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明確になったソフトバンク買収後のARMのIoT戦略

 アーム株式会社は12月2日、都内で「ARM Tech Symposia 2016」と題した開発者向けイベントを開催した。このイベントはアジア地域の開発者向けに、中国、韓国、台湾で10月末より順次開かれており、日本は4カ国目となり、最後はインドとなっている。

 内容的には米・サンタクララで10月末に開かれた「ARM Techcon」をベースとしたものとなっており、基調講演や記者説明会では、Techconで発表となったTrustZone統合組み込み向けプロセッサIP「Cortex-M23」および「Cortex-M33」新GPU「Mali-G51」および「Mali-V61」に焦点が当てられた。

 これらの詳細についてはほぼ既報の情報通りで、目新しい点はないが、基調講演ではソフトバンク買収後のARMのIoT戦略について詳しい説明があったので、この模様をお伝えする。

IoTが1兆個あれば、1つあたり10円でも10兆円の規模のビジネス

宮内謙氏

 基調講演では、ソフトバンクグループ株式会社 代表取締役副社長およびソフトバンク株式会社 代表取締役社長 兼 CEOを務める宮内謙氏が、ソフトバンクがARMを買収した背景について説明した。

 同氏は、2008年7月11日に日本で初めてiPhoneを発売したことを振り返った。iPhoneの登場からたった8年で、日本のスマートフォン市場は、AndroidやWindowsも含めるとスマートフォン契約者数は7,715万台にも上った。予想では今後1億台を上回り、10年でほぼ全人口に普及すると見ている。

 これはパソコンによるインターネットから、モバイルインターネット時代へのパラダイムシフトである。この10年間で、スマートフォンの安価なネットワーク、位置情報、そして数十億人規模の市場の後押しによって、AirbnbやInMobi、Uberといった新しいビジネスが生まれた。

 新しいビジネス登場の背景には、必ずしも新しい技術や新しい部品の登場が伴っているわけではないが、技術と部品の進化なしにはビジネスが成功しない。スマートフォンが普及した背景には、この下支えがあったからこそだと同氏は言い、これによって数兆円規模の市場が生まれたと言っても過言ではない。

2008年7月にソフトバンク日本で初めてiPhoneを発売
2018年にはスマートフォンの契約者が1億を超えるとの予想
PCによるインターネットからモバイルインターネットへのパラダイムシフト
この10年、スマートフォンの躍進によって生まれた新しいビジネス

 一方、IoT時代に進むための下地(環境)はどうか。CPUの演算能力については、今後もムーアの法則は続くと見ており、20年間でスーパーコンピュータの演算能力は100万倍向上する。ストレージに関してもMRAMやReRAMの登場により、20年間でアクセス速度が100万倍になる。そしてモバイルネットワークの速度も、5Gなどの新興技術の投入により、20年間で2.6万倍になるとし、こういった環境が整うことで、ようやくIoT普及期に入ると予想した。

スパコンの演算性能向上
ストレージアクセス速度の進化
モバイルネットワークの通信速度の進化
IoTへの次のパラダイムシフト

 「例えばAI(人工知能)も数十年前から存在はしていたが、CPUの演算能力やメモリの転送速度、ネットワークのボトルネックなどによって普及しなかった。今はインフラストラクチャが安く高速になったので、本格的に普及期に入った。次の10年はIoTがやってくる」と宮内氏は語る。モバイルデバイスがインターネットに接続している数に関してはかなり前からPCを超えていたが、IoTに関しては2018年辺りを境にモバイルデバイスを超えてくるともした。

 さらに先のビジョンとして、2035年には2,750億個ものIoTがインターネットに接続されると予測している。これは2015年からの累計で1兆個にも達する。「1兆個のデバイスが、例え1台10円でも10兆円規模の市場になる。そしてこれを月額1円だとしても10カ月で10兆円、月額10円だとしたら10カ月で100兆円規模の市場になるとした。

 「IoTによってあらゆるデータがインターネット上にある世界になる。言うなれば、石炭の時代、オイルの時代に続く、データの時代がやってくる。そしてこの時代に全てのものにARMベースのCPUやチップが付く」と宮内氏は説明する。つまり、ソフトバンクは来るデータの時代を予測して、ARMを買収したのだ。

 ソフトバンクと言うと携帯電話回線を提供する会社だというイメージが強いが、AIやビッグデータの技術も積極的に開発し、取り入れている。例えばユーザーが持っている携帯電話の電波が繋がりにくい場所を分析し、基地局を設置したり、ネットワークの障害を自動で検知し、そのうちの80%をAIによって自動復旧させたりしている。

 これからIoTとAIの組み合わせとしては、自動運転や自動株取引といった分野で期待できるとした。また、8K解像度のデータをスムーズに転送できるようになれば、遠隔手術や遠隔治療と言った遠隔医療分野にも革新がもたらされるだろうとした。

2018年にIoTによるインターネット接続数はモバイルを超える
2035年には1兆個のIoTデバイスがインターネットに接続される
全てがデジタルデータ化される社会に
ソフトバンクが集めているユーザー情報のビッグデータ分析例
既にソフトバンクではビッグデータを使って、電波の繋がりにくいところを特定し、改善作業をしている
8K映像の転送により遠隔医療も可能になる

ソフトバンクによるARM買収がもたらすメリット

 2016年、半導体業界にとって最大の震撼をもたらしたニュースは、ソフトバンクによるARMの買収かも知れない。しかし宮内氏によると、10年前からARM買収の話を持ち上がっていたし、「海外にあるテクノロジーを日本に持ってきて普及させる」というソフトバンクの戦略は終始一貫しており、ARM買収とてまったく例外ではないという。そしてARM買収によって、さらなる投資拡大で、これまでARMが弱いとされた分野にテコ入れをしようとしている。

 まずはサーバーである。ソフトバンクはPacketというベンチャー企業に出資をしているのだが、11月末にも米国で世界で初めてARMサーバーによるベアメタル(物理サーバー)クラウドサービスを展開した。従来のクラウドサービスの多くは仮想技術をベースとしており、ほかのユーザーと共有する形であったが、このサービスは物理的にサーバーを占有できる。申し込みから10分程度でサーバーが構築されると言い、リリース開始から2週間の間に、口コミだけで400社にも採用が広がったという。

 ARMプロセッサの低消費電力/省スペースといった特徴を活かし、コストを10分の1に抑えながら低消費電力を実現、そして1ラックに7,300コアを収容できる高密度をウリとする。日本でも12月16日にサービスを開始する予定だとしている。

 ARM単独では解決が難しい、企業におけるIoT導入の際のセキュリティ問題も取り組む。ARMが持つセキュアなmbed Cloudプラットフォームと、ソフトバンクが持つコンサルティング部隊を駆使し、特にセンシティブな企業におけるIoTのセキュリティ問題に対してともに解決し、IoTの普及を加速させる。

ARMのマーケットシェア
ARMベースのチップ出荷数
物理サーバーをオンラインで即時開通し、ユーザーは物理サーバーを占有できる
世界初のARMサーバーによるベアメタルクラウド
低消費電力、低コスト、高い集約率を実現
日本でも12月16日にサービスを開始する

 そして現在、GPUが主導となっているディープラーニング市場にも乗り出す。ソフトバンクは既に「Pepper」を使ったロボット事業があるが、これをディープラーニングと組み合わせることで、これまでPepper単体ではできなかったことができるようになる。例えば、ディープラーニングを活用することで、Pepperでもけん玉ができるようになったことを挙げた。

 現時点では、ディープラーニングは用途特化型にしか応用できていないが、将来には脳の全てをエミュレーションできるAIの開発も研究していく。さらに将来には、未来を予測できる世界、事故や渋滞のない世界、人類が100歳以上生きられる世界を目指していきたいとした。

IoT構築における課題
ソフトバンクがサービスとともに提供することで解決
将来的には全脳エミュレーションを目指す
ソフトバンクが目指す未来

ARMが推進するIoTの世界

 続いて、ARM Executive Vice President and Chief Commercial OfficerのRene Haas氏が、ARMの今後のIoTのビジョンについて語った。

ソフトバンクとARMの戦略

 これまで報道されている通り、ARMは100%ソフトバンクの子会社となるが、ARMはブランドを残し、戦略ビジョン、注力する市場、ビジネスモデルに関して全てこれまで通り継続する。Haas氏によれば、ソフトバンクがARMを買収した後、孫正義氏とともにパートナー企業に訪れ、変わらない企業体制を維持すると説明に回ったそうだ。

 一般的に企業買収される際には、人事異動や人員削減が発生するのも珍しくないが、孫正義氏がARMに約束したのは人事体制の完全維持と、グローバルで人員を今の2倍に増やすということだった。現在ARMはグローバルで2,000人のスタッフを抱えており、そのうちの半数以上がエンジニアだが、「これが2倍になることはとてもエキサイティングなことである」と同氏は語る。

 ただ、エンジニアを含めて増員するということは、開発を強化することの裏返しであり、元々持っていたロードマップからさらに製品開発を加速していくことを意味する。その中で特に注力する市場はIoTである。

 先ほど述べた通り、IoTが普及するための土壌は用意されている。しかしIoTがなかなか普及しない原因としては、3つの課題があるとARMは分析している。それはセキュリティ、コスト、ナレッジである。ナレッジについては、インターネットが登場した時と同じことがIoTにも言えるのだが、セキュリティとコストに対して慎重な企業が多い。

 なぜならば、IoTはPCやスマートフォンなどと比較すると長いスパンで使われる可能性を想定しなければならないからだ。PCやスマートフォンは概ね3年~5年程度で買い替えサイクルが発生するが、IoTは最低でも10年といったライフサイクルを見なければならない。そのためコストが計算しにくく、セキュリティの対策も難しくなる。

 特にセキュリティに関しての課題は深刻だ。例えば数カ月前に米国で大規模なDDoS攻撃がさまざまな企業に対して一斉に行なわれたが、その原因は家庭内にあった大量の古いルーターで、ルーターのバックドアを介して侵入したハッカーがそれを悪用した。インターネットに接続されるIoTデバイスの数が家庭の古いルーターの比でないことを考えると、真っ先に解決しなければならい問題となる。

 また、例えば将来的に自動運転車も一種のIoTになると言えるが、これも盗難や安全に関するセキュリティを確保しなければならない。自動運転車の場合、金銭の損失のみならず人命に関わりかねない。このほかにも、チャットのログ、カルテ、そしてユーザーの生体情報など、さまざまな情報に対してセキュリティを配慮する必要がある。

IoT時代におけるセキュリティは最重要課題の1つ。これを解決しなければ人類に甚大な被害がもたらされかねない
自動運転は大きなポテンシャルを持つ市場だが、セキュリティの問題は人命に関わってくる
ARMがIPレベルで提供するセキュリティ「TrustZone」
さまざまなIoT機器

 ARMはIPを半導体企業に提供する会社なので、デバイスレベルでのセキュリティに配慮した。例えばTrustZoneの仕組みを利用すれば、セキュアブートでデバイスを起動し、ハッキングやマルウェアからアプリケーションを保護する仕組みを搭載している。一方で、クラウドと通信する段階においても、同社のmbed OSとmbed Cloudを利用すれば、通信面でのセキュリティも確保されるとした。

 その一方で、ARM単体では解決できない問題も多く存在するとし、パートナー企業の協業、エコシステムの創出を働きかけた。自動車分野だけでなく、建築分野、農業市場において、潜在的にIoTが必要とされているとした。

 加えて、IoTのみなら、スーパーコンピュータにおいて富士通、理研と協業し、“ポスト京”のスーパーコンピュータ開発に乗り出しているとし、ARMのポテンシャルにも期待していると語った。

セキュアなIoTを創出していくためにはエコシステムが必要である
身近になったIoTの一例。コンクリートが固まったタイミングをセンサーが感知し、工事担当者に知らせるもの
農業においても無人トラクターや土壌管理に役立てる
スーパーコンピュータ分野にもARMが進出しようとしている