事情もある。家族の人数分+1台で、その余分な1台がRAID化されたストレージなんていうのは、まだまだ夢物語だ。

●大容量と安心は両立しにくい

 かくいうぼくも、過去に撮影したデジカメデータは、今調べてみたら、手元のハードディスクに約6万枚あり、総容量は200GB近いが、そのコピーは、外付けハードディスクに1つしかない。しかも、プリントアウトはほとんど残していないので、この部屋そのものがどうにかなったらおしまいだ。かといって、もう1つコピーを作って、別の場所に置いておくといったことをするほどの周到さはない。

 パソコンメーカーに話を聞くと、今はまだまだ大容量のデマンドが強く、安全性をアピールしても引きが弱いのだそうだ。大容量のデマンドは、もちろん、テレビ番組録画のためである。でも、将来的にテレビはオンデマンド化されて、好きなときに好きな過去の番組を見ることができるようになる可能性はあるが、プライベートなデータはそうはいかない。

 前回、すなわち、2004年春のIDFでは、Intelのデスクトッププラットフォーム事業本部長のルイス・バーンズ氏が、デジタルホームにこそRAIDが必要だと説いていた。RAID5ではコストというよりも、騒音の関係で大容量と安心を両立させるのは難しいが、ミラーリングのRAID1ならそれなりに現実的でもある。

 今のWindows XP ProfessionalやHome Editionでは、OS標準でソフトウェアRAIDが使えないし、実装したServer版でもシステムボリュームをRAID化することはできない。だから、915、925系チップセットのサウスブリッジがRAIDをサポートし、拡張カードなどを使わなくても安全が手に入るようになったのは歓迎すべきことだ。とはいうものの、この機能を有効に使ったコンシューマー向けのメーカー製パソコンは出てきそうにない。

●あったことをなかったことに

 デジタルな文化は、あったことをなかったことにしてしまえるような気がする点にも特徴的な部分がある。精神科医の香山リカさんの連載コラム『臨床フォトサイコロジー』の『ケータイフォトが切り取る現実』(日本カメラ2003年11月号)で、「イヤならすぐ消せる」ことがデジカメを使う理由だという論調があった。コストを考えずに気軽にたくさん撮れるというのが理由ではないというのだ。否定的な意見ではあるが、それにもちょっとばかり心当たりはある。

 ケータイを機種変更するついでに過去をなかったことにしよう。パソコンを買い換えるのだから、あの過去はなかったことにしよう。どうせ、たいしたものは入っていないのだからと。そして、やりとりされた数々のメールが消えていき、本当になかったような気になってくる。段ボールに詰め込まれた昔の思い出は、それがガラクタであっても捨てるに捨てられず、ホコリだらけになりながらも、押し入れの奥底に眠っているのに、デジタルデータは簡単に捨てられる。そういうものなのだろうか。


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(2004年9月24日)

[Reported by 山田祥平]

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