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人生のサンプリング



 ソニーとオランダフィリップスによる共同開発プロジェクトが始まったのは1979年の終わりだった。そのプロジェクトこそが、デジタルオーディオディスクの開発にかかわるものだった。

 電圧の連続変化に置き換えられた音声の波形を、サンプリングという技術で数値化するのが量子化だ。フィリップスは当初、14bitを主張したが、ソニーは16bitでなければならないと強く主張して譲らなかったという。

 その成果としてのオーディオCDは、1981年秋のオーディオフェアに参考出品され、翌1982年8月31日、ソニー、CBS・ソニー、フィリップス、ポリグラムの4社協同によるCDシステム発表を経て、10月1日、ソニーは第一号機であるCDP-101を発売した。価格は168,000円。記念すべきCDコンテンツの第一号はビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」で、当時のCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテイメント)が発売した(Sony History)。

●減らないレコード

 個人的にCDプレーヤーを手に入れたのは、ずいぶん遅かった。やはり、お気に入りのタイトルが少なすぎると思ったからなのだろう、欲しいとは思いつつも、なかなか購入には至らず、ようやく製品を入手したのは1985年になってからだった。だから、ぼくにとってのCD歴は、来年が20周年になるわけだ。

 ご存じの通り、CDの音は44.1KHz、16bitでサンプリングされている。シャノンの法則によれば、サンプリング周波数の1/2までは再現できるようなので、周波数特性として22KHzまでは大丈夫ということになる。人間が聴くことができる純音は20KHzまでと言われているし、アンプやスピーカーの周波数特性を考えれば、当時、それで十分と考えられたのは仕方がないことだろう。

 ところが今、DVDオーディオでは192kHz/24bitだ。SACDはリニアPCMではなくDSDなので、単純比較はできないが、2.8224MHzのサンプリング周波数によって、100kHzをカバーする再生周波数範囲を実現している。

 CDが登場する前は、音楽コンテンツをLPレコードで購入していたわけだが、場合によっては、レコードを購入してうちに戻り、ターンテーブルにのせて最初に針を落とすとき、その再生音を同時にカセットデッキに録音した。そして、以降、特に理由がない限りは、カセットを聴く。LPレコードの再生は、原理上、レコード針が盤面をこするため、確実にレコードが摩耗する。ホコリや静電気も影響する。それがジリジリパチパチのスクラッチノイズの原因になっていた。せっかくのお気に入りのレコードが、聴くたびにすり減っていくのは、どうにも気分が悪かった。

 CDでは、光学式ピックアップでピットを読み取るため、盤面がすり減るということはありえない。CDへの移行によって失うものも多かったが、得たものは、とても大きかった。少なくとも、いくら聴いても減らないレコードは理想的だった。

●非可逆でほんとうによいのか

 その後、ぼくらは、コンテンツの記録に際する圧縮のカルチャーを体験することになる。限られた容量のメディアに、少しでもたくさんのコンテンツを収録するために、あるいは、同じ品質のコンテンツであれば、それを伝送するための帯域幅が少しでも少なくなるようにするためには、どうしても避けては通れないテクノロジーだ。

 圧縮テクノロジーの進化と、一般的に扱えるメディアの容量や通信回線の帯域の伸びの関係は抜きつ抜かれつの関係にある。さらに、エンコーダーのアルゴリズムは日々進化を続けていて、異なる時代に圧縮したコンテンツなら、圧縮率は同じでもデコード時に再現される品質は異なる。さらに、A/D、D/Aの変換テクノロジーも進化している。これは昔のCDと、リマスタリングされて再発売されたCDの音の差を比べてみてもわかるし、初期のDVDの画質と、現在のDVDの画質を比べても実感できる。同じ規格なのに、その品質がまったく違うのだ。

 それよりも、コンテンツの配布のために、非可逆の圧縮テクノロジーが使われることが当たり前のようになってしまっていること自体にちょっとした憂いを感じている。そのうち、映画だってフィルムじゃなく、DLPによる映写が普通になるだろう。このままでいくと、これから生まれてくる子供たちは、音楽や映像コンテンツの視聴に際して、非可逆圧縮されたものしか知らない世代になってしまう可能性がある。幼い頃の記録がMPEGとJPEGでしか残っていない世代が登場するのだ。ぼくらの世代は、便利さと引き替えに、いろいろなものを犠牲にしてきたのだからと、無理矢理納得することもできるが、彼らはそうではない。

●結果オーライの正論

 音楽や映像は、人間の声や楽器の奏でる音、まなざしを向ける光景など、この世界にあるもっともアナログ的な存在をまとめたコンテンツだ。それがデジタル化されるのは仕方がないにしても、それが記録されるときに、その時点でのテクノロジーによって品質が固定される非可逆圧縮が施されていいものかどうか。DVDオーディオやSACDでは、可逆のロスレス圧縮がサポートされているのがせめてもの救いだ。

 その背景には、圧縮されていることに気がつかないくらいに品質が高ければ何も問題はないという思想がある。確かに正論だ。アナログの権化ともいえる映画だって、連続する時間を秒間24コマに圧縮しているといえる。でも、映写すれば、残像現象によって、人間の目にはちゃんと動いて見えるし不自然にも見えない。それとも、CDにおける音声のように、秒間44,100コマといった高速撮影をして再生すれば、今よりもっと美しいと感じられるようになるのだろうか。

●便利が奪う美しさ

 コンピュータの処理能力は高まる一方なので、将来的には、ものすごいパワーでリアルタイム圧縮した映像が送られてきても、それをプロセッサが力づくで展開して再生するようなこともできるようになるかもしれない。でも、それができるようになったときに残っている過去のコンテンツが非可逆圧縮されたものばかりだったら、ちょっと悲しい。

 こういうことをツラツラと考えていると、手元に残るアナログコンテンツは、スキャンしたからもうおしまいというようには捨てられなくなってしまう。書類のように内容がわかればそれでいいというものなら、それもありなのだろうが、フィルムやレコードは、そうもいかない。

 こんな悩みを持たなくてもすむ唯一の方法は、最初からデジタルで情報を作り、残すことだ。もちろんできることに関してはそうしている。けれどもすべてをデジタルでというのは無理というものだ。どれほど高いサンプリング周波数であっても、それでスキャンでききるほど、生身の人間が息づく世界の解像度は低くない。にもかかわらず、それをさらに非可逆圧縮してしまうことが当たり前になっていいのか。パソコンは、こうしたテーマを、これからどうやって解決していくのだろうか。「気がつかなければそれでいい」と、すませてしまうのは、あまりにも重い問題だ。


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(2004年10月1日)

[Reported by 山田祥平]

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