特集

『僕が伝えたかったこと、古川 享のパソコン秘史』発刊特別企画

〜この本に込められた想い。古川享氏自身が過去と現在を大いに語る

古川享氏

 去る12月11日、インプレスR&Dより『僕が伝えたかったこと、古川 享のパソコン秘史 Episode1 アスキー時代』が発刊された。古川氏と言えば、PC業界の古い人にとっては、アスキーを経てマイクロソフト日本法人の初代社長となり、後に米Microsoft副社長まで務めた人。今の若い人にとっては、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の教授というイメージかもしれない。

 今回、かつてのパーソナルコンピュータ勃興時代を駆け抜けきた過去、そして、大学生に向けて教鞭をふるっている現在、の両面から、本書の背景などについて古川氏自身に語ってもらった。以下は、古川氏の発言をまとめたものとなる。

PC環境今昔物語-限られた資源から広大な資源に〜創造性の変質〜

 この本に出て来るような、かつてのPCでは、メモリなど限られた資源の中で、最大限性能を引き出そうとか、より賢いことをやってやろうとか、苦労は多かったね。どこかのオフコンで、メモリ4KBでFortranが動いたりしていて、“ありえない!”と思ったこともあった。だましテクではないけれど、3byte命令の2byte目から飛び込むと、ほかの命令と勘違いして動いてしまうとか、フラグをいちいち見るとスペースがもったいないから、2byteのジャンプアドレスの相対値をフラグ替わりに使うとか、そういう裏技じみたことをやる人は昔はいたけれど、それは本当にサーカスみたいなテクニックであって、絶対アドレス番地まで指定してそんなことをやっていたら、バージョンが変わったら動くわけがないだろうし(笑)。

 こうした、かつての限られた資源の中で動かす事の賢さとテクニックと、現在のPCの豊かな環境の中で自分のクリエイティビティを発揮するのとでは、求められている適性が違うところにあるのだけれど、どちらが良いとか悪いとかではなくて、どちらも良いんだよね。

 ガジェットの中にどうやってモノを押し込むかで頑張っている人たちの仕事を見ると、「こんな中にLinux入ってるの!?」とか、ビックリすることは今でもたくさんある。また、昔のプログラミングに慣れている人にしてみれば、現在の贅沢な環境の中で、「大して気にすることもなく、大らかにプログラミングしていても存外動いてくれるというのは、何かちょっとラクしてないかい?」なんて思ったりするのかもしれないけれど、現在の環境の中で求められているのは、デザインであったり、環境をデザインすることであったりと、プログラミングそのもののスキルではなく、違うところに軸足が移りつつあるのかな、と感じている。

 つまり、“それが美しい”という判断基準はどんどん変わっているのだけど、どれか1つが正しいとか、正しい方向はこっちだとか、僕はそういう方向に話しを持って行きたくはない。正しいこと、美しいこと、豊かなことの判断基準は、本当に幅広くなって来ているのだから。

 「いいじゃん!」の選択肢は、昔に比べたら、現在は非常に多様になっていて、それこそ、例えば自動車だとか、俳優だとか、音楽のジャンルだとか、“好きなものは何?”という問いには、各人各様の色々な選択肢がある。自分のテイストがそうしたたくさんあるものたちを組み合わさって、自分自身のキャラクターが形成され、さらにそれを人が評価して……と、マクロ的な言葉で言えばダイバーシティの時代に、自分がどういう人生を歩むかという話になったら、そこには弾力性は当然あって然るべきだからね。

 そうしたそれぞれの人の多様性について、自分と意見が違っても批判するのではなくて、耳を貸して話を聞いてみて、「いいじゃんそれ!」ということをお互いが言い合える環境は楽しいよね。SNSや、いいねボタンなんて昔はなくて、個人の頭の中か、限られた顔の見える仲間内だけで、勝手に批評するか憧れるくらいしかなかった。だけど、今は自分が少しでも興味のあるエリアの中で、さまざまなアプローチをしている人に「ちょっといいじゃんそれ!」と伝えられるような環境に、ネットやサービスシステムなどが変容して来ているので、人が人を助け合うというレベルが変わって来ているなとも感じる。

作った……動いた! -かつて興奮した瞬間

 この本に出てくる時代で、僕が一番熱くなった思い出、瞬間というのは、最初にIMSAI(1970年代のPC)のパネルをパチパチと動かしながら、フロッピーディスクの中にBIOSをエントリーして、最後に「RUN」とやった瞬間に、“カチャン”とヘッドが動いて書き込みをして、システムディスクにBIOSが書き込まれる時ですね。それで、もう1回ブートさせて、ブートできなかったら、CP/Mがどこかのセクタを壊したということだからガッカリなのだけど、うまくいって、プログラムしてメモリにイメージがあって、それをディスクに書き込んで、CP/Mのプロンプトが出た瞬間、「おぉう! 動いたぜ!」と力が入っちゃうわけ。

 それで、その後「dir」と入れると、ブワーっとリストが出てくるのが、もうね(笑)。その頃のFDDコントローラなんて、自分でハンダ付けして作ったもので、1枚のボードの中に150本くらいジャンパ線を張り巡らさないと動かないようなものだったから、1つ1つのFDDの特性に合わせてシークタイムなどもFDコントローラにセットアップしないといけなかった。でき上がって動かした時、ちゃんと書き込んだ、ちゃんと読み出した、OSが立ち上がった、といった瞬間は、やっぱり一番興奮したね(編集部注:ちなみに当時のTarbell製FDコントローラの写真はInternet Archiveのこちらにあります)。

 BASIC言語の8KBのテープを、ペーパーテープから読んでいたような時代も経験しているから、その時も、「READY」と出た瞬間は興奮したのだけど、そもそも、自ら手を動かしたモノが初めて生まれたり、動いたりするという際は、僕はいつになっても熱くなる、興奮するできごとになっている。今でも、新しいモノを買ってきた時、ついこの間だと、初めてドローンを買ってきて飛ばした時とかね。箱を開けて最初に使う瞬間は、やっぱりワクワクするよね! “作る”、“組み合わせる”、“自分で設計して動かす”、というようなところは、この本にはかなり書いてあるよ。

昔より今の方がよっぽどチャンスはあるって!

 この本の中にも出てくるけど、人間には目の前に2つの道がある。批評家の道に行ってヤジだけ飛ばして一生終わるのか、ヤジを飛ばすだけなのだったら、むしろもっと良いモノを自分が考えて自分でチャレンジしてみるか、のどちらかの道だ。

 僕に対して「古川さんの頃は、何をやっても許されるチャンスがあって良かったですね」と言う人がいるけれど、僕は逆に「ちょっと待ってよ、今の方がよっぽどチャンス大きいじゃない!」と思う。人間、どこかで自分自身がチャレンジする気持ちが失せてしまった時、批評家になって自分が気に入らないことを挙げ連ねて、「では、その文句を言ってる原案に替わる案はあるのかい?」と問われてもそれは全くないまま、悪口だけを言うことに陥ってしまっている生き様は、全然幸せではないと思う。

 それより、本当に小さなこと、自分自身があるモノを使ったら少し幸せになったとか、その話を人にしてあげたら、聞いたその人も同じモノ・事象の喜びに賛同してくれた、とかのそういったレベルのスタートで構わないから、自分自身の喜びを人に分けてあげたいなとか、新しいモノを使うことに発見や喜びを感じるとか、さらには、これを作ったヤツスゲーな、と思いを巡らせたり伝えたりしてみてほしい。そういうことの毎日って楽しいでしょう? この辺りは、僕の考え方や生き方の原点なんだろうね。

 この本の発刊については、「自分はコレコレをやりました! の記録です」なんて言いたくもなく、そんな気持ちもさらさらない。「自分はこんなオチャメなことをしたのよね」という話が前提にあるから、「だから若い方、同じ事をやってもオッサン達は怒らないからもっとやってよ!」とそそのかしたい、というのがホンネ。そこら辺の呼吸を分かってほしいんだよね(笑)。

イマドキの本、というか情報の塊の作り方

 例えば、この本が出た後に、内容について「この辺りは間違った事記述してるんじゃないの?」とか、「あの人とかあの人の話が出てくるなら、ほかにあと5人ほど知っている人がいたから、その人の名前も入れておこうよ」とか出てくるのなら、継ぎ足して行くのもありだと思ってる。この本を作ったことで、よその会社にもたくさんの人がいて、「こういう歴史もあったよ」という話が掘り起こされたり、もっともっとディープな情報が、この本を中心に磁石のように情報が引っ張られて来たりすることも願ってる。Episode 2・3は、僕ではなくて、そういう人たちに委ねても面白い形になるのかなと思う。

 この本の制作過程では、ネタがあったら集めたり拾ったりしたかったので、編集者からは僕のFacebookページを使わせて、とは言われていた。実際はそういう使い方はしなかったのだけど、最後の方になって、本で使いたい写真でどうしてもないものがあり、Facebookページで収集の声がけをしたら見事に集まったという(笑)。

 昔はこんなことはできなかったけれど、今のネット環境では、その先に人が山のように繋がっているわけで、本作りや、本でなくてもプロジェクト作りが、昔とはすごく違った形でできるようになっているよね。そうした力があることに対して、まだ我々はそれらを全然使い切れていないのだと思う。

 学校の卒業生であるとか、ミュージシャンとファンクラブであるとか、特定の関係条件で集まれるなら、ネットワークの中で単に会話をするだけではなくて、セグメント化された情報をドンドン肉厚にしていくような集積の仕方、さながら生まれた子供を育てていくような関わり合い方によって、本とか音楽とかとの関わり方も感じ方も変容すると思う。“本”という単語の物体も、紙の出版物と電子書籍が複雑に絡み合って、かつSNSがまたそれらの周辺を埋めたり巻き付いたりすると、本当の価値が生まれるのではないだろうかと。

 この本の“第○版”という記載には小数点が付いていてね、1.0か始まるということは、1.1、1.2,1.3……と、2版となるまでが小刻みなわけ。“何月何日バージョン”とかでみんな中身が微妙に違う、というのが、紙の印刷物の形であっても、プリントオンデマンド(POD)を使うことでできるわけ。

 紙の本は、発行して物理的物体になった瞬間に、亡骸としてそこに残っている状態なのだけど、PODだと、正味はデジタルデータの方なので、都度紙に出した後もまだ生きている状態と言えるのかもしれないね。本当ならば、ものづくりのための仕様書作りというのは、こうしたプロセスというか情報の加減をやりながら作っていたのだろうけど、それをうまい形で見られる状態にするツール・方法が今まではなかったとも言えるのかもしれない。

 これからは、それぞれの動いてる時間の流れの中で、何か新しいことが生まれた時の記述をどうするか、新しいタイムスタンプが付いて加わった何かを整理するということ以上のものをどうするか、が新しい姿の方向を決めていくのだろうね。それからEvernote的なものはできているのだけど、それを普通の人と共有する窓口のようなものも、きっとできてくるのだろうな。

編集部より

続編はASCII.jpにて12月23日掲載予定です → http://ascii.jp/e/1091133/
12月29日発売の週刊アスキー電子版にはさらに別編も掲載予定です。

古川 享(ふるかわ すすむ)


日本のパソコンの草創期よりアスキー、マイクロソフトと常にその中心にあって指導的役割を果たした技術者・経営者。1954年東京に生まれる。1979年にアスキー出版入社、月刊アスキー副編集長を経て、1982年技術担当取締役に就任。1986年にマイクロソフト株式会社社長に就任し、DOS/V、Windowsなどの開発・普及に尽力した。2003年に米国マイクロソフト副社長就任。2006年に慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構(DMC)、2008年同大学院メディアデザイン研究科(KMD)の教授に就任。現在、自身の経験を活かしてベンチャー志望の若者の指導にあたっている。趣味は鉄道写真・模型。
(「僕が伝えたかったこと、古川 享のパソコン秘史 Episode1 アスキー時代」掲載・著者紹介より)

(PC Watch編集部)